日本の危機対応力4(独立へ)

極限状況に追い詰められた多くの国民が皇居前で跪いて泣き崩れていた情景が時折写真等で見かけます。
メデイアは「戦争が終わってホッとした」というような感想ばかり拾って繰り替し報道していますが、皇居前に集まった人の背後には将来不安におののく巨万の国民がいたことは間違いがないでしょう。
米軍支配がポツダセム宣言違反だとか米兵の婦女暴行事件頻発等に憤りを感じて「暴発する」とこれ幸いと厳しい弾圧が待っている・テロ→弾圧→過激テロのエスカレート・・今のシリアのようなことをしていると、民族消滅につながりかねません。
ここで民族消滅の危機にならないように、「耐え難きを耐え・」の心構えを国民の多くが心に刻んだのではないでしょうか?
「私のような当時幼児期をすごした人間でもこの文言をお経のように聞かされて育った所以です。

然レト(ど)モ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び) 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ 為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ

「耐え難きを耐え」て「総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 」
と復興に頑張ってきた結果、ついに日本が念願の(社会党など独立を願わない勢力がいましたが)独立を回復できる時期がきました。
日本民族の多くにとって待ち望んだ独立達成でしたが、これを快く思わない勢力はもちろんいます。
異民族支配脱却を快よく思わない勢力が日本民族内に一定率いたし、今も米国以外の支配を望むような運動が一定の支持を受けているのが不思議です。
日本の主権回復反対の中ソと国内同調勢力?は、全面講和以外反対=日本の独立反対論を唱えていましたが、彼ら=17日に書いた軍国主義反対論とほぼ重なるイメージ?の主張によれば、彼らの目的や動機を結果のもたらすところから逆算すれば、ソ連崩壊プラス中国崩壊?あるいはその先まで日本はアメリカ占領下にいた方が良かったという主張に繋がるように思います。
中ソの同意がない限り異民族支配を受け続けるべきという論拠が私には不明ですが、全面講和論以外に独立反対という以上は、(米ソ対決が簡単に終わらないことが見えていた以上)日本全体が米軍支配下のままが良いという主張とほぼ同義でしょう。
独立反対論の帰結するところは、本土が米軍占領下にある以上小笠原諸島も沖縄も米国直接統治のまま施政権が帰ってこないままです。
もちろん反対論者によればそれなりの理由や言い分が展開されていたのでしょうが、大局から見れば無理なこじつけ論であったでしょう。
中共政権は今も健在ですし、ソ連は崩壊しても後継のロシアが北方領土返還に応じない現実・もともと北海道全域占領が参戦目的であったのに、アメリカに拒否されたのをなんとか挽回したいのが国是でしょうから、多分何百年経っても日本の独立承認は無理でしょう。
現実を見れば、ソ連や中共政権が崩壊さえすれば、日本への支配拡張意欲を単純放棄するとは限りませんので、米軍が撤退するならば自分が代わって軍を進めるという言い分が通るしかないので、今も日本全土が米軍占領支配・保護下のままとなっていた可能性があるでしょう。
思想家は結果責任を問われない・無責任な思いつき主張で良いでしょうが、政権を狙う政党の主張であり国民動員の政治運動であった以上は、講和反対論がもたらす結果について責任を負うべきで、独立反対の場合どういう社会を構想しているかの説明責任があったでしょう。
私は千葉で弁護士開業した関係で、成田空港建設や高速道路建設反対運動、公害反対運動等を目の前で見てきましたが、当時の社会党や共産党系弁護士の私らノンポリ系弁護士への説得内容は、主に「飛行機などは金持ちしか乗らない庶民に関係ないことのために庶民の税金を使い農民を追い出すのは反対、その上に軍事基地化する危険・専守防衛に空軍基地は不要」という説得が主流でした。
そんなお金は福祉政策に使うべきという決まり文句で、近い将来の国際交易・航空需要拡大発展にどうやって対応していくかなど、日本の経済構造をどうすべきかという議論は全くありませんでした。
空港反対運動に社会党が党員を動員して一坪地主になり地元民の「草の根反対」という名目で反対運動を組織していましたが、日本が国際間駅の変化に備えて数十年先の布石を打つのを、1年でも2年でも遅らせる・国際的航空化の時代適応に対する遅延目的を達しただけで結果的に開港になりました。
ただし、この反対運動は社会党の長期低迷の基礎にはなったものの、社会党を捨て石として利用した中ソや周辺国にとっては大成功だったと思われます。
国際謀略としては、日本の発展を数年〜5年でも阻害し原子力反対、公害反対その他何でも反対してくれれば、その間に周辺国の国際競争が有利になるという謀略では、結果的に大成功だったことになります。
成田空港の開設では過激な反対運動に直面して、新規空港開発には膨大な政治エネルギーが必要となった・経験・・今後空港推進に関与すると政治攻撃の矢面に立たされるので、日本の航空行政を果敢に進める人材がいなくなる・臆病となったので、その後の国際競争に遅れを取る基礎構造を完成させた原因になりったことは反日国家にとっては貴重な収穫でした。
その後仁川など国際ハブ空港機能を韓国その他アジア諸国に奪われたままになっています。
国際評価を受けた社共勢力は勢いに乗って、その後の京葉道路の延伸→東関道や、東金道路の建設反対運動でも金持ちのための工事だという説明で私も反対運動参加勧誘を受けていました。
(この頃までは、私も勧誘対象でしたので勧誘文言もある程度知っています)
結果的に高速道路建設反対が不成功(1年でも2年でも遅延させれば成功という国際評価があったでしょうが、そういう戦術評価まではその頃知りませんでした)に終わると、今度はジャンクション反対運動となっていたようです。

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