貨幣経済化と高齢者の地位上昇

  

9月23〜24日の隠居制度の続きですが、現行条文(民法自体は明治の法律ですが戦後の条文改正)では隠居制度がなくなって、死ぬまで自分の財産は自分で管理・処分(・・住んでいる家や預金は死ぬまで自分たち夫婦のもので息子が口出し出来ません・・)出来るので、親の立場は経済的には格段に強くなりました。
農業の場合、名義だけお父さんのままでも毎年のフローの農業収入自体は実際には息子夫婦が牛耳るようになるのが普通ですから、親の地立場が強くなったのは、隠居制度の廃止だけではなく、老後の生活手段の中心が家産・家業のウエートが下がり過去にためた預貯金・貨幣価値の把握になったことによるでしょう。
農業に限らず、自営業の場合、隠居と言うよりは経営権の交代をするのが普通ですので、取締役として一定の給与を確保しておかない限り親夫婦が無収入となる点は同じです。
結局は消費目的の貨幣だけを潤沢に持っている方が、老後は有利になると言えます。
今は貯蓄はほどほどでも年金制度が充実して来ているので、自宅のある老夫婦は年金だけでゆとりのある生活が出来、子供世代に経済的に頼る必要がありません。
老親の介護をしなければならない子供世代の負担緩和ばかり強調されていて、介護の社会化は彼等の介護負担を緩和するためのように思われていますが、親世代からすれば「今の子供は当てにならないから・・」と言うのが普通です。
当てにならないのではなく、当てにしないで生きる方が自立出来て有利だからです。
戦後民法改正で上記の通り親の経済的立場は強化されましたが、最後に面倒見てもらうようになると(妻に看てもらえるお父さんは最後まで幸せですが妻の方は)弱い立場になる点は変わりません。
子供夫婦に世話されると悲惨なことになるリスクが高いので、もしかしたら親世代が現役引退後も自宅売却処分の自由や年金・・自分のお金を持ったことによって金で解決する方が得だと言う視点・・親世代が最後までフリーハンドを保てるように介護の社会化が始まったものかも知れません。
釣った魚に餌をやらないと言いますが、サービスはすべからくその都度お金・対価を払う方が大事にされるものです。
2010-4-27−1「妻のサービス1」以降でサービス業者のサービスと家庭サービスの比較を書きましたが、(最近では2010-9-19「家庭サービスと外注」にその続きを書きました)対価関係が直截的であればある程サービスが良くなるのはどの分野でも同じです。
どこかで書いたと思いますが、1年分前払い、10年分前払い・・あるいは一生分前払いをしても、有り難く思ってくれるのはそのときだけです。
一生分の食費以上の何千万円もこの家を建てるときに出してやっているから、ただで連れて行けと言うよりは、食事や映画、旅行に行く都度ポケットからお金を出してやった方が大事にされるのは当然です。

文化は高齢者が創る

それに、どうせ同じ500万人でも300万人でも失業しているならば、若者を働かせて高齢者が遊んでいる方が合理的です。
と言うよりは、社会に一定量の正規雇用しか受け皿がないならば若者を正規雇用ではたらかせて技術を身につけさせて、高齢者を早期定年制で退職させて非正規雇用に入れ替わる方が社会の将来のためにも合理的です。
将来中国と我が国との人件費が均衡して来た場合、輸出産業が復活するには技術力を維持してく必要があります。
新しい機械と古い機械がある場合、性能の悪い古い機械を使って新鋭機械を温存していて、錆び付かせるのは愚の骨頂です。
現在若者の失業者やフリーター等の数が仮に2〜300万人で定年前後の労働力人口が仮に年100万人とすれば、定年年齢を徐々に2〜3年分引き下げて徐々に若者の正規雇用を増やして入れ替えて行けば良いのです。
一家で考えれば、高齢のお父さんが店で働いていて30代の息子が遊んでいるよりは、息子を店に出してお父さんが遊んでいる方が合理的・・将来の展望が明るいのは当然です。
若者が遊んで失業していると社会が暗いですが、高齢者に暇ができると文化が発達します。
若者が遊んでいても大した文化が生まれませんが、高齢者に暇があってこそ、文化の奥行きが出ることを最近どこかで書きました。
元気なうちに店の経営権を息子に譲る以上は、親夫婦はなにがしかの生活費を息子から出してもらうのは当然・・社会全体で言えば若者が就職出来るように早期引退して職場を譲った以上は、譲ってくれた高齢者の年金資金を若者が払うのは当然となります。
現在は、この逆ばり政策で高齢者の定年を早くするどころか逆に延長して自分でいつまでも職場にしがみつき、若者の職場を奪っている時代ですから、職のない次世代に年金納付を求めていたのでは年金制度が破綻するのは当然です。
(店を譲らないで頑張っている親が売上を全部自分のものにしている外に、息子に対して「お前はもう30代になったのだから・・・」と生活費を要求しているようなもので図々しいと言えます。
店や職場を譲るまでは親世代・高齢者が、息子世代から生活費・年金受領を辞退すべきは当然です。
高齢者の引退時期を先送りしてその分年金受給開始を遅らせるよりは、逆に引退を早くするように誘導して次世代に仕事と収入を早く譲り、その代わり彼らに十分な年金資金を払わせる・・・早く引退した分早くから年金を受けられるようにした方が社会が健全です。

高齢者介護と外注1

 家庭における男の切り札はサービスが悪ければ、何時でも離婚・・あるいは家に帰らなくなることが出来るとは言っても、2010-9-19「家庭サービスと外注」に書いたように実際には簡単ではない・・儚いものですが、この辺は老人が子供の世話を受けるようになると、老人・・形式的にはその家は老人のもので気に入らなければ子供夫婦を追い出せるとしても、現実には容易でないのと似ています。
通い婚・サービス業の場合、気に入らなければ遊びに行かなければいいので簡単ですが、嫁取り婚の場合に追い出すのは実際大変だったのとも似ています。
リヤ王の悲劇の真実までは知りませんが、老いて自分で身の回りのことが出来なくなれば、気に入らないからと息子や娘を追い出しても、また誰かに頼らねばならないのが難点です。
例えば2人の子がいる場合に、一人とけんかして残りの一人の所に身を寄せるとそこでもう一度けんかになると行く所がなくなる・・おろそかにされる恐怖で、長男(または長女)との間で波風を立てないようにしてじっと我慢していることが多いようです。
「あまりひどいと娘のところへ逃げ出すぞ」と言える状態が花と言うことです。
昔から「女3界に家なし」とか「老いては子に従え」とか言われていましたが、女性は最後は子に看てもらうことが多かったからでしょう。
最近では介護システムが発達して来たので、社会化・客観化されて身内にかかり切りになってもらう必要が減少して来ましたので、この種の遠慮が要らなくなって来ました。
一旦同居すると気に入らないからと言って子供夫婦を追い出すのが無理となれば、(初めっから子供夫婦との同居をしないで)高齢化した場合自宅を処分して介護付のマンションへ入居する老夫婦が増えて来ていることを、2010-9-12前後「介護の社会化1」以下で書きました。
親しき仲にも礼儀ありと言うように、一定の緊張関係のある通い婚関係のように親子もスープの冷めない距離から通う別居が理想ではないでしょうか?
中高年世代では,「今の子供は当てにならないから」と言うのが普通ですが、子世代と同居し身の回りのことも自分で出来なくなると子供の立場が強くなるのは昔から同じです。
特に隠居分を取り置ける程(水戸黄門のように)裕福な家なら別ですが、江戸時代の武家であれ、農家であれ家督を譲ると今度は息子夫婦が家計の経営者で親夫婦は無収入で養って貰う部屋住みの厄介者に格下げです。
今のように年金等の自前の現金収入のない時代に(江戸時代にも商人はいましたが、ホンの一部です)隠居して家督を息子に譲ってしまうと、農業収入・・あるいは武士の家禄は全部息子の懐に入ってしまう状態・・・隠居分を取り置かない限り親夫婦には一銭も現金収入がありません。

遺産価値と高齢者

 

現在社会では親が1〜2億円残してくれても、本人が掃除夫や労務者をしていると社会で大きな顔を出来ませんし、その逆に親が数百万円しか残してくれなくとも自分の才覚で中小企業のオーナー、大手企業の社長になっている人にとっては大きな顔をして人生を送れるのです。
ところで、農業社会であっても農地売買が自由化されていれば、能力のある人が少しずつ買い増して行き、長い間には、2倍の耕地をもっていた人との地位(収入)の逆転も可能です。
これに対して農地売買が禁止されているとホンのちょっとした能力差に基づいて少しずつ溜め込んで少しづつでも農地を買い増して行くことが出来ないので、農地の売買禁止制度は、(農業が主産業の時代には)言うならば格差固定社会の制度的保障だったのです。
現在で言えば、ドラグストアーや牛丼店、ラーメン屋、ホテル等の経営者が儲けを少しずつ溜め込んで少しずつ店を大きくし、あるいは1店舗ずつ出店して増やして行くことが禁止されているようなものです。
耕地売買禁止は貧農の没落防止・弱者保護策とは言うものの実質的には体のいい競争禁止制度・格差固定制度として機能していたのです。
現在での弱者保護を名目に競争をなくそうとしているのと同じで、結局はある一時期の競争(江戸時代で言えば戦国末期の功労)の結果出来上がった既得権の保護思想でしかありません。
こういう制度下では農業従事者にとっても工夫・努力によって耕地・経営規模拡大が出来ないので、精々濃厚な手間ひまかける集約農業に進むしかなかったことになります。
江戸時代の永代売買禁止令は(新田開発がなくなった以降は)規模拡大が出来ないだけではなく、経営に失敗しても農地を失わない制度でもあったのです。
今で言えば、店舗買収や新店舗開店を禁止していれば、10店を相続した人と2店舗を相続した人とでは、どんなに能力差があっても失敗した方の店の存続は許されるし、成功した人も店舗新設拡張が出来ない・・一生どころか何世代たっても同じ格差のままの制度だったと言うことです。
こうして見ると、世襲・身分制社会出現は静止した・成長の止まった(新田開発の止まった)農耕社会のほぼ必然だったし、永代売買禁止令はこれの制度的保障だったとも言えます。
江戸時代の永代売買禁止令の表向きの理由は、弱者が農地を失っていよいよ落ちぶれて行くのを防ぐと言うこと・・今で言えば市場経済化・格差拡大反対・負け組を作るなと言う合唱と同じです。
とは言うものの、小作人化を防ぐのは別の方策を考える・・市場経済化による病理の救済は、別に考えればいいことです。
格差拡大反対論は、一見きれいごとをいいながら実は過去の格差・既得権を固定する役割があるので、要注意思想です。
市場経済化反対・格差反対論は、実質は格差固定論であることについては、01/19/10「終身雇用と固定化3(学歴主義2)」以下のコラムで少し書きましたし、この後市場経済・・学歴主義と競争に関してもう一度書きます。
江戸時代を通じて永代売買禁止がくり返し強調されたのは、農地売買の自由を認めると農家の流動化が始まり、ひいては幕藩体制の基礎たる固定社会崩壊に連なるリスクがあったからに過ぎません。
話がそれましたが、我々が育った高度成長期の日本では遺産として1000万円貰った人と500万円貰った人、100万円も貰えなかった人との格差が一生続くものではなく、その程度の差では一時的効果でしかなく、本人の能力・努力差による差の方が大きい社会でしたから、親からの遺産を期待する比重が大幅に減少していました。

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