都市住民内格差7(相続税重課)

高度成長期には、地方から出て来てもかなりの人が中間管理職に這い上がれたし、低成長期の今でも地方出身でも高級官僚には官舎があったりして、大手企業エリート社員あるいは弁護士や医師等高所得層になれば、エンゲル係数が下がるので家賃負担程度の格差があっても都市住民2世との格差をあまり感じません。
中間層がほぼ消滅して非正規雇用等の底辺層が人口の過半を占めるようになってくると、彼らのエンゲル係数比率が上がるためにこの格差を埋めることが不可能になります。
例えば、月収60〜100万では家賃負担の有無は大した問題では無いばかりか、January 28, 2011「都市住民内格差3」で書いたように親の家があっても、この階層は自分から外に出て独立するのが普通ですから、地方出身者との負担格差があまりありません。
あっても、ローン頭金等に当てる資金・・親からの援助差程度でしょう。
非正規雇用で月収20万円前後の場合、家賃負担の有無や単身生活をするか否かは大きな負担格差です。
都市住民1世と2〜3世の埋めがたい家賃負担格差は、都市住民の中に入り組んでいるので地域格差のようには目に見えにくいのですが、現在は非正規雇用者(に限らず底辺労働者全般)には都市住民2〜3世(の内親がマイホームを持っている者)と地方出身者1世との格差が固定されて行くところを、重視する必要があります。
何時の時代にも競争落伍者・・底辺労働者は日給月給等の非正規雇用あるいは不安定職であったし、競争自体を悪としてこれをなくせと言うのでは健全な競争・発達が阻害される弊害があります。
どのようなだらしない働き方の人間でも正規雇用で守られるのでは困るので、相応の格差が必要ですが、他方で、どんなに努力しても中間層に這い上がれない社会も困ります。
中間層のかなりの部分・・水ぶくれ部分だったのかも?が消滅し、底辺労働者・非正規雇用者の比率が上がって来たので、「底辺層と言うのはそんなものだ」と無視している訳には行かなくなってきました。
膨大な数の底辺層が生じてくると、底辺労働層内の(本人の努力差によるのではなく、親が都市に家を持っているかどうかの)格差是正も無視出来なくなってきます。
平成21年末の年末派遣ムラのように、現象を追いかけるパフォーマンスだけでは、非正規雇用全部が悪であるかのような印象を与えるだけで、非正規雇用者内の格差を解決出来ません。
住宅の有無による格差是正には相続を禁止する方向・・相続税を次第に重く・・・基礎控除の引き下げと税率アップして行き、都市内の一般住宅をほぼ課税対象にして行くのもひとつの方法です。
非正規雇用者は相続税支払能力が多分低いでしょうから、相続した家を売り払って税を払うしかないので、非正規雇用者階層をすべて家なしにしてしまえるので平等に貧しくなる点では一方法です。
これでも親の家を売ったお金がまとまって入るので少しは楽になりますが、家がなければ一時的に消費を増やして・・一定期間で使い切っておしまいですから、半永久的な格差にはなりません。
来年度税制改革案は相続税の重課税方向に舵を切っているので、この方向に向かっているように見えますが、これはみんなを貧しくして平等にしようとする後ろ向き政策で感心出来ません。
高額所得者に対する増税策ばかりでは、崩壊したソ連同様に余りにも社会主義的政策で個人の競争・労働意欲をそぐ方向に働く危険・・経済停滞に陥るリスクがあるからです。
民主党は基本的に「貧しくても平等」に軸足を置く政党ですが、努力が報われる社会にしなければ発展がありません。

都市住民内格差3

少子化が進んだ現在では子供が2人もいれば立派な方ですが、都市住民2〜3世で子供・兄弟が(少子化の結果)男女二人以下の場合、マイホームを保有している親が亡くなれば双方(配偶者)の親の家(遺産)をそれぞれ2分の1ずつ相続出来るので、自分で自宅をゼロから購入する必要がありません。
長寿化で親は長生きですので親の遺産相続は当面期待出来ないとしても、子供が30代頃になると親の親(祖父母)がちょうど亡くなる時期に来ているので、都市中心部の遺産を親が相続して処分してお金のはいった(まとまった退職金が入り年金もあって金の使い道のない)親からマイホーム資金を出して貰えるなどで、結果的に都市住民3世は得をしています。
これをスムースにするために、11/07/03「相続税法 5 (相続時精算課税適用者とは)」で解説したことがありますが、ここ10年ばかり前から生前贈与税の軽減政策が繰り返されて(今年度予算案でもこの点の拡充が報道されて)いるのです。
地方出身者に限らず都市住民2〜3世の中でも親・祖父母がマイホームその他まとまった資産を持っている(こういう親は年金も潤沢です)場合と、代々アパート(借家)住まいかによる格差が生じつつあります。
ただし、一定以上の安定就職の場合、今でも結婚すれば親の家があってもマンションを買ったり借りたりして自立するのが普通ですので、都市住民2〜3世と地方出身者とでは大した格差になりません。
親がしっかりしていれば親からマイホーム取得時に相当額の援助を受けられるのは、地方出身者でも同じと言えないこともありませんが、比率で言えば地方の方が資金力の高い人が少ない筈です。
例えば自営業者を見れば分りますが、50年前に同じ規模の年商の商店や開業医・薬局・飲食業・建築業者等がいたとした場合、人口がじりじりと減少して行って半分になって行った地域に立地していた業者と人口が2倍になった地域の業者とでは、(個人差があるとしても大方の傾向の話です)50年後の盛衰が明らかです。
サラリーマンでも同じで、成功した大企業ほど本社を大都市に立地する傾向があるので、本社部門勤務者が大都市に住んでいる率が高くなります。
このように、これからも人口が集まってくる首都圏と人口が減って行く一方の地方都市住民とでは、親の資力にも原則として差があることになります。
とは言え、弁護士や医師のような特殊職業(これもこれから怪しいですが・・・)の場合、親からマイホーム取得資金の援助などあってもなくても、自分自身の収入が多いので結果的に殆ど関係がありません。
このように若者自身の所得が高ければ親の資力差は問題が少ないのですが、所得が低くなるに連れて親から援助の有無による格差が大きくなって来ますので、エンゲル係数の高い底辺労働・非正規雇用者が増えてくると親の資力差が放置出来ない社会不正義になって来ます。
高度成長期にも集団就職で地方から(今よりも)大量に出て来ていたのですが、高度成長期には安定職業に就く人が多く、結果的に自前で何とかマイホームを入手出来る人が多かった(・・これに対応するために昭和30年代末から住宅ローンが発達しましたし、郊外住宅地開発が進みました)ので、その格差は乗り越え可能だったので社会問題にする必要がなかったとも言えます。
その上、当時は都市住民2〜3世も兄弟が多い時代で、親が長寿化し始めたときでしたから、結婚後も親の家に同居する人は皆無に近く、自分で独立してアパート等に住み最後はマイホームを入手する必要があった点は地方出身者と同じでした。
まして子供が4〜5人の時代でしたので親からの一人当たり援助も知れていました。
戦中戦後は食料不足時代の結果、戦争で良い思いをしたのは農民だけで、しかも戦後の農地解放で生産性や収入も増えて引き続き急激に豊かになった時代でした。
私の知っている限りでは小さな家を大きな家に立て替えたり新宅と言って次男用に立派な家を建てるうちもあって、(建築ラッシュでした)地方が豊かな時代でもあったのに対して、東京などは焼け野が原でゼロからの出発だったので、むしろ地方が豊か時代でした。
都市では、高度成長期に入っても漸くバラックを建て替えるところで、まだまだ蓄積した経済力は農家の方が大きい時代でした。
私は池袋で高校・大学と過ごしましたが、高校時代の友人の多くは池袋近辺の生家から出て、郊外にマイホームを得て転出して行きましたので通っていた高校周辺にそのまま住んでいる人はごく少数です。
何時の時代・・高度成長期にも日雇い労務者等不安定底辺労働者はいたことはいたのですが、低成長期に入ってしかも人余りで非正規雇用・・不安定職業に就く人の比率が上がって来たことで、放置出来ない社会問題になって来たと言えます。

財産「分与」から分割へ

October 27, 2010「破綻主義2」のブログで、昭和62年最高裁大法廷判決を紹介しましたが、現在の判例が破綻主義になっていると言っても有責配偶者の離婚請求を認めるか否かの基準は、離婚後の相手方の生活状況が過酷なものにならないかどうかの判定が中心となっていますが、こうした判例基準が出来てくる前提には元々有責か否かの問題以前に離婚に際しては離婚後の妻子の生活保障を重視して来た歴史に由来するものと言えます。
財産分与が文字通り夫婦形成財産の分割として、経済的意味を持つようになったのは私の実務経験では昭和50年代に入ってからのことのように思われます。
30年代末頃から40年代頃に結婚した夫婦が政府の持ち家政策と住宅ローン制度の発展に乗って(相続によらずに)郊外のマイホームを取得し,列島改造論・狂乱物価等不動産価格の連続上昇によってマイホームの価値が取得時の数倍に上がったので,これを離婚時にどちらが取得するかは重大な意義を持って来たからです。
この段階になると、夫婦形成財産の清算が原則になったのですから、逆に「分与」と言う一方から他方への恩恵的な用語の方が違和感を持って来ます。
分け与えられるものではなく、妻は自分の稼いだ収入の潜在持ち分を取り戻すだけの機能になって来たのです。
実際、ここ20年以上離婚に際しては夫が親から相続した資産は分与請求の対象にはなっていません。
夫婦で形成した資産だけが対象になっている時代が来たのですから、分与ではなく分割とすべきだろうと言うことです。
このような観点から配偶者の相続分の観念はおかしいのであって、配偶者が2分の1まで取得するのは本来は相続ではない筈だと言う意見を11/01/03「相続分6(民法108)(配偶者相続分の重要性1)(遺産は共有か合有か)」以下で繰り返し書いて来ました。
そのコラムでも書きましたが、始めっから夫名義にする必要がなく共有名義にしておくべきだったのですが、明治民法下では、不動産その他重要資産の名義は戸主・男の名義にする習慣になっていたので、何かを買うと男の名義にする習慣がなかなか抜けなかったのです。
この10年余りでは若夫婦がマンションを購入する場合、夫婦共働きが多いこともあって、夫単独名義にせずに夫婦共有登記することが多くなったのは、こうした私の意見に世の中が近づいて来た結果でしょう。
ところが、ここ20年ばかり物価下落によってマイホームの方は値上がりしていないことと、(結婚後10年前後の場合ローン残との清算価値ではマイナスの家庭が増えて来ました)長寿化した最近ではこれに代わって退職金や老後の年金受給権が大きな意味を持つ財産となったので、年金に関しては数年前から分割請求権が法で明記されるようになっています。
年金分割については、06/23/07「年金分割と受給資格1」以下で紹介しました。
ただし,これは熟年離婚には大きな威力を発揮しますが、結婚後数年での若年離婚の場合、大した金額にはなりません。
出産しないうちの離婚の場合、特に問題がないのですが、乳幼児を抱えての離婚の場合、財産分与や慰藉料ではどうにもならない(財産分与に将来の扶養要素を含ませても、男の方も若くて一時金を払える能力がないことが多い)ので分割払いの養育料が重要になって来たのです。

マイホーム主義の終焉3

現在の若手法律家は、昔ほどの高収入が保障されていないことは確かですが、(合格者数が我々の時代に年間500人だったのが今や2千数百人以上になっているのですから数字的に明らかです)今よりは高収入の保障されていた私たち世代の前後各15〜20年の女性弁護士や裁判官のほとんどは、出産後もそのまま夫婦で現役を続けています。
最近の女性が何故出産時の現場離脱が出来ないかですが、その頃は世の中の仕組みの変更が今ほど激しくなかったことから、出産前後に数年程度ブランクがあっても大したハンデイではなかったことが大きな違いと言えるでしょうか?
何しろ最近の制度変更はめまぐるしいものがあって、ホンの数年前にやったパターンの事件をやろうとすると裁判所の要求する書類や運用等が大幅に変わっている等で驚くことが多いのですが、毎日目一杯仕事をしていても驚くくらいですから、数年間仕事を完全に休むには勇気がいる時代です。
医師の世界も同じで、(制度変更は時間がかかりますが、現場の技術変更・進歩はもっと小刻みに激しいでしょう)医療技術水準の変更、薬品の変更が日進月歩ですから、(医療過誤の判断基準はその医療行為時の医療水準に合致していたかどうかです)数年もブランクがあると追いつくのは不可能と言えるかも知れません。
例えば薬剤を処方するのに半年前にはたとえば「a,r」と表示すればある薬に決まっていたのが、半年の間にその変化系の薬が何種類も出回っていて、「a,r」の次に別のアルファベットを書かないと従来とは別の薬になってしまうと言う極端な事例が起きてもおかしくありません。
それを知らずに以前の知識で処方すると大変なことになります。
この話は薬剤師から聞いた話ですが、薬剤師も現場を離れてわずかに半年で復帰してみるとちらっと見て知っている薬だと思っていると、実は英語の語尾が少し変わっていて別の薬だったこともあるそうで、過去の知識がじゃまになるリスクもあるようです。
カルテは頭文字だけの略語で書くことが多いので却って誤解が生じるようです・・医師に問い合わせると現役の医師自身でさえ別の薬が出来ているのを知らなかったりするそうで、これは医薬分業のメリットとして聞いた話です。
このように最近の変化はあらゆる分野でめまぐるしいので、現場を離れて数年もすると使い物にならないリスク・・これがいろんな職種・・専門分化しているあらゆる職種に蔓延している様子です。
これが高学歴層の少子化の基礎的原因ですが、これの解決策については04/05/09「ワークシェアリングと医師不足問題」や少子化対策に関して今年の5月初め頃から07/06/10「(1) 保育所の民営化」ころまでののコラムで連載しました。
今回のシリーズは、子を産むことも出来ない結果としての結婚事情の変化についての関心・・・別の視点で書いています。

マイホーム主義の終焉1

 マイホーム主義の終焉1

そもそもアメリカで、中産層の夫が毎日早めに帰って来て理想的な家庭を築けたのは有り余る資源を元に実際の働き以上の富を手に入れていたからに過ぎません。
日本で言えば近郊農家の息子がアパートの家賃や地代その他の収入があるので軽い仕事をしていても豊かな生活が出来るような状態にアメリカがあったと思えば良いでしょう。
今でこそアメリカは資源輸入国ですが、私が中学生の頃に習ったアメリカは、工業製品だけではなく石油も石炭も鉄鉱石・食料もほとんどの分野で輸出国で資源の有り余る国でした。
有り余る資源を輸出しながら工業製品も輸出競争力があったのですから、猛烈に働かなくとも普通の中産階級が芝生やプールのある豊かな家庭生活を楽しめたのです。
アラブ諸国で効率の良い原油生産が始まってアメリカ国内の原油生産が価格競争力を失い(埋蔵量がなくなった訳ではありません)資源輸入国になって来ると従来通りの贅沢な暮らしを続ければ(農家の息子が家賃収入等がなくなったのに以前同様に自分の働き以上の生活を続けているようなもので、)アメリカが貿易赤字になるのは当たり前です。
この頃から、アメリカでも夢のような豊かな生活が出来なくなって来た筈です。
日本ではアメリカの最も豊かな時代を背景にゆとりのある働き方で家庭を大事にする生活スタイルを見せられて、女性はこれこそあるべき家庭像だと思い込んだのです。
しかし日本は資源がないので豊かな生活をするには、(近郊農家の息子以外は)その分より多く身体で稼ぐしかないのですから、豊かな生活(所得倍増計画)は夫が残業・休日出勤することで叶えられるのですから、家庭で夫婦がゆったりと楽しむ女性の夢は(芝生の庭付きの家庭を築くことと)矛盾していたのです。
またアメリカのホームドラマでは女性が家事に追われる場面が出て来ませんが、周知のように我が国以外では、異民族が混在していることからベビーシッターやメード等が発達しているのに対し、いわゆる同質社会の我が国では中産層では(賃金格差が少ないので)すべて自前ですから、奥さんは大変です。
そこで、アメリカ型を理想とするマイホームの夢はほとんどの場合、環境が整わずに実現出来ないか破綻して行くしかなかったのです。
このように豊かな生活には裏付けがいるとすれば、妻が豊かな生活を求める限り豊かな生活を提供する義務のある夫は猛烈型に働かざるを得ません。

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