観光立国と生活レベルの低下3

本社ビル経費を賄うために(京都の天竜寺など有名寺院のように)本社幹部の占有比率が下がって現場化を進める・・本社ビルの9割を飲食店・売店や物販やエステ店などに貸すようになるとどうでしょう?
本社ビルで働く人の多く(9割以上)がサービス業で占めるようになれば、その所得水準に合わせて本社ビル関係者・通勤圏内の住宅街の平均生活レベルが長期的には下がって行きます。
しかも入場料収入では、本山のフロー収入としては収支均衡あるいは僅かに黒字かも知れませんが、本体の立派な伽藍自体の建て替えなどの基本収入にはなり得ないでしょう。
工場設備や高速道路の収入が日々の従業員の給与や仕入れ経費で消えて行くと補修や建て替え費用が出てきません。
本社ビルを物販やサービス業に貸して本社ビルの維持費の穴埋めに使っても何十年後のビル建て替え資金までは蓄積出来ませんので古びて行く一方です。
その点では京都の庶民の多くが切符切り等観光サービス関連の仕事をしていては、自宅の建て替えが出来ず、戦前からの古い家にそのまま住み続けているしかないのと、お寺本体・総本山の現場化による結果は同じことになります。
観光立国とは、観光産業に従事する人の比率を上げることになりますが、タクシー運転手や入場料チケット販売や安全確認作業あるいはホテル受け付け、ベッドメーキング・掃除等、観光施設維持管理する人等が主体の人口構成の社会を作ろうとしていることになります。
この種業務従事者は失業者ではないですが、この種の職業では親譲りの家をそのまま使い続けてその日その日の生活して行くのが漸くで、古くなった家の建て替えをするまでの資金が出来ない人が中心の社会になり勝ちです。
観光に頼るようになったことで多くの人口を維持出来るかも知れませんが、京都等ではもの凄く古い家にまだ住み続ける人が多くなっている原因ではないでしょうか?
観光産業がなければ自宅を建て替える収入のある人だけが京都に残って、観光産業従事者分の人口が減ってしまったかも知れませんが、その分スリム・筋肉質な社会になって全体の水準が落ち込まなかったと思われます。
人口が多ければ良いというものではない・・少子化を進めるべきだという普段からの意見の繰り返しですが、観光業従事者を増やすよりはそうした人を出来るだけ少なくした方がその地域のレベル・・一人当たり収入が上がります。
放置すれば人口流出するとしても、それに対する対策はきちんとした産業を育てることであって、それが出来ないならば人口減も仕方のないことではないでしょうか?
家庭で考えても、外に働きに出る人を減らして家事労働者比率をふやしていると生活を維持できなくなるなります。
家事労働分野・・社会全体でいえば介護などに限らずサービス分野従事者比率を極力減らすのが筋です。(洗濯機や電化製品の例で分るように)機械化などによりサービス内容の充実を図るのは必要ですが、人口構成上従事者比率を減らすべきだということです)
ベニスやローマ等イタリアの街並は古い家ばかりで、これを自慢している傾向・うらやましがっている人もいますが、ベニスでゴンドラを漕いでいたり観光客に土産物を売る人が中心では、市街が汚くなる一方で時代に適応した新市街への改築が進まず街のレベルが低下する一方でしょう。
私の自宅はJR千葉駅から徒歩圏内ですから、大きな屋敷を次の世代が維持出来なくなるとこれを売却して、相応の収入のある人に入れ替わったり、分割して分譲住宅に変わって行きます。
ちなみに戦争で燃えなかったから京都では古い家が多いのかと漠然と思っている人が多いかと思います。
しかし関東では住宅やビルなど戦後今までに大方2〜3回も建て替えている社会であることから言えば、京都や大阪では文化財でもない一般庶民住宅が何故戦前からの古いままなのかということについて社会問題になっていないことがおかしいのです。
京都では観光産業従事者や学生が多くなっているから、こうなってしまったのではないでしょうか?
ここで話がずれるような感じですが、大学誘致問題に話題が飛びます。
大学都市が良い街造りになると期待して大学誘致を期待している人が多いですが、これは過去と前提が変わっているのに気づかずに今に当てはめる誤りです。
ここ3〜40年ばかりの傾向で言えば、今や学生はエリートではないしお金持ちの子供ばかりでもなく、むしろ貧しい人・アルバイターなど親の乏しい仕送りでギリギリ最低生活をしているのが普通ですから、経済基準では社会的弱者の方が多くなっています。
今や大学誘致=経済的弱者集団の誘致ですから、これをしても大学所在地の経済レベルが上がることはありません。
神戸の震災の犠牲者に学生が多かったことが報道されましたが、学生は親に負担をかけないように劣悪な木造密集地帯のアパートでも嫌わずに住む傾向がある(体力があることにもよります)ことをそのときに印象づけられたものです。
ちなみに、給費制がなくなったばかりの今の司法修習生も似たような傾向・・親としては大学院までの出費がやっとでこれ以上資金を出し続けるのを縮小したい人が多く、学生よりも貧困になってきました。
地方過疎地に大学が出来たばかりのときに若者人口が一時的に増えるので、学生向きのアパートの新築その他で一時的に地域の消費が増えるでしょうが、一人当たり消費水準は現場労働系若者(彼らは数十万の収入をほぼ全部使い切っていますが、親の仕送りに頼る学生は数万円の小遣いを使うのがやっとです)よりも少ない・・経済的に見れば最弱者ですから、彼らをターゲットにして商売していたのでは地元経済は貧困化のスパイラルに陥ります。
彼ら学生は課税対象ですらないので、1円の納税もしていないでしょう。
教員等従業員の納税者が若干増えますが、非課税の学生数に比すれば、ホンの何%でしかありません。
納税しない人口比率が増えるので、地方自治体は人口増に比例して水道その他インフラ整備分を無償あるいは低廉で提供し続けることになる点では、観光客がトイレや公共施設を無償で使ってゴミ等を捨てて帰るのと似ています。
京都は観光産業ばかりではなく文教都市として多くの大学がありますが、彼らは最低生活をしている人が多く、しかも(切符切りなどアルバイトをしても)税金を納めないので京都府や市としては、長期的にはかなりの持ち出しになっている筈です。

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