モラール破壊8(手続き的公正が万能か?)

大統領選挙の当落は資金力に比例すると言われていますが、議会多数派工作も同様です。
我が国でも法案提出は特定権益層の運動によることが原則・・このため既得権益保護後のための規制をなくすのが至難ですが、アメリカの場合、これに加えてロビー活動が重要です。
ロビー活動では間接的な利益誘導(実質賄賂供与の可能性が高いのですが・・)が仮に全くないとしても,ロビー活動を継続的に続けるには豊富な資金力が要りますので、ロビー活動の結果で議員が行動する仕組みのアメリカであれば、資金力が議会での議決に大きく作用していることは自明の理です。
民主主義国家且つ法治国家では剥き出しの強者の論理・武力によるのではなく、(清盛が鎧の上に僧衣をまとったように)民主主義というオブラートに包まれています。
法規範化されている結果、予測可能性がありますが、それだけならば古代に韓非子が唱えた法家の思想と同じです。
結果的に強者が支配権を握っていて、ほぼ好きなように法を制定出来る点では、専制君主制国家や独裁国家での法を利用した支配と同様です。
核拡散禁止条約のように強者にだけ都合の良い論理が世界でまかり通っているのがその代表例ですが、世界の覇者であるアメリカあるいはこれに同調する国々の都合どおりにいろんな国際ルールが決まっている例が殆どです。
(国際政治ではまだまだ剥き出しの武力比重が大きく、この現実に立脚して北朝鮮や中国は武力拡大に精出していますし、これに資金力・・ロビー活動の成果をプラスすれば鬼に金棒・・これにも中韓政府は巨額資金を投じています・・が付加されて支配的地位が決まって行きます)
「選出母体の支持獲得3と政治資金1」 December 3, 2012前後で紹介したように、アメリカの大統領選挙は資金力の差で決まると言われています。
中国では一般の企業活動では賄賂が必需品であるだけではなく、学校に入っても軍隊に入っても上官に苛められないように先ず賄賂、医療も賄賂、どこへ行っても賄賂次第の社会と言われています。
アメリカの推奨する民主主義政体と言っても、上記のとおり資金力の差で法制定権力が決まるのですが、これを賄賂と言わない・・寄付金等となって透明化されている面が大きいとしても・・結局は選出儀式の表現でしかありません。
アメリカではロビー活動が活発ですから、この結果大統領選挙だけではなく議員個々人の意見形成に対しても資金力のある組織が大きな影響を及ぼしています。
韓国や中国のようにここに目一杯金をかけている結果、慰安婦でも何でも、両国の架空主張に同調する議員が輩出するのです。
これを贈収賄活動とは言わないものの、賄賂と紙一重になります。
日本政府は正しいことは黙っていても分ってもらえる筈だと言う行動様式ですから、明からさまなロビー攻勢はみっともなくて出来ません・・・これが第二次世界大戦前に地道にロビー活動をした中国政府の思惑とアメリカのも思惑の一致によって日本がアメリカの標的になって行った基本的原因でした。
我々弁護士も良い仕事をすれば広告などしなくとも仕事が来る筈という意識で広告・宣伝費に何億もかけるのを恥ずかしく考える集団ですが、私など、まだ電話帳広告すら断っているほどで、1円の金もかけていません。
ビジネスロイヤーと言われる人種から見れば、「士」業にこだわる我々は時代遅れかな?
アメリカでは政治も医療(日本のような保険制度が機能していないので)もどの分野でも、全て金次第の国である点では、道義の基準がなくて金の力だけが生きて行く価値基準になる中国と本質が変わりません。
アメリカの信奉する民主主義ルールとは多数派支配ですが、多数派形成は強者(昔は武力で今は資金力の差)が有利に決まっている・結果的に資金力次第で決まる多数勢力によって「でっち上げでも何でも決めたら勝ち」というルールをチェックする方法がない点は中国と変わりません。
多数か否か以前の、我が国のように、人倫の道・・道義の確立の方が重要ではないでしょうか?
10対1でも100対1でも「人間の尊厳を踏みにじるような決議は許されない」という多数決以前の価値観の確立こそが重要です。
アメリカの価値観・・英米法の世界ではデュープロセスが最重視され、結果の妥当性があまり重視されません。
私は我妻民法学で勉強しましたが、いつも結果の具体的妥当性重視でした。
また我が国の実務でも法律論を一応戦わせますが、最後の決着は結果の妥当性重視ですから、裁判所から妥当な案を和解勧告されて、そこに至る理屈は別として弁護士同士では、「そうだな」ということで和解に応じるのが普通でした。
どうしても和解に応じないで判決にして下さいと言い切って結果的に勝てる場合もありますが、形式論理=欧米流論理で優っていても妥当性に欠ける結論になる場合には、信義則違反とか権利の濫用等で負けることもあるのが我が国の法理です。
連帯保証債務者の負担軽減の和解に関連して03/16/10「日本的正義」や201/23/05「民事法の融通無碍性(具体的妥当性 )民法120」あるいはそこで引用しているコラムで、欧米の理論と我が国の正義というようなテーマでこの辺の機微を書いたことがあります。

TPP17(市場一体化と本社機能争奪4)

シンガポールが何故国際化・TPPに熱心かという点はこの後で書きますが、東南アジアの統括拠点をシンガポールに移転する企業を増やす程度を我が国も目指すならば気楽ですが・・・。
地域拠点程度での勝ち残りを目指すとしても、極東に限定すれば競争相手が中国と韓国ですし、日本は外れに位置していて地理的優位性を持っていないので、これも実は大変です。
日本は志を大きく持って飽くまで世界拠点・世界本社機能維持・拡大を目指すしかないでしょう。
地球は丸いので世界地図にすれば日本列島を真ん中に描くかアメリカ中心に描くかの問題であってどこを中心にしても良い関係です。
昔は巨大な太平洋の彼方と交易することは考えられなかったので、日本はユーラシア大陸の東端でしたが、交通手段の画期的な進歩によって、日々東端にあることの不利さが縮んで行く状態です。
日本が世界をリード出来る秀でた能力さえあれば、日本を中心にした知識・技術伝播や物流だって考えられます。
TPPに限らず今後グローバル化が進む潮流自体を否定出来ませんから、日本が世界の文化・技術の中心位置を占められるように努力するしかないでしょう。
大阪は東京に次ぐ第二の拠点都市として戦後頑張ってきましたが、各種決定機能の集中する首都東京に引きずられて行き、次第に事実上の本社機能(東京本社の増加)〜本社そのものが移転してしまった歴史に学ぶべきです。
日本を拠点にして東南アジア諸国やアメリカへの物流や人的交流があるならば良いのですが、アメリカが事実上全ての決定権を有しているTPPが機能し始めると、決定組織のあるアメリカの周辺地域にことを有利に運ぶために首脳とその側近が蝟集する傾向を阻止出来ません。
日本もTPP参加後数十年はトヨタその他の企業本社が残るとしても時間の経過でTPP規制基準決定をする事務局のあるアメリカに吸い寄せられない保障はありません。
アメリカが事実上のヘゲモニーを握っているだけで、法的な決定機能のない現在でも、ソニーがアメリカ本社を構えざるを得なくなっている現状を、軽視すべきではないでしょう。
経済活動が世界規模になって垣根が低くなる一方になるとNo.2やNo.3はなくなって、一強とその他大勢・・フラット・・すなわちその他は地域拠点程度になり兼ねません。
人材需要で言えば中間層が減少しつつあるのと同様に、企業間競争も似たような関係になっています。
国内で言えば県庁所在地が地域拠点から脱落し始めているように、世界的な地域拠点も集約される一方になるでしょう。
日本での本社機能や国内生産機能を守りこれの海外移転を阻止するには、さしあたり神戸大震災以降失いつつある物流や交通(空港)の拠点回復から始めないと、難しいように思われます。
こうなると人的移動もアメリカを中心とする放射線状の移動となりますし、アメリカから直接東南アジアに出張することが増えて来るでしょう。
アメリカから製品輸出した方が合理的となると、トヨタもアメリカ産の車を直接アジアに輸出し、ニューヨークからアジア諸国へ出張する時代が来るかも知れません。
実際に円安によって韓国市場での日本車の逆襲が始まったと言っても、FTAの関係もあってアメリカ国内性産車両を韓国へ輸出しているに過ぎない実態があります。
日本で輸出向け生産がなくなって国内需要分だけの生産になれば、国内の関連部品生産や物流も減って行きますので、国内需要がさらに減退する・・ひいては人口維持機能が減って行き、縮小再生産のスパイラルに陥りかねません。
以上書いて来たようにTPP参加によって市場規模が大きくなり一体化が進むことの問題点は、日本所在企業や産業が目先有利か否か・生き残れるか否かにあるのではなく、本部機能や生産部門もこれに連れてより便利なところに移動して行くのを阻止出来るか否かこそが重要です。
これらが移って行けば、民族の個性・文化その他もかなりの勢いで失われて行くようになります。

TPP16とアメリカ支配8(参加国と本社機能争奪3)

ちなみにTPP交渉参加国名等は、3月25日現在のウイキペデイアによると以下のとおりです。 

「環太平洋戦略的経済連携協定(かんたいへいようせんりゃくてきけいざいれんけいきょうてい、英語: Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement または単に Trans-Pacific Partnership, TPP,環太平洋経済協定、環太平洋連携協定、環太平洋経済連携協定、環太平洋パートナーシップ協定[1])は、環太平洋地域の国々による経済の自由化を目的とした多角的な経済連携協定 (EPA) である[2]。
2005年6月3日にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国間で調印し、2006年5月28日に発効した。2011年現在、アメリカ、オーストラリア、マレーシア、ベトナム、ペルーが加盟交渉国として、原加盟国との拡大交渉会合に加わっている。
2012年11月12日の会合からカナダとメキシコが正式な加盟交渉国に加わった。」

となっています。
幼稚園児の集まりに、イキナリ大男のアメリカが参加してどっかり座り込んでいるような進展です。
これではみんなアメリカの鼻息を窺うしかなくなるのは当然です。
しかし、アメリカは図体が大きいからと言って、中国のようにイキナリ威張る必要がありません。
3月18日に書いたように、参加国の企業にドシドシ頑張ってアメリカに進出してもらっても構わないのです。
アメリカ政府にとっては本社機能や生産機能が事実上アメリカに移ってくれば、どの企業が勝とうと国内企業同士の競争の結果と殆ど変わりがありませんし、雇用も変わりません。
トヨタがアメリカ国内で売れる分を現地生産し、事実上本社機能をアメリカに移してくれば(将来法的本社も移るでしょうし)アメリカ人の本社部門雇用も増える(ソニーの社長がアメリカ人になっていました)し、アメリカ政府にとっては企業の発祥地がどこかなど詮索する必要がありません。
当面フォードなど在来企業が反発するでしょうが、アメリカ政府にとってはアメリカ国内でどこの出身企業が売上を伸ばそうと同じことで、むしろ、より強い企業が生産やサービスを伸ばす方が国益に合致します。
日本の例で言えば、統一国家になった以上は、青森や沖縄発の企業でも大阪、九州発の企業でも、より良い商品・サービス提供して全国ブランドになるのを拒む理由がないのと同じです。
国家間の障壁を低くして行く世界の潮流・各種ルールの世界共通化については、ハーグ条約や金融規制・会計基準の統一化等の例で書いたように、TPPに参加しなくとも拒み切れない大潮流のように思います。
(この点についても論者によっては、そもそもいろんな分野で世界共通化自体必要がないという人もいますので、これを前提にすれば一概に言えませんが・・。)
TPP参加の経済的側面については、個別品目別に論じるデータもないし私の能力に余りますが、(交渉次第の面もあって分り難い)個別品目/産業がTPP参加後もアメリカに対して勝ち残れるかどうかの議論よりも、結果として重要なのは、地域・都市間競争・・本社機能や生産拠点の争奪競争に勝ち残れるか否かにあるように考えられます。

中間層・蓄積の重要性8(同胞意識5)

ちなみに武士の出現以前にも、武士に守ってもらうべき需要・・自作農があちこちに存在していたこと・もっと古くは荘園への名義だけの寄付が流行ったのも自作農地を守るためのものでした。
水田耕作の我が国では、水路の維持管理の必要性からムラ社会は一心同体の紐帯で結ばれて来たことを書いたことがあります。
ムラの代表者は自己保身のためではなく、むしろ自己を犠牲にしてもムラ人が全員一族・同胞のつもりですから、全構成員のために政治をすることに千年単位で親しんできました。
戦国武将が自分が腹を切っても城兵全員の助命を開城の条件にしていたし、農民一揆でも代表者・・庄屋クラスが処刑されること・自己犠牲を前提にしてムラのために頑張って来たことが、その象徴です。
莊屋クラスが自己保身・・私腹を肥やして農民から抗議されるような事件は全く起きていません。
中国だけはなく、朝鮮半島でも初の統一支配政権となった李氏朝鮮の支配下で、両班以外は人間扱いされない(文字も知らない)ままで近代に至り、日本支配になって漸く平等を前提に全員が教育を受けられるようになったに過ぎません。
総督府の時代に一般人対象に教育を始めたのですが、イキナリ漢字を教えるのは無理があったことから、総督府の勧めで現在のハングル文字(表音文字ですので言わば平仮名だけしか理解出来ない状態が、今も続いています)の普及を奨励したのが文字教育の始まりです。
我が国では名目的な律令体制を導入しましたが、班田収授法・・すなわち国有農地方式は根付かなかったことを01/15/06「三世一身法と墾田永年私財法1(法か律か?)」前後で連載しました。
中国や朝鮮の地域では(中国では辛亥革命まで)律令体制をそのまま敷いてきましたので、自作農・・自分の農地と言う観念自体が育たなかったでしょう。
だからこそ食えなくなれば簡単に流民化するし、共産革命・・集団・国営農場化が簡単に出来た面があることを、03/04/06「商から農への転換9・・・中国の場合1」等で書いたことがあります。
中韓両国の地域では異民族支配の繰り返しこれとセットの専制君主制・王朝下で何千年も来たので、日本のような国民(同胞)という概念もなく、単に支配領域内に住んでいる人間と言うだけで言わば支配対象・物みたいな客体でしかありません。
(この点日本人は他所の国の人を「その国民(同胞)」と日本的理解で考えると間違うことをこのあとで書いて行きます)
中国政府にとっては中国国内にいる人間も領域外にいる人間も、全て将棋の駒みたいな政権維持の対象・材料にしか過ぎず、(中国では異民族支配が繰り返された経験があるので、)領域外にいる人間も領域内にいる人間も将棋の駒のように取れば自分で使えるコマ・・工場経営で言えば原材料的対象として考えているので、都合によってどのように切り刻もうと自由自在ではないでしょうか。
領域内の国民も政権に反抗するならば、国境の外にいる外国人よりも政権維持にとって危険ですから、死刑・臓器摘出を含めて徹底的に押さえ込む・・恐怖政治でやって行くのが今でも中国風の政治です。
文化大革命当時に流行った下放政策も根は同じです。
国民の方も都合が悪ければ流民化したり、外国籍をとったりすることに抵抗がありません。
日本人の場合同胞どころか身近な動物まで家族のように可愛がり、大切にする社会です。
勿論庭に植えた草木もこよなく大事にしますし、針供養で知られるように身近な道具類にさえも魂を認めて大事にします。
まして同じ人間同士では、ネットその他では観念的に韓国や中国批判論が盛んですが、実際に身近にいる外国人を差別したり貶めたりする気持ちが(内心でも)基本的にありません。
中韓でいくらいろんなことがあっても、ネット騒いでいても、具体的に身近な中韓の人に対して罵詈雑言を浴びせるような人は(礼儀上黙ってるというだけではなく内心でも目の前にいる人には皆平等に接する気持ちが基本で)皆無と言っていいのではないでしょうか?
内心で異民族を侮蔑し、憎悪しながら理性の力で、博愛・動物愛護などと主張している欧米とは順序が違います。

信義を守る世界8(名誉の重要性2)

我が国では、自分が「義」のために死んでも子孫はその余慶を得られる方が大事という意識(逆に汚名を着て死ぬのでは子孫が困ります・・平家物語では「積善の余慶家に尽き積悪の余殃身に及ぶ・」と言う宗盛の福原での演説が有名です)ですから、義のためには死をも恐れずに戦うのが日本の武士の価値観でした。
蒙古襲来時の竹崎季長の絵巻は有名ですが、こうした死を恐れない・・子孫への栄光を思う武士団の奮闘によって蒙古襲来を撃退出来たのです。
死を恐れぬ武士団の奮闘があったればこそ、蒙古(朝鮮)軍が陸地に橋頭堡を確保出来ず毎回夜は船上に戻るしかなかったので、台風にやられたのです。
「運を呼ぶのも実力の内」と言いますが、誰でも運が回って来ているのですが、それをつかみ取る能力が必要です。
20世紀の神風を期待した特攻機では米軍の襲撃を撃退出来ませんでしたが・・同時に運が来なかっただけで「だからと言って最後までの努力が無駄だ」とは言えません。
戦後アメリカの宣伝教育で育った我々世代では、竹槍の訓練や特攻機など如何に無謀な抵抗を試みて来たかを教えられてきましたが、今考え直してみると、「士」たる者最後まで(最後は潔いとしても)死力を尽くすべきであって、それでこそその武勇が子孫に影響を及ぼすのです。
島津軍の関ヶ原の奮戦・・負けっぷりがよかったので徳川家を最後まで恐れさせた原因ですし、米軍も占領はしたもののイザ抵抗されると大変なことになるという恐怖・・おそるおそるだった所以です。
今でも死んでしまった親兄弟あるいは遠い先祖のために「汚名を雪ぐ」ことに生涯をかける人が一杯いますが、これは名誉を重んじることの裏返しです。
名誉は生きている間だけ重要なことではなく、連綿と一族が続く社会では死亡後にこそ(子孫にとって)大きな意味を持って来た社会であるからでしょう。
個人情報保護制度が出来た当初は、死者情報は制度の対象外とする意見が主流でした。
私は弁護士として実務上必要なことが多いので納得出来ませんでしたが、それが当時の学会主流であったことと、平成7年ころに条文制定作業に参加したばかりの新米であったことから主流的意見の条例案になっていましたが、最近死者情報の重要性を無視出来なくなって来て、その改訂あるいは運用方法の修正が千葉でも審議会の議題に上っています。
(千葉市個人情報保護審議会の議事録をネットで参照して下さい)
「菊と刀」で有名なとおり日本は「恥の文化」と言いますが、恥・不名誉・汚名は子孫に大きな影響を及ぼすから、恥を知ることが重視されて来たことになります。
ちなみに我が国で名誉にこだわるのと朝鮮人らがメンツにこだわるのとは意味・本質が違います。
メンツにこだわるのは、自分が軽く見られることに対する防衛・(動物が毛を逆立てて、鳥が羽を広げるように)威嚇でしかありません。
辞を低くして(ほめられても、運がよかっただけで大したことはありませんよ・・と)謙虚にする我が国の習慣の対極にある行動形態で、我が国の文化では軽い人間に限ってメンツにこだわるという評価ですが、韓国や中国では大国・先進国仲間入りとしてのメンツ(空威張り)が大事です。
(メンツにこだわるしかないのでは、中国の指導者や韓国では大統領になっても日本の基準で言えば最下層の労務者レベル程度の人物ということになるのかなあ?)
漢人の兵は弱いのは古来から有名ですが、昔から漢人には現世利益・・目先の利ばかり追い求める価値観の社会であったから、死んでしまえば何にもならないので危険なら真っ先に逃げてしまう傾向があるからです。
(何回か書きましたが、律令制=国有地の分配方法や科挙制の徹底=世襲制の否定が死者に報いる制度が発達しなかった原因ですし、現世利益にこだわる国民性、ひいては目先の拝金主義に走っている原因です)
日本人は汚名を着ることは、子孫のためにも死んでもイヤな社会ですから自分から進んで悪いことまでしたい人は滅多にいません。
これが犯罪率が世界最低社会になっている基礎です。
現在日本での犯罪のかなりの部分は、在日外国人あるいは帰化して世代数があまり経っていない日本人による可能性が高いと言われています。
文化は3代と一般に言われますが、帰化の許可基準は日本に3世代以上居住して日本ン化を体得したいることにした方がよいかも知れません。
3代目未満で現在の帰化基準に該当する人には、その間永住権を与えて日本文化を受容してるかの様子を見れば良いでしょう。
アメリカの場合お金がいくらあるかという基準が、永住権付与の条件らしいですが、日本では文化価値基準の同質性が重要です。
価値観の一致していない人を政党に限らず、どんなグループでも仲間に入れるのは問題です。
日本は単一民族だと時々間違って発言する政治家がいて失言扱いされますが、真意は価値観の共通性がある民族だと言うことでしょう。
では同じ価値観でないと社会内存在が許されないのかという議論に発展しますが、そうではなくどうせ後からグループに入って来る以上は、一定の緩やかな範囲の道徳観を共有していないと仲間付き合い上困るという意味です。
どんな悪いことしてもバレなければ良い・・捕まらなければ良いし、捕まる前に外国に逃げてしまえば良いというような価値観の人がお金さえ持っていれば、日本人に帰化出来るのでは困ります。
人種差別意識の助長になるのが心配なのか、マスコミは在日系(まだ帰化していないのに)の犯罪の場合、本名を報道しない慣例になっている様子が今回の日本名角田という女性による尼崎での連続殺人事件で明らかになりました。
まして帰化した人が何国系かはまるで報道しません。
(何か事件があるとドイツ系アメリカ人、アイルランド系というような報道がアメリカでは多いように思いますが・・)
外国人の犯罪が多いから困ると言う人種差別を煽るのは問題ですが、積極的にこれを隠すのもまた問題です。
デマや流言飛語は情報の少なさによるものですから、隠し過ぎると却ってあらぬ推測が生まれ、偏見助長の元になります。
マスコミは事実をありのまま、特定の意見を述べることなく淡々と報道すべきではないでしょうか?
事実さえ分かれば、国民は自分で黙って考えます・・マスコミの意見は要らない・・マスコミによる特定方向へ誘導を期待している人は少ない筈です。

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