社民党の来し方行く末2(教条主義1)

社会党は民意を肌で感じる議員より観念論で凝り固まった?党員発言力が圧倒的に大きくなりすぎた政党だったので民意遊離が進んだというべきでしょう。
たまたまマルクス・レーニン主義という錦の御旗があるので、この傾向を教条主義者と言われますが実態は党全体が地道な政治活動をしない結果、世間で揉まれない一人よがり思考肥大化という環境要因による点では、いわゆる世間知らずの書生論が幅を利かす全学連執行部の過激化と相似形です。
世間知らずとは文字や映像、メデイアを通じて世間を知れば良いのではなく現実生活を通じて得る幅広い体験に根差した体験知不足のことです。
一般的に言われる「理屈はそうかもれないが実際には難しいものだよ!」というファジーな総合値の重要性を知らないのでメデイアで覚えた過激な言辞を連ね相手は辟易して(バカにし?)黙っていると言い負かしたつもりになっている未熟な若者同様の状況です。
この後で短期間メデイアが持ち上げていたシールズの活動を紹介しますが、未熟な学生レベルの未熟な単語をガナリたてていればそれが党内言論を支配してしまう変な党(学生自治会レベル)になっていたのではないでしょうか?
一般党員の発言力が大きいといかにも足元重視の民主的イメージですが、日常的民意汲み取り作業・こまめな庶民のお世話活動をしない政党の場合、民意の洗礼を受けない観念的グループの支配に堕する副作用の方が大きかったようです。
社会党では一般党員(官公労中心の組合活動専従者・プロ活動家)がいわば党のオーナーで、議員はその代弁者?という位置付けだったように見えます。
当時「議員政党」というメデイア・有識者?の批判が流布していた印象(50年前後前の記憶ですのでどの時点で流布していたか不明)ですが、メデイアの振り付けに頼る社会党ではメデイアの正論そのままに議員は上部構造であって、「草の根の党員こそが主体であるべき」という意識が強く支配するようになっていたようです。
テレビに出る有識者(その頃出てくるメデイア好みの有識者と言えば多くは一党独裁社会を暗黙のうちに理想モデルとする傾向)の意見では、代議員は党が推薦するもので一般国民の支持を受けていないので党員の代弁者になるのが民主主義的?で良いのですが、民主社会においては思想の自由市場・選挙の洗礼を受ける議員こそ民意に最も近いグループです。
商人で言えば本社企画課の人よりも店舗販売最前線で働いている人に当たるのが議員であり、小売店に売り込む営業マンに当たるのが日常活動で民意を吸い上げる役割を果たすのが党員であり、この両輪が機能することによって民意対応できるのです。
これがうまく機能していれば、一般党員と議員との意見がうまく噛み合うのですが、社会党の場合、官公労大規模労組に票田を頼るようになっていったので、議員も党員も大規模労組への営業?活動に特化していったので一般国民意識の吸収システムがなく、民意と大幅に遊離して行ったように見えます。
本来の営業の場合、得意先の意向を必死に把握しようとする結果自ずと顧客の求めるところを吸収するのですが、社会党や共産党上層部と労組の場合、上から目線・・蒙昧な下部組織・現場労働者を教育する使命感で現場「学習会の講師になってきてくれた先生」なので、末端は中央の方針に従わせる教化対象であって組合員・現場から学ぶシステムではありません。
〇〇思想や、毛沢東語録その他偉大な領袖発言の学習会が盛んでした。
(論理的でないから)難解な左翼用語を、学習会で繰り返し耳にしているとわかったような気持ちになるのか?おべんちゃら的「裸の王様よろしく」教化に来てくれた先生に擦り寄る一定数が生まれ、それが組合中堅幹部等に上がって行く・中央から講師になってきた先生は分かったような気がする現場幹部と意気投合して「君らはよく理解しているようだが、あいつはまだまだだもっと教育しないとな!」などと意気投合して帰っていくのでしょうか?
囲い込んだ組織内でしか通用しない思い込みの激しい造語・・左翼用語の刷り込みに頼っている弊害が表面化した分岐点・・象徴的事件が国民人気のあった江田三郎氏の失脚・・脱党でしょう。
江田三郎氏に関するウイキペデイアの記事からです。

政界進出
1946年に日本に引き揚げ、日本社会党に入党。左派の活動家として頭角を現す。1950年に参議院議員に初当選し、1951年の左右分裂後は左派社会党に属した。
江田ビジョン」と構造改革論
1960年総選挙の頃より、江田は構造改革論を社会党の路線の軸に据えようとした。これは、日本社会の改革を積み重ねることによって社会主義を実現しようとする穏健な考え方で、これまで権力獲得の過程が曖昧であった平和革命論を補強しようというものであった。しかし、労農派マルクス主義に拘泥する社会主義協会がこれに反発し、江田ら若手活動家たちの台頭を恐れた鈴木茂三郎・佐々木更三らも構造改革論反対を唱え始める。
1962年、栃木県日光市で開かれた党全国活動家会議で講演した際、日本社会党主導で将来の日本が目指すべき未来像として
アメリカの平均した生活水準の高さ
ソ連の徹底した生活保障
イギリスの議会制民主主義
日本国憲法の平和主義
を挙げ、これらを総合調整して進む時、大衆と結んだ社会主義が生まれるとした(「江田ビジョン」)。これが新聞報道されると話題となり、江田は雑誌『エコノミスト』にこの講演をもとにした論文を発表し、世論の圧倒的な支持を得た[6]。
1977年の党大会では社会主義協会系の活動家たちから吊し上げられる。この結果、江田は社会党改革に絶望して離党しようとしたものの、離党届を受け付けられず、逆に除名処分を受けた。

党再生の切り札と目された希望の星・・江田三郎氏を教条的左派が強硬に葬り去ったのち、社会党は誰にも相手にされない長期衰退過程に突入していきました。

政党要件2(政治資金規正法)

政党助成金法は政治資金規正法の政党定義とは違い助成金交付に必要な定義ですので、政治資金規正法とは定義が若干ずれます。
政治資金規制法の対象となる「政党」とどう違うのか見ておきます。
公費助成するほどでないが、資金規制が必要な団体の方が幅広いのが原則です。
そこで比較のために条文を引用してみましたが、3条1項第3号が助成対象でないが資金規制の必要な政治団体のようです。
政党でなくとも政治活動する団体の場合、資金出所と使途が重要で出所に関しては22条以下に(禁止)が明記されています。
あとでの引用便宜のために禁止規定の頭だけで引用します。

政治資金規正法(昭和二十三年法律第百九十四号)

(定義等)
第三条 この法律において「政治団体」とは、次に掲げる団体をいう。
一 政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対することを本来の目的とする団体
二 特定の公職の候補者を推薦し、支持し、又はこれに反対することを本来の目的とする団体
三 前二号に掲げるもののほか、次に掲げる活動をその主たる活動として組織的かつ継続的に行う団体
イ 政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対すること。
ロ 特定の公職の候補者を推薦し、支持し、又はこれに反対すること。
2 この法律において「政党」とは、政治団体のうち次の各号のいずれかに該当するものをいう。
一 当該政治団体に所属する衆議院議員又は参議院議員を五人以上有するもの
二 直近において行われた衆議院議員の総選挙における小選挙区選出議員の選挙若しくは比例代表選出議員の選挙又は直近において行われた参議院議員の通常選挙若しくは当該参議院議員の通常選挙の直近において行われた参議院議員の通常選挙における比例代表選出議員の選挙若しくは選挙区選出議員の選挙における当該政治団体の得票総数が当該選挙における有効投票の総数の百分の二以上であるもの
3 前項各号の規定は、他の政党(第六条第一項(同条第五項において準用する場合を含む。)の規定により政党である旨の届出をしたものに限る。)に所属している衆議院議員又は参議院議員が所属している政治団体については、適用しない。
4〜5号(公職候補者定義等)以下略
第二十二条の五 何人も、外国人、外国法人又はその主たる構成員が外国人若しくは外国法人である団体その他の組織・以下略

非合法行為をした場合を不適格要件にするのは無理がある・・違法行為といっても民事の債務不履行から何でもあるので、構成要件を明確化するの無理があるからでしょう。
結局は税金を使う政党行為として国民が許されないと評価するような行為をした場合支持が下がって行き、国会議員数減少や2%基準以下に追い込んで行く民意の結果待ちにしているようです。
多くの新人中堅が泥舟状態になった社会党を逃げ出した後に残った社民党が2%基準を維持できるかが、社民党にとって死活的ハードルになってきました。
https://www.asahi.com/articles/ASM7Q35YTM7QTIPE00B.html

社民、政党要件満たす得票率 当選の前党首「雲泥の差」
2019年7月22日 11時28分
社民党は公職選挙法上の政党要件を満たす比例区の得票率2%を確保した。ただ、得たのは比例区の1議席のみだった。
報道陣の取材に「政党要件を失うのと継続するのでは雲泥の差がある」と安堵(あんど)の表情を見せつつも、「党員の拡大など社民党の再生に向けて努力をしていきたい」と気を引き締めていた。

世論調査は以前かなり信用されていましたが、近年では選挙結果と大幅にずれていることが多く信用されなくなってきました。
固定電話中心では携帯やスマホしか持たない若者のデータが取れていないからでないかなど指摘されてきましたが、今回毎日新聞が大胆に変えた点が注目れている程度で、それまでは調査手法は調査主体によってほとんど変わらないにも関わらず・・調査主体によって毎回自民党系と革新系の支持率差で安定した違いの傾向が見えますので、質問方法に偏りがあるか?集計データ自体の偽装?があるのではないかの疑問が起きていました。
そんな中でショッキングなニュースが出てきました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f0bfd6068f1182eb75c16dab59b51026cf51adc

世論調査で架空データ入力 過去14回、フジと産経新聞
6/19(金) 12:16配信
フジテレビと産経新聞社は19日、合同で行った過去14回の電話世論調査で、調査業務委託先のコールセンター現場責任者が、実際には電話していない架空の回答を1回につき百数十件、不正に入力していたと発表した。
世論調査は内閣支持率を含む政治がテーマ。両社は昨年5月~今年5月の調査14回分の放送と記事を取り消すという。
フジテレビは「委託先からの不正なデータをチェックできず、誤った情報を放送してしまった責任を痛感している」、産経新聞社は「報道機関の重要な役割である世論調査の報道で、誤った情報をお届けしたことを深くおわび申し上げます」とそれぞれコメントを発表した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2feaf8925e4162cba9fb69a4e7f5761fd7fcbee8

FNNと産経新聞の世論調査で「架空のデータ入力」。「利益増やしたかった」と委託先
6/19(金) 12:47配信

ヤフーは共同通信記事と内容はほぼ同様ですが、ヤフーの方は「利益増やしたかった」と動機を報道しています。
電話料金百数十人分の電話料金節約?と言う程度の目的で「利益増やしたかった」だけでこんなことをしていたという説明は不自然すぎませんか?
発注社の希望する傾向のデータにする必要があったということではないでしょうか?
録音データを残すとどの政党に有利に改ざんしたのかがバレるので「電話していないので録音データがない」ことにしたのでないかと勘ぐりたくなりますが、邪推すぎでしょうか?

沖縄基地反対闘争と政党要件1(政党助成金法)

旧社会党は再軍備反対・・非武装平和論ですから、基地存続自体の反対運動は観念的には一貫していますが、旧社会党時代の村山内閣でこれを変更した以上はこれを反故にする主張自体論理違反です。
ただし主張が首尾一貫してればいいのではなく非武装平和論は現実離れいているとして国民支持を失っているから主張を変更した結果、党自体は政策主張よりは、事実上現地実働隊化・・リング上の勝負をやめて場外闘争に軸足を移している印象です。
主義主張で国民支持を求めるのではなく合法非合法織り交ぜて政策実現妨害に専念しているのではもはや政党を名乗る実質的資格がないというべきでしょう。
旧社会党のように名義だけ一坪地主になっていたのと違い、国会議員福島瑞穂氏自身が現場実力行使に参加して警察に排除され(昔でいえば足軽のような役割?)ているのですから、政党の格式も落ちたものです。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/129507

福島瑞穂氏も排除される 辺野古で社民議員ら座り込み
2017年8月18日 12:45
沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブの工事車両用ゲート前で18日午前、福島瑞穂参院議員を含む社民党全国自治体議員研修会のメンバー約70人が新基地建設に反対し、座り込み抗議活動をした。機動隊員が座り込む議員らを強制排除し、資材を積んだ工事車両16台が基地内に入った。

福島瑞穂氏に関する7月5日現在のウイキペデイア記事です。

福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1955年12月24日 – )は、日本の弁護士、政治家。社会民主党所属の参議院議員(4期)、社会民主党党首(第3・6代)、同参議院議員会長、社会主義インターナショナル副議長。神奈川県在住

大義不要の非合法集団と一線を画せない政党は、実質的意味の政党の資格・・政党交付金受給適格性があるのか疑問ですが、これは心情論であって法規制としては無理があるようです。
政党助成法 平成六年法律第五号

(政党の定義)
第二条 この法律において「政党」とは、政治団体(政治資金規正法(昭和二十三年法律第百九十四号)第三条第一項に規定する政治団体をいう。以下同じ。)のうち、次の各号のいずれかに該当するものをいう。
一 当該政治団体に所属する衆議院議員又は参議院議員を五人以上有するもの
二 前号の規定に該当する政治団体に所属していない衆議院議員又は参議院議員を有するもので、直近において行われた衆議院議員の総選挙(以下単に「総選挙」という。)における小選挙区選出議員の選挙若しくは比例代表選出議員の選挙又は直近において行われた参議院議員の通常選挙(以下単に「通常選挙」という。)若しくは当該通常選挙の直近において行われた通常選挙における比例代表選出議員の選挙若しくは選挙区選出議員の選挙における当該政治団体の得票総数が当該選挙における有効投票の総数の百分の二以上であるもの
2 前項各号の規定は、他の政党(政治資金規正法第六条第一項(同条第五項において準用する場合を含む。)の規定により政党である旨の届出をしたものに限る。)に所属している衆議院議員又は参議院議員が所属している政治団体については、適用しない。

政党助成金交付対象となる政党の定義は以上の通り形式要件だけです。

社会党の消滅(沖縄基地反対闘争)

現在級革新系野党の系譜を引く野党の多くは原発反対、消費税増税反対、沖縄基地問題にしろ旧社会党のように元民主党の重鎮が直接関与することがなくなった代わりに、外野から見ていると、国政段階で相手にされなかった主張蒸し返しどころか、主張さえしなかった本音を別働隊の利用で鬱憤ばらしをしているような気がします。
正しいことであれば選挙で主張し、国会で堂々と政策主張するのが政党の役割であるのにこれを何故しないのでしょうか?
民主党政権時代の少なくとも県外へ!というスローガンで選挙に勝ったのに政権党になると、県外移設地候補さえ提案できなかったので、今更辺野古移転に反対する名分がなくなってしまったからです。
社会党村山政権当時安保条約の有効性、自衛隊違憲論撤回決定もしていますので、安保条約に反対だから米軍基地の存続自体許さないという論法が成り立ちません。
土井氏の「ダメなものはダメ式」の消費税反対論も、民主党政権主導で消費税増税を与野党で合意している関係で、その時の政権幹部が横滑りしている立憲民主党などは消費税アップに反対できない縛りがあります。
政党間で公式合意したが裏で合意実現妨害するしかなくなったのが、旧社会党の残党で成り立っている元革新系野党の姿です。
こうなってくると、国会論戦することがなくイチャモンづけするしかなくなった・森カケであれ、検事長問題であれ、政党としての論戦=定年延長が必要か否のかのテーマを論じないで、特定検事長個人が有利になると個人問題に矮小化した姑息な論戦?ばかりになっている原因です。
大手メデイアの応援下で盛り上げてもイチャモンだけでは国民は白けてしまい、野党の支持率は逆に下がっていく傾向です。
安保体制を旧社会党が容認して以来、基地の必要性を前提として普天間基地が危険だからと長年移転を求めて運動してきた結果、移転が決まると次は立地論に移りました。
結局民主党は「少なくとも県外へ!」のスローガンで沖縄県内移転論に反対してきましたが、政権党になって沖縄県外の移転候補地の発表さえできない・・スローガンには根拠なかったことがはっきりした後に代わりに辺野古以外にどこが良いという提案なく一方的な移転反対運動(普天間基地を残せというのかな?・表向き反対しているだけ実は基地経済が出来上がっているので周辺住民は出て行かれると困る問題がありそうです。)では論理的ではありません。
そこで社民党を除く革新系野党は表面上反対できなくなってしまいました。
メデイア論調中心は「沖縄の苦しみが分からないのか!という情緒論だけです。
50年ほど前に行っていた成田空港事件での「農地を奪われる農民の苦しみ!と言うのと同じ繰り返しです。
どんな制度も変更によって得する人や企業もあるし、(定年延長でも、病気がちで早く定年退職金を欲しいのに先送りになって困る人もいるでしょう)損する企業もあります。
個別問題は個別対応すべきで、政策論争は、全体として今後の社会のあり方としてプラスマイナスどちらが大きいかの議論が国会論戦であるべきです。
成田事件でいえば、首都圏内で新空港が必要か、あるいは高速道路が必要かの政策必要の政党間議論が終われば、どこに立地するのが日本の産業構造変化として合理的か政党間の論争テーマになります。
千葉での放射能汚染物質貯蔵場所の問題や杉並ゴミ戦争で立地紛争を紹介しましたが、首都圏内新空港の必要性についてはこれと言った反対論争がなかったようです。
そこで、立地問題だけが重要テーマだったようですが、立地論でいえば、どこに立地しても生業に影響を受ける人皆無の場所はありえない(人家のない奥地でも、キノコ採りや薪炭業や植林事業ができなくなる)のですから、政治は、こういう利害調整こそが本領を発揮すべき分野です。
こういう被害を受ける人がいる・・その人の気持ちがわからないのか!という心情論は、どこを選んでも皆無ではないので)そもそも議論の対象でありません。
立地論とすれば、将来の産業構造としてどの産業の多い・・次世代継承が見込まれにくい産業構造中心地域が候補になり(将来性のある産業集積地域を除く・工場地帯や中心市街地丸ごとの用地買収計画が策定されないことがこのような基準が先行していることを証明しています。)、その中で居住人口(産業従事者)の最小地域となっていくのが合理的でしょうか?
高速道路敷設あるいは鉄道敷設でいえば、立退きで損をする人も逆に山間僻地の放置山林が買収対象になって高額買収資金が入って喜ぶ人もいる・・空港用地買収立退く人でもちょうど子供が都会にでてしまい、後継者がなく近い将来農業をやめるしかない時に買収されて喜ぶ人もいれば、40代でこれから約30年農業をやる予定の人もいる・・いろんな人がいるのは当然の前提ですので、個別問題・・引っ越し困難などの個別事情は個別補償実務で解決すべきであって空港や高速道路の立地が適地かに関する賛成反対論のテーマではあり得ません。
この選定基準が誤っているかの論戦をしないで生業を失う人の気持ちがわからないのか!という情緒論で政党が個別問題を争うのは論争のルール違反です。
しかも・・実際の被害者が少ないからか?一坪地主になってよそ者が中心になって工事実現妨害運動をするのは、政党としての存在意義を自分で否定する行為です。
これに対して旧社会党の衣鉢を継いだ社民党は、党の関与を隠さず堂々と沖縄の普天間基地の辺野古移転反対闘争を実行しています。
旧社会党は再軍備自体反対・・非武装平和論でしたから、基地存続自体の反対運動は観念的には一貫していましたが、旧社会党時代の村山内閣でこれを変更した以上はこれを反故にする主張自体論理違反です。

社会党の抵抗政党化3(成田闘争と一坪地主)

成田空港開設は当初予定地であった富里村周辺では激しい反対運動が起きて組織化されていたのですが、候補地について紆余曲折ののちに政府は突如三里塚に予定変更してしまったので、地元自治体が成田市に変わり、しかも地元自治体が反対運動になびかなくなりました。
空港予定地の大方が元御料牧場で私有地が少なかったこと(・・周辺は騒音被害を受ける程度で逆に空港が軌道に乗れば関連需要の恩恵を受ける人の方が多いことから歓迎傾向だったのかな?)社会党はやむなく一坪地主になって地権者の一人として反対する方法を選んだようです。
(この方法は現在沖縄での基地闘争手段としての住民票取得政策につながっているようです)
当時の社会党代議士(元委員長クラスを含め)が一坪地主運動を呼びかけて農地を1坪づつ購入して、地主になって空港の用地買収反対運動の事実上の黒幕になっていたのはこの嚆矢です。
一坪地主に関する2020年7月6日現在のウイキペデイアの解説です。

NIMBYによる反対運動や、自然環境保護などのために土地収用手続きを煩雑化させたり、地元の反対派の人数の多さを示す住民運動の一環として、一坪地主になることがある。
行政側は土地収用のために一坪地主に対して一人ずつ対応する必要になるが、行方不明だったり外国に出ていたりすると、土地収用が一層進みにくくなる。また、地元の反対派の人数の多さとして強調されることもあるが、NIMBYという思想で当該地域の問題を知るまでは、当該地域と全く縁がない地権者もいる。
・・・実際の例として、成田空港問題(三里塚闘争)の空港反対運動における一坪共有地運動、東北・上越新幹線反対運動、沖縄県の基地反対運動における一坪反戦地主会などがある[1]。
成田空港問題の事例[編集]
三里塚闘争での一坪共有地運動は、当初日本社会党(社会党)が推進したものであり、成田知巳や佐々木更三をはじめとする社会党議員らも参加した。元新東京国際空港公団副総裁の山本力蔵が「影響は大変だった。社会党役員のそうそうたる名前がある。天下の政党がそんなことをやるとは夢にも思わなかっただけに脅威だった」と倦みながら述懐している[2]。社会党は砂川闘争の教訓から裁判で結論が出るまでに時間がかかって国もあきらめざるを得なくなると考えていた[3]。
運動は約700人の共有で始まり、一時約1200人にまで膨らんだが、空港公団の買収により約400人に減った。このため、三里塚芝山連合空港反対同盟は1983年に再分割運動を進めた結果、85年には土地所有者が約1400人に増加し、2008年は約1100人程度と推計される[4]。なお、この再分割の是非を巡る意見対立などから反対同盟は北原派と熱田派に分裂している。

一坪地主運動というのは、航空政策がどうあるべきかの言論闘争をやめて進捗妨害するだけのための運動を明確にしたものです。
まともな言論活動をしないで、ただ駄々をこねるような時間稼ぎだけの運動ですから、こういうのはまともな政党のするべきことではないでしょう。
だから「天下の政党がそんなことをやるとは夢にも思わなかった」という副総裁の発言が残っているのでしょう。
名目は地元民の反対形式ですが、実態は実は一坪前後をわずかな対価で買い受けて地元民という名でよそ者が反対運動していたことになります。
主に、社会党を先頭に社会党系実力部隊?として要請した?社青同や、三派十流と言われる過激派全学連崩れが主役で暴れ回っていました。
民主主義の基本ルール・言論を堂々と戦わせるが、議論を経て決を取ったあとは結果に潔く従う・・これに違反する政党は、政党という名に値しないのでないでしょうか?
旧社会党は空港の場合軍事基地転用目的反対といい、お金持ちしか飛行機に乗らないといい、高速道路も同様主張でしたが、あっという間に飛行機を庶民が利用する時代が来たし、高速道路もトラック輸送中心時代が来ています。
時代錯誤な反対ばかりして国策(国会で決まったこと)遂行妨害ばかりしていたので徐々に国民支持を失ない遂に中堅以下の議員ほとんどが脱退して新党結成に走ってしまい、抜け殻のように存続した社民党は、政党としての使命を卒業した印象になりました。
この教訓を踏まえて社民党を除く野党は、この数十年では合法的反対運動・現地闘争と一線を画すのが普通になってきました。
すなわち現在の政党(社会党の解体後の民主党以来の立憲民主党や国民)は国会を通過した原発政策やイラク特措法その他海外派兵反対ではなく、国会できめ細かく決めたルールに現地行動が違反していないか、原発設置基準に反していないかの追求限定ですから正面切って民主主義のルールに反している訳ではありません。
ただし、本音で原発反対なら政策論として政党の名で堂々と主張すべきが政党ですが、政策論争を一切展開せずに、政党名を出さずに地元民を原告主体にして友軍的?別働隊?的弁護団がシコシコと安全規制に反していないかの重箱の隅を突つくような原発訴訟を全國で展開しているようです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC