TPP18(言語共通化1)

日本に本社機能が集中するようになれば、本社に用のある外国人が多く来て住み着くことがあるでしょうし、日本語修得者も増えます。
東京が彼を吸収することによってコスモポリタン化しますが、その場合は、日本文化を核にしたコスモポリタン化であって民族の個性を失うことはありません。
(後記のように社内公用語を英語にして行っても、本社が日本にあって日本語をベースにして公用語だけ英語にするのと本社がアメリカにあって英語が公用語になるのとでは基礎が違ってきます。)
アメリカに本社機能が移って行くと固有の言語(日本語は今の東北方言みたいな扱いになって行くでしょう)からして失うようにならざるを得ないでしょうから、民族固有の文化は大幅に毀損されます。
固有文化維持の視点から言えば、固有言語を維持出来るか否かはかなり重要ですが、この辺はTPP加入の有無にかかわらず、市場一体化が進む以上は、国際共通言語化して行くしかない趨勢自体を否定出来ません。
会計基準や金融取引・税制基準が国際共通化せざるを得ないのと同じ問題です。
EUのように陸続きの国では、国境を通過する都度交通法規が違ったり貨幣が違うのでは不便ですから、いろんな分野で共通化したくなる気持ちが分ります。
日本企業が国内だけで完結出来るならば良いですが、製造業に限らずコンビニなどサービス業を含めて殆どの大手は海外進出するしかなくなっています。
多くの外国人を現地雇用をして行くしかない以上は、本社が日本にあっても社内公用語を世界的に共通化しつつある英語にして行かないと意思疎通や効率化の面で支障が生じてきます。
個々人も雇用の流動化が進み、転職のために別の国際企業への再就職するには、最低英語くらいは話せないと国際展開している大手企業への転職がおぼつかなくなりますので、英語会話能力・英語文献・データを素早く読み込む能力を身につける必要性が高まるでしょう。
言語共通化問題は、TPP参加とは関係のない現象であって、あらがい切れない流れと言うべきです。
日本列島が明治以降に統一国家になって次第に各地方言が廃れて行ったのと同じ流れですが、各地の方言の場合文法的に根っこは同じでしたし元になる気候風土も基本は同じでした。
日本語を英語に切り替えて行くと基礎になる気候風土も違うし、文法からしてまるで違う・・質的に違う点が固有文化・思考形式にどのような影響を及ぼすのかが心配です。
会社や役所では洋服・・自宅に帰ると着物に着替える習慣が明治以降長年続きましたが、高度成長期以降昭和50年代までに次第に廃れました。
(この結果紬などを着る人が減ってしまったでしょう)
会社が洋風のビルでも自宅では座敷生活だったのですが、自宅も洋風・・椅子テーブル生活に切り替わる時期でもありました。
昭和50年代中頃以降、宴会もどちらかと言うと座敷が減って立食形式のパーテイに変わって行った時期に合うように思います。
私が弁護士になった頃に、ボス弁護士に連れられて行ったのは和風料亭で、呼ばれた芸者さんの三味線など合わせて小唄・甚句などを楽しむ・今から考えれば江戸時代的スタイルが残っている時期でした。
平行して所謂キャバレーやクラブに連れられて行くこともありましたが、まだ和風の楽しみ方が残っている和洋混交時代が、昭和40年代から50年代半ばころの姿でした。
話題が少し変わりますが、TPP参加国の内シンガポールは、ほぼ純粋な商業都市国家ですから、自国内の僅かな製造業保護よりはアメリカ市場が国内同様になれば、まさに10km四方の国が500km四方の国と合併するようなもので、商人としては市場が広がるメリットだけを考えていることになります。
シンガポールは、2013/03/10「TPPと主権4(商人の立場1)」前後で書いた発想によっているのでしょうが、地域統合本社程度の設置が期待出来ても本当の本社はアメリカに持って行かれるリスクがある点は、製造業系企業とそれほどは変わりません。
日本で言えば、東北各地の県庁所在地よりは仙台の方が有利という程度の利点をシンガポールが狙っているのでしょうか。
世界企業の本社が我が国にすでに一杯あるのに、市場一体化によってアメリカに本社や生産機能を持って行かれるリスク・・ひいては独自の文化が縮小衰退して行くリスクのある日本とは、元々志の大きさ・リスク意識が違うことになります。
守るべき固有の言語・文化もないと言えば失礼かな・・ 文化濃度の薄さに比例して身軽ですから、変化の激しい時代には何にでも簡単に変身出来るメリットがあります。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC