信義を守る世界8(名誉の重要性2)

我が国では、自分が「義」のために死んでも子孫はその余慶を得られる方が大事という意識(逆に汚名を着て死ぬのでは子孫が困ります・・平家物語では「積善の余慶家に尽き積悪の余殃身に及ぶ・」と言う宗盛の福原での演説が有名です)ですから、義のためには死をも恐れずに戦うのが日本の武士の価値観でした。
蒙古襲来時の竹崎季長の絵巻は有名ですが、こうした死を恐れない・・子孫への栄光を思う武士団の奮闘によって蒙古襲来を撃退出来たのです。
死を恐れぬ武士団の奮闘があったればこそ、蒙古(朝鮮)軍が陸地に橋頭堡を確保出来ず毎回夜は船上に戻るしかなかったので、台風にやられたのです。
「運を呼ぶのも実力の内」と言いますが、誰でも運が回って来ているのですが、それをつかみ取る能力が必要です。
20世紀の神風を期待した特攻機では米軍の襲撃を撃退出来ませんでしたが・・同時に運が来なかっただけで「だからと言って最後までの努力が無駄だ」とは言えません。
戦後アメリカの宣伝教育で育った我々世代では、竹槍の訓練や特攻機など如何に無謀な抵抗を試みて来たかを教えられてきましたが、今考え直してみると、「士」たる者最後まで(最後は潔いとしても)死力を尽くすべきであって、それでこそその武勇が子孫に影響を及ぼすのです。
島津軍の関ヶ原の奮戦・・負けっぷりがよかったので徳川家を最後まで恐れさせた原因ですし、米軍も占領はしたもののイザ抵抗されると大変なことになるという恐怖・・おそるおそるだった所以です。
今でも死んでしまった親兄弟あるいは遠い先祖のために「汚名を雪ぐ」ことに生涯をかける人が一杯いますが、これは名誉を重んじることの裏返しです。
名誉は生きている間だけ重要なことではなく、連綿と一族が続く社会では死亡後にこそ(子孫にとって)大きな意味を持って来た社会であるからでしょう。
個人情報保護制度が出来た当初は、死者情報は制度の対象外とする意見が主流でした。
私は弁護士として実務上必要なことが多いので納得出来ませんでしたが、それが当時の学会主流であったことと、平成7年ころに条文制定作業に参加したばかりの新米であったことから主流的意見の条例案になっていましたが、最近死者情報の重要性を無視出来なくなって来て、その改訂あるいは運用方法の修正が千葉でも審議会の議題に上っています。
(千葉市個人情報保護審議会の議事録をネットで参照して下さい)
「菊と刀」で有名なとおり日本は「恥の文化」と言いますが、恥・不名誉・汚名は子孫に大きな影響を及ぼすから、恥を知ることが重視されて来たことになります。
ちなみに我が国で名誉にこだわるのと朝鮮人らがメンツにこだわるのとは意味・本質が違います。
メンツにこだわるのは、自分が軽く見られることに対する防衛・(動物が毛を逆立てて、鳥が羽を広げるように)威嚇でしかありません。
辞を低くして(ほめられても、運がよかっただけで大したことはありませんよ・・と)謙虚にする我が国の習慣の対極にある行動形態で、我が国の文化では軽い人間に限ってメンツにこだわるという評価ですが、韓国や中国では大国・先進国仲間入りとしてのメンツ(空威張り)が大事です。
(メンツにこだわるしかないのでは、中国の指導者や韓国では大統領になっても日本の基準で言えば最下層の労務者レベル程度の人物ということになるのかなあ?)
漢人の兵は弱いのは古来から有名ですが、昔から漢人には現世利益・・目先の利ばかり追い求める価値観の社会であったから、死んでしまえば何にもならないので危険なら真っ先に逃げてしまう傾向があるからです。
(何回か書きましたが、律令制=国有地の分配方法や科挙制の徹底=世襲制の否定が死者に報いる制度が発達しなかった原因ですし、現世利益にこだわる国民性、ひいては目先の拝金主義に走っている原因です)
日本人は汚名を着ることは、子孫のためにも死んでもイヤな社会ですから自分から進んで悪いことまでしたい人は滅多にいません。
これが犯罪率が世界最低社会になっている基礎です。
現在日本での犯罪のかなりの部分は、在日外国人あるいは帰化して世代数があまり経っていない日本人による可能性が高いと言われています。
文化は3代と一般に言われますが、帰化の許可基準は日本に3世代以上居住して日本ン化を体得したいることにした方がよいかも知れません。
3代目未満で現在の帰化基準に該当する人には、その間永住権を与えて日本文化を受容してるかの様子を見れば良いでしょう。
アメリカの場合お金がいくらあるかという基準が、永住権付与の条件らしいですが、日本では文化価値基準の同質性が重要です。
価値観の一致していない人を政党に限らず、どんなグループでも仲間に入れるのは問題です。
日本は単一民族だと時々間違って発言する政治家がいて失言扱いされますが、真意は価値観の共通性がある民族だと言うことでしょう。
では同じ価値観でないと社会内存在が許されないのかという議論に発展しますが、そうではなくどうせ後からグループに入って来る以上は、一定の緩やかな範囲の道徳観を共有していないと仲間付き合い上困るという意味です。
どんな悪いことしてもバレなければ良い・・捕まらなければ良いし、捕まる前に外国に逃げてしまえば良いというような価値観の人がお金さえ持っていれば、日本人に帰化出来るのでは困ります。
人種差別意識の助長になるのが心配なのか、マスコミは在日系(まだ帰化していないのに)の犯罪の場合、本名を報道しない慣例になっている様子が今回の日本名角田という女性による尼崎での連続殺人事件で明らかになりました。
まして帰化した人が何国系かはまるで報道しません。
(何か事件があるとドイツ系アメリカ人、アイルランド系というような報道がアメリカでは多いように思いますが・・)
外国人の犯罪が多いから困ると言う人種差別を煽るのは問題ですが、積極的にこれを隠すのもまた問題です。
デマや流言飛語は情報の少なさによるものですから、隠し過ぎると却ってあらぬ推測が生まれ、偏見助長の元になります。
マスコミは事実をありのまま、特定の意見を述べることなく淡々と報道すべきではないでしょうか?
事実さえ分かれば、国民は自分で黙って考えます・・マスコミの意見は要らない・・マスコミによる特定方向へ誘導を期待している人は少ない筈です。

信義を守る世界7(名誉の重要性1)

11月17日以降書いていた核兵器保有熱・世界平和・・武力によらない本来の正義の実現に話題を戻します。
世界中が似たような規模の核兵器・運搬手段を持てば(公平にするには配給制が良いでしょう)どんな大国も理不尽(であろうと正義であろうとも)な武力攻撃や威嚇を出来ないし、秩序維持には市場原理しかないことになります。
世界政府が出来るまでは、特定の国の考えで正義を強制するよりは日本風のおつきあいの方法・・信義だけを基準にする方法で良いのです。
日常的な行動で言えば、近所のスーパーで買ったイチゴの下の方が傷んでいれば、一々文句を言いに行くか、こういうことが何回か続けばあそこでは買わないようにする・・あるいはあそこは信用出来ない・・リスクが大きいので安くなければ買わないなどの自衛策をとるかの違いです。
日本人の行動パターン・価値観としては、後者の方が多いのではないでしょうか?
こう言うパターンで自発的に商人道徳・・ひいては個々人があらゆる道徳を守るようになるのを期待する方式は、安定した長期関係を前提にする国内で妥当するものですから、これを対外的にも実践して行くのは困難ですが、我が国はこれを困難でもやり続けるという意思表示が憲法前文ではないでしょうか?
我が国民は米英の狡猾さ、欧米のでっち上げ日本批判を非難し、これに便乗する中韓の品性の卑しさを批判し、虚報合戦に参加する(右翼のやり方)のは恥ずかしいことです。
これからも我が国は、万年単位で守って来た信義を守って行く美風を黙って実践して、世界に広めて行くしかない・・これこそ憲法前文の精神です。
ここでもう一度憲法前文を紹介しておきます。

憲法前文抜粋
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

私はこのコラムで何回も書いていますが、世界中の民度は日本に何周回も遅れているので日本の到達している(腕力行使や大きな声で怒鳴りあわなくとも)「信義の守られる世界」になるには万年単位の時間がかかるかも知れません。
諸外国の道徳レベルの低さに呆れてばかりもいらませんが、日本も一緒になって怒鳴りあったり喧嘩しているのは恥ずかしいことです。
メゲズに誠実にガンバり続けるしかないでしょう。
勿論北朝鮮に対しても、誘拐行為は違法そのものですが、かと言って武力解決するのではなく経済制裁と言うと大げさですが、悪い人とは付き合わないという日本古来の流儀でやって行くしかないし、これからもこれで良いのでないでしょうか?
(12月7日に書いたように北朝鮮は日本の先端技術の導入が出来ずに、マトモに疲弊が進んでいます・・目先利益のために悪いことをしない方が長期的には良い結果とになることを少しは分ったでしょうか?)
最近ロシアが日本の技術力・資金力導入を求めたいが、北方領土の違法占拠がネックになって(今更そんな島要らないよと返す訳にも行かないし・・)困っているのも同様です。
ただし、この方式が妥当するには、こちらが上客(経済力・技術力の先端国)であり続けることが必要なので、この点に気を付ける必要があります。
韓国大統領の竹島騒動のときの言い訳に「最近の日本は力を落としているので・・・」と言うのが公式の言い訳になっています。
彼らは日本が経済力を持っている限り下手に出るし、大震災などでちょっとでも力が落ちてくれば、無視・無礼な行動をしても良いと言う発想です。
中国や北朝鮮も目先の利益を求めて違法行為をすれば、長い間には自分が損すると思うようになれば、悪いことをしなくなるでしょうが、それが何千年も分らないまま来た民族ですから始末が悪いことは確かです。
(相手が弱ればその機会に・・と言う発想は、相手が力を盛り返したらどうするの?という観点がありません・・竹島騒動以来数ヶ月経過してみると、どうもまずいらしいと分って来て韓国が下手になってきましたが、見え透いた行動ばかりされること自体に、日本人が怒ってることが分らないのです)
彼らの価値観では少しでもお金が出来たらもっと条件の良い外国移住を目指している人が国民の9割とかに及んでいるのが現状ですから、祖国愛・郷土愛など全くないといっても過言ではないでしょう。
外資が儲かる限度でその土地に投資・進出しているの同じ感覚で自国でも生きているのですから、悪いことをしてバレても大儲けさえすれば後は外国へ逃げれば良いという発想です。
政府高官や成功者から順に子供や家族の外国籍取得が盛んですから、日本では考えられない行動パターンです。
愛国心や郷土愛が殆どない分に比例して、愛国的論調が激しくなることを以前書きました。
(アメリカが一致団結のために星条旗や対外戦争にこだわるのと同じです・/この面でもアメリカと中国や韓国の民衆の意識は似ています)
このように定住を前提としない社会では、長期的信用などどうでも良いことになるので信用維持どころか積極的違法行為であっても、目先の現金獲得に執心する拝金主義行為が蔓延します。
日本で中国人の泥棒や強盗殺人が横行するのも、違法行為を気にしない拝金主義の行き着く所としてみれば紙一重という所で本質的差異がありません。
日本人にも物事の道理が分らない人が一定数いますが、(実はその中心はここ数十年で帰化した元朝鮮・中国人ではないかという意見もあります・・この種の実態調査がないので真偽不明です)その比率が中国や韓国では高いということでしょうか?
諸外国の人々も何事も控えめになって、もめ事を起こさずにわが国のように自己抑制するような静かな高度社会になるには、数千年単位の時間軸が必要というのが私の歴史観ですが・・・。 
日本では縄文時代以降だけでも万年単位で同じ民族(今の在日同様に古代から帰化人がパラパラと入っていますが、トータルで見ればの話です)ですから、違法行為をしても誰かに捕まらなければ良いというような人は少なく、親子代々の信用を重んじる・即ち違法行為(各種犯罪)が世界で最も少ない民族です。

遺産の重要性2(相続税重課の危険性)

もしも遺産収入が9割の社会の場合、その殆どを相続税で取り上げるとすれば、国民は等しく貧しくなるしかありません。
2年ほど前から相続税の重課改正案が出ていて、タマタマ民主党の総理交代や原発事故が続いた結果国会を通過しなかっただけで大した議論がないままですから、今年の国会にかかっていましたが、今年は通過したのかさえ大きな報道がないままです。
しかし、これまでの基礎控除5000万円が3000万円までの大幅減になり一人当たり控除も1000万円から600万円までになるなど大幅減=大幅増税です。
一人っ子で親が死亡して遺産総額が3600万円を超えると課税されるということです。
税率も金額帯によって違いますが、約5%前後アップになっています
何回も書いているように、バブル崩壊後の物価下落が作用しているので必ずしも大幅増税とは言えませんが、取り易いところから少しでも徴収したいとなれば、今後は目立ち難い相続税の小刻み増税がこれから続く可能性があります。
こうした傾向が続いて(何しろ格差是正と言えば「錦の御旗」・・・相続税率引き上げは反対し難いテーマです・・)その内に、広大な邸宅どころか普通の一戸建ての住居がすべて課税対象になり、極論すれば(後記のとおり杞憂に類する遊びですが・・)相続人の殆どが親と同居していた自宅を売却しなければならない時代が来るかも知れません。
ただしここで書いているのは親子相続の場合であって、さすがに配偶者基礎控除は1億600万円のままですので夫が死んでも妻が自宅を売る必要のある場合は滅多にありません。
最初は基礎控除として遺産100坪超の土地相続が基礎控除外の課税対象となり、・・次の改正では90坪超の人が、その次には80坪超・・最後に30坪超までとなって来ると、庶民まで家を失うようになりかねません。
遺産の比重の少ない成長期の社会では、相続税を重くしてもその影響を受けるのはごく少数ですが、こういう時代には所得税も多く入るので政府は相続税に重きを置いていません。
生活苦の人まで相続財産に頼る低成長時代になってくると、不公平だからと言って相続税を重くして行くと傾向があるので、殆どの国民が相続税を払わざるを得なくなり、かなりの人が相続になると親の家(自宅)を手放さざるを得なくなくなります。
遺産のない人と比較すればそれでも公平かも知れませんが、国・社会のあり方としてどうかと言う疑問です。
親と同居していた自宅を売却しても、納税後一定のお金が手に残ることは相違ない・・それだけでも何もない人よりは有利じゃないかと言えますが、税を払うために売るしかないということは最早自分で同等の家を買えないということでしょう。
大きな屋敷を処分した場合普通の家を買い替えれば良いのですが、普通の家を相続税を払うために売らざるを得ない場合、納税後のお金では最早普通の家を買えません。
成長期には親の遺産などあってもなくても自分で儲けて新規に資産形成すれば良い時代でしたが、低成長どころか下降気味の社会では、非正規雇用が普通の社会になれば例外的成功者以外は日常生活費の外に新たに土地購入プラス新築をして新たな資産形成するのは不可能です。
もしも一般労働者の月給が中国並みの2〜3万円になれば、一般労働者にとっては一旦自宅を手放せば再度マイホーム取得の夢を実現するのは到底無理でしょう。
格差是正のためにと称して取り易い相続税の増税を繰り返して行って、もしも親譲りの家の殆どを相続税で召し上げる時代が来たら、持ち家が殆どなくなってしまい・公営住宅ばかりになるのでしょうか?
増税してもその分公営住宅を税で建てなければならないとすれば、それほど経済効率が良いとは思えません。
(実際には親と同居していた家の場合、基礎控除額とは別に一定面積までの控除制度などがその都度設けられて修正されるでしょうから、ここは、杞憂に類する遊びの議論です)
歴史を振り返ると、我が国が相続税を日露戦戦争の戦費調達のために課税したの世界最初であることを11/20/03「相続税法10(相続税の歴史)」のコラムで紹介したことがありますが、世界中で相続課税がそれまでなかったのはそれなりに理由があると思います。
成長のない静的社会(西洋中世や江戸時代を想定して下さい)でも、毎年の収穫(穀物その他の収穫)に対する課税ならば持続可能ですが、土地や領土の相続自体にあるいは保有自体に課税して行くと、私的所有・領地はは縮小して行くばかりで何代か繰り返すと私的所有がなくなってしまいます。
格差が遺産の有無・大小による影響の大きな静的社会になればなるほど、格差是正のために相続税を重くしたくなるでしょうが、そうすると逆に弊害が大きくなるパラドックスです。

我が国では古代の律令制、最近ではソ連や中国、北朝鮮の国有化の結果、国公有化政策はすべてうまく行かなかったことから分るように、農地あるいは生産材を国・公有化してうまく行く訳がありません。
個々人の住む家まで全部取り上げて、原則個性のない公営住宅ばかりの社会で人が生まれて育つ時代を想像すれば、個性の発揮される創造的能力が育ち難く、国勢がいよいよ衰退してしまいます。

労働収入の減少4(遺産の重要性1)

もしも、公私(政府も個人も)共に親世代の遺産・資本収益で食いつなぐしかないとすれば、子世代が少ない方が親世代から受ける資産が一人当たり多くなってより長く持続し、豊かな生活が出来ますから、私の持論ですが少子化こそ早急に進めるべきです。
5月7日のギリシャやフランスの選挙の結果や中国の動きに関連して資本収益が将来的に安心出来ないことを、このシリーズ(資本収益の持続性シリーズ・・・・2012-5-5「海外収益還流持続性1(労働収入の減少1以下)では書いて行く予定です。
以前は自分の生活費くらいは自分の収入で賄えたので、ワンランク上の生活・・家を買うような負担があるかないかの格差でしたが、今はその日の生活費が不足気味なのでその分の下駄を履かせて貰えるかどうかが重要になっています。
遺産・・主として相続した家のある人とない人とでは生活水準がまるで違って来る・・これに加えて、金融資産も残してくれているかどうかも大きな違いになってきます。
(この辺は都会2世と今から都会に出る人との格差問題としてFebruary 5, 2011「都市住民内格差7(相続税重課)」前後で書いたことがあります)
上記コラムでも書きましたが、成長の停まった社会では世襲財産・・遺産の比重が大きくなります。
もしも将来資本収益がなくなって一般労働者が中国並みの月収2〜3万円だけで生活しなくてはならない時代が来た場合、現状の月4〜50万円を前提にする個人の生活費が賄えなくなる結果、親世代遺産の重要性が増しています。
個人に限らず公的資産の維持も収入の減った彼らからの税(フロー収入に対する課税)だけでは賄えなくなるので、公的団体にとっても親世代の遺産重要性(相続税・資産保有税の比重)が増してきます。
現在日本の工場労働者は中国人の約10倍の賃金を得ていますが、同じような工場設備を利用して生産活動してる場合、車その他の製品の品質に10倍の格差がある訳がないので、この差額の殆どは、資本収益(親世代の過去の稼ぎ・・本社機能を日本においていることなどを含めて)の配分によっていることになります。
日本全体が、現役労働対価よりも資本収益が多くなった社会・・例えば全収入の9割が資本収益・・過去の儲けの配当とすれば、この部分は、6〜70代以前の世代の稼ぎ・・相続が殆どでしょう。
国の方も、現役(フロー)収入に対する課税だけでは税収や保険料収入が減る一方になって来て、公的経費が賄えなくなって来るので、政府もこの遺産を欲しくなるのは必然で国と個人間で相続財産の取り合いになります。
そこで、格差是正のためには、相続税を重くして行くべきだと言う制度改正スローガンが出て来るのですが、これは上記の通り政府自体も収入源として相続財産に関心を持つようになったことのきれいごと的表現・・レトリックに過ぎないでしょう。
長い間遺産相続権は血族間で争うものでしたが、(日本の跡目争いやスペインの王位継承戦争など)これからは親族間で争う前に政府が先にどれだけピンハネするかの配分争いが先に生じることになってきます。
遺産の奪い合い・・争いは、今のところ格差是正のスローガンしか誰も気がついていないようですから、外の増税に比べて反対が少なく政府の方に簡単に軍配が上がりそうですが、反対が少ないから・・取り易いからと今後相続税の増税を繰り返して行っても社会が持つ・・持続可能でしょうか?

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