個性と成長4(守るべき固有文化2)

TPP参加したときにのリスクの1つとして皆保険制度の変容が恐れられていましたが、我が国の皆保険制度は、我が国の強固な同胞意識に裏付けられて成立しているものです。
我が国が守るべきは強い同胞意識・一体感こそが核心であって、保険制度や医療制度そのものではありません。
いろんな制度自体は固有の文化さえ守れれば、時代の進展に応じていろんな制度に衣か替えしても良いことです。
米食や魚文化も同じことで、同胞一体意識と米食魚文化とは必ずしも一致しません。
パンヤ麺、あるいは牛肉や豚や鶏肉を食べるようになったからと言って、国民の意識がそう変わるものではないでしょう。
TPP参加すれば、民族の琴線に触れることまでアメリカが要求して来ることを右翼が心配していますが、古代から勝ちさえすればどんな残虐なことも露骨なことも許されるという野蛮な対応しか経験のない中国とは、アメリカは大分違うと思います。
アメリカは曲がりなりにも文明国の顔を持っています。
元USTR代表であったヒルズ氏の「私の履歴書」が現在日経朝刊で連載中ですが、スーパー301条適用対象国指定に関する日米構造協議の言い訳?・・(日本向け回顧録ですから当然そう言うに決まっていますが・・日本固有の文化に口出しをしたことがないと言う意見が18〜19日ころに書かれていました。
米軍占領政治下にあったときでさえ、マッカーサーは、事実上支配権力を行使していたとは言え形の上では日本の顔を立てながら政治をしていたし、占領軍押しつけと言われる現憲法も日本人の総意による形式を重んじていました。
そのときよりも力を就けている日本に対し正面から日本の内政に口出しするような要求をすることが出来る訳がない・・出来るとしたら余程交渉担当者が腰抜けとしか考えられません。
今回も保険制度自体の変更を直接要求することはあり得ないと思われます。
むしろ、医療産業の進出等の要求が直接的な要求になるでしょうが、これにどう対応するか、国際競争から隔離されて来て過保護になっている我が国の医療産業のあり方を考えて行くことの方が重要です。
医師会等医療関係者が自分の競争力不足を言えずに、保険制度が危ないと問題をすり替えているような気がしますが如何でしょうか?
我が国は公的医療機関中心で本来の競争原理が働いていないところから、コストが割高になっていて保険財政が大赤字になっているのですが、国際競争・・水準に立ち遅れている面を否めません。
最近国際的患者の争奪戦が始まっていますが、何十年も対アジアで先進国である筈の我が国がこれに負けていることが憂慮されている状態です。
この方面の国際競争に対応出来るような医療業界の強化策こそが重要な感じがしています。
コストパフォーマンスの悪い医療業界が米系資本の進出により、競争に曝されるのを嫌がっているとしたらとんでもないことです。
とは言え、いろんな国際約束の結果、回り回って日本固有文化の根底に影響を及ぼしかねない面がないとは言えません。
文化に直接関係のないように見える個別産業界ベースの交渉が中心になることから分ることは、文化に直接関係しない各種経済交渉では、これが日本固有文化にどのような影響を及ぼすかに関する深い思慮のある政治家・・固有文化に波及しないようにうまく回避する交渉力のある政治家が必要なことはそのとおりです。

個性と成長3(開国の意義2)

我が国では明治開国以降焦眉の急であった民族防衛のために軍近代化を取り入れるしかなかったとしても、朱に交われば赤くなる面がありますので、武士道精神の元でこれを取り入れる和魂洋才が基本でした。
野蛮な気風を理解して行く・・こちらも武力向上・・そのためにはさしあたり支配地の拡大を図るしかないと欧米のやり方の真似したのが、明治以来の富国強兵政策で、行き着いたところが太平洋戦争での完敗でした。
これに懲りた我が国では憲法前文で諸外国が崇高な理念に従って信義を守ってくれることを信じて生きて行く・・旧来の平和志向に方向転換したことを December 9, 2012「信義を守る世界7(名誉の重要性1)」前後で紹介しました。

憲法前文抜粋

「・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。・・」

これが憲法第9条の交戦権放棄や非武装条文に連なっているのですが、戦後70年近くも経過すると秩序維持能力のあったアメリカの軍事力にかげりが出て来ました。
他方でこれに挑戦する中国軍の台頭(まだ実態は大したことがないですが、勝手に自信を持ってしまっているのが厄介です)があって、そうも行かない状態になって来たのが昨今の軍事・治安情勢です。
中国は西洋列強の卒業した19〜20世紀型武力万能思想・・ほぼ山賊や海賊の論理でごり押しして来る上に、韓国、中国は公然と日本征服意欲を隠さないで常々表明していますし、仕返しと称して日本人を奴隷化したい欲望を隠さない状態です。
こう言う野蛮な隣国に囲まれている以上は、諸外国の信義だけに頼っていると日本人は中国軍の奴隷にされかねない恐怖が生じて来ました。
やはり、相手が相手・・獰猛過ぎるならば、ある程度自衛のための武力保持が必要になって来ました。
大正から昭和に掛けて我が国が西洋列強から孤立して行った轍を踏まないように、世界を味方に付ける智恵こそが発揮されるべきでしょう。
ショールーム等で来客がマナーを守れば、こちらからそろそろ帰って下さいとかマナーをうるさく言う必要がありませんが、相手がいくらでも居座るようなら一定時間でお帰り下さいというしかないし、次の訪問を断りする必要が出てきます。
企業がクレーマーなどで4〜5時間居座られることが繰り返されれば、警察に予め相談する・・警察が来るのが遅ければ警備会社と契約するどの自衛策が必要になります。
信義を信じると言っても治安状況次第です。
相手が人道上のルールを守らず武力万能思想を持っている上に、かれらに占領された場合、チベット民族やウイグル族に対するやり方を見れば分るように、相手民族の尊厳などはまるで頓着しない思想の国家です。
中国地域の歴史では征服したり勝った場合、相手の民族を何十万単位で皆殺しにしたり、敗者の將に対して、その親の肉を無理に食べさせたりするような人道以前のやり方をして来た歴史が連綿と続いています。
だからこそ前王朝の文物が殆ど残っていない・・先人に学ぶ意味の歴史が存在しない地域・・民族だと書いてきましたが、こう言う残忍・露骨な傾向だけはDNAとして受け継いでいます。
自分達が残忍なことから、日本軍も似たようなことをしただろうという虚偽宣伝に努めていることについては繰り替えし書いてきましたが、中国が仮にも日本に対する勝者になると恐るべき事態が待っています。
こう言う国が目前で実力行使を始めようとしてデモンストレーションを始めている状態で、自衛のためのガードマン不要論・平和を唱えていれば平和を維持出来るという意見は現実的ではなくなりました。
尖閣諸島の一件以来我が国では、国土を守るための準備をする必要があると言う意見・・憲法9条改正論が主流になりつつあるように見えます。
中韓両政府は日本右傾化を主張して批判していますが、中韓の実力行使やデモンストレーションがこれを後押ししているのですから、彼らこそが日本の軍備増強を後押していることになります。
中韓政府は膨大な資金を使って政府やマスコミに対し様々な形で思想浸透を図り、日本の軍備弱体化を狙って宣伝してきた結果、民主党政権が誕生してその効果が最高潮に達しました。
いよいよ日本が弱体化した見るや(韓国大統領公式発言では「日本が弱体化しているので・・(このチャンスに)・・」と言うほど)脅迫を繰り返すようになったので、彼らの推奨する非武装中立・日本右傾化反対論・・マスコミ論調の真意がどこにあったのかが誰の目にも明らかになってきました。
今では中韓政府に都合の良い意見ばかり流し続けるマスコミ・言論人の意見を信じる人が、殆どいなくなってしまったでしょう。
テレビ番組の不調・新聞の売れ行き減が言われていますが、インターネット関連発達によるばかりではなく、中韓好みに日本の歴史上の人物を卑しく汚らしく描いたり、如何にも日本が過去に悪いことばかりして来たかのように描くドラマが多くなって来たなど内容に大きな原因があるように思えます。

個性と成長2(開国の意義1)

鎖国とは一切の交流を塞ぐのではなく政府や特定商人だけに窓口を開くものですが、幅広い国民同士の全般的な交流に広く開かないと、民族間の細かなヒダの違いまでは分りません。
世界中と庶民に至るまで幅広く交際して世界の進運に乗り遅れないためには、開国・幅広い交際が必要であったことは、今から考えても間違いではなかったでしょう。
以前にも紹介しましたが、もう一度明治憲法前文の一部を紹介しておきましょう。

明治憲法
告文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆・・省略

上記のとおり、開国の必要性について明治憲法でも「・・顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ・・」と明記されています。
明治維新当時の西洋列強のあくどい戦略や、今の中韓のやり方があくどいからと言って交際しないのは間違いです。
弁護士の場合、いろんな悪い事例を事件を通じて知っているので、防衛策を助言出来るのですが、そのことと弁護士自身が悪いことをしたり悪い方法を教える必要がないのと同じです。
日本人は中国人や韓国人の悪辣な手法を理解して真似るのではなく、あるいはユダヤ資本のやり口を知っていても、あるいは経営者の巨額報酬の取り方をそのまま身につける必要がありません。
日本の経営者・政治家は、これらを知った上で日本流の正しいやり方で、したたかに対応する能力を身に付ければ良いのです。
数年前にアメリカで謂われなきトヨタタ叩きがありましたが、トヨタはこれに正面から反論したり、虚偽申告していた人を刑事告訴・民事賠償請求すらしていません。
(レーダー照射事件も毒餃子事件に対する反応でも同じですが、韓国や中国の場合アメリカ流に先ずそんなことはないと反撃していたでしょう)
ソフトな日本流やり方が、今ではアメリカでの信頼獲得に貢献しているようです。
アヘン戦争という大義のない戦争・占領に驚いた我が国では、野蛮で、猛獣のような西洋列強を批判しても相手には道義心がないのですから意味がありませんでした。
幕末攘夷論・・ひいてはこれに連なる現在右翼のTPP反対論は「こんな悪い輩とは一切付き合わない」という分り良い意見ですが、それでは世界情勢・科学技術の進運に取り残されてしまったでしょう。
明治政府以降現在に至る開国方針は、正しかったと思います。
開国を決めた明治政府は先ずは自衛力の向上に力を入れると共に列強の気風を学んで、これを取り入れて行く必要性を理解していたものの、どの分野でどの程度受入れて行くかのサジ加減は、本当に難しいところでした。

原子力発電のリスク

今回の福島第1原子力発電所の危機に関しては、国民すべてが文字通り固唾をのんでいるところですが、関係者の懸命の努力にも拘らず、刻々と新たな被害の進行が進んでいます。
次々と出てくる新たな展開によくもまあこんなに次々と問題が起きるものだと思うと同時に、関係者が背後の国民・国家のために自らの危険を顧みず献身的努力を続けてくれていることに敬意を表さずにはいられません。
私個人のことでこのような事態に巻き込まれた場合を想像すると、これほど次々と不具合が発生すると「もう駄目じゃないか」とくじけてしまいそうな感じですが、彼ら関係者は背後にいる多くの国民生命・安全の危機・国土の荒廃がかかっているので、そんなことは言ってられない意気込みで出来ることは何でもしようとする姿勢で頑張ってくれているのだと思います。
今回の大地震については地震による揺れ自体の被害は原発に限らず民家でも大したことがない・・今ではどこでも耐震構造になっているので、よほど古い家は別として地震だけで家が壊れるようなことは殆どないようですが、今回の大被害は津波の被害によるものが中心です。
原発の場合も何重もの安全対策は地震による揺れに対してのみ用意していて、津波被害を全く想定していなかったことが今回の大事故発生の要因です。
後からの批判は簡単ですから言い難いことですが、海の近くに設置していてしかもこの数十年ちょっとした地震のたびに津波があるかないかなど気象庁がしょっ中放送していたのにですから、原発の方で津波被害を全く想定していなかったとすれば、理解不能な楽観主義の集団だったと言えます。
海に近ければ津波被害は避けられないかと言うとそうではありません。
我が国は海に接近している山が多いのでいくらでも高台がありますが、高台に設置すると冷却用海水の取水能力・・例えば30メートルも揚力するには大変な機器やパイプが必要で、これの破損のリスクがあります。
地盤全体を高くするよりは原子力機器の周辺を高さ30メートルほど厚さ10メートルほどの頑丈なコンクリートの塀で囲っておくのが一番コストのかからない方法です。
(周辺では・あるいは激甚被害のあったであった三陸地方でも)普通のビルでも窓が破れているくらいでビル自体が津波で倒壊していません)
この方法の場合津波以外の想定外のリスクがあった場合、同じ場所にあるので一緒に被害を受けることは今回と同じです。
想定外(何があるか分らないことが起きるのがリスク管理であるとすれば)の被害を避けるには、バックアップ体制の工夫が必要です。
同じ場所にいくつ補完機器をおいていても、想定外の現象に対する同時被害を避けられないので少なくとも環境の違うところ・・高低差を設けたり、地盤の違うところに設置する外、即応出来る程度の30〜40km前後の距離を置いてバックアップ機器を用意しておけば今回のような事故に即応出来た筈です。
その場合、道路寸断にも備えて、いくつものルートも用意してく必要があるでしょう。
話によれば、事故の基本・始まりは自家発電機器が冠水してしまって使えなくなったことですが、臨時に持って来た機器では電源やパイプの繋ぎ方などうまく合わなかった大変な作業だともっともらしく言うのですが、(現場の努力に関しては多とするのですが・・)始めから予備機器を用意しておけばそうした問題も前もって解決しておけた・・つなぎ口を一定にしてカチット差し込めば終わるようにしておけるのです。
そもそも自家発電電力の場合、遠くに設置しておいても電線さえ繋げば良いのですから、大規模な機器の輸送すら不要で大したコストではありません。
思いつきに過ぎませんので実施には詳細な詰めがいるとしても、それほどコストのかかることではないにも拘らず、準備がなかったのはこうした発想・議論が全くなかったと言うことでしょう。
「備えあれば憂いなし」・・の格言の通りですし、この逆に「備えなければ大慌て」となるのは当然です。
大慌てで一生懸命やっている姿をみると、頭が下がる・・尊いように見えますが、それは現場の人たちがよく頑張っている・・尊いだけで計画立案すべき首脳陣の責任発想の貧弱責任は大きいのではないでしょうか?
原子力のようにひとたびことが起きると国家の存亡に拘るような大事故になるのですから、こうした意見が仮にあれば無視されなかった筈です。
予備の機器を環境の違うところに何種類か用意しておく気持ち・・意見がこれまで全く起きなかったのかも、不思議です。
私がいろんな委員会に行って思うのは、いつも金太郎あめみたいな決まりきった意見を言う人が幅を利かしていて、議論はその精密化の方向が多いのです。
私のような変わった意見を言うと変な顔をして受け入れて貰えない・・雑駁すぎるからでもありますが・・・ことです。
決まりきった誰でも受け入れるような意見を言う人ばかり集まって、その精密化・・・これが日本人の得意とするところです・・を10人〜15人集まって議論しているのは、言うならば下位の技術屋集団に過ぎません。
こういう委員会が多すぎるから、津波被害を考える必要がないのかの質問すら誰からも出ない結果になっていたのではないでしょうか。
いろんな委員会の人材構成を変えて風変わりな人も入れるようにして行かないと、日本はいろんな方面で対応出来なくなってしまう・・国家の基本的な運営を発想の豊かな他国の人材に委ねて下請けしか出来ないことになりませんか?
芸術家もそうですが岡本太郎のような人材が少なく、精密化の腕を競っているような芸術家が多すぎませんか?

個性喪失と家庭

手前味噌と言う言葉がありますが、どんな味でも慣れ親しむとその味が良くなるものです。
おふくろの味と言うのも同じで、家庭ごとに手作りの時代であってこそ家庭の個性・独自性が生まれ、女性の個性も発揮出来たのですが、レトルトフードや中食、外食になってくると、家庭の味・独自性が弱まって来ます。
家風・・家の文化継承と言う言葉が最近死語になったのは、こうした結果です。
男女対等に家を空けて働ける社会になると言うことは取りも直さず、古代から続いた奥さんが作り上げる家風・家独自の文化形成力が薄まってしまう社会です。
家庭機能・家庭の味・個性・・ひいては個々人の個性の重要性が、減少して行く社会と言うことでしょう。
住む家の形も大型マンションが増えて画一化し、一戸建ても建て売りやハウスメーカの規格品が多くなると、中に住む人の心の有り様も影響を受けます。
家庭サービスがその女性でしか出せない個性に頼らなくなってくると、オスの方も家で食べたりその他のサービスを受けるメリットが少なくなって行きます。
夫の方も、(動物のオスとしては元々子供に関心がないので)くたびれて帰ってから、家事サービスを何故やる必要があるか?と疑問に思うようになるので、(出来合いの食品を買って帰り家で一緒に食べるだけなら、家で食べるメリットもないし)お互いに家庭が重荷になってくる時代が来るでしょう。
多くの友人知人と幅広く交際し、その時々に合わせて相手を変えて一緒に遊び、盛り上がるのと特定女性とだけ毎日一緒に食事したり映画見たり、旅行したりするのとどちらが良いかの問題ですが、特定女性と一緒になってもみんなと遊ぶ程度を超えて内容が深化・濃密にならないと意味がありません。
せっかく一緒になっても内容の深化がなく友人時代と同じ程度ならば、(人が人との触れ合いなしに生きて行けないとしても)多くの友人知人との関係を大事にして薄く広く関係を持てた方が合理的な時代になるかも知れません。
結婚しても」どうせレトルトフードばかりで、遊ぶと言っても友人知人時代の遊びのときと変わり映えしない程度なら、その時々で好みの合う友達と一緒に逢ってる方が楽しいことになります。
その上、オスの両親も長寿化の結果ぴんぴんしているので、妻がいなくとも実家で家族団らんの食事をしたければ両親と出来ますし、洗濯や掃除もみんな親がやってくれています。

(2)夫婦制度の将来

これからは、子育てや介護費用は(税で取って)社会全体で見る・・古代氏族社会の拡大判に戻っていくと、オスとメスは対(つがい)である必要のない社会になって行くのかもしれません。
社会全体で子供や老親の面倒を見る社会に近づけば近づくほど、公的負担割合が大きくなり個人が自分で使えるお金や時間・自由部分=個性が少なくなって行きます。
勿論税・公的保険等の割合いが増えることは、夫の経済負担の恩恵比率が下がると言うことです。
自前主義・・自給時代には地域共通項が数%で残り90%以上が家庭のやり方と言う時代から、公的=共通部分の比率が上がり、家庭・・独自性の占める比率が逆の数%に下がってくると、(家庭教育と言っても今や公教育の準備・・下請け中心です)自分の家庭もよその家庭も皆同じ・・となってくると自分の家庭を持つことにこだわる意味が乏しくなります。
この辺は基礎的生活費一律支給システムの構想(これは理念論であって直ちにそうなると言う意味ではありません)に関連して(本当は今年5月頃に書く予定でしたが先送りになっています・・忘れなければ)もう一度書きます。
古代から、動物としてのオスにとっては時々セックス出来れば良いのであって、元々重たい夫婦・・終身雇用的関係になる必要性がなかったのです。
それが終身制・・婚姻しない限りセックスは許されないとする道徳が生まれて、(中国の「姦」の定義です)縛られていたのですが、女性が子育てから解放されてくると、これに比例して男性も解放される関係です。
子育て協力関係が始まってから、3000年前後もかかったでしょうから、この間に夫婦関係を長持ちさせる工夫として性行為以外のいろんなサービスが発達して来ました。
男女人的サービス関係のバランスで見れば、(男子は経済面の負担をして女性は人的サービスの分業ですから)圧倒的に女性の方が、負担が大きいのが現状でしょう。
女性が多めの人的サービス負担をして来たのは、子育てに対してオスの長期経済協力を得るために長年かけて形成して来た結果ですが、子育てに個別的オスの経済協力が大きな意味を持たなくなってくると・・あるいは元々結婚する気がなくてデートするだけのオスに対して何故、へりくだった一方的サービスしなければならないか?となって来ます。
これが、夫に対する家事育児協力要求に繋がって来たし、若い男性の方も経済力にかげりがある実態を反映して家事育児に協力的な人が増えました。

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