EUの中国離れ→(EU弱体化と対日EPA・フランス混迷)2

対EUEPAに関する政府発表は以下の通りです。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/ie/page22_003091.html

(参考)
日本のEPA・FTAこれまで21か国・地域と18の経済連携協定(EPA)が発効済・署名
済(2018年7月現在)。
EUの最近のEPA・FTA・韓国:2010年10月署名・カナダ:2016年10月署名
日・EU経済連携協定
背景
<経緯>
2013年 3月 交渉開始決定
2017年 7月 大枠合意
2017年 12月 交渉妥結
2018年 7月 署名
本協定はアベノミクスの成長戦略の重要な柱(総理施政方針演説等)。
日本の実質GDPを約1%(約5兆円)押し上げ,雇用は約0.5%(約29万人)増加の見込み。
(内閣官房TPP等政府対策本部による試算)
自由で公正なルールに基づく,21世紀の経済秩序のモデル
(国有企業,知的財産,規制協力等)。
世界GDPの約3割,世界貿易の約4割を占める世界最大級の自由な先進経済圏が誕生。
(EUのGDPは17.3兆ドル(世界GDPの21.7%)。日本のGDPは4.9兆ドル(世界GDPの6.1%)。)
⇒ 早期締結は,日EUが引き続き貿易自由化の旗手として世界に範を示し続けるとの力
強いメッセージ。
⇒ 日EU双方の経済界には早期締結への期待あり。日EU首脳間でも早期発効を目指すことを繰り返し確認している。EU側は,12月13日に欧州議会,20日に理事会の承認を得られる見込み。
(カタイネン欧州委員会副委員長による10月23日の記者会見での発言)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181208/k10011739531000.html

日本とEUの経済連携協定 国会で承認 来年2月発効へ
2018年12月8日 6時04分
協定の発効に向けて国会承認を求める議案は、6日の参議院外交防衛委員会で可決され、8日未明開かれた参議院本会議で採決が行われました。
その結果、自民・公明両党と日本維新の会、希望の党などの賛成多数で可決・承認されました。
EU側は今月下旬に承認手続きを終える見通しで、協定は、来年2月に発効されることになります。

立憲民主などの野党はいつも何かと「この点がはっきりしないと賛同できない」と不満を言って(ケチをつけては?)は日本にメリットのアリそうな政治は結果的いつも反対であり、少しでも先送りしたい姿勢です。
働き方改革であれ、外国人労働者拡大であれ、法律段階では一定の方向へ踏み切るかどうかを決めるのが中心テーマであり、方向性・大綱を決めるのが政治家・政党の論じるべき争点です。
このために多くの法律では施行後数〜5年程度で運用実績をみて再考する規定が置かれているのが普通です。
ですから細かいデータが違っていることは法案反対の理由にはなりません。
神様のような予測できないのですから、枝葉末節のデータの粗探し・・そのデータが整うまでは議論できないとして審議拒否する・・そんなことを言っている・・百年河清を待つような議論・反対のための反対・・ケチをつける類ではないでしょうか。
最後はいつも決まりの不信任決議案提出等での時間稼ぎですから、そんなことをするために国会議員がいるのか不思議に思う人の方が多いでしょう。
これではどこの国のための運動なのか?という疑念が起きて国民の支持が減る一方でしょう。
EUの混迷に戻ります。
フランスではこの10日間ほどマクロン下ろしの大騒動が連日報道されている状態です。
https://news.nifty.com/article/item/neta/12189-20161909025/
2018年12月08日 15時00分

閣僚は次々と辞任し、パリでは激しい大規模デモ 低支持率に悩むマクロン大統領の行く末
昨年の5月に39歳の若さでフランス大統領に就いたフランスのエマニュエル=マクロン氏が燃料税増税方針を先月、発表した。それに端を発して抗議デモが全国各地で勃発し、、パリで一部が暴徒化し、建物が破壊され車両が炎上する事態にまで発展した。
マクロン氏は減税などで大企業や富裕層を優遇してきた。マクロン氏は「金持ち大統領」と批判されてきた。庶民の怒りは頂点に達し、社会の不平等に対する不満が爆発。支持率は発足一年半年で66%あった支持率が12月4日の調査では23%まで落ちた。

この騒動を受けて、数日前マクロン政府は来年1月1日から始まる予定だった燃料税アップ撤回発表していますが、それでも騒動が収まらず12月8日の週末デモが強行されたとニュースになっています。
https://www.asahi.co.jp/webnews/ann_i_000142645.html

フランス 政権へ不満爆発でデモ再び 1300人超拘束
12/9 06:20
燃料税の増税をきっかけに始まったデモは、政府が増税の見送りを発表しても暴動が収まる気配はなく、事態収束の見通しは全く立っていません。

 二重支配解消と日本対中朝対立の始まり1

朝鮮が日本の働きかけに煮え切らなかったのは、頑迷固陋というだけではなく、宗主国清朝の許可を得なければならないという法的言い訳もあったでしょうし、これを半ば信じていたと言うか仮に属国とすれば法的にはそのとおりですから、朝鮮独立→ロシアの南下に対する防波堤とするには日朝協調のために解決すべき法理でもあったのです。
当時清朝は前近代的朝貢関係の属国を近代法の属国へと切り替えるつもりで、以前より朝鮮支配を強化していました。
朝貢関係程度では清朝支配の領土として国際法的に認められず、侵略に対する有効な法的抗議が出来なかったことによります。
沖縄(当時琉球)の関係もどっち付かずでお互いに旗幟を明らかにせずに都合良く利用しているような・・よく言えば大人の智恵的な関係したが、当時押し寄せて来た西洋法理では所有権は絶対でこんなあやふやな関係では所有者がいないものと見なして、だれが占領しても良いという西洋に都合の良い法理でした。
この法理によってアメリカ大陸や太平洋の諸島で誰の領有かはっきりしない場所(現地住民・一定の社会組織があるのにこれを無視して)では、先に国旗を建てた方が勝ちみたいな植民地化/西洋による領有化が進んだのです。
ローマ法→ナポレオン法典を源流とする民法に書いてある「無主物先占」法理の国際法版です。
民法
(無主物の帰属)
第二百三十九条  所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する。
2  所有者のない不動産は、国庫に帰属する。
この結果、極東地域では、アヤフヤな二重支配関係をどちらに帰属するかの整理を早急にしないと西洋諸国に占領されても文句言えないことから、単一支配に整理する必要性が出て来て、日中朝鮮3ヶ国の調整を迫られました。
当時の力関係で台湾は清朝に、沖縄と対馬は完全な日本にとなりました。
樺太・千島は、日露交換条約で樺太を譲り千島列島は全部日本となって行ったのです。
日本にとっては樺太と千島列島北半分の交換では大分条件が違う・・損な印象ですが、領土の広さよりは軍事的観点から見ると当時ロシアが太平洋に出られないようにすることに英国など他の西洋諸国の関心があって,この意向を受けていた日本が受諾したのではないでしょうか?
明治新政府は清朝李氏朝鮮がこうした領土確定交渉に忙しかったことが、それまでこれと言って争いのなかった中国や朝鮮との仲違いが始まっている元凶になっているとも考えられます。
中国や朝鮮はこのときの力関係(戦争によるものではないものの)で決まったので、日本に良いようにやられた・・許せないと言うのが国論になっているのでしょう。
(とは言うものの実際上の支配の強かった方に決まって行った点では、結果妥当と思うのは日本人である私の贔屓目でしょうか?)
所有権絶対の法理は既に何回か紹介しています。
我が国ではその前には所有権概念がなかったのです。
・・農地で言えば領主のものか地主のものかはたまた地元豪族のものか・・重層的支配が普通だったこと・・・城や城下の屋敷や建物も国替えの都度売って行ったのではなく、そのままおいて行くのが普通だったし誰の所有か実ははっきりしていませんでした。
・・忠臣蔵の吉良上野の屋敷替えでもそうですが、元の屋敷の建物を取り壊して移築などせずに、ただで出て行った筈です。
赤穂藩も領地没収されるだけではなく、お城その他のものもみんな無償で引き渡し命令を受けるので自分の物という意識はありません。
この辺の法理については、07/03/07「配偶者相続と所有権の多様性4(民法207)」December 8,2010「フランス大革命と所有権の絶対4」前後で連載しました。

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