不満社会5(余剰エネルギー)

韓国では庶民一般が、何か「怒っても良い(メデイアによる公認?)対象」が見つかるとこの機会に!とばかりに「過激に反応する」事例・セウオール号事件被害者の特権的振る舞い・・被害者集団の過激行動の報道に驚かされます。
韓国による対日慰安婦攻勢以来、日本では「被害者ビジネス」表現が一般化しましたが、韓国の急成長による歪み・・ついていけない弱者の不満が積もり積もっている様子です。
メデイアで何か事件の被害者と公認されると小さな子供が駄駄を捏ねるみたいに暴れまくる気持ちは、一方でなけなしの金をつぎ込んで子供を留学させて国外脱出の夢を子供に托す人の多さにも、自殺率の高さにも現れている共通心理・・目の前の難局を自力解決するより外部環境に頼る国民性を表しています。
西欧列強が押し寄せた19世紀後半以降の国家存亡の危機に遭遇しても、清朝が頼りにならないとなると〜ロシア〜日本に頼り戦後はアメリカに頼っていましたが、中国の将来性が高まると?再び中国に擦り寄り始めるなど要は外部環境次第の国です。
もともと李氏朝鮮の国是を事大(大に事(つか)える主義といい、強大な隣国・宋〜明〜清歴代王朝に仕えて小国の統治権を保障してもらう代わりに朝貢して礼を尽くす」という自己体制保障の思想です。
これ自体戦国時代の地方豪族(小名)が地域覇者の傘下に組み入れられていくの(最後は幕藩体制成立)と、何ら変わらないことですが、事大主義の国として国際的評価として定着したのは19世紀後半以降の国家運営の処し方が右顧左眄しすぎ・主体性のなさがひどすぎたので、国際的に愛想をつかされてこのように言われるようになったのでしょう。
本来の意義は以下紹介の百科事典の意味だったでしょうが、19世紀末以降では大辞林の意味で理解する人の方が多いのではないでしょうか?
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%8B%E5%A4%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9-520334

世界大百科事典 第2版の解説
じだいしゅぎ【事大主義】
小国が礼をもって大国に事(つか)えること,また転じて勢力の強いものにつき従う行動様式をさす。《孟子》梁恵王章句下に,斉の宣王が隣国と交わる道を問うたのに対し,孟子は〈大を以て小に事うる(以大事小)者は天下を保(やす)んじ,小を以て大に事うる(以小事大)者は其の国を保んず〉と答えた故事に由来している。 朝鮮史では,李朝の対中国外交政策を事大主義と称する。1392年,高麗王朝に代わって李成桂が創建した李朝は,その前期には明,後期には清に対する〈以小事大〉の礼をもって国号と王位の承認を得て国内の統治権を強化し,定例的な朝貢使(燕行使)の派遣にともなう官貿易によって経済的利益を得,1592‐98年に豊臣秀吉の侵略をうけたときは明軍の支援を得た。

大辞林 第三版の解説
① 勢力の強い者に追随して自己保身を図る態度・傾向。朝鮮史では朝鮮王朝のとった対中国従属政策をいう。 → 事大党
② 全体に対する見通しもなく瑣末さまつなことを誇大に騒ぎ立てる態度。

今回の文政権は、米国と北朝鮮の仲を取り持つという触れ込みですが、複雑な国際交渉の仲介役になるには相応の国際経験と裏付となる国力が必須です。
韓国にそんな能力がないのは明白ですので、取り持つのではなくむしろ点数稼ぎ目的が見え見えです。
文氏のお膳立てのごとく吹聴していた2月末頃の米朝会談があっという間の決裂に終わり、世界的恥をかいたのでその修復のためになんとかトランプ氏との会談を求めて4月11日の会談にこぎつけたようですが、反日の象徴的大行事を欠席してまでしてようやく実現したのになんとわずか2分しか会談時間がなかったと報じられています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190412-00000012-ykf-int

文大統領“屈辱” 米韓首脳会談たった「2分」 北への制裁解除熱望も成果ゼロ
4/12(金) 16:56配信
ドナルド・トランプ米大統領が、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領との首脳会談で「冷淡」姿勢を貫いた。北朝鮮への制裁解除や、南北共同事業再開を熱望する文氏に対し、トランプ氏は否定的見解を示したのだ。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との3回目の首脳会談についても、急がない方針を打ち出した。米韓首脳がサシで話した時間はわずか2分程度で、踏み込んだ交渉はできなかったとみられる。「大韓民国臨時政府発足100周年」という重要な記念日に、自国を留守にしてまで訪米した文氏だったが、ほぼ、「成果ゼロ」で終わったようだ。

パク前大統領の中国の対日勝利式典(西側諸国では韓国のみ)出席に始まる対中接近〜文政権の反日政策と米国への擦り寄り直しなど・・これこそが現在式「事大主義」の発露というべきでしょうか?
歴代政治家は日本非難ばかりで国民の不満を外らせようとするし、国民もみんなで難局打開へ努力する気持ちがない・・政治家も無理だと諦めているのでしょう。
日本が(江戸時代の経験を活かし)高度成長期の歪みをうまく切り抜けたような是正策がうまくいかない・・基本的な社会の脆弱性・・家庭崩壊?→親の愛情不足あるいは、社会全体の弱者包容力不足がもたらしたものでしょう。
米国(の場合、ホームレス問題を連載しました)も西欧(フランスの黄色いベスト運動やテロ続発)も中国も同様ですが、成長軌道に舵を切りすぎて競争激化による社会の分断・急激な変化についていけない階層の不満が積もり積もってその限界点がきている・・世界中で騒動が増えてきた原因になってきたように見えます。
成長から取り残されて不満蓄積している人たちは、(北朝鮮のように成長していない・取り残されることがない方が政情は安定します)日頃合法生活をしているがチャンスがあると合法非合法の境界をちょっとはみ出したい予備軍になっているというべきでしょうか?
アメリカなどで洪水被害等があると助け合うどころか、略奪等の違法行為蔓延が一般的であり、このためにまず軍が出動して治安維持する姿が普通の報道でした。
日本では自衛隊出動は(助け合いの延長)救護活動目的であって、治安目的ではないので軍の出動といっても意味が違います。

不満社会?4(統一地方選挙に見る民意)

もともと「全数検査や直接訪問など無駄なことだからやめよう」となった・・真面目な公務員が無駄を省くのを考えたが上(審査会の審議を経る必要あるのを気がつかなかった?)の許可を取っていなかっただけ?のような話です。
公務員がサボったのではなく・厚労省が直接する職務でなく「東京都が全数調査や会社訪問をしなくて良い」というお墨付きを与えただけ)国民のために無駄な調査コストをかけるのをやめようという動機こそ褒めるべきではないでしょうか?
うがった見方をすれば統計学者が擁護しないのは、自分らが気づかないで放置していた点に現場が気づいて自分らにお伺いなく実行してしまったことが腹立たしいからでしょうか?
世論調査や、消費者物価指数等調査手法でわかるように統計の基本はサンプル調査であって、全数調査などしていたらイクラ予算・税金を徴収しても足りません。
昨日見たところによれば、統計調査手抜き?(無駄な調査を省いたの)は1996年から始まっているのですが、統計不正?(結果が良くても上司の許可を得ずに簡略化した不正)?を追及している野党政治家が当時所属していた民主党政権時代(2009〜11年)にも気がつかなかったことでした。
(政治家が政党所属さえ変えれば、過去に属していた党の従来主張の責任を免れるかのテーマは別に書きます)
野党が自分らの政権時代に自民党同様に気がつかなかった責任に触れずに現政権の責任追及ばかりで、どうやってこれを防ぐべきかの提案がない野党の存在価値を国民は認めなくなっているのではないでしょうか?
国会論戦のあり方は与野党どちらの提案の方がいいかどうかの論戦であり、自分の政権時放置していたやり方を自分が野党になると、現政権の責任=「不正」と追及するのは論理矛盾と受けとめる国民の方が多いでしょう・・。
アラ探しといえば、今朝の日経新聞では桜田五輪担当大臣の失言による辞任が出ていました。
野党が色めき立つのは失言追及が目立ち、政策論争で野党の存在を示す場面がほとんどないのが不思議です。
こういうアラ探し中心の野党の存在意義を国民がどう受けて止めているかです。
4月7日の統一地方選での知事選結果発表を見ると11知事選で与党系が10道県知事で勝利し、負けたのは大阪府市だけでした。
特に革新系の強固な地盤とされていた北海道で与野党がっぷり四つの対決で、大差で自民党推薦の新人候補が圧勝したことが象徴的です。
a.wikipedia.org/wiki/2019年北海道知事選挙#選挙結果

候補者名 年齢  得票数  得票率  推薦・支持
鈴木直道 38 1,621,171票 62.7%  推薦:自民・公明・大地
石川知裕 45 963,942票 37.3% 推薦:立民・国民・共産・自由・社民

福岡や島根県では保守分裂選挙でしたが、分裂選挙は主に保守王国で起きている・・分裂しても保守が制しているなど、革新系野党は保守分裂でも勝てない惨状です。
自民党に勝った大阪維新は不満代弁・煽り型でなく、都構想など提案型政党のイメージです。
しかも維新と自民党は安保法など重要法案では事実上政策共有しているので、(党は別として内閣中枢とは緊密な関係・・二階幹事長が大阪維新と真っ向勝負しているのに菅官房長官が大阪に入らなかったことを二階氏がチクリと批判している・・事実上保守分裂型です)不満煽り型・革新系野党は全敗でした。
県議市議は多数ですので全敗はあり得ないのですが、概ね共産党と国民の市議が立憲民主に食われている印象で、トータルでは与党系増加で終わった印象です。
話題が年金記録消失や統計問題や統一地方選挙の結果に逸れましたが、不満暴発(不満を煽るメデイア?政治団体?)社会に戻ります。
日本の場合一時荒れる学校などが社会問題になりましたが、子育て環境整備・エネルギー発散受け皿整備に成功したことによって安定型社会に戻った印象ですが、内部処理に失敗して内向化している人も一定数いるでしょう。
その比率を如何に縮減していくかうまく社会で受け入れていくかの知恵が社会の能力・民度です。
江戸時代に入って戦国時代に必要であった粗暴系エネルギーを、各地のお祭りに昇華していったのと同じ工夫が必要です。
粗暴系縮小→学校現場では部活でくたびれさせ、一定レベル以上の場合、社会人野球やラグビー等々その他で官民共同でエネルギー吸収を図り、他方で世代交代によってソフト系進化が進みました。
日本の若者が草食系男子と言われるほどになりましたが、今ではソフト系の中で落ちこぼれる人の(内面)救済が必要な時代です。
多くの人は自分の内部でうまく処理して人間関係を円滑にし、お祭り参加・スポーツや趣味・草花や、ペット等への愛情等で幸せに生きるすべを身に付ける人と、内部処理に失敗して引きこもりその他家族のフォロー等で何とかなっている人、内部処理失敗でうつ病その他精神に病を持つ人まで色々います。
その中で活動的なタイプでは、内向している不満を合法的に発散できるチャンスがあると、このチャンスとばかりに付和雷同型・・不満を発散したい人が一定数でてきます。
ただし日本では活動的タイプでは自己実現のチャンスが多い・日常的には企業の運動会や地元のお祭り参加で主役を張れる機会が多いばかりか、災害現場に出かけて救援活動参加など陽のあたる活動のチャンスが多いので、粗暴系暴発エネルギーが溜まっていない社会です。
欧米で災害があると略奪や破壊に走るエネルギーを日本では救援活動のエネルギーに転化させて彼らを賞賛する社会です。
ただし、有名人や社会的成功者が何かのキッカケで槍玉に挙げられると、これに便乗していわゆる炎上を煽る人になるのでしょう。
この種の鬱憤ばらしには体力がいらず、しかも匿名参加のできるメリットを利用している(いわば卑怯者)のです。
日本にもはけ口を求めている一定の不満分子がいますが、ネット発信中心(同一人が別人を装った多数投稿可能)なので「炎上」といっても実数不明です。
西洋のフーリガンや略奪行動などは無意識のうちに溜まっている不満鬱屈のエネルギーを機会をみては本能に基づいてエネルギー発散している・・体力派の不満がなお大きいようです。

自己実現と社会関係4(自己実現説批判)

以上は私がちょっとネットで漁ってわかった程度の思考レベルで自己実現論批判を書いているのはおこがましい次第ですが、(私が知らないだけで芦部教授がどういう理屈付けで心理学の思考を法学に架橋するのに成功しているのかすら(まだ文献を漁っていないので)実は不明です。
素人の無責任おしゃべりとしてお読みくだされば良いという程度です。
芦部説が一世を風靡して以降(現在の60歳代以降の中堅?若手)法律学徒では「自己実現」という(意味不明の)マジック的用語が(裸の王様のごとく)牢固として根付いてしまったように見えます。
「三つ子の魂百まで」と言われています。
司法試験と学者の関係では、この5〜60年では司法試験も合格できないレベルで内部昇格で学者になれるのか?という我々部外者常識が?行き渡り、まず司法試験合格が学者への登竜門になっているとすれば、司法試験受験勉強で染み付いた思考方式の影響力は強力です。
昨日紹介した部分を再引用をしますが、

「受験生の中には表現の自由に関する問題が出題されたときには、何が何でも答案のどこかにこれを書かなければならない、これを書かないと減点される、という強迫観念さえ持っている人がいる。」

表現の自由関連の問題が出た場合、芦部説に言及しないとならないほどマニュアル化しているようです。
マニュアル化と言えば小泉政権の司法改革時に言われていた意見では、
司法試験受験予備校が大盛況時代になっていて、受験予備校では深く考えるのではなくあらゆる問題を定式化した教え方が中心・・丸暗記中心で何の疑問も持たずに効率よく勉強したものが合格する仕組みになっている弊害が大きなテーマになっていて、これが「プロセス重視の法科大学院」制度創設・・必須化に繋がった経緯があります。
当時の修習生に対する批判として「実際の事件等の起案をさせるとどこに正解文献があるかの質問が来る・・自分で考えろと言っても自分で考え抜く勉強をしたことがないようだ」という便乗的?苦情も寄せられていました。
(小泉内閣時代の司法改革では・私はその頃日弁連の司法問題対策委員〜司法修習委員をしていてその渦中にいました)
高邁な論文を理解するために行間を読み?試行錯誤して理解してきた愚直な世代と違い、予備校→定式の丸暗記時代を経てきた世代(現在の60歳前後以降の中堅若手)にとっては、疑問を抱く前にまず「理解」しようと努力した人が大多数になっていることになりそうです。
ただし、そういう批判をしょっちゅう聞いていましたが、私自身の感想としては、昔からある「今の若者は・・・」式の批判に似ているなあ!と感じていました。
今になるといわゆるデジタル思考向きで実務家向き勉強法でないか?・・皆が「ああでもないこうでもない」と考え込む学者になる必要がないので合理的という意見の方が多いのではないでしょうか?
中高校生が与えられた数学の公式や物理の原理に疑問を持たず(・・難しいことは数学・物理学者に任せて)数式を解くのと同じで良いのではないでしょうか?
私の受験勉強頃にはまだ芦部氏は学者の一人でしかなく、彼の学説を知らないと合格できないような権威でもなかったので、自己実現論が脳内に浸透していないので深く知らない弱点もありますが、(その分自分の知っている学説に固執したい利害がない)自由な発想で批判できるとも言えます。
ただし、学者になるほどの人材が意味不明のまま物分かり良く理解したつもり(定式を記憶していた程度)の人ばかりではないでしょうが、批判論が表面に出にくいのは学会が東大閥に牛耳られているからか?または秀才とは疑問を持たないで素直に教えを吸収する人の謂いであるとすれば、意外に怪しい能力・・頭の硬い人の集まりかも分かりません。
Jul 12, 2018「表現の自由(自己実現・自己統治)とは2」で自己実現論を紹介しましたが、そのシリーズで紹介した判例時報特集号(平成29年11月3日発行)では、自己実現理論は自明の学説であるかのような書き方でこれに対する批判論に触れていない特集でした。
どう特集号の冒頭を飾る毛利透氏論文は芦部氏に心酔しているような部分も有ります・同氏は現在京大教授ですが、東大卒→助手を経ているようです。
私はこの特集号で初めてこういう憲法論を知り、しかもいつの間にか主流になっているらしいのに衝撃を受けて昨年からこのコラムで紹介してきたのですが、以下に紹介する批判論もあるのに反論することもしないで「すでに決まったことだ」という思考停止状態のママなのでしょうか?
もしかして自己実現説の学者グループが危機感を元に結集した論文集かもしれません。
とはいえ今はネット公開時代ですので、東大系に干される(発言の場を失う)のを恐れる人ばかりではなく、批判説がネットに出るようになってきたようです。
表現=自己実現という理解は逆からの=が成り立つか?「逆は真ならず」の原理が成り立つから間違っていると23日紹介した記事に書いていましたのでその一部を引用します。
3月23日引用の続きです。
http://nota.jp/group/kenpo/?20061016104219.html

自己実現と自己統治
表現の自由=自己実現?
イコールを数学的な意味で必要十分条件だとするならば、両者は決してイコールではない。表現の自由が自己実現の1つであり、それに含まれるというのは正しい。つまり表現の自由⇒自己実現というのは正しいが、その逆の自己実現⇒表現の自由というのは正しくない。
「自己、自己と二つ同じ言葉が並んでいるので語呂はいい。そして覚えやすい。しかし、その真義はと聞かれると何とも曖昧模糊としてつかみどころがないのだ。」
(私・稲垣流に言えば、心理学用語を深く理解せずに法律学に借用した?からこう言うことになるのではないかと思います)
「自己実現と自己統治は表現の自由の根拠として万能の議論であるどころか部分的にしか成り立たない議論である。」

さすがに学者はいいことをズバリ書いています。
23日のコラムで夜中に奇声発したりピアノ練習や発声法の練習をするのは自己実現行為であっても、社会との関係性を考慮しなければならない筈・心理学と違って法律学は社会との調整視点が必須であると書きました。
自己実現理論に対する批判論は、これを論理的に説明するものでしょう。
自己実現と表現の自由を=で結んではいけないのです。
自己実現行為でも周囲に迷惑をかけないようにする必要や公共の福祉の制限があるし、法による禁止がなくとも社会的許容範囲を逸脱してはないけないという含意です。

自己実現と社会の関係3

自己実現理論の本籍である心理学の解説を見ましょう。
ウイキペデイアによれば以下の通りです。

自己実現理論(英: Maslow’s hierarchy of needs)とは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。
自己実現論、(マズローの)欲求段階説、欲求5段階説、など、別の異なる呼称がある。
ピラミッド状の階層を成し、マズローが提唱した人間の基本的欲求を、高次の欲求(上)から並べる[1]。

    • 自己実現の欲求 (Self-actualization)
    • 承認(尊重)の欲求 (Esteem)
    • 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
    • 安全の欲求 (Safety needs)
    • 生理的欲求 (Physiological needs)

以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。
自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。芸能界などを目指してアルバイト生活をする若者は、「社会要求」「承認の欲求」を飛び越えて自己実現を目指している。
1969年にスタニスラフ・グロフと共にトランスパーソナル学会を設立した[3]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/

人間性心理学(英語:humanistic psychology)とは、主体性・創造性・自己実現といった人間の肯定的側面を強調した心理学の潮流である。ヒューマニスティック心理学とも呼ばれる。
それまで支配的であった精神分析や行動主義との間に1960年代に生まれた第三の心理学とされる。
それまでの心理学では、行動の原因の動機として空腹などの単純な特定の欲求を満たすような欠乏動機(deficiency motivation)に重点を置いて満足してしまっていたが、マズローはそれだけでは説明できない人間のある種の成長への欲求を存在動機(being motivation)と呼び、より高次の価値を求める人間について研究しようとしたのである[2]。現在では、マズローの自己実現理論は高校の教科書にも記述されるほど広く知られるようになっている[2]。
提唱者であるアブラハム・マズローは、精神分析を第一勢力、行動主義を第二勢力、人間性心理学を第三勢力と位置づけた。人間性心理学は人間性回復運動の支柱ともなった。また後に、人間性心理学に続きトランスパーソナル心理学が登場する。

自己実現理論は米国で1960年頃から最高潮に達したようですが、すぐに下火になります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アブラハム

マズローの着想は科学的な厳密さの欠如により多々批判されている。
ひとつはアメリカの経験論哲学者による、科学的に脆弱だというもの[3]。2006年には、Christina Hoff SommersとSally Satelが経験的実証の欠如により、マズローの着想は時代遅れであり「もはやアカデミックな心理学の世界では真面目に取り上げられてはいない」と断言した
5段階欲求という図式は、西洋的な価値判断またイデオロギーにバイアスがかかっているとして非難されている。多数の文化心理学者が、この概念を他の文化、社会と関連付けて考慮したところ、一般原理として採用することは到底できないと述べている

上記の通り米国では批判されてしまったようです。
(ただしその後米国でその系譜がどうなっているか、日本の心理学会でどうなっているかも私には不明です。)
心理学会の分野は別として、憲法論としての自己実現理論については上記批判論の最後の「文化、社会と関連付けて考慮したところ、一般原理として採用することは到底できない」という批判部分が重要ですが、これに対して日本では大した批判もないのかな?
心理学と法学との架橋理論づけがはっきりしないまま(「私には」という限定です)の法理論への流用なのにこれの批判すらほとんどない?ままのようです。
明日以降紹介する判例時報増刊号の論文を紹介するように、今も表現の自由=自己実現説が通説的地位を占めているように見えます。
23日に自己実現論を引用紹介した文書には、
「受験生の中には表現の自由に関する問題が出題されたときには、何が何でも答案のどこかにこれを書かなければならない、これを書かないと減点される、という強迫観念さえ持っている人がいる。」
というのですが、日本では司法試験の基本テキストになれば・・意味不明でも丸暗記してわかったような気持ちになって書かないと合格できなくなった(東大教授の権威が高すぎる?)ことが大きいのでしょう。

日本の危機対応力4(独立へ)

極限状況に追い詰められた多くの国民が皇居前で跪いて泣き崩れていた情景が時折写真等で見かけます。
メデイアは「戦争が終わってホッとした」というような感想ばかり拾って繰り替し報道していますが、皇居前に集まった人の背後には将来不安におののく巨万の国民がいたことは間違いがないでしょう。
米軍支配がポツダセム宣言違反だとか米兵の婦女暴行事件頻発等に憤りを感じて「暴発する」とこれ幸いと厳しい弾圧が待っている・テロ→弾圧→過激テロのエスカレート・・今のシリアのようなことをしていると、民族消滅につながりかねません。
ここで民族消滅の危機にならないように、「耐え難きを耐え・」の心構えを国民の多くが心に刻んだのではないでしょうか?
「私のような当時幼児期をすごした人間でもこの文言をお経のように聞かされて育った所以です。

然レト(ど)モ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び) 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ 為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ

「耐え難きを耐え」て「総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 」
と復興に頑張ってきた結果、ついに日本が念願の(社会党など独立を願わない勢力がいましたが)独立を回復できる時期がきました。
日本民族の多くにとって待ち望んだ独立達成でしたが、これを快く思わない勢力はもちろんいます。
異民族支配脱却を快よく思わない勢力が日本民族内に一定率いたし、今も米国以外の支配を望むような運動が一定の支持を受けているのが不思議です。
日本の主権回復反対の中ソと国内同調勢力?は、全面講和以外反対=日本の独立反対論を唱えていましたが、彼ら=17日に書いた軍国主義反対論とほぼ重なるイメージ?の主張によれば、彼らの目的や動機を結果のもたらすところから逆算すれば、ソ連崩壊プラス中国崩壊?あるいはその先まで日本はアメリカ占領下にいた方が良かったという主張に繋がるように思います。
中ソの同意がない限り異民族支配を受け続けるべきという論拠が私には不明ですが、全面講和論以外に独立反対という以上は、(米ソ対決が簡単に終わらないことが見えていた以上)日本全体が米軍支配下のままが良いという主張とほぼ同義でしょう。
独立反対論の帰結するところは、本土が米軍占領下にある以上小笠原諸島も沖縄も米国直接統治のまま施政権が帰ってこないままです。
もちろん反対論者によればそれなりの理由や言い分が展開されていたのでしょうが、大局から見れば無理なこじつけ論であったでしょう。
中共政権は今も健在ですし、ソ連は崩壊しても後継のロシアが北方領土返還に応じない現実・もともと北海道全域占領が参戦目的であったのに、アメリカに拒否されたのをなんとか挽回したいのが国是でしょうから、多分何百年経っても日本の独立承認は無理でしょう。
現実を見れば、ソ連や中共政権が崩壊さえすれば、日本への支配拡張意欲を単純放棄するとは限りませんので、米軍が撤退するならば自分が代わって軍を進めるという言い分が通るしかないので、今も日本全土が米軍占領支配・保護下のままとなっていた可能性があるでしょう。
思想家は結果責任を問われない・無責任な思いつき主張で良いでしょうが、政権を狙う政党の主張であり国民動員の政治運動であった以上は、講和反対論がもたらす結果について責任を負うべきで、独立反対の場合どういう社会を構想しているかの説明責任があったでしょう。
私は千葉で弁護士開業した関係で、成田空港建設や高速道路建設反対運動、公害反対運動等を目の前で見てきましたが、当時の社会党や共産党系弁護士の私らノンポリ系弁護士への説得内容は、主に「飛行機などは金持ちしか乗らない庶民に関係ないことのために庶民の税金を使い農民を追い出すのは反対、その上に軍事基地化する危険・専守防衛に空軍基地は不要」という説得が主流でした。
そんなお金は福祉政策に使うべきという決まり文句で、近い将来の国際交易・航空需要拡大発展にどうやって対応していくかなど、日本の経済構造をどうすべきかという議論は全くありませんでした。
空港反対運動に社会党が党員を動員して一坪地主になり地元民の「草の根反対」という名目で反対運動を組織していましたが、日本が国際間駅の変化に備えて数十年先の布石を打つのを、1年でも2年でも遅らせる・国際的航空化の時代適応に対する遅延目的を達しただけで結果的に開港になりました。
ただし、この反対運動は社会党の長期低迷の基礎にはなったものの、社会党を捨て石として利用した中ソや周辺国にとっては大成功だったと思われます。
国際謀略としては、日本の発展を数年〜5年でも阻害し原子力反対、公害反対その他何でも反対してくれれば、その間に周辺国の国際競争が有利になるという謀略では、結果的に大成功だったことになります。
成田空港の開設では過激な反対運動に直面して、新規空港開発には膨大な政治エネルギーが必要となった・経験・・今後空港推進に関与すると政治攻撃の矢面に立たされるので、日本の航空行政を果敢に進める人材がいなくなる・臆病となったので、その後の国際競争に遅れを取る基礎構造を完成させた原因になりったことは反日国家にとっては貴重な収穫でした。
その後仁川など国際ハブ空港機能を韓国その他アジア諸国に奪われたままになっています。
国際評価を受けた社共勢力は勢いに乗って、その後の京葉道路の延伸→東関道や、東金道路の建設反対運動でも金持ちのための工事だという説明で私も反対運動参加勧誘を受けていました。
(この頃までは、私も勧誘対象でしたので勧誘文言もある程度知っています)
結果的に高速道路建設反対が不成功(1年でも2年でも遅延させれば成功という国際評価があったでしょうが、そういう戦術評価まではその頃知りませんでした)に終わると、今度はジャンクション反対運動となっていたようです。

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