メデイアと学者の煽り1(思想の自由市場論のまやかし)

放送権を寡占しているメデイア界が放送の偏り批判を受けると、「日本の公平性規制がおかしい」として言論自由度ランクキングを下げる運動を世界規模で展開し、ついに国連特別調査官任命・・対日調査にこぎつけてメデイア界の要望通りの調査報告をしてもらい「虎の威を借りて」政府批判をしておきながら、政府がこれに応じて参入自由化とセットで放送に公平性を求めずに自由にさせようとすると大反対するとはおかしな業界です。
勘ぐれば、寡占のままで「言論の自由侵害だ、なんの批判も許さない.規制するな」と言ってれば、寡占業界では好きな方向へ世論を誘導できます。
ネット業界も自由参入になるといろんな意見が出回りやすくなるので本当の「言論の自由市場」になってしまうと「自分達の偏った意見は淘汰されるので困る」という本音が出てきたのではないでしょうか?
憲法学者の決まり文句である「思想の自由市場論」は特定思想傾向のメデイアが寡占している市場を前提にしていた「まやかし論」であったことが昨日紹介した日経新聞の論調で暴露された印象です。
表現の自由の問題が遅れて問題になってきたのが、16年アメリカ大統領選でのトランプ氏のメデイアに対するフェイク攻撃です。
アメリカも思想の自由市場とはいうものの、実際には大手メデイアの寡占市場です。
3社を4社〜8社に増やしても談合的に同一方向(業界基準?)に向けた報道ばかりするようになれば同じことです。
自由市場化するにはだれでも指折り数えられるような有名大手企業を少しばかり参入させる(1〜2社増やす)のではなく、業界標準的思想傾向に関与しない無限?の参入を期待できるネット業界へ電波利用を解禁する発想は画期的なことです。
寡占市場であるメデイア界に特定政治勢力が牢固たる勢力を張ってしまい、一定レンジ内の意見しか報道されていなかった問題点を暴いたのがネット通信の発達でした。
自由な表現が広がれば、その分名誉毀損的意見やワイセツ、業務妨害的あるいは米大統領選挙で問題になっている選挙妨害など多様なマイナス利用が増えるでしょうが、それはそれで別の救済や抑止手段等を工夫して行けばいいことであって、まずは自由な発言発表の場が増えた点を前向きに・公共電波利用権付与を含めて前向きに捉えるべきです。
有用な技術が出てくるとその弊害ばかり強調する意見がメデイアで主流になりがち・・・これが何でも反対の野党を育てている原因です。
新たなものを利用するには新技術に応じた規制がセットであるべきです・・高速道路を認めると歩行者が危険でないかと言う時には歩行禁止にすれば良いように(従来価値観では人が歩けない道路ってあるの?となりますが・・・。)新しいことには新しい発想が必要です。
頭の硬い集団では、表現の自由に対する規制を絶対悪視する傾向により、新しい規制に何でも反対したがる傾向があります。
車=危険→車禁止のおかしさは誰でもわかるでしょうが、空軍基地や原発・パソコン・防犯カメラ・GPSその他全て新らしいものはダメの発想でいいのでしょうか?
軍隊=戦争をイメージしてしまい、軍備反対という短絡思考も似ています。
ドローンであれ軍備も飛行機や車も各種工場も安全に向けた工夫をこらしながら発展させていくべきです。
車の便益性は言うまでもないことですが、一方で生命等への危険性は皆無ではありませんが不断の努力により、今では我が国の交通事故年間死者数が5000人以下になっています。
工場等も有益であるけれども労災事故や公害〜騒音等の被害もありますが、これも公害防除技術の発達や安全管理の徹底等により、我が国では一定程度まで克服されて来ました。
原発も同様で安全運転に向けた工夫の余地がないかの議論が必須ですが「まず反対ありき」では建設的議論になりません。
結果的にいろんな分野で既得権益を守ることにエネルギーを使う集団になってきたのでしょう
・・・ひいては思想の自由市場参加者を制限して一定方向の思想のスクリーニングを受けた人しか表現できないようにしておけば(メデイアの主張に反する変な?意見が出ないので)自分亜たちの都合の良い件ばかり報道できるグループから見れば、言論規制の必要がないのは当然です。
結果的に自分たちの気に入った表現の自由が守れる・・・参入制限方向へ意見が偏るようにように見えます。
ロシアによる米大統領選挙選挙英国の離脱国民投票への介入、直近フランス大統領選その他への介入疑惑が盛んですが、(我が国では中韓系細胞のメデイアへの浸透疑惑)参入制限があって5〜6社程度の企業相手ならば、長期間かけた外国勢力の浸透工作が容易になります。
参入障壁を低くして超大手だけでなく一定規模の企業が次々と参入してくると、工作すべき相手が拡散する分に比例して浸透工作が難しくなります。
この角度から考えても参入拡大が必要です。
「思想の自由市場」と言うからには参加を否定するのではなく、参入障壁が下がるのに従って必然的に増えてくるマナー違反に必要な規制をタブー視しないことが重要ではないでしょうか?
一定仲良しクラブ的な運営・・気に入らない意見の参入規制をしたままで「思想の自由市場」とはおこがましい限りです。
大学自治会を極左集団が牛耳ってしまっても、その排除方法がないのですが一般学生や社会が無視すればいいことで大した実害がありませんが、電波を寡占している大手メデイアが(実情無視で)一方的傾向の主張を垂れ流すのは実害が大きすぎます。
何が偏頗放送かを誰がどうやって判定するかの問題を解決する方法が今の所ないので、中立や公正報道の義務強化よりは、参入の自由化によって、思想の自由市場化によって淘汰を待つ方が合理的です。
電波割当制では有限どころか希少すぎて超大手しか参入できない難点がありましたが、インフラ整備と利用の2階立て構想は素人の私から見ても非常に魅力のあるアイデアと言うべきです。
NTTの通信設備インフラ部門と利用を切り離したことで一定の資本力があれば携帯やネット通信に参入できるようになったのと同様で電波希少性の隘路も、一定料金を払えば巨大設備を対等料金で利用できるようになれば参入障壁がぐっと低くなります。
いわばクルマを買わなくともタクシー等を利用できるようにすれば、購入し自分で保管維持できる人以外の利用できます。
鉄道施設を自前で持つ人だけが鉄道輸送できるのではなく、一般企業が貨物運送を利用出来れば公平です。
電波利用者・参加者が増えれば、報道の多様化効果が高まりまさに言論が市場化します。
公共工事の談合が禁止されているのは市場価格が歪められるからですが、思想の自由市場?の場合、あえて談合しなくとも慰安婦騒動でいえば「朝日がやっているのに負けられない」とばかりに一見独自意見のようなそぶりで競合他社がどっと追随報道に走ったので日本中が強制連行論一色になった原因でした。
思想表現は談合しなくとも、発表されるとそれを見てからの後追いでも瞬時の遅れを取り戻せるので、実質的な(一発入札の公共工事と違い)談合効果があります。
慰安婦騒動による朝日の検証委員会意見は朝日新聞の主張を引用する記事を調査したがほとんどない・・少ないので、朝日新聞の責任は低いかのような意見でした。
大事件スクープがあると、スクープで先を越された他社が単なるスクープの引用だけでは負けてしまうので、追っかけて深堀・独自取材を装うのが普通・朝日の引用意見ばかり書かないのは当たり前のことですから、こういう論理で朝日新聞の責任が少ないという意見の不自然さ(朝日新聞が選んだ委員ですから当然ですが・・)をそのころに書きました。
言論市場に4〜5社程度しか参加がないと、あえて談合しなくとも一定思想方向の人材を揃えておけば他社との競争と言っても「より早いか、よりセンセーショナルなキャッチコピー術に優れているか」の競争・・一定方向へ意見が向かうに決まっています。
これでは違った方向の意見が出てきません。
大学自治会が4〜50年前から政治偏向が激しくなりすぎたので、今では自治会がある政治意見を発表しても全学生の意見を代表する意見とは誰も思わなくなっていますが、これはこれで放っておいても誰もがそう思って無視できるので社会に悪影響を与えません。
しかしメデイアは庶民に一定方向の誤った情報を植え付けて、行動を煽る傾向があるので、放置できない影響力があります。
どうせ煽り合いならば、自由にさせていろんな意見から国民が自分で決めた方が合理的ですが、日本では報道できるものが寡占状態にあるのが問題です。

アメリカの人権思想のまやかし

中国が相対価値観の社会にうまく転換出来ないのは、2000年以上に及ぶ専制政治の体験・・企業で言えば過去の成功体験が邪魔して新規転換への邪魔になるようなものです。
しかし資源獲得目的で広域直接支配に乗り出した以上は、相対価値支配に転換しないと辺境の民族や山岳民族が資源収奪・環境破壊に反発するのは必然です。
アメリカの場合、気候風土の違う地域を包摂しているので地域ごとの違いを認める相対社会であり,異人種で成り立っているので,人権意識が高いと言っても、百km単位で移動しても同じ景色が続く・・気候風土が単調な社会ですから、個々人の皮膚感覚としての相対的価値観が根付いていません。
目の前に多様な動植物がいる日本のように八百万の神々・・動物も人間同様に愛する身体の芯から身に付いている深い考えではなく、欧州系人種同士間に限定して価値観の違いを認めようと言うだけの根の浅いものが始まりです。
古代にアテネやローマで市民権のあるものだけの民主主義があったのと同じ発想です。
黒人に対しては、牛馬のように売り買いして性の対象・・奴隷の再生産を兼ねて黒人女性を白人男性の種付け用にするなど、日本では想像もつかないような人権侵害をしていて何とも思わないで来ました。
黒人に対等の権利を認める公民権法がキング牧師などの活躍で漸く1960年代になって、やっと制定され・・最終的に解決したのはパパブッシュの時代であったと言うのですから驚きです。
日本では「人を人と思わないような・・」という表現がありますが、人権だの何だのと言う前から古代からやってはいけないこととやっていいことの区別のある社会です。
アメリカではこれが分らない・・絶対的価値を決められないことから、多数派の支配する法で規制していない限り、何をしても良いと言う人権蹂躙が普通におこなわれている社会でした。
この延長として、非欧米人である日系移民に対する根深い人種差別が行なわれてきました。
第一次世界大戦中から既に対日戦争計画が行なわれて来たことを以前紹介しましたが,1920年ころには日本人にだけに標的を定めた排日移民法が制定され,大戦中には、同じ敵国出身でもドイツやイタリア人にはしないのに、日系人だけ身ぐるみはいで(全財産没収して)荒涼とした砂漠に鉄条網で囲われた収容所に入れる暴虐が行なわれました。
戦後アメリカはこの補償をしましたが補償したかしないかをココで問題にしているのではなく,アメリカの人権思想と言ってもこの程度のことだという事実を書いています。
対日戦争では,当時条約で禁止されていた非戦闘員に対する無差別攻撃どころか、非戦闘員を狙い撃ちにした原子爆弾の民族殺実験や日本の非戦闘員・・住民を狙い射ちにした焼夷弾攻撃が実行され続けました。
何回も書きますが、日本人を皆殺しにするのが目的で住宅密集地を順次四方から囲むように焼夷弾を落として猛火の垣根を作って(東側に火をつけると住民は西に向かって走りますが、そうすると今度は西の方面に焼夷弾を大量投下して猛火の壁を作ります・・それで住民が北に向かうと北側に投下して逃げ場を塞ぐというやり方です)右往左往させてから、中心部に向かっておもむろに焼夷弾を投下して行き、逃げ場のない住民を皆殺しにするやり方でした。
このために当時の写真を見れば分りますが、爆撃の翌日にはマグロの競り市のように死屍累々と焼けこげた死体が足の踏み場がないほど転がった状態になっています。
この悲惨さに関しては私の一家も東京池袋で空襲にあっていて、家族で死体の合間を逃げ回ったことがあるので、(飛んで来る火の粉が降り掛かって履いている下駄の鼻緒が切れてしまったのでその辺の死体の下駄を借りて逃げたとも兄は言います。)家族の思い出話にいつも出て来る状況です。
(私は当時乳幼児で具体的に知りませんが、兄達にとっては何十年経っても、この恐怖の体験は脳裏から消えません。)
この空衆のやり方は東京だけではなく,千葉その他地方都市全部で行なわれていました。
この延長上に原子爆弾投下があったのですから、どんな言い訳してもアメリカの民族殺・・ジェノサイドの底意は否定出来ません。
何回も書いていますが、早く謝ってくれたら日本人は徳があるので許す気持ちがありますが、勝ったからと言って,自己の犯罪行為を隠蔽するために、逆に戦犯などでっち上げて日本批判に精出しているのは最悪で、アメリカにとって決して得策ではありません。
いじめっ子の集団が口を併せて「被害者の方が悪かった」とでっち上げて開き直っている構図を繰り返しているようなもので、相手にどんなに深い傷を与え続けることになるかを理解すべきです。

モラール破壊8(手続き的公正が万能か?)

大統領選挙の当落は資金力に比例すると言われていますが、議会多数派工作も同様です。
我が国でも法案提出は特定権益層の運動によることが原則・・このため既得権益保護後のための規制をなくすのが至難ですが、アメリカの場合、これに加えてロビー活動が重要です。
ロビー活動では間接的な利益誘導(実質賄賂供与の可能性が高いのですが・・)が仮に全くないとしても,ロビー活動を継続的に続けるには豊富な資金力が要りますので、ロビー活動の結果で議員が行動する仕組みのアメリカであれば、資金力が議会での議決に大きく作用していることは自明の理です。
民主主義国家且つ法治国家では剥き出しの強者の論理・武力によるのではなく、(清盛が鎧の上に僧衣をまとったように)民主主義というオブラートに包まれています。
法規範化されている結果、予測可能性がありますが、それだけならば古代に韓非子が唱えた法家の思想と同じです。
結果的に強者が支配権を握っていて、ほぼ好きなように法を制定出来る点では、専制君主制国家や独裁国家での法を利用した支配と同様です。
核拡散禁止条約のように強者にだけ都合の良い論理が世界でまかり通っているのがその代表例ですが、世界の覇者であるアメリカあるいはこれに同調する国々の都合どおりにいろんな国際ルールが決まっている例が殆どです。
(国際政治ではまだまだ剥き出しの武力比重が大きく、この現実に立脚して北朝鮮や中国は武力拡大に精出していますし、これに資金力・・ロビー活動の成果をプラスすれば鬼に金棒・・これにも中韓政府は巨額資金を投じています・・が付加されて支配的地位が決まって行きます)
「選出母体の支持獲得3と政治資金1」 December 3, 2012前後で紹介したように、アメリカの大統領選挙は資金力の差で決まると言われています。
中国では一般の企業活動では賄賂が必需品であるだけではなく、学校に入っても軍隊に入っても上官に苛められないように先ず賄賂、医療も賄賂、どこへ行っても賄賂次第の社会と言われています。
アメリカの推奨する民主主義政体と言っても、上記のとおり資金力の差で法制定権力が決まるのですが、これを賄賂と言わない・・寄付金等となって透明化されている面が大きいとしても・・結局は選出儀式の表現でしかありません。
アメリカではロビー活動が活発ですから、この結果大統領選挙だけではなく議員個々人の意見形成に対しても資金力のある組織が大きな影響を及ぼしています。
韓国や中国のようにここに目一杯金をかけている結果、慰安婦でも何でも、両国の架空主張に同調する議員が輩出するのです。
これを贈収賄活動とは言わないものの、賄賂と紙一重になります。
日本政府は正しいことは黙っていても分ってもらえる筈だと言う行動様式ですから、明からさまなロビー攻勢はみっともなくて出来ません・・・これが第二次世界大戦前に地道にロビー活動をした中国政府の思惑とアメリカのも思惑の一致によって日本がアメリカの標的になって行った基本的原因でした。
我々弁護士も良い仕事をすれば広告などしなくとも仕事が来る筈という意識で広告・宣伝費に何億もかけるのを恥ずかしく考える集団ですが、私など、まだ電話帳広告すら断っているほどで、1円の金もかけていません。
ビジネスロイヤーと言われる人種から見れば、「士」業にこだわる我々は時代遅れかな?
アメリカでは政治も医療(日本のような保険制度が機能していないので)もどの分野でも、全て金次第の国である点では、道義の基準がなくて金の力だけが生きて行く価値基準になる中国と本質が変わりません。
アメリカの信奉する民主主義ルールとは多数派支配ですが、多数派形成は強者(昔は武力で今は資金力の差)が有利に決まっている・結果的に資金力次第で決まる多数勢力によって「でっち上げでも何でも決めたら勝ち」というルールをチェックする方法がない点は中国と変わりません。
多数か否か以前の、我が国のように、人倫の道・・道義の確立の方が重要ではないでしょうか?
10対1でも100対1でも「人間の尊厳を踏みにじるような決議は許されない」という多数決以前の価値観の確立こそが重要です。
アメリカの価値観・・英米法の世界ではデュープロセスが最重視され、結果の妥当性があまり重視されません。
私は我妻民法学で勉強しましたが、いつも結果の具体的妥当性重視でした。
また我が国の実務でも法律論を一応戦わせますが、最後の決着は結果の妥当性重視ですから、裁判所から妥当な案を和解勧告されて、そこに至る理屈は別として弁護士同士では、「そうだな」ということで和解に応じるのが普通でした。
どうしても和解に応じないで判決にして下さいと言い切って結果的に勝てる場合もありますが、形式論理=欧米流論理で優っていても妥当性に欠ける結論になる場合には、信義則違反とか権利の濫用等で負けることもあるのが我が国の法理です。
連帯保証債務者の負担軽減の和解に関連して03/16/10「日本的正義」や201/23/05「民事法の融通無碍性(具体的妥当性 )民法120」あるいはそこで引用しているコラムで、欧米の理論と我が国の正義というようなテーマでこの辺の機微を書いたことがあります。

マイナス利回り6(世代間扶養のまやかし1)

そもそも世代間扶養というマスコミ宣伝からすれば、自分の積み立てたお金をもらうのではないことになりますから、金利想定がマイナスならば納付する気持ちにならないという議論が起きて来ません。
私の年金記録が6ヶ月だけ消えていて、「当時の集金人に使い込まれたのではないか?」と06/24/07「年金分割と受給資格3( 年金の行方不明事件2)」前後のコラムで書いたことがあります。
裁判しているのも面倒なので、「そんな程度のお金なら払うよ」となったときに、30年ほど前の納付金だから、単純な6回分ではなくその間の利息相当分らしき金額を払わされました。
国家公務員共済年金を司法修習生終了時に一時金受領で終了していたことが分って、貰ったお金を返して復活手続きをしたのですが、このときも約30年分ほどのどう言う計算か知らないけれども、利息相当分らしいものを払わされました。
こうした実務から言えば、世代間扶養であるから少子化で赤字になったとマスコミが宣伝しながら、他方で後払いしようとするとその間の利息をとる仕組みになっていることが分ります。
昨日紹介した日経経済教室の続きが今日掲載されていますが、そこでも金利設定5、5%に無理がある・あるいは年金基金とその他の利回りの二重基準が問題とも書かれています。
世代間扶養ならば現役世代に対する金利約束とは自体矛盾してきます。
そもそも国民が自分の将来のために積み立てる意識が基本にあるから、マイナス金利だとイヤになるし、後で遅れた分を払おうとすれば利息をとられても当然だと思うのです。
払う方の意識として遅れた分の利息を払うのに抵抗がないのは、自分の積立金意識があるからではないですか?
世代間扶養でも早くからみんな負担しているのだから、遅れて納付する分得をしているという理由で利息をとるのは矛盾する訳ではありませんが・・。
ただし、この場合運用利益がプラスになることを基本とした考えになりますが、自分で貯めておけないので、母親や国、会社に預かってもらうようになったのが年金制度の基本思想だとすれば、預けるのが遅ければ遅いほど預かってもらう保管料が少なくて済むことになります。
もしも今後ゼロからマイナス金利が普通の時代が来れば、高利回り保障を期待する人が減って来ます。
元々年金制度というものは、老後資金を自分できちっと貯蓄出来ない人の方が多いからこそ、年金制度が構想されて来たのです。
自分で充分な老後資金を蓄えられず「宵越しの銭を持たない」人たちにとっては利息がつかずある程度管理費用が差し引かれても、天引きしてもらって何十年もちびちびと貯めておいて貰った方が老後に助かる人がかなりいる筈です。
子供が働き始めたときに稼いで来たお金をそのまま持たしておくと使ってしまうから、将来のために母親が管理してやるようなことが、私の若い頃には普通に言われていました。
(とは言うものの、当時のマスコミ報道とは違って私の身近で現実に見たことはありません・・現場労務者や、スポーツ芸人関係者だけのことかな?)
母親が息子の稼いで来たお金を管理してやっている代わりに、社内預金や厚生年金や社会保険が発達して母親の役割が減りました。
年金制度は預ける相手を個人(長期の場合、個人では継続性に無理があります)から国や企業(企業年金)に変更しただけのことですから、それで良いのです。
使い込みしない安全性・継続性という意味では、生保年金なども充分な資格がありますから、(資金管理に関する外部監査制度の整備)国民は民間と国営のどちらかを選択出来るようにしたら合理的です。
世代間扶養でない限り、(私は世代間扶養などというまやかし論は全く反対です・物事は自助努力が基本であるべきです)結果的に年金制度は公営である必要がないという意見になります。
この意見は大分前に書いていたのですが、間にいろいろに意見が挟まって今日になっていますが、偶然ですが、今朝の日経朝刊の経済教室にも、似たような意見が書かれています。
世代間扶養であるにもかかわらず、納付しなかった人には年金受給資格がないのもおかしなことです。
こじつければ、親世代の扶養に協力しなかった人は自分も次世代から養ってもらえないという理屈もあるでしょうが、あまりにもこじつけが過ぎます。
やはり自分で納めた人がその見返りを受ける・・納付期間に応じた年金・・納付額に応じた年金と言うことでしょう。
親世代により多く貢献した人だけが(何の血のつながりも生前交流もなかった)次世代から、より多く受けると言う説明はあまりも迂遠で技巧的過ぎます。
世代間扶養説を身近な関係に戻すと、子供のいない単身者でも自分の親に孝行を尽くした人に対しては、周りの人が孤独な老後の面倒を見るべきだと言う関係になりますが、あまりにも関係が遠過ぎておかしな感じがしませんか?
独身者は若い頃に子育ての苦労・巨額出費がなく旅行観劇その他青春を謳歌出来た分、老後は孤独になるのは仕方がない・・ある程度自己責任を覚悟してもらうしかないし彼らもその覚悟で生きています。
独身者は老後困らないように子育ての労力がない分を、友人関係などの他人間関係の構築に振り向ける時間があるし、老後の蓄えをしているのが普通です。
こうした自助努力しない人のために同胞としての助け合い精神として年金を支給するとしたら、それは社会保障の分野ではないでしょうか?

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