第三者委員会の役割5(植村記者問題1)

推測にわたる委員会見解までは不要としても、検証努力をどこまでしたか、記録消失・担当者全員行方不明?などによって、どこで分らなくなっているか程度までを調査してこそ、検証したと言えるのではないでしょうか?
この点で第三者委員会見解は、報道と人権委員会よりもメリハリ不足・・会社に不利なことは出来るだけ掘り下げて聞かないようにしている印象を受けてしまいます。
法人の問題検証である筈なのに、第三者委員会では個人である植村記者個人問題(現在は退職しているので、正確には元記者ですが見解同様に以下植村記者と書いて行きます)を何故詳細に取り上げたのか不思議ですが、同記者に対する個人攻撃を押さえ込みたい朝日新聞社の意向を受けて独立のテーマにしたとすれば、(ネットで氾濫しているように)予め結論が見えていたとも言えます。
検証となれば、憶測にわたる批判部分は憶測である以上根拠がないと言う結論になるのが当然ですから、やるまえから結果が分かっていたことになります。
この見解が年末に出ると待ってましたとばかりに植村記者は名誉毀損の訴えを提起したと1月9日に外国人特派員協会で記者会見を開いているのをYouTubeで視聴しました。
聞いていると彼は「私は愛国者です」と言うのですが、何故外国人特派員協会で(国外向けに)真っ先に記者会見を開くのか意味不明です。
原発吉田調書事件では国内向けとは違い、外国向けに「逃亡、公然と命令に反抗した」と言う意味のメッセージしていたことを数日前に紹介しましたが、朝日とその出身者は日本国民相手よりは、外国人向け発表を重視し、(国民の理解を求めるよりは)・・外国からの支持を期待している傾向があることが分ります。
弁護士の戦い方にもよりますが、労使問題等で私に相談に来た場合、うまく切り抜けるか戦うかどちらを選ぶかの基本方針を依頼者と決めるのが普通です。
労使紛争の場合戦ってその会社に居辛くなっても別の会社に行けば済みますが、国民全般相手の場合別の国に行くのは容易ではありません。
発光ダイオードの中村氏の場合、結局米国に移住してしまいましたが・・。
その順序を践んで相談していた場合、国民との和解を求めるならば、憶測にわたる部分は非合理な憶測中心ですから、証拠がないと開き直っているのではなく、丁寧に説明し理解を求める地道な努力をする道を選ぶことになりますが、努力をどのようにしていたかが見えません。
国民にもいろいろあるのですから、批判しているのが非合理な少数者だと言う自信があれば、国民の理解を求める・・国内メデイア向け記者会見をすべきだと思うのですが、何故外国メデイア向け記者会見から始めたのか不思議です。
国内支持者少数と言う前提で、多数国民と対決するつもりだと言う批判が起きるでしょう。
年末から書いているように、司法機関は第三者委員会(は、こうするべきと言う提言も職務範囲ですが)とは違い、法的・争点と意味のあるテーマしか扱いません。
明日書きますが、慰安婦による国家賠償請求訴訟では、条約で解決済みの場合、そこで門前払いですから、本当の慰安婦かどうかの認定をしません。
京都の朝鮮人学校に対する在特会事件でも、マスコミはヘイトスピーチ判決と評価した印象報道ですが、実際にはヘイトスピーチを裁いたのではなく業務妨害の損害を認めただけの事件であると言われています。
(判決文を見ていないで巷間の噂によります)
植村記者関係の新聞記事はコピーが資料として出ていないので、私は第三者委員会見解に書いてある事実しか知らないので何とも言えませんが、植村記者側弁護団は司法に持ち込めば憶測にわたる部分は認定されることはないので、充分勝ち目があると践んだのでしょう。
(昨日書いたように朝日の記事による国際影響の有無も拾い出せる証拠・・引用件数だけからみれば「見解」のような結果になるのは、やる前から結果が見えています)
しかし、国民(個人攻撃している人とその応援団)の怒りの核心は明日以降書いて行くとおり、全体の文脈で日韓を感情的対立のルツボに追い込んでしまった社会・政治責任をどうしてくれるのかと言う感情論ですから、(法的責任を求めていません)テーマ・論点の違う司法の場に持ち込んで「勝った勝った」と宣伝されると朝日新聞同様の「論点すり替えの繰り返し」だと言う批判・・不満を却って強くするリスクがあります。
在特会問題も朝鮮学校は裁判で勝ったでしょうが、裁かれたのは手段の違法性であって、朝鮮人学校の公園使用行為そのものが正当だと認定されたものではありません。
記者会見では「(勤務先への嫌がらせがあって勤務先に迷惑がかかるならば)何故朝日をやめるのか」と言う趣旨の質問があったことに対して、同記者は、直接応えずにはぐらかすような回答をしていたように見えました。
今の勤務先に「やめさせろ」の抗議がある状態が人権問題になっている状態ですが、会社の方針どおりの仕事をした結果(不正取材報道でないならば)、個人攻撃を受けている最中に朝日が解雇するのは無理があるし、朝日にいれば会社が防波堤になる筈で、抗議電話があるからやめてくれとは言えないでしょう・・それなのに彼が何故自発的にやめて他所の会社に新規就職して就職先に迷惑をかけるのか不思議ですから、外国人記者の質問は的を射ています。
このやり取りをみると、(敢えて植村記者問題を別項目にして、会社が調査を委員会に求めていたことから見て)植村記者が会社をやめたことにする(合意の)メリットが会社と記者双方にあったように推測されます。
年末の22日に委員会見解発表して、年明け早々に訴状提出と言うのでは、(弁護士の立場で言えば年末〜正月開けに相談に来て9日までに大弁護団結成して訴状提出までは行きませんから・・)事前にある程度準備しておいて「見解」が出たらこれを踏まえて若干の手直しをして完成させると言う事前準備していた・批判する立場でみれば第三者委員会の検証テーマに決めたときから、見え見えの出来レースと見る人が多いでしょう。
植村記者問題は言わば感情論ですから、そこをどうやって沈静化させるかの工夫が必要で、裁判で勝ってもどうなるものでもないように思われます。

価値観外交に頼る危険性8(信用出来ないアメリカ)

数日前に紹介したヤルタ協定を見れば分るように、参加していたソ連は粛清ばかり繰り返している非民主・非人道国家であったことは、アメリカもソ連を「悪の帝国」と言っていた以上認めるしかないでしょう。
日本がソ連は非民主国であったと主張すること自体が、戦後秩序に挑戦する違反行為になるというのでしょうか?
中国・現政権も戦勝国と主張するならば、現政権でさえ非民主国のレッテルが貼られているというのに60年以上前には、日本以上の民主主義国だったということになるのでしょうか?
ヤルタ協定は、言わば強盗同士で山分けの議論していたのであって,日本が戦争でとった領土を返すべきだと言うならば、ヤルタ協定やポツダム宣言自体矛盾しています。
アメリカは日本独立後も小笠原や沖縄を何の権利があって戦後何十年も占領していたのですか?となります。
日本が戦争でアメリカからとった領土ではありません。
アメリカの歴史を見れば本質的野蛮性が顕著で人道などは全く問題にしない国です。
こうした残酷性は敗軍の将にその母親の肉を無理に食わせたりするなど、どんなむごいことでも平気に行なってきた中国古代からからの伝統と共通です。
比喩的に言えば、山賊でも天下をとった以上は、少しは表向き正義や人道を言うしかなくなったので民主主義・人道主義などと言っているだけの国でしかないと言えるでしょうか?
中国共産党政権が無茶なのは、まだ世界覇権を握っていないからアメリカのように格好着ける必要がないので生のままで少し乱暴なだけで、中国だって世界覇権を握れば属国同士の争いを裁くには軍事力だけではなく何らかの合理的ルールが必要になる点は同じです。
民主主義や人道主義の価値観がアメリカと共有していると主張し利用するのは良いですが、アメリカの本質・本音は違う・・日本との関係よりは中国と本質的親和性を持っているので、我が国が価値観外交に酔いしれていると大変なことになります。
今のところアメリカのご機嫌を損じることが出来ませんので、アメリカの価値観が素晴らしいと言ってこれに従って、忠実な僕(しもべ)をやってるしかないでしょう。
ただ警戒しながらやるべきだということです。
戦前日本の人種差別禁止解放運動は、黒人運動家やアジアの独立運動家の支持を受けたものの、どこでも植民地支配を受けていたので、国単位としては日本1国だけでアメリカに挑戦する戦いになってしまいました。
左翼や中韓両国は、中韓以外のアジア諸国を無視してアジアで日本が孤立すると宣伝するのですが、(戦前は全て独立していなかったのでこのような主張・論法は正しかったでしょうが)今はその他の諸国も独立しているし、相応の経済力を持っているのですから、いまでも中韓以外の国を勘定に入れていない広告宣伝は時代錯誤です。
今ではアメリカさえ中国にお墨付きを与えれば、中国が好きなように専制支配出来るようになる・・ベトナムやフィリッピン、台湾,インドシナ半島諸国が、あっさりと中国の領海侵犯や植民地支配を認めるとは思えません。
中世(近世の始まり?)の教皇子午線やヤルタ協定のように、強国が勝手によその国の領域を決められる時代ではありません。
これまで書いているように米中の体質が似ているので、最終的に時代錯誤的な結託する可能性・リスクが高いですが、今回は東南アジア諸国もみんな独立しているので、米中で太平洋を⒉分支配しようと言う勝手な談合は効果がないことになります。
効果がなくとも大国同士の理不尽な合意が出来ると、これに対する抵抗エネルギーとのせめぎ合いになって世界混乱の元ですから、注意して行く必要があります。
1480年代から1500年代中盤にかけての教皇子午線の裁定が当事者外の新興国蘭英仏の挑戦で意味を失ったように、勝手に世界分割を話し合っても多分効能が限られるでしょう。
米中の世界分割密約がなったときに、アジア諸国がどれだけ抵抗出来るかが日本にとって死活的重要性があります。
日本は協力国の抵抗力を着けるためには、戦前同様に台湾フィリッピンから東南アジア諸国更にはインド大陸まで至る諸国にどしどし投資して技術移転して彼らの経済力を着けて行くのが最良の選択です。

年金赤字5(赤字の基礎2)

9月4日の続きです。
次にマスコミが主張している少子長寿化による年金赤字問題を見て行きます。
第2 ① 次世代人口減少(加入者減)
これをマスコミが強力に主張しているので国民もそうかなと誤解している方が多いところです。
しかし、これは第1の②で書いた業界団体や企業での年金が加入者減で火の車になっていることと根源は同じです。
公的年金だけではなく、肝腎の年金支払時期が来たときにそれを支えるべき加入者減によってどこの業界・企業も困りきっています。
企業年金の苦境はそれぞれの業界規模の縮小によるもので、少子化によるものではないのが明らかでこれに原因を求めて騒いでいる企業・あるいは業界団体はありません。
厚生年金も同じ原因(少子化によるのではなく企業従業員数減や給与減によるものであるのに、公的年金だけが少子化が原因と騒いでいるのはおかしくないですか?
我々弁護士業界は、タマタマ経済実勢に反した増員政策の御陰で、会員数が激増中ですから、年金財政に関しては全く問題が生じていません。
各種年金制度が、保険契約者数・業界年金の会員数が現状維持で払う仕組み・・各自の掛け金に応じて支払う仕組みではなく、支払時期が始まるころには契約会員数が数倍以上になっているので、増えた会員の納付金で何とかなるという設計であるとすれば、まさに自転車操業的設計であったことになります。
自転車操業的設計が多かったことが、現在各企業年金が火の車になってしまったそもそもの原因ではないでしょうか。
公的年金に関しては、世代間扶養制度などともっともらしい説明が多いのですが、本来永続制のあり得ない企業の場合、(仮に企業が数千年続くとしても従業員は世襲制ではないのですから)他人間で世代間扶養の理念など成立し得ません。
とすれば各人が積み立てた限度での年金支給しかあり得ないのですから、後輩社員の増減に関係がない筈なのに企業年金が現実に加入者減で困っているのは、自転車操業的設計をしていた事によるとしか考えられません。
加入者増に頼っていると数倍以上になった会加入者・契約者数が数十年後に保険や年金受給者になれば(際限なく構成員数が数倍になって行くことはあり得ないので)破綻してしまうのは初めっから分ってることです。
構成員・納付者数の増加を前提にした制度設計は(どんな優良企業でも永久に会員数や従業員数が増加し続けることはあり得ないので)早晩破綻するのは理の当然です。
日弁連の年金システムも、もしも現有会員数のままで支払出来る設計でないとした場合、弁護士数の増加がその内頭打ちになる以上は、今の若手弁護士が受給する頃には大赤字になってしまいますので無責任設計となります。
いわゆる「ねずみ講が危険である」と言われるのと同じ論理です。
(土建関連業界が会員数の減少で困っていますが、構造不況業種に限らず優良業界でも一定の成功を収めるとその先は海外展開しか拡大の余地がなくなるので、国内従業員減少はあらゆる企業に生じます)
企業規模あるいは業界規模が際限なく拡大することで漸く何とかなる制度設計であったとすれば、数倍になった会員が受給者になるときには破綻するのは予め分っていることですから、将来に責任を持たない無責任体質こそ糾弾すべきです。
日弁連の年金の場合、納付金は会員の加入した口数によるので、納付金自体は収入の増減に直接連動しませんが、収入が減って来ると加入口数も減って来る可能性があるので長期的には厚生年金と同様の問題が生じます。
公的年金も同様で、健全な制度設計としては、将来の加入者増加やインフレを期待する(踏み倒し戦略同様の)その場しのぎの考えをやめて、受給予定者の納付した資金の積み立てプラス運用益だけで年金支給が出来る制度設計であるべきです。

年金赤字4(赤字の基礎1)

現在の年金赤字問題は、大きく分けて原因が2種類・・経営ミスと人口減の2種類あると思われます。
人口減の問題も突き詰めれば、以下に書くように経営見通しが大きく狂ったことに帰する・・結局は経営責任の問題と思われます。
先ず経営責任から入って行きましょう。
第1 経営責任
① 長寿化が進み計算(勘定)が合わなくなったことによる大幅赤字
年金受給開始後仮に平均して10〜15年で死亡を前提に設計していたとした場合、平均20〜25年も生きるようになると積立金が約2倍必要・・裏から見れば支給予定額の半分不足になりますから、このままですと大赤字になるのは必定です。
少子化と言っても年金納付年齢層としてみればまだ始まったばかりですから、現在の赤字原因の大方はこれによると見るべきでしょう。
この見通し違いの責任はどこにあるのでしょうか?
民間の年金・生保・損保等で考えれば分りますが、今年は死亡者が予定より多かったから保険金を払わないと言えないし、火事が多かったから火災保険を払わないと言えないのは当然です。
このために支払原資確保のために資金余剰が政策的に厳しく要請されていますし、突発的大事故に備えて再保険等が発達しています。
契約者の方も、25年も掛けて来たのに年金をもらえない年齢で死んだり、貰い始めて数年で死んだから損だ・・掛け金を返せと言えない・・生保で言えば満期まで1回も死ななかったから損だとも言いません。
私などいくつも生命保険に入っていましたが、一回も死なずに掛け損でしたが文句を言ったことがありません。
これが保険の原理です。
逆に長生きし過ぎたからと言って、(私の場合年金では長生きして元をとろうと思っていますが・・)顧客である生保年金等の加入者の責任である筈がありません。
これが国営になると長寿化の責任だ、少子化による加入者減が原因だとマスコミが宣伝し始めて経営責任・見通しの悪さを不問にするマスコミ論調が風靡しているのですから不思議です。
企業年金も同様に予定が狂って困っていますが、これに対してはマスコミはだんまりです。
年金赤字分は企業の負債(本体からの資金投入責任)として財務諸表に影響してきます・・GMが破綻処理で、これを切り離して再生に成功したことについては以前書きました。
最近では日航の再生でも年金の給付基準引き下げが話題になりました。
この部分の赤字は、制度設計した政府や企業年金が責任を持つべき分野(税の投入・・生保や企業年金で言えばこうした場合に備えた準備金や企業本体からの繰り入れや借入などで対処すべき)です。
政府は年金積立金で県営住宅建設資金その他に使って来て資金を蓄積して来なかった付けが回って来たのです。
食いつぶしてしまったのは運用者である政府の責任です。
② 当初の制度設計が、加入者増を前提にしていたのに加入者増が頭打ちどころか減少に転じたことによる資金不足=赤字
これも後に書くように永久に国民が増加し続ける筈がない・・企業年金も従業員数が無限に増え続けるワケがないのですから、増え続ける前提の設計は経営見通しの悪さ・目先の利益を目的にした制度設計に起因しています。
土建業界などでは、加入者減の結果払えなくなって困っていますが、従業員が減少に転じるとは思わなかったという言い訳は、通らないのが普通です。
優良企業でもいつかは、業容縮小・従業員減に見舞われることを覚悟すべきです。
現存する企業の平均寿命を見れば分るとおり、何百年も続く企業が滅多にないだけではなく老舗でも従業員が増え続ける企業などあり得ません。
(古代から続く企業は家業的にやって来たところが主で従業員を増やし続けると企業が続きません)
人口や従業員増加が無限に続く前提で・・年金額を決めることに、大きなミスというより故意責任があったのです。
少子化による加入者減も企業年金赤字と共通ですが、マスコミは少子化の影響と言います。
エルピーダやシャープ等の人員削減を見ても分るとおり、企業は少子化の結果従業員が減っているのではありません。
③ 制度設計当時に比べて積立金の運用利回りが低下して、予定通り支払が出来なくなったことによる赤字
AIJ事件が起きたばかりですが、多くの企業年金・適格年金が利回り低下に苦しんで、高利回り運用を売り込んだ怪しい投資顧問会社に頼った悲劇です。
高利回り社会=インフレ期待・・インフレの連続を期待していたことに誤りがあった・・結局は経営責任の範疇でしょう。
何回も書きますが、インフレ期待とは借金や資金を預かった者にとっては、返すときの貨幣価値が半分〜10分の1になっていれば返すときの負担が半分〜10分の1で済むという狡い発想・一種の詐欺行為です。
制度設計者が長期間の年金積み立て者をへの実質返金・分配額を減らせると思っていたが、うまく行かなかったに過ぎませんから、騙され損なった加入者が責任を取る話ではありません。
(まじめに年金を掛けて来た国民は被害者にならないで済んだだけで、何が悪いの?)
悪巧みをした方が「そんなうまいことは許されないよ・・」と天罰を受けている状態です。
④ 上記の亜流ですが、低成長下で給与アップ(あるいは絶えざる物価上昇)=納付金アップを前提にしたスキームに無理が生じて来たことによる一人当たり納付金の減少による赤字
 (マスコミによるインフレ期待論の基礎ですが、インフレ期待は邪道であることをこれまで連載してきました・・これも見通しの悪さ=経営責任であることは明白でしょう)
韓国・中国その他新興国の成長を見れば明らかなように、高成長は無限に続くものではない・・いつかは、給与アップが緩慢になり最後には停止するのは自明ですから、永久に給与アップが続くことを前提に制度設計すること自体無謀であり、その失敗による設計責任は設計者が負うべきものです。

失踪宣告3(超高齢者問題)

息子や兄弟が蒸発してしまった場合、家族にとっては仮にどこかで死亡していても分らないので死亡届を出しませんし、蒸発者が出先で死亡しても身元不明で処理されることが多いので、その血縁者にはまるで分らないのが現状です。
江戸時代には、連絡がとれていても無宿者にしてあったのですが、明治以降の制度では逆に連絡がとれなくとも戸籍に残すことなって簡単に消せなくなっているのでいつまでも戸籍に残すしかなくなっただけのことで、超高齢者が戸籍に残ったままになるのは制度設計の問題です。
親は蒸発した息子のことを心配しながら死んで行きますが、その内蒸発した人の兄弟姉妹も死亡し、甥姪の代になると行方不明になった叔父さんのことまで覚えていてわざわざ役場にもう死んでいるのではないかと相談に行く人は稀です。
(手間ひまかけて相談する必要性がないのです)
家督相続の時代には行方不明の弟や妹などには相続権もなかったので、相続が開始しても戸籍に残ったままでも何の不都合もなく戸籍抹消の必要性がありませんでした。
江戸時代生まれで行方不明になっていても、(戊辰戦役その他の混乱時期でもありました)無宿者に出来ず一応登録したものの実家との消息を絶ったままで明治大正にかけて死亡した場合、身内は放りっぱなしにしていることが多くなるのは当然です。
戦後は均分相続ですので親が死亡し相続開始すると兄弟が行方不明のままでは、相続登記や預金解約が出来なくて困りますが、実際には生きている限り親死亡は風の便りに聞いて戻ってくることが多いものです・・郷里を出て出奔している人はいつも郷里の噂を気にかけていて一方通行的に情報を得ていることが多いからです。
それに今は、盆暮れに顔を出していなくとも、親が死ねば相続権があるので、(江戸時代までは一生懸命親孝行していても相続権がなかったのですが、戦後は逆に何の義務も果たさなくとも権利がある逆転の時代です)なにがしかを長男から貰える期待があります。
非難の決まり文句に「親の葬式にも顔を出さなかった」と言うくらいですから、どこからか戻って来て相続権を要求することが多いのです。
それでも連絡が取れない例外的な場合は、失踪宣告等で戸籍上死亡扱いにする仕組みとなっていました。
相続財産を処分して資金を得ようとしたり、住宅ローンを利用しようとすれば、相続登記が必須ですから、(大都会近郊農家の場合)草の根を分けても相続人となる行方不明の兄弟を捜すことになります。
東北その他都会から遠隔地の農家などで跡継ぎが農地を耕しているだけの場合、そのまま耕していれば良いのであえて行方不明の弟を捜す必要もないでしょう。
探す必要があっても探しきれない時には失踪宣告を得て、戸籍から除籍してしまえる扱いです。
こうした不便(・・失踪宣告を得るには相当の費用がかかります)を防止するためにも、生前に遺言書を作っておいてもらえば、相続人の捜索が不要になります。
昨年秋以来問題になっている事例では、家を建て直すほどの資力がないので相続登記等の手続きが不要で、老父母の年金受給権を頼りに生きている貧困層が、親の死亡を隠して親の名で受給し続けている場合です。
明治政府は実家からいなくなった人を無宿者・・除籍しない代わりに、いつまでも戸籍が残って不都合な場合に備えて、不在者の財産管理制度を創設し、それでも収まらない人がいれば失踪宣告制度で戸籍から抹消を出来るように後始末まで一応用意していたのですが、これらは必要に迫られた人が申請する制度ですから、必要がなければ放置されたままになるのは当然です。
明治政府は戸籍から漏れて兵役の義務などを免れる人が出ないかに関心があって無宿者扱いを禁止したのですが、消す方には関心がなくむしろ厳重な制限・・証拠などを要求していたことになります。
不在者の財産管理制度や失踪宣告制度については、05/15/07「刑事処罰拡大の危険性7(各種資格の制限1)失踪宣告2」で条文だけ紹介していますが、まだ内容を書いていなかったようですので、ここでもう一度条文を紹介して次回に内容に入って行きましょう。
以下は明治30年に制定されたときのまま・・5〜6年前に口語体から文語体に変更しただけの条文・現行法です。

民法(明治二十九年四月二十七日法律第八十九号)
民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム
此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
明治二十三年法律第二十八号民法財産編財産取得編債権担保編証拠編ハ此法律発布ノ日ヨリ廃止ス

第四節 不在者の財産の管理及び失踪の宣告
(不在者の財産の管理)
第二十五条  従来の住所又は居所を去った者(以下「不在者」という。)がその財産の管理人(以下この節において単に「管理人」という。)を置かなかったときは、家庭裁判所は、利害関係人又は検察官の請求により、その財産の管理について必要な処分を命ずることができる。本人の不在中に管理人の権限が消滅したときも、同様とする。

(失踪の宣告)
第三十条  不在者の生死が七年間明らかでないときは、家庭裁判所は、利害関係人の請求により、失踪の宣告をすることができる。
2  戦地に臨んだ者、沈没した船舶の中に在った者その他死亡の原因となるべき危難に遭遇した者の生死が、それぞれ、戦争が止んだ後、船舶が沈没した後又はその他の危難が去った後一年間明らかでないときも、前項と同様とする。
(失踪の宣告の効力)
第三十一条  前条第一項の規定により失踪の宣告を受けた者は同項の期間が満了した時に、同条第二項の規定により失踪の宣告を受けた者はその危難が去った時に、死亡したものとみなす。

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