遺言制度改正2(期間限定)

遺言の自由度が高まるとこれを悪用する人が出てきますので、従来(現行法)のように形式だけの規制では無理が出てきます。
そもそも今の遺言形式の法定主義は、現在のように学歴の上昇した時代にはあまり意味のない規定の羅列です。
形式さえ整っていたら有効と言うのでは、(遺言者に意思能力があることが前提ですが、以下に書いて行くようにこれでは十分ではないので)これを悪用する人が増えるリスクがあります。
死亡前一定期間以内の遺言や老人ホーム及び介護関係者など寄付したり遺贈したりするのを禁止・無効にしたりすることも必要でしょう。
そうでないとこれからは殆どの人にとっては人生の最後が老人ホームあるいは被介護者ですから、密室で好きなような遺言書を作成させられてしまう可能性があります。
法定相続人がいる場合、老人ホームが全部貰うような遺言があると驚いて社会問題に発展する・・悪い噂になるので老人ホーム側も現在は自制していますが、法定相続人制度がない場合、あるいは法定相続制度が残っていても身寄りのない高齢者が増えてくると痴呆状態で書いた遺言は無効ではないかと争う人や、あそこのホームはひどいとマスコミで騒ぐ人がいないので、どんな遺言でも誰も知らないうちに処理されてしまいます。
前回まで書いたように遺言書は形式さえ整っていれば先ずは有効なものとして取扱う仕組みです。
後で書くような遺言書作成を強要しなくとも、職員が適当に偽造文書を作ってそれを法務局に出せば、先ずは登記をして貰えます。
名義変更登記して不動産を売りに出して換金しても子供でもいない限り誰も争わないので、そのままになってしまいます。
子供がいれば、故郷の親の家が売りに出されていれば誰かの通報で気がつくこともありますが、相続人がいない場合仮に近所の人がおかしいと思ってもどこへ通報して良いか不明ですし、事情を知っている友人がいて、弁護士相談にきても、弁護士はその人から受任して証拠集めなどすることが出来ません。
近所の人とか友人と言うだけではその遺言に何の利害関係もなく、何の法的手続きも出来ないからです。
当事者資格(適格)として、11/03/02「裁判を申し立てる資格3」以下で紹介したことがありますが、裁判するにはその結果に法律上の利害がないと裁判する・・訴える資格がないのです。
ですから、近所の人や友人は銀行などに行って亡くなった人の預金の流れの調べる権利もありませんし、払い戻しに使った書類や遺言書を見せてくれとも言えません。
犯罪抑止には道徳心だけではなく直ぐにバレルリスクがあることが一番の抑止力ですが、身寄りのない人の場合老人ホームや介護者は何をしても後でバレることがないとなれば偽造でも何でも何の抑止力もない・・フリーパスと言うことです。
法務局は届け出があれば偽造かどうか調べないのか?と疑問を持つ人がいるでしょうが、調べろと言っても何の資料もない(本人の筆跡など事前登録していませんし)ので調べようがないのが現実です。
法務局ではこのため生前の移転登記には印鑑証明書添付を要求しているのですが、遺言の場合、死亡者には印鑑証明を添付する余地がないので、三文判でも良いことになっています。
自筆証書遺言は自筆であることだけが要件で印は三文判か否かを問わないし、これを仮に改正して実印を要求したとしてもあまり意味がありません。
身動き出来なくなって老人ホームに長期滞在している人や自宅で身動き出来ず介護を受けている人は、実印や預金通帳等も(身寄りのない人は預ける人もいないので、)みんな老人ホームが預かることになっていますのでホームの職員が自由に取りに行けます。
自宅介護の場合も同じで、自分で銀行に行けないので預貯金の出し入れは介護に来ている人に頼んでいるのが実情です。
本人が元気なうちは預金通帳のチェックも出来ますがそんな元気がなくなったらどうなるかの話です。
あるいはチェック能力があっても下の世話を受け食べさせてもらっていると気が弱くなってしまい、不正を見つけても口に出して詰問することが出来なくなります。
それでもひどくなれば身内が来た時にそれとなく言うことがありますが、身内がいないと誰にも言えません。
自宅介護の場合、実印や権利証を貸金庫に預けていても、何か必要があるときには、介護に着ている人に代わって貸金庫から取って来てもらうしかありません。
そのついでに中にある金の延べ棒や宝石など持ち出されても自分でチェックしに行けないのです。
勿論印鑑証明はカード利用で発行されますので、介護の人が自由に取って来られます。
今でも子供ではない遠い親戚しかいない場合、本人の意向?によって年金などはいると職員がおろしに行ってホームへの経費支払いに充てているのが普通ですが、これが悪用されるようになった場合の心配を書いています。
今は年金と収支がトントンの場合、身内がいても毎回預金をおろして支払う手間が大変なのでホームに委ねている関係ですから、ホーム側でも死亡後預金の流れが怪しいと問題になるので不正がしにくいのですが、年金以上のまとまった預金等があったり身寄りが全くない場合の話です。
今(5年ほど前に改正された登記法)では、本人確認を司法書士が義務づけられていますが、そこで言う本人とは登記申請している受遺者(遺言で財産を貰うことになった人)が本人かどうかだけであって、遺言が真正なものか否かに関しては何のチェックもなくスルリと登記してしまえるシステムになっています。
銀行の場合、一応預金作成時の本人筆跡と照合が可能ですが、何十年前に預金を始めた時の筆跡との死ぬ間際のグニャグニャの筆跡との照合では分りにくいのが現実です。
老人ホームに入った時にその近くの銀行で新たに預金を始めたときに、もう字が書けないからと職員が代筆することがあります。
さらに書けば、身寄りがいなくて自分で預貯金を管理出来なくなれば職員が好きなようにカードで払い戻していても誰もチェックが出来ないのが現状ですから、遺言を無理に偽造する必要がありません。
文書偽造や無理な遺言書作成強要が起きるのは、不動産を持っている高齢者だけかもしれません。
一定の資産がある高齢者が身を守るには、予め弁護士などに管理を委託しておいて、ホームにどのような資産があるのか知られないようにすることでしょう。
そうでもしないと高額の入居金を払って入居したらその後にみんな使い込まれてしまい、(それでも死ぬまでいられればどうせあの世にお金を持って行けないのでホームに食い物にされても結果はどうでもいいことでしょうが・・)あげくにホームが倒産でもしたら悲劇です。
こう考えて行くと老人ホーム入居時には、年金とホームの毎月の支払が収支トントン程度の資産しかないように、元気なうちにうまく使い切ってから入居するのが合理的です。
結局、「人は必要以上のお金(・・一生かかっても使い切れない資産)を稼いでも仕方がないし、これに執着して仕方ない」と達観するのが良いようです。
財産のある人は泥棒に取られないかと無駄な心配するのと同じで、自分で使える限度を超えた資産を保有するのは不幸の元です。

超高齢者調査が必要か

 

戦前の政府は国民を臣民と言い、(明治憲法では国民の権利義務ではなく「臣民の権利義務」と書いていました)を税金を取ったり徴兵する対象・管理するべき客体であって国民は国家の主体・主権者ではありませんでした。
国家の経営主体は天皇にあって国民はその対象・・今で言えば牧畜業者が牛や豚の頭数を管理しているような関係、「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ」と言う文言を見ると今風に言えば親の代から大事に可愛がっているペットみたいな扱いです。
第2章は現行憲法では国民の権利義務とあるのですが、明治憲法ではすべて臣民となっています

大日本帝国憲法(明治22年2月11日公布、明治23年11月29日施行)

憲法発布勅語
朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在 及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
以下中略・・・朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム ・・以下省略
第2章 臣民権利義務

第18条 日本臣民タル要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第19条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均シク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得
第20条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
第21条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス
以下省略

戸籍に載っている人が死んでいるのにこれを抹消しなかくとも、死んだ人から税を取れないし徴兵出来ないことは同じですから、(死んだ人が記録に残っているだけでは犯罪を犯さないので、治安上の問題がないし)国家としては何の不都合もないので、生死を調べて歩く必要がありませんでした。
むしろ生きているのに死亡したとして、あるいは勝手に除籍して税や徴兵逃れをされるのは困るので、除籍には厳しく対応して来たのが明治以来の歴史でした。
今でもその精神で運用しているので、死亡届=除籍には医師の死亡診断書等証拠を要求したりして大変です。
日露戦争まで相続税の考えがなかったことを、11/20/03「相続税法 10(相続税の歴史1)」のコラムで紹介しました
相続税が制度化されると政府としては死亡したら税を取れるメリットがあるようになりましたが、実際に行方不明者・・普通は蒸発→どこかの公園で寝たりドヤ街で暮らしている程度ですから、行き倒れの人の死亡で相続税が発生するようなことは殆どあり得なかったでしょう。
政府は費用を掛けて死んだ人を探し出して戸籍を抹消する必要がまるでないまま、現在に至ったのです。
当時の政府は国民に要求するばかりで、国民が恩恵を受けるような今の時代・・社会保障の充実した現在の感覚で国民と国家の関係を考えるとまちがいます。
自分の納めている税金よりも受ける給付の方が多い人が今ではかなりいると思われますが、今の国民は政府に対して社会保障等要求する傾向が強くなる一方ですが、当時の国民と国家の関係はまるで違っていたのです。
個々人の納税額は別として、全体としては、(金持ち貧乏人・法人税や間接税も含めて)総納税額以上の支出を政府が出来ない理屈ですが、赤字国債の発行で可能になっている・・財政赤字の累積分だけ国民の受益の方が大きくなっていることになります。
財政赤字下では平均以下の納税者は、受益の方が大きいのは明らかです。
今になって(最近収まりましたが、このコラムは昨年秋頃の大騒ぎ時に書いてあったものですが間にいろいろ原稿が挟まって今になったものです)超高齢者の死亡が記録されていないのは政府の怠慢だと大騒ぎしていますが、届け出もないのに職権調査するとなれば膨大な人件費がかかります。
将来全部コンピューター化出来れば別ですが、死亡者の登録を消すだけのために過去100年分の戸籍簿を全部コンピューター化するために膨大なコストを掛けるのは無駄ですから、紙記録のままで調査するしかないでしょう。
紙の戸籍簿をにらんで(蒸発したような高齢者は戸籍筆頭者=戸主でないことが殆どですから、表紙だけ見ても分らず中をめくって行って初めて分ります。)その中の生年月日から逆算して今は何歳として、その人の関係者の追跡調査を始めるのには膨大な時間コストがかかります。
しかもこの種調査は一時的に全部やれば終わるのではなく、定期調査しなければまた100歳以上の高齢者が溜まってしまうのですが、そんなことに高額所得の公務員を多数貼付けて巨額の税をつぎ込む必要がありません。
今でもこの抹消のメリット・・戸籍に残っていることによる政府のデメリットが皆無に近いからです。

失踪宣告3(超高齢者問題)

息子や兄弟が蒸発してしまった場合、家族にとっては仮にどこかで死亡していても分らないので死亡届を出しませんし、蒸発者が出先で死亡しても身元不明で処理されることが多いので、その血縁者にはまるで分らないのが現状です。
江戸時代には、連絡がとれていても無宿者にしてあったのですが、明治以降の制度では逆に連絡がとれなくとも戸籍に残すことなって簡単に消せなくなっているのでいつまでも戸籍に残すしかなくなっただけのことで、超高齢者が戸籍に残ったままになるのは制度設計の問題です。
親は蒸発した息子のことを心配しながら死んで行きますが、その内蒸発した人の兄弟姉妹も死亡し、甥姪の代になると行方不明になった叔父さんのことまで覚えていてわざわざ役場にもう死んでいるのではないかと相談に行く人は稀です。
(手間ひまかけて相談する必要性がないのです)
家督相続の時代には行方不明の弟や妹などには相続権もなかったので、相続が開始しても戸籍に残ったままでも何の不都合もなく戸籍抹消の必要性がありませんでした。
江戸時代生まれで行方不明になっていても、(戊辰戦役その他の混乱時期でもありました)無宿者に出来ず一応登録したものの実家との消息を絶ったままで明治大正にかけて死亡した場合、身内は放りっぱなしにしていることが多くなるのは当然です。
戦後は均分相続ですので親が死亡し相続開始すると兄弟が行方不明のままでは、相続登記や預金解約が出来なくて困りますが、実際には生きている限り親死亡は風の便りに聞いて戻ってくることが多いものです・・郷里を出て出奔している人はいつも郷里の噂を気にかけていて一方通行的に情報を得ていることが多いからです。
それに今は、盆暮れに顔を出していなくとも、親が死ねば相続権があるので、(江戸時代までは一生懸命親孝行していても相続権がなかったのですが、戦後は逆に何の義務も果たさなくとも権利がある逆転の時代です)なにがしかを長男から貰える期待があります。
非難の決まり文句に「親の葬式にも顔を出さなかった」と言うくらいですから、どこからか戻って来て相続権を要求することが多いのです。
それでも連絡が取れない例外的な場合は、失踪宣告等で戸籍上死亡扱いにする仕組みとなっていました。
相続財産を処分して資金を得ようとしたり、住宅ローンを利用しようとすれば、相続登記が必須ですから、(大都会近郊農家の場合)草の根を分けても相続人となる行方不明の兄弟を捜すことになります。
東北その他都会から遠隔地の農家などで跡継ぎが農地を耕しているだけの場合、そのまま耕していれば良いのであえて行方不明の弟を捜す必要もないでしょう。
探す必要があっても探しきれない時には失踪宣告を得て、戸籍から除籍してしまえる扱いです。
こうした不便(・・失踪宣告を得るには相当の費用がかかります)を防止するためにも、生前に遺言書を作っておいてもらえば、相続人の捜索が不要になります。
昨年秋以来問題になっている事例では、家を建て直すほどの資力がないので相続登記等の手続きが不要で、老父母の年金受給権を頼りに生きている貧困層が、親の死亡を隠して親の名で受給し続けている場合です。
明治政府は実家からいなくなった人を無宿者・・除籍しない代わりに、いつまでも戸籍が残って不都合な場合に備えて、不在者の財産管理制度を創設し、それでも収まらない人がいれば失踪宣告制度で戸籍から抹消を出来るように後始末まで一応用意していたのですが、これらは必要に迫られた人が申請する制度ですから、必要がなければ放置されたままになるのは当然です。
明治政府は戸籍から漏れて兵役の義務などを免れる人が出ないかに関心があって無宿者扱いを禁止したのですが、消す方には関心がなくむしろ厳重な制限・・証拠などを要求していたことになります。
不在者の財産管理制度や失踪宣告制度については、05/15/07「刑事処罰拡大の危険性7(各種資格の制限1)失踪宣告2」で条文だけ紹介していますが、まだ内容を書いていなかったようですので、ここでもう一度条文を紹介して次回に内容に入って行きましょう。
以下は明治30年に制定されたときのまま・・5〜6年前に口語体から文語体に変更しただけの条文・現行法です。

民法(明治二十九年四月二十七日法律第八十九号)
民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム
此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
明治二十三年法律第二十八号民法財産編財産取得編債権担保編証拠編ハ此法律発布ノ日ヨリ廃止ス

第四節 不在者の財産の管理及び失踪の宣告
(不在者の財産の管理)
第二十五条  従来の住所又は居所を去った者(以下「不在者」という。)がその財産の管理人(以下この節において単に「管理人」という。)を置かなかったときは、家庭裁判所は、利害関係人又は検察官の請求により、その財産の管理について必要な処分を命ずることができる。本人の不在中に管理人の権限が消滅したときも、同様とする。

(失踪の宣告)
第三十条  不在者の生死が七年間明らかでないときは、家庭裁判所は、利害関係人の請求により、失踪の宣告をすることができる。
2  戦地に臨んだ者、沈没した船舶の中に在った者その他死亡の原因となるべき危難に遭遇した者の生死が、それぞれ、戦争が止んだ後、船舶が沈没した後又はその他の危難が去った後一年間明らかでないときも、前項と同様とする。
(失踪の宣告の効力)
第三十一条  前条第一項の規定により失踪の宣告を受けた者は同項の期間が満了した時に、同条第二項の規定により失踪の宣告を受けた者はその危難が去った時に、死亡したものとみなす。

高齢者の新たな生き方

 

生物の気候変動等に対する適応には世代交代のサイクルが短い方が有利ですが、技術革新・経済変動の激しい時代には労働市場の入れ替わりも早い方が有利です。
機械設備で言えば、まだ使えるからと言って旧式の機械で40年も50年も操業していると競争に負けてしまいますし、商店でも内装のリニューアルをしないで30年もやっていると顧客に逃げられるのでしょっ中模様替えをしているのです。
労働者が技術革新に適応して行くためには、新陳代謝を早くして、そのひずみ是正に政府が何らかの手を打つべきであって、(早くから現役を引退した労働者の生き甲斐づくりの援助・・)古い機械や設備を長く使えば補助金を出すような政策をするべきではありません。
高齢者雇用に補助金を出して新陳代謝を遅くする現在の政策は、世界のスピード競争に日本が遅れを取るためにやっていることになります。
一定量の労働需要しかないのに供給の方が多いならば、若者を失業させる(あるいは非正規雇用に追いやる)か高齢者を失業させるかの二者択一となりますが、自然の競争に任せる方が良い結果になる筈です。
政治家がどこかに補助金を出さないと存在意義がなくなると思うならば、若者を優先正規雇用するように補助金を出して、他方で仕事を譲った高齢者に別の処遇を工夫すれば生産効率が上がるし、若者は技術革新について行けるどころか中には世界水準を追い越して世界の先端技術を開発することにもなるでしょうし、将来性があります。
老人雇用に補助金を出して無理に働かせようとしても新しい技術に追いついて行くのが大変なばかりで(労働生産性も下がり)漸く新しい技術に習熟したら超高齢化で隠退と言うのでは無駄です。
我が国の現状は、お祭りの神輿担ぎの役割を高齢者がいつまでも手放さずに、ヨタヨタ担ぎ、(政府は高齢者が担いでも危険がないように指導して)他方で屈強な若者が神輿を担げずにお祭りでもすることがなく、神社の隅で所在なく腐っているような社会です。
お祭りでも、高齢者には御神輿を担ぐより外の役割がある筈です。
高齢者に不向きな最新あるいは10年前の技術を訓練するのは非能率で(他方で若者が失業あるいは非正規雇用でぶらぶらしているのは)お互いに不幸ですから、高齢者は潔く若者に開け渡すとしても、ただボケていれば良いと言うのではありません。
ゆっくり余生を楽しんでもらえば、良いのではないでしょうか?
高齢者は若者の仕事を取らずに潔く次世代に引き渡すべきで、その結果時間が空けば、長い人生経験の味を元手に、俳句その他の高齢者ならではの能力を発揮出来る分野を開拓して行くべきです。
その結果新たなジャンルも生まれるし、高齢者と若者は住み分けて人類未経験の豊かな社会が出来上がる可能性があります。
江戸時代には、ご隠居さん向けの文化がいろいろ花開いています。
多くの高齢者が遊んでしまうと年金がパンクすると言う意見が多いようですが、前回末に書いたように労働需要が一定量しかない以上は、若者が遊ぶ(フリーター化する)か高齢者が遊ぶかの二者択一ですから、トータル国内生産量は変わらないのです。
むしろ両端で非正規雇用になる・・ワークシェアーするために双方ともに年金保険負担者にならないところが問題です。
潔く職場を若者に引き渡しても、国内総生産は同じ(むしろ効率が良くなる筈)ですし、仮に心配だとしても長年の貿易黒字による豊かな貯蓄があるので今のところ問題がありません。
この蓄積のあるうちに、(団塊の世代が通過して行き)頭でっかちの人口構成が改まる筈です。
世界初の超高齢社会に到達した我が国高齢者が、若者の仕事を取り上げて従来の延長でただ仕事を続ける期間が長くなっただけ、あるいは旅行・ゲームをしたりテレビを見ている時間が多くなっただけと言うのでは、芸がなさ過ぎます。
このチャンスに際して、我が国発の高齢者向けの人類未経験の時間(の過ごし方)を開発したらどうでしょうか?
この関心でOctober 13, 2010「文化は高齢者が創る」前後で書いたことがあります。

非正規雇用と高齢者雇用

非正規雇用形態の拡大自体は、経済原理からすれば労働需給が過剰になっている結果に過ぎませんから、結果だけを批判しても解決出来ません。
非正規雇用が増えているのは労働市場で供給過剰になっていることが根本原因とすれば、需要を増やすか供給を減らすしかありません。
日本の貿易黒字の蓄積・一人勝ちに対する国際不満・・プラザ合意の基礎です・・の結果、これ以上の黒字拡大は国際政治上許されなくなって来たことと、中国の解放と同時に始まったグローバル化の開始によって、生産や売り上げ拡大は海外立地で対応するしかなくなっているのですから、国内労働需要を増やす方向の政策は不可能です。
この結果、労働力供給を減らして行くしかないのですが、それには、(急激な人口減少策を採っても効果が出始めるのは20年先からですから、当面は)終身雇用制や高齢者継続雇用制度を変えて行かないと無理があるはずです。
非正規雇用の拡大は終身雇用制と裏腹の関係にあって、世界経済の激変に対して終身雇用制で守られている既存従業員を適時調整出来ないシステムを前提に、入口での採用絞り込みが起きてこれが非正規雇用の拡大に繋がっているからです。
1月29日の日経朝刊第5面によると、10年前に比べて団塊世代が60代前半にさしかかり人口が大幅に増えている外に60歳の就労率が72、7%から77、2%へ61歳では66、7%から74、3%に上昇しているとあります。
私の息子の世代(団塊ジュニアー)が年間出生者が200万人前後(今は100万余りでしょう?)でしたから、団塊世代は300万人前後いたように思います。
平成20年までの統計局統計によると平成20年の59歳人口が224万人、60歳が226万1000人(60歳になってもこれだけまだ生き残っている)で、他方新卒(高校大卒含めた)付近の年齢18歳で118万8500人、19歳で120万7000人、20歳で120万8000人しかいません。
実際にこの期間に就労率が増えているのは約10%ずつですが、それでも約22〜25万人ずつ就労者が増え続けていることになりますから、これが累積して結局は7割になって来たのです。
55歳定年制の3〜40年前には60以上で働いているのは政治家や大手企業の限られた役員くらいで一般労働者はゼロに近かったのが、7割と言うことは今では健康である限りみんな働く時代になっていると言うことでしょう。
何回も書いていますが、2〜30年ほど前までは55歳定年制の時代が長く続いていましたが、これが高齢化にあわせて定年延長のかけ声にあわせてじりじりと定年が伸びて来て、今では60歳定年制が一般的になりました。
この5年間の定年延長だけでも220万人(60歳で220万人以上と言うことは55歳ころではもっと生存者が多かった筈ですが)×5=1100万人も就労者が増えて来た勘定になります。
55歳定年当時に比べて1100万人も基礎的就労人口が増えているのに加えて、60歳以上では累積した増加数は1歳ごとに226×0、7=150万人以上ですから、この累積分で新卒2年分全員(新卒全員が就職するとは限らないので労働力率を約8割として)就職出来ない数字が積み上がっていることになります。
60歳以上の就労率アップが叫ばれ、今では7割も働く時代が来ていて、さらに就労人口が増える一方(病人・障害者等があるので7〜8割が限界でしょうが、このまま70歳以上まで持ち上がって行くとトータルで増え続ける)ですから、新規参入者は立場が弱くなる一方です。
これに加えて女性の(子育て後の)就労率の上昇も重要です。
私の事務所でも当初10年くらいは大卒新人の求人をしていましたが、平成に入ってからは子育ての終わった40代の女性の採用に切り替えています。
(同じく正規雇用ですが、その方が実力があるからです・・・)
企業にしてみれば60歳まで働いていたベテランが、10〜15万の低賃金で(しかも非正規雇用で)続けて働いてくれるとすれば、右も左も分らない高卒や大卒新人に20数万も払って正規雇用する意欲がわきません。
将来のために新規採用をゼロにはしないまでも、従来新卒100人採用していた企業があるとすれば、正規雇用の新卒は本当の幹部候補2〜30人にとどめて残りは定年後の高齢者採用に舵を切る方が有利です。
近くの千葉三越デパートに行くと定年後の感じの(元外商担当らしい)人が、ゴロゴロと働いていますがその分新卒採用が減っているのです。
しかも非正規雇用に形式が変わっても、高齢者雇用継続の行政指導に従う企業・・主として大手では、元の会社に居残る人が殆どですから、大手企業の方が新規採用数がその分減って行くのは当然です。
定年後の雇用継続には補助金がつきませんが、新たに高齢者を雇用すると補助金がもらえる仕組みまでありますが、新卒にはそんなものは皆無です。
政府は長年高齢者の再雇用に補助金まで出して、高齢者の優先雇用を推進して来たのですから、その分新卒の正規雇用が減るのは当然です。
そこをホッカムリして新卒の就職難・フリーター化をマスコミが騒いでもしらけるではありませんか?
ここ20年ばかり国内生産能力は現状維持程度(同じ生産量では技術革新の結果必要労働力量は減少して行きます)で推移しているのに、労働市場滞在者が増える一方では、入口での新卒就職が厳しくなるのは当然です。
・・要は労働力過剰ですから、高齢者の就労率の削減(高齢者には俳句でもやらせておく)を図るか、基礎になる人口の早期減少政策しか解決策がないと繰り返し書いているのです。
どんな政党が出ても国際政治力学上(これ以上の黒字累積は許されません)及びグローバル経済化の結果経済的にも国内の生産力は現状維持がやっとですから、一方で就労者を増やす(滞在期間延長)政策を採っている以上は、若者が就職し損ねてフリーター等になるしかないことを「20年で失われたのは?2」 January 20, 2011 その他で繰り返し書いてきました。
マスコミや政府は、年金保険料支払い者を増やすために高齢者雇用継続を訴えているのですが、その結果高齢者が非正規雇用に変化して労働市場に居残り(・・社会保険の負担者はそれほど増えません)他方で新卒の多くが正規就職出来なくなるので、結果的に年金・社会保険支払者が両端で減って行く図式です。
(年金不安を煽らずに)高齢者には気持ちよく隠退させて、海外旅行や温泉に行ったり俳句でもやらせておけば高齢者には豊かな老後ですし、その分若者の正規雇用を増やした方が年金や保険の負担者が増えて、若者もやる気を出して日本の将来は明るくなります。

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