投資効率1(量から質へ)

我が国は高度成長の当初・・儲かり始めた最初はまだ各種家電製品等不足の(と言うよりは出来初めのころで普及していない)時代でしたから、収入が増えれば嬉しくてドンドン買いました。
今ではすべての分野で飽食で手持ち品が溢れていて少しくらい収入が増えても既存商品については、多くの国民が渇望していない・・急いで買わねばならない物品がない状態です。
より良い物・サービスが出れば消費出動する状態ですので、この間国内製造品・サービスがもの凄くレベルアップしました。
衰退産業の代表のように言われる農業でも、各種果物や畜産物、野菜を約20年前と比べると分りますが、品質が2倍以上良くなっていると思います。
(標準価格米が中心の頃に比べればお米もうまくなっています)
各種サービス業・・美容院や商店街のしつらえを見ても(代表例として、東京駅周辺・・旧丸ビルがあったころと今の丸の内界隈の変貌・・)20年前に比べれば隔世の感があることは誰でも認めるところでしょう。
このように日本は余った資金をつぎ込んで国内生活水準レベルアップに取り組んで来た結果、今や世界一快適な社会生活が送れる国になっていると思います。
国民個々人が余剰資金を生活水準引き上げに使う・・良いもの・サービスを消費するだけでは社会インフラ整備と整合しません。
「掃き溜めの鶴」で満足する人は少なく、自宅周辺の町並みを綺麗にしたい・・あるいはそう言うところに住みたくなるのが普通ですし、出掛けて行っても汚いところでも味さえ良ければよいのではなく、丸の内の新ビル街のようにオシャレな空間で買い物や食事をしたいものですので、公共工事・インフラ投資も平行しないとバランスの取れた生活水準引き上げにはなりません。
良い美術品を見た後で併設されたオシャレなレストランで、食事した方が満足感が高いものです。
卑近な例では、新しくなった東洋文庫を今年の5月に訪問して康熙字典などの所蔵品に圧倒されましたが、見学後併設されていたオシャレなレストランで食事を楽しみました。
バブル崩壊後の公共投資は投資効率が悪いと批判されていますが、平成以降は国民の生活水準上昇目的の公共投資に切り替わっているのであって、この辺を理解しない時代遅れの論説です。
August 7, 2012「財政健全化路線1(無借金経営論と知能レベル)」で財政赤字論は教育投資や公園、ロケット投資などの支出をプラス評価しないで支出面だけで見ている変な議論だと書いたことがあります。
現在マスコミを覆う議論は、投資の内容が質に変化している点を故意に無視した議論です。
すなわち曲がりくねった未舗装道で移動するのに1時間かかっていたのを直線道路にして10分で行けるようになる・・砂浜を浚渫して港湾設備を整えるような後進国型公共工事は投資効率・産業へ効果が大きく上がるのは当然です。
平成以降の公共投資は更なる儲け・産業効率化を図るよりは、歩道を石畳に変えたり電柱の地中化を進める、並木の植木を良いものに換える・道路の縁石を立派な物に換えるなど街路のたたずまいを綺麗にする・・老朽化していた美術館を建て替えて快適にし所蔵品の充実を図るような生活水準向上型・精神性の高さを求める時代になりました。
大震災時における国民の対応力の素晴らしさ、津々浦々まで行き渡っている我が国の精神性の高さ・・長年磨き抜かれた我が国国民性の精華が世界的に証明されました。(国粋主義的表現かな?)
生活水準・精神性など引き上げても何の役に立つのだと批判する・・そこまで考えた上の公共投資の効率性低下批判ならば立場の違いですから話は別です。
投資目的が変化していることに気づかずに、投資による目先の経済効果が低いことばかり議論して「公共工事は」無駄だと言う議論は、時代変化を理解していないので論理がかみ合っていません。
老人ホームや病院を作っても産業活性化率が低い・・乗数効果が少ないと議論しているとお笑いになるでしょうが、これらは元々産業活性化・効率化のための公共工事ではないことを誰でも知っています。

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