観光立国と生活レベルの低下2

都市の清潔さや気品、犯罪の多少も住民レベルに比例する・・都市あるいは農村全て社会のレベルは構成する住民次第といえます。
都市活力の源泉としての社会階層をみますと、お金持ち・あるいは中間層・主としてホワイトカラーの多い社会がその都市等の平均所得を嵩上げ出来ます。
逆に非正規雇用等平均以下の低所得者の多い社会では、言わばその日暮らし・・親の家から働きに出る限り何とか生活して行けますが、(親の家のない人は公営住宅や木密低家賃住宅居住者となり)自宅が時代遅れになったことを理由にする建て替えなど夢のまた夢となります。
高架線(列車)上からそれぞれの住宅街を比較して見ても京都や大阪に比べて(東京都心部の活発な模様替えに比例して、)首都圏では新しい住宅の比率が多いことが明らかです。
私の自宅付近で言えば、(空襲でほぼ全部燃えたので)戦後直ぐから昭和30年代中頃に建てた家は、昭和40〜50年代末までに大方建て替えが終わり、平成になってから第3次の建て替えが進んで今では昭和年代の家は滅多に見かけない状態になっています。
10年ほど前に函館に行った際に妻の洋服の裾がほつれたのでこれを補修するために五稜閣近くのスーパーダイエーに入ったところ、その店舗の薄暗さに驚いたことがあります。
千葉のスーパーのイメージで言えば、25〜30年前の店舗をそのままにしているイメージでした。
商店の模様替えが7〜8年に1回やれるか20〜30年に1回しか出来ないかで、その企業や地域の活力が分ります。
約1ヶ月前に京都へ紅葉見物に行ったときには、京都の場合観光産業が現役ですので、観光客相手の各種商店は活気がありますが、(観光客が減った訳ではありません)これを支える庶民住宅の貧しさが気になりました。
日本全体ではホワイトカラーや中間層が減少中であるとしても、本社・官庁で言えば本体部門が東京に集中していることから、東京では厳選されたホワイトカラーや官僚が集中していて、(高級労務者が多いので)なお都市活力が維持出来ていることになります。
都市・社会の活力は居住者の経済力に比例しますので、本社や本部部門がどれだけ多いか・・本社・本部部門の経営規模に依存していると言えるでしょうか?
江戸時代で言えば、江戸に大名屋敷が集中し京都には宗教施設の本山部門が集中していたので京も何とかなっていました。
今も京都には宗教系本山部門が集中していますが、宗教団体自体の経済規模が江戸時代とは重みが減少していますので、今では全国の末寺・末社から集める上納金は殆ど意味を持っていないと言えるでしょう。
そこで本山自体が末端からの上納金よりは、本山自体の手元収入・・拝観料収入に多くを頼るようになっています。
本山・本部の現場化が進むと本部での現場労働者比率が上がるので、宗教施設関係者の生活レベルが大幅に下がるしかありません。
現場化の進行によって、その従事者の多くホテルマンやタクシー運転手や拝観料切符売りの人や土産物店店員や飲食関連の労働者等、観光客相手の業務従事者が増えた結果、京都の庶民住宅が関東に比べて著しく見劣りするようになった原因でしょう。
仮定の話ですが、仮に東京丸の内ビル街の現場化・・サービス化が進むと本社ビルで働く人の現場労働者化が進む・・ひいては平均所得が下がると言えば分りよいでしょうか?
現在東京電力や三菱銀行など大手企業本社ビルなどで現場労働しているのは、ビル保全設備業者や地下の食堂や売店・守衛・社長車の運転手等だけですから、本社ビル出入り関係者の平均所得はもの凄く高くなります。
本社・統括部門があると世界中からの訪問・出張客が絶えないし、彼らの宿泊需要のほかに会食や会議等の高級需要(労務者の移動・飲食と違い移動手段その他全ての分野で消費レベルが高級です)が発生します。
観光客はお金持ちでも例えば嵯峨周辺でのお昼は、時間をかけず軽く(ソバなどを食べたりして)済ませるのが普通ですが、公務・社用出張族はお昼も会食等でワインを開けたりして豪華にやっています。
私は午前の東京地裁事件終了後日比谷公園内の松本楼で妻とゆっくり昼食を取ることがあるのですが、こう言うときに時々外国から出張して来た官僚を接待しているのか、役人らしき人と欧米人の会食に遭遇することがあります。
このように100人の観光客よりは、100人の出張族の方が需要がレベルアップします。
公務の場合ファーストクラス・数万円のフランス料理・和食しか利用しない人でも私用の観光になると、レベルダウンする人が多いのが普通です。

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