トランプ氏とスローガンの実効性1

ところで、世界の警察官をやめるのは軍事力負担が重いだけのように見えますが、それよりもアメリカ実業界にとってロシアその他に対する経済制裁が大きな損害・・負担になっている面を無視出来ません。
経済制裁というのは一方の立場を表現しただけであって,痛みは双方平等です。
10対1あるいは100対1の経済力差があるときに一方はその痛みに耐える力がその差に比例して持続出来るだけの違いです。
イラン禁輸・ロシア禁輸も同じで,アメリカ協力国総合と相手経済力の差に比例します。
ただ,北朝鮮の例で分るように,制裁直後は相手の民心に利きますが窮乏生活に慣れてしまうと相手国民心への影響力は漸減して行きます。
民主国家との体制相違も大きな影響差があります。
独裁政権では言論の自由がないので国民不満はただちに大きく出て来ませんが,アメリカの場合相手の10分の一の経済被害でもその業界に大きく騒がれる弱みがあります。
人命比較すると簡単ですが,IS等に日本人やアメリカ人が一人二人でも殺されても大騒ぎですが,その陰でイラク・アフガン・シリア人等が何万と殺されていても相手国の士気に何の影響もない・逆に反米士気が上がります。
長期的には封鎖されている方は国力が大幅に低下するので,最後の決戦力は弱まりますが最後の決戦に持ち込まない限り北朝鮮のように,世界の進歩に遅れたままでも元の19世紀よりも良くなったと喜んでいれば済みます・・元々圧迫を受けている敵愾心の強い民族には経済制裁だけでは実は効力が殆どありません。
禁輸している方の経済界では、(制裁前に相手国の輸入が大きかった場合・良い顧客だった場合には)逆に売り損なっている不満・経済的に見ればロシアに輸入禁止されているのと同じ経済効果が大きくなって来ています。
金融サービスであれ何であれ消費する方は別の業者、国から買うか消費を減らす・・外食や映画鑑賞を減らすのはどうってことがないなど柔軟対応可能ですが、供給側は1~2割でも売り上げが減れば固定経費の支払いがあって死活問題です。
買う方よりは売る方がダメージが大きいのが原則です。
ロシアやイランなどは元々原油程度しか売るものがないので、損をするのは国営系大型企業、国家財政だけで輸出に関係のない庶民零細企業には殆ど影響がありません。
要は西側のオシャレな商品、美味しい消費財が入ってこない不便さだけです。
消費財を売っていた企業は苦しくなるので連合体制の場合には何かと理由を付けて例外を求めるクニが現れますが,制裁を主導するアメリカ自身が率先してやるしかない以上,アメリカが一番損な役割になります。
ナポレオンの大陸封鎖・禁輸令が失敗に終わった原理です。
以上のようにアメリカが世界の警察官をやめると言い出したのは自分自身の制裁疲れが起きている面を無視できません。
世界の警察官をやめる=制裁解除は、国内企業の支持が多く一方的宣言で可能なので国内だけを考えれば意外に実現性が高い可能性があります。
ただしロシアその他への制裁は総合的国益を判断して行って来たはずですので、選挙のテーマにならない間接的ないろんな利益を損なう可能性が高いのですが、例えばちょっと考えてもサウジアラビアや欧州など関係国との協調をどうするかなど実は複雑です。
国際政治上アメリカに頼る関係で何かと譲歩して来た国々が一杯あります。
これを無頓着に行うと旧来の友好国との間で築き上げてきた膨大複雑な利害を無視することになり多方面の離反・アメリカの不利益を招くリスクがあります。
イラン制裁復活の主張もしていますが、解除で動き出したばかりでこれを一方的に覆すとアメリカの信用性が大きく揺らぐので実は簡単ではありません。
高関税、輸入規制の実現性を見ましょう。
アメリカ国内だけで見てもトランプ氏が仮に中国製品やメキシコ製品に45%も課徴金をかけると中国やメキシコ制裁のように見えますが,中国やメキシコがアメリカに対してのみ45%高くないと売らないと決めた輸出禁止(アメリカだけ高く買うしかない)を受けているのと経済効果は同じです。
イキナリ国内生産に切り替える暇がないから,国内は品不足で大混乱になるか,高くとも輸入して買うしかないので中国等からの輸入が45%減るのではなくもしかしたら一割程度しか減らないと思われます。
45%アップより10%高くてもいいからと中国以外から買うとすれば、結果的に国民が10%割高な買い物を強制されていることになります。
国内で作らなくなってしまった製品をイキナリ国内生産に切り替えるには人材も工場設備、サプライチェーンもないので,その間他所から買うとなれば結局割高なもの買うしかないのでアメリカ国民にとっても大幅な損失です。
それでも中国にとっては,時間の経過でアメリカ国内生産や他国からの輸入が増えて中国製販路が縮小するので大打撃です。
別の見方・・輸入品に45%の高関税を掛けて国内工場保護する場合,輸入品に一律45%の消費増税したのと同じ結果になります。
相手の立場で見るともっと無理があります。
自国産業保護のために高関税を掛けて相手国の報復関税を受ける連鎖が起きると,世界を鎖国状態に戻すことになります。
これが1929年頃の大恐慌に際して(いま同様に自国中心主義で)アメリカが先に関税を大幅に引き上げたので、これに欧州が報復関税をやった結果→報復合戦のエスカレートの末に植民地別のブロック経済・・国際物流縮小が始まった原因です。
日本の場合,後記のとおり原燃料等を買うしかない・・輸入禁止出来ない弱い立場なので,報復関税競争に参加していなかったのですがブロック化するべき植民地を持たない日独伊がトバッチリで真っ先に参りました。
当時の世界2大経済圏の流通が止まった結果、国際経済活動が窒息状態に陥ったのでこれを打開するため→ナチス・ファシズム台頭→日本は満州の囲い込みに走るなど世界戦争に入った原因です。
アメリカに高関税で狙い撃ちされれば中国は、ためらいなく報復に出るでしょう。
短期的には中国の代替としてその他の国の輸出は伸びるし,一方でアメリカの代替として中国への輸出も伸びて良いこと尽くめのようですが,米中2国間経済戦争の影響度・・戦前の2大経済圏であった欧米間の報復合戦同様にどのように波及して行くか,今は見通せませんが、世界経済は大変な状況になるリスクがあります。
アップルのようにアメリカ輸出用の製造工場が中国やメキシコに一パイありますが,(中国やメキシコの対米輸出が多くて怒っているのですから一杯あるのはあたり前です)その輸出が減ると日韓その他の対中輸出も減り→日本や韓国の輸出が減れば,日本韓国へ原材料輸出しているクニも困ります。
このような連鎖波及の切っ掛けが戦前の大恐慌であり→戦争になって行ったのです。
ところで貿易ストップの自国内反作用の大きさは相互往復貿易量(輸入輸出総量)に比例しますから,アメリカにとっても今や対中貿易量が大きくなり過ぎている結果(中国が違法行為をしてもアメリカが武力で脅せないのと経済面でも同じです)、対中貿易をストップしかねない35〜45%もの急激な課徴金を課することは実現不可能と思われます。
トタンプ氏はスローガンを掲げた以上は,結果などどうでもいいと言う無責任・蛮勇で踏み切れるのでしょうか?

アジアのヘゲモニー2

AIIBであれ、TPPであれ、日中のアジア域内における確固として東南アジア諸国に根付いている日本のヘゲモニー・文化支配?に対する中国の挑戦の前哨戦になっているからお互いに引けないのです。
日本の文化力の優位性は明治維新によってイキナリ生じたのではなく昨日紹介したとおり、古代から上回っていたことは明白で,これが平安時代から明白に文書に残る証拠上でも差が付く一方になっていたに過ぎないことが分ります。
中国には唐宋の詩文・水墨画が生まれましたが,日本の古今和歌集や源氏物語に匹敵する内面重視の文化が生まれなかったように見えます。
日本のようの文化が順次発展して行かない不思議・・唐の崩壊後文化が停滞している傾向があるのは,唐の絢爛たる文化は,もしかするとペルシャ文化の輸入だった(・・現在先進国の工場進出で世界の生産基地になっているのと同じで)からではないか?と10年ほど前に書いたことがあります。
煬帝と政府高官が聖徳太子の暗喩を理解出来なかった差が、今の中朝が乱暴・露骨な政治表現するしかない現実に繋がっています。
日本では文化発展が(複雑微妙な内面進化・着物で言えば裏地に凝るなど)・古代からいっときも止まることなく発展し続けて来ました。
戦国時代でも我が国は文化の進展を止めることなく、結果的に安土桃山の豪華絢爛の花を咲かせました。
その後も日本文化は着実に発展するばかり・・芸術面で見ても北斎などの芸術が次々と生まれていますが,唐宋の時代に詩文が発達し,日本も大きな影響を受けましたが,何か日本に追いつくための新しい内面文化が生まれなかったように見えます。
日本と中朝を含むアジア諸国とでは,内面文化の差が付く一方で1000年以上も経過しています。
結果的に今後数百〜1000年以上・・この差が揺るがないと思われますので、中韓は(破れかぶれに?)しきりに慰安婦や南京虐殺などの虚構でっち上げで世界中で日本批判するしかない状態に陥っていると思われます。
ところが世界は直接交流時代入っているので、世界中の人は日本人の優れた文化的資質・・高レベルの道義心を進出した工場の現場の交流やアニメその他を通じて直截知るようになっています・・政府マスコミ宣伝だけではうまく行かない時代です・・。
最初の数年間は噓を聞いた方は「まさか政府まであからさまな噓は言わないだろう」と信じかけていたと思われる諸外国も時間が経過すると本当のことが分って来てうまく行かなくなってきた様子です。
そこで今のところ優位性を持つ暴力挑戦するしかない状態に追い込まれているのが現状です。
日本は,古代から唐や明と戦って来たように勇猛な国柄ですが,アメリカ支配による武力剥奪と戦後憲法の結果、暴力挑戦に対する優位性を失っています。
このチャンスを利用して古代以来果たせなかった夢・・武力制圧しようと目論むのが中朝韓(共産主義か自由主義かに関係なく)の基本戦略ですし、これに呼応して何が何でも非武装論にこだわっている・・社会党から民主・民進党に名称が変わっても・・共産主義か自由主義化以前に日米安保の空洞化を画策する点で一貫しています。
中国の武力的優位性は、たまたま本来日本の持っている力を発揮出来ないようにアメリカが縛って来た結果ですから、(このスキを衝いて韓国は竹島を占領したし,ロシアは北方領土を占領しています・・その代わりアメリカが後ろ盾になるべき道義的義務を果たして来た?ことになります。
アメリカ次期大統領がトランプ氏になって、その役割をやめる代わりに核武装でも何でも自分でやれと言うのは首尾一貫しています。
日本はもしかしたらアメリカの後ろ盾を失うかもしれない状況・・アメリカの存在が縮小するに代わりに日本の軍備増強の動きが起きる点には当然反対してやらせない前提ですが・・中国優位に展開すると感じたのか?日本の民進党は大喜びで,早速外交失態だと24日の国会で安倍総理を追及しています。
旧ソ連贔屓・安保反対論は当時日本を侵略する能力を持っていたのはソ連だけだったことによる便宜上であって、日本を侵略したいクニがあればソ連でも中国でもどこでも良いのが日本の革新系?野党と言う印象です。
上記のとおり社会主義その他の主義主張は便宜上に過ぎないと見れば,社会変革する新しいことや日本独立に資することには何でも反対し日本の武力弱点を補う安保条約強化には何でも反対して来た行動が一貫していたことが分ります。
日本のためになることは何でも反対し,日本が困ればが大喜びする政党って,どこのクニのためにあるのか疑問です。
ソモソモ民主国家において政党があるのは,「クニを良くする」ための方法論が相違することであって、外国の利益のために主張出来るためにあるべきではないでしょう。
政治資金規正法が外国人からの寄付を禁じているのはこの理由によりますし、どこのクニでも同じです。
政治資金規正法
(昭和二十三年七月二十九日法律第百九十四号)
第二十二条の五  何人も、外国人、外国法人又はその主たる構成員が外国人若しくは外国法人である団体その他の組織(金融商品取引法第二条第十六項 に規定する金融商品取引所(以下この項において単に「金融商品取引所」という。)に上場されている株式を発行している株式会社のうち定時株主総会において議決権を行使することができる者を定めるための会社法 (平成十七年法律第八十六号)第百二十四条第一項 に規定する基準日(以下この項において「定時株主総会基準日」という。)を定めた株式会社であつて直近の定時株主総会基準日が一年以内にあつたものにあつては、当該定時株主総会基準日において外国人又は外国法人が発行済株式の総数の過半数に当たる株式を保有していたもの)から、政治活動に関する寄附を受けてはならない。・・以下省略
社共や民進党は勿論この法律をクリアーしているのでしょうが,民進党・蓮舫代表がトランプ氏がTPPが個人的にTPP破棄を明言した途端に欣喜雀躍して・・「これ以上TPPを進めても仕方がない」と安倍総理を国会で追及しているの見れば,「中国追随こそ日本の利益?」だと言う日常の本心を誇示したことになります。
アメリカ・オバマのアジア重視戦略とは、世界の警察官はやれないが成長セクターであるアジアにまだ未練があると言う意思表示でした。
アジア重視路線・・アジアでのアメリカのヘゲモニー維持のためには,急速に台頭して来た中国に対して,一方の雄である日本を先陣に立てて、中国牽制に使おうとしていました。
その枠組みの基礎がTPPでしたから,トランプ氏が次期政策変更のトップ事項としてTPP破棄?をSNSで表明したのは,アジア重視・ヘゲモニー維持もやめると言う意思表示ととるべきです。
「中国の推進する経済枠組みのAIIBやより貿易障壁緩和レベルの低い・・国有企業除外条件や知財保護基準が弱い経済協定スキームにスキなように入って下さい」と言う意思表示にも読めます。
即ち「世界中の警察官・ヘゲモニー維持をアジアでもやめるから世界中の域内大国が好きなように「支配」してください」アメリカは不快感表示として中国の意に反した公海のパトロールなどはしません・・と言う意思表示になります。
そこまで極端ではないにしても、アメリカはオブザーバー程度しか参加しませんので中国が議長になって,自由に運営してくださいと言う意味でもあるでしょう。

アジアのヘゲモニー1

「アジアを中国に任せてアメリカはアジアには何も口出ししない」と言う地域分割交渉・・同じことが、米中、米ロ,米トルコその他世界各地で決まりそうになって、プーチンや中国がトランプ氏当選を歓迎しているのはこの期待によります。
そうは言ってもアメリカはこれまで深くコミットして来た利害関係があるので,元々の顧客を直ぐ切れない・・簡単に手を引く訳に行かない・・イギリスのEU離脱交渉並みの複雑な経過が待っています。
この辺はオバマがアジア重視と言っても、これまでコミットして来た中東や西欧や中東から直ぐに手を引けないで(サウジなど旧与党国が怒っていますし)オタオタして来たのと同じです。
実は戦争と同じで縮小撤退作戦の方が攻める・・支配地拡大より何倍も難しいのですが,国民にはその難しさが理解出来ない面もあります。
23日書いたようにアメリカは世界の覇者の地位は堅苦しくてうまく行かない・・その地位を下りて、ロシア、中国レベルの地域大国程度の格式でお互いに域内で言いたい放題、やりたい放題やろうじゃないか!と言うレベルに戻りたい方向は変わらないと思われます。
中国もロシアも世界の覇者をやるのは「荷が重い」・・割に合わないことが分ってきて地域大国程度で満足する智恵として「域内で無茶苦茶やれる方が良い」それにはアメリカを含めてお互い相手地域のことには干渉しないと言う地域大国間の縄張り(秘密)合意が成り立つ可能性があります。
これが、習近平氏の言う太平洋2分論です。
日本にとって一番困るのはこれで,アジアは中国の勢力圏と勝手に世界分割されると,日本の行き場がなくなります。
韓国の場合にはこれを漏れ聞いていて急いで中国に尻尾を振ったように見えますし、フィリッピンその他の弱小国は誰が域内大国になっても強い方に尻尾を振れば言い・・山内一豊のように逸早く次に覇権を握りそうな陣営に馳せ参じる方に智恵を使えば足りる立場ですが、日本は簡単に中国になびくワケには行きません。
日本は古代聖徳太子の髄の煬帝に宛てた文書に明らかなように対等な「天子」を名乗りアジアで唯一一度も華夷秩序に入った歴史がありませんし、今でも中国よりも明白な文化的先進国です。
(日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや…)
煬帝は怒ったと言われますが,怒りながらも無視出来ず日本へ公式返礼使を送り出し正式国交が始まりました。
https://kotobank.jp/word/%E8%A3%B4%E4%B8%96%E6%B8%85-112880
裴世清
隋の煬帝の使者。推古 16 (608) 年6月第1回遣隋使小野妹子の帰国に伴われて来朝。日本の威信を示すために難波の鴻臚館に盛大に迎えられ,隋の国書,進物を朝廷に届けた。同年9月第2回遣隋使とともに帰国。
2回目以降の国書からは「天皇」と言う名称を使用するようになります。
 「東の天皇,敬(つつ)しみて,西の皇帝に白(もう)す」
対等どころか,モノ「白(もう)す」とは、上位者から目下に言うような表現ですし、東の天皇が西の皇帝に・・と言うのも地位の上下を表しています。
中国では古代から正規皇太子を「東宮(春宮)」と言い、約千数百年後の清朝末期にもこの習慣で「西太后」が有名ですが,本来東太后が正規皇后であり「西」は次順位を表しています。
日本の大相撲で見ても,東の横綱が正であり西は副の地位です。
随は高句麗との戦争のために当時日本を敵に回せなかった国際情勢があったので,この機微をついて国交開始の最初の国書冒頭に「日没する処の天子へ」と一発かました聖徳太子(実在かどうかの議論は別として日本政府レベル)の外交勝利です。
随はこれを受入れ正規に返礼使裴世清を送り国交開始したので,2回目以降は「天皇」の名称が公式に定着しました。
その後663年)日本は白村江の戦いで唐新羅連合軍に敗れて朝鮮半島での拠点を失いますが,このとき体制一新して防備を固めたので(唐は攻め寄せることが出来ず)唐は対等者としての日本の国使・遣唐使を受入れるしかなかったのです。
現在社会用語の大多数が明治以降に日本で考案した熟語をそのまま使っている状況になっていることから分るように、近代では日本上位期間にはいっています。
習近平氏は中華の栄華復興を言いますが,この地域にあった王朝が日本よりも上位に立ったことはなく元々対等関係だった日中関係が、近代以降日本がアジア諸国に対して樹立して来たヘゲモニーに対する挑戦者でしかないのですから,言わば「復活」とは歴史の改ざんをしていることになります。
日本と髄の文化的格差を比較すると以下のとおりです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E9%9A%8B%E4%BD%BF
「開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」
開皇二十年、俀王、姓は阿毎、字は多利思北孤、阿輩雞弥と号(な)づく。使いを遣わして闕(けつ)に詣(いた)る。上、所司(しょし)をしてその風俗を問わしむ。使者言う、俀王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未(いま)だ明けざる時、出でて政(まつりごと)を聴く。日出ずれば、すなわち理務を停(とど)めて云う、我が弟に委(ゆだ)ぬと。高祖曰く、此れ大いに義理なし。是に於て訓(おし)えて之を改めしむ。
・・・・・解釈
「倭王は、天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未だ明けざる時、出でて政を聴く。日出ずれば、すなわち理務を停めて弟に委ぬ」
これは、これで一つの文章であり、倭国の大王による、隋の皇帝に対する謎かけなのである。
この答えは「明けの明星」である。天は常にあるから一番目の「兄」であり、夜明け前に輝く金星(明けの明星)は二番目であり、三番目の「弟」である太陽が昇ると、金星(明けの明星)は見えなくなって(=理務を停めて)しまう。
つまり倭国の大王は隋の皇帝に対し、「あなたが天子=天の子なら、私は明けの明星ですよ」と、隠喩で述べているのである。
結局、この謎かけは隋の皇帝には理解されず、第二回遣隋使での直接的表現へとつながるのである。[独自研究?]」
太田道灌が,雨にあって「みの傘」を借りたくて立ち寄った先で、若い娘がみの傘の代わりに山吹の枝を差し出したの対して,立腹した話が有名です。
 七重八重ハナは咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき
と言う古歌をもじった娘の気持ちを理解出来なかったことを羞じて太田道灌が多いに反省したと言うお話です。
上記解釈(定説かどうか知りませんが)によれば聖徳太子の時代から直接的表現しない都会的洗練が発達していて、中華地域の民度レベルと我が国の文化度にこのような差があったのです。
幕末に来たペリー提督の文化度の低さに日本側が驚いたのと同じコトが西暦608年に既に起きていることが分ります。
平安時代に和風文化がイキナリ生まれたのではなく,(気持ちを表現するのにひらがな表記出来るようになったことが大きいだけ)その前に万葉集の時代(漢字を日本の発音に応用して漢字を(万葉仮名)利用出来るようになってから蒐集したに過ぎないのでどのクライ前からあったか不明・・から独特の深い人間理解の文化が生まれていたのです。

大アジア主義から三民主義→排日(光復)思想6)

以下は孫文が神戸で行なって大人気を博した大アジア主義の演説の要約ですが、これが排日運動に中心に変わって行った結果・・内政を怠っていた国民党が共産党に食い荒らされてしまった経過を見て行きます。
「孫文の講演の内容を次のように伝えています。孫文は、ヨーロッパの侵略によって衰退を続けたアジアが、日本による不平等条約の撤廃をきっかけに復興へと向かったこと、アジアの諸民族は日露戦争の日本の勝利によって勇気づけられ、独立運動を起こしたことを指摘します。その上で欧米の文化を物質的且つ武力的とし、東洋の文化を精神的道徳的であるとの対比を行い、東洋民族が一致団結して欧米と対抗することを呼びかけたと書かれています。」
マサに幕末から欧米的道義に対する日本の基本思想そのものを孫文が表向き?主張していたコトが分ります。
中国の現場から離れた日本での蹶起集会では高尚な議論が受けるでしょうが、清朝が現実に倒れてしまい、現実政治・・国内での支持者獲得競争が現実に始まると、大きな標語だけでは支持されません・要は実利・・支持者向けスローガンが必要です。
日本でも外交は票になり難いと言われる所以です。
上記孫文の演説によれば、アジア人の自立思想で革命?清朝打倒運動が始まった筈なのにいつの間にかアジア人同士争わせる欧米の術中にはまり、欧米の手先となって日本排撃が優先課題になってしまい、日中対立が基礎的目標になって行った原因を考えておきましょう。
孫文は世界国家論では国内の支持勢力を増やせないので、その後人民向けに三民主義・官吏の清廉性・農地分配・主権重視を発表して支持獲得競争に乗り出しましたが、国内勢力争いを繰り返しているうちにこれがいつの間にか後継者蒋介石によって反日闘争中心にすり替わって排日にのめり込んで行きます。
これまで書いて来たように蒋介石が北伐成功で支配地を獲得してみるとどうやって農地を地主から取り上げて分配するの?実現性がなかった・・実行出来なかったから,外に目を向けて一致団結を強調するしかなかったからでしょう。
元々蒋介石あるいは孫文らを支えて来た各地軍閥は各地の有産階層を支持基盤にしていますから、地主から農地を取り上げるのは無理があったのです。
ソ連でも農地の取り上げには農民の抵抗がありましたが、元々大領主・大貴族の元で農奴として働いていた人が多いのに比べて中国の場合細分化された地主層相手ですからこれを取り上げるのは簡単には行きません。
そこで地域大国のメンツを潰されたことに対する心情・・「日本のハナをアカしたい」と言う心情に訴えるのは、国内で反対勢力がいない・・利害対立する各派の支持を得るのに好都合で支持者獲得に大きな効果が期待出来たし、頭角を顕して来た日本叩き気分・・排日機運が充満している欧米(ドイツも日独同盟までは蒋介石に軍事援助していました)の絶大な応援が期待出来たからでしょう。
以上は一面的見方で書けば・・と言うだけで、日本が対支21か条要求など・・過剰要求?して行ったことも関係しますので日本を頼っていた蒋介石など親日派もドンドン反日に傾いて行った・・・(逆の立場から言えば、対支21か条要求も人によっては解釈の違いがあるでしょう)何事も一面だけでは判断出来ませんが、ある一面の見方を紹介しているだけです。
内政より外敵ばかり目標にしていた・・そうすれば米国から援助が来るし・・と言うことで国内の利害調整能力を磨く努力を怠っていたのですが、外敵日本がアメリカに敗戦してしまうと国民の目を向ける相手が国内の共産党しかなくなりました。
この最終戦・優勝決定戦で、蔣介石軍は対日戦の正面の戦いにうつつを抜かしていた国民党は、同党を日本の正面に据えて消耗させる戦術をとり、地道に国民の支持を増やしていた共産党に完敗してしまいました。
https://ja.wikipedia.org/wiki毛沢東によれば以下のとおりです。
「1937年7月7日に始まった日中戦争では抗日戦線を展開、国民党軍とともに、アメリカやソビエト連邦などの連合国から得た軍事援助を元に日本軍と対峙する。しかし、日中戦争において日本軍と交戦したのは主に国民党軍であった。共産党側は、朱徳率いる八路軍が日本軍へのゲリラ戦を行う以外は日本軍と国民党軍の交戦を傍観し、戦力を温存して、共産党支配地域の拡大に傾注したのである。この時期、毛沢東は「力の70%は勢力拡大、20%は妥協、10%は日本と戦うこと」という指令を発している[14]。なお毛がまとめた『持久戦論』では日本軍の戦略を「包囲は多いが殲滅が少ない」と批判している。毛沢東は延安で、日本軍が南京を陥落させたニュースを聞いて大喜びし、祝杯をあげ大酒を飲んだ。
毛沢東は裏で日本軍と手を結び、蒋介石と日本を戦わせて漁夫の利を得ていた。延安で八路軍が栽培していたアヘンの販売で日本軍と結託していた。また積極的に占領区内の日本軍と商売を行い、晋西北の各県は日本製品であふれていた。中共指導者と日本派遣軍最高司令部の間で長期間連携を保っていた。毛沢東の代理人は、南京の岡村寧次大将総本部隷属の人物であった[15]。」
英雄視されていたチャーチルも戦争が終われば用済みとなって、次の選挙で負けましたた。
パク大統領も対日悪宣伝外交に専念していたので、日韓合意の後でイザ内政に戻ると惨憺たる有様です。
共産党政権が農地分配を実行・・強制出来たのは、競争相手がいなくなった・・独占勢力になったので政敵の動向を気にする必要がなくなったので、強引なことが出来た・スターリンが国営農場化反対農民をドンドンシベリアに送ったように、中国共産党の強権・・地主や自作農が土地を取り上げられても抵抗出来なかったからです。
中共政権も権謀術数で国民党の支配を切り崩して来ただけで,戦後直ぐの片山内閣や日本の民主党同様に政権を取ると具体的内政能力がないので大変です。
三民主義の思想継承で、分配実行までは強権支配の良い面・・実行力を示せたのですが、分配が終わってみると、(有産階層を追放すると実務能力がさらになくなります)生産性低下のマイナス効果に脅かされて行きます。
どうして良いか分らないので、スターリンの場合粛清に続く粛清で政敵を倒して来たことが有名ですが、毛沢東の人生を見るとほぼスターリンの踏襲で頭角を現し、最後まで粛清(文化大革命も大掛かりなだけでその一種です)によって地位を維持して来たといえるでしょう。
中ソ対決はフルシチョフが粛清に継ぐ粛清をして来たスターリン批判をしたことを、修正主義と毛沢東が批判して、中ソ対立が始まったものです。
政敵を黙らせる道具として修正主義批判・レッテル貼りが便利なツールとなり、以後共産主義独裁国家に於いては粛清の道具・・民主国家に於いては左翼系が支配するマスコミ界・・言論空間で盛んに歴史修正主義者と言うレッテル張りが行なわれるようになりました。
蒋介石同様にアメリカの後ろ盾があってのことですが、これさえ言えば政敵や意見の違う言論人をマスコミ等言論空間から全面的シャットアウト出来る便利なツールになります。
毛沢東のフルシチョフ批判は、ちょうど明治日本が開国したのを朝鮮が批判してバカにしていた(これに対して征韓論が起きました)のに似ています。
鄧小平の改革開放を北朝鮮が「裏切り者」と批判するような超反動的レッテル貼りになります。

 二重支配解消と日本対中朝対立の始まり1

朝鮮が日本の働きかけに煮え切らなかったのは、頑迷固陋というだけではなく、宗主国清朝の許可を得なければならないという法的言い訳もあったでしょうし、これを半ば信じていたと言うか仮に属国とすれば法的にはそのとおりですから、朝鮮独立→ロシアの南下に対する防波堤とするには日朝協調のために解決すべき法理でもあったのです。
当時清朝は前近代的朝貢関係の属国を近代法の属国へと切り替えるつもりで、以前より朝鮮支配を強化していました。
朝貢関係程度では清朝支配の領土として国際法的に認められず、侵略に対する有効な法的抗議が出来なかったことによります。
沖縄(当時琉球)の関係もどっち付かずでお互いに旗幟を明らかにせずに都合良く利用しているような・・よく言えば大人の智恵的な関係したが、当時押し寄せて来た西洋法理では所有権は絶対でこんなあやふやな関係では所有者がいないものと見なして、だれが占領しても良いという西洋に都合の良い法理でした。
この法理によってアメリカ大陸や太平洋の諸島で誰の領有かはっきりしない場所(現地住民・一定の社会組織があるのにこれを無視して)では、先に国旗を建てた方が勝ちみたいな植民地化/西洋による領有化が進んだのです。
ローマ法→ナポレオン法典を源流とする民法に書いてある「無主物先占」法理の国際法版です。
民法
(無主物の帰属)
第二百三十九条  所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する。
2  所有者のない不動産は、国庫に帰属する。
この結果、極東地域では、アヤフヤな二重支配関係をどちらに帰属するかの整理を早急にしないと西洋諸国に占領されても文句言えないことから、単一支配に整理する必要性が出て来て、日中朝鮮3ヶ国の調整を迫られました。
当時の力関係で台湾は清朝に、沖縄と対馬は完全な日本にとなりました。
樺太・千島は、日露交換条約で樺太を譲り千島列島は全部日本となって行ったのです。
日本にとっては樺太と千島列島北半分の交換では大分条件が違う・・損な印象ですが、領土の広さよりは軍事的観点から見ると当時ロシアが太平洋に出られないようにすることに英国など他の西洋諸国の関心があって,この意向を受けていた日本が受諾したのではないでしょうか?
明治新政府は清朝李氏朝鮮がこうした領土確定交渉に忙しかったことが、それまでこれと言って争いのなかった中国や朝鮮との仲違いが始まっている元凶になっているとも考えられます。
中国や朝鮮はこのときの力関係(戦争によるものではないものの)で決まったので、日本に良いようにやられた・・許せないと言うのが国論になっているのでしょう。
(とは言うものの実際上の支配の強かった方に決まって行った点では、結果妥当と思うのは日本人である私の贔屓目でしょうか?)
所有権絶対の法理は既に何回か紹介しています。
我が国ではその前には所有権概念がなかったのです。
・・農地で言えば領主のものか地主のものかはたまた地元豪族のものか・・重層的支配が普通だったこと・・・城や城下の屋敷や建物も国替えの都度売って行ったのではなく、そのままおいて行くのが普通だったし誰の所有か実ははっきりしていませんでした。
・・忠臣蔵の吉良上野の屋敷替えでもそうですが、元の屋敷の建物を取り壊して移築などせずに、ただで出て行った筈です。
赤穂藩も領地没収されるだけではなく、お城その他のものもみんな無償で引き渡し命令を受けるので自分の物という意識はありません。
この辺の法理については、07/03/07「配偶者相続と所有権の多様性4(民法207)」December 8,2010「フランス大革命と所有権の絶対4」前後で連載しました。

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