ところで、制度が二本立てになると今の参議院がいつも存在意義を問われているように、明治始めに父か祖父が住んでたところ=本籍・・一緒に生活していないし、跡継ぎ以外の弟らが行った先で新たな家族関係も生まれているのにそこを本籍とさせずにいつまでも、一緒に登録しているようにするには、現住所である寄留地以外の登録の意味・理由付けが必要になります。
もしも出身地が人の特定のために必要とする論を進めれば、明治の始めに親が住んでいたところに本籍地を限定する意味が不明・・元は三河武士だから本籍は三河になるのか、あるいは薩摩出身の人は薩摩になるのかなど、どこまで遡るべきか際限のない論争になってしまいます。
そこで、明治の初めに所帯を持っているところで戸籍として登録し、登録した場所が一家の始祖であると構成し、それ以降(このときが家の制度創設時だからと言う理由でそれ以上遡らなくとも良い)結婚して新たに所帯を設けても分家しない限り、元の戸籍の構成員であるとするしかなくなったのでしょう。
家の制度を進めたかったから戸籍制度が残ったのか、戸籍制度を残したかったから家の制度を思いついたのかどちらが先かと言うところですが、March 26, 2011「家の制度3と戸主の能力」で書いたように家の制度は実際には何の実効性もなかったことから見て、後者・すなわち戸籍制度墨守の役人がこれに固執したからだと思っています。
自然の動きに任せれば寄留地・・今の住民登録の方が合理的ですから住民を現地で登録する制度の充実に反比例して戸籍制度は消滅して行くことになりますが、一度出来上がった制度に固執したいのが役人のサガで、そのために家の制度が国家統治思想としても便利だなどと言う後づけ講釈が固まって行ったのではないでしょうか?
これを受けた民法典(民法第四編・民法旧規定、明治31年法律第9号)が成立して家の制度・・観念的一家意識の構成が求められて、これが完成してしまいます。
明治の家制度の結果、具体的な田舎の家・建物を出て、東京大阪等の都会へ働きに出てそこで住まいを建てあるいは借家で別の生活をしている弟妹の一家・所帯単位まで、田舎の長男(戸主)の観念的な家の構成員とする制度になったので、(江戸時代で言えば無宿者として除籍出来ないようになっただけのことですが、)これを「家の制度」と言い変えるようになったとも言えるでしょう。
家と言う言葉の意味・・一つ屋根の下で生活する実態とまるでかけ離れているからこそ、却ってわざわざ「家の制度」と言うカギ括弧付き呼称が必要になったと言えます。
ただし、明治政府の家単位の管理の発想は、今考えれば個人の直接管理に比べて無駄なように見えますが、それまでの地方豪族を通じた間接管理を排した中央集権国家への第一歩としてむしろ進んだ制度として位置づけられて始まったようです。
ついうっかりしますが、それまでは幕府は大名家を通じて武士を統率し、大名は家臣を通じて家臣の家の子郎党を間接統治し、家臣その他の国人層は、自己の領内の農民等を支配していました。
間接統治の積み重ねが、平安中期以降明治までの我が国の社会構造でした。
これを一族ごとの籍ではなく、戸ごとの籍・・各戸口ごとに人民を直接管理したい・・まさに中央集権国家の基礎と考えて、明治政府は戸籍簿を作り始めた最新式の制度構想が戸籍制度の始まりです。
言わば一族概念をバラバラにして、国家が核家族ごとに直接統治する政体を考えていたのです。
その後に揺り戻しの結果、家の制度がはびこったので、明治の戸籍制度は核家族とは違う制度目的だったかのような印象ですが、始まった当初は、その時の所帯=核家族を登録するものであり、先祖を遡って一族の登録をする目的はありませんでした。
その内族=士族僧侶その他の族称が廃止されて行ったのは、人権思想のためだけではなく当然の結果だったと言えます。
一旦登録が始まるとその後に分裂して新たに所帯を持った弟らの家族まで分離しないで際限なく登録して行くと大家族制になってしまうので、国民の管理としては生計が独立すれば新たな戸籍を創設して行く方が住んでいる場所と一致して合理的です。
(現行戸籍制度は、婚姻を基準にして新戸籍編成主義です)
ところが、戸ごとの人民登録による一族意識解体の進行で危機感を持っていた保守層の反撃で妥協制度として、弟が新たに所帯を持っても更に既存戸籍に付け加えて行く仕組みで温存することになって家の制度の原型になってしまいました。
それでも明治以降に形成された家族が最大で、(ただし、壬申戸籍の最初の頃には使用人・住み込みの家臣まで書いていました)それ以前の一族まで遡って記載しないのですから、まさに一歩前進半歩後退の中間的解決だったことになります。
(そこから先は、ルーツ探しに熱心な人の趣味の世界です)
この中間的解決が、人心の帰属意識をイキナリ断ち切ってしまわずに安定感を維持出来たので結果的に良かったように思えます。
今回の大地震・大津波被害・・極限状況下においても利己的行動に走る人は一人もいない・・利己主義だけではない連帯感・「公」の観念を維持出来たゆえんです。