不満社会?3(年金記録消失〜統計不正?)

人名は一つの漢字で幾通りもの読み方があるのが普通ですから、ミスがなくとも入力するアルバイト?によってはいろんな読み方に転記されていったのは想像にかたくありません。
二重チェック体制にしても、何が誤転記かの判断は人によって違うので無理があります。
こういう誤転記を防ぐにはどうすればいいか?普通に考えても妙案はないでしょう。
目の前に保険加入者がいたり携帯電話番号を書いていれば聞けますが、当時は携帯も普及していない時代ですし、そもそも各人の電話番号を役所が記録していません。
まして送付された山積みの何千万に及ぶ年金加入者名簿・それも漢字の氏名をカタカナ入力変換作業を終日打ち込む作業に従事するアルバイト?にとっては、ありふれた漢字でさえ変換ミス皆無にはできませんし、もともと誤転記なしの作業など無理・・不可能だったのです。
交通事故を皆無にできないし、医療ミス皆無もない・要は不幸にして一定率で発生するミスが起きた場合のリスク最小化と保障問題でしょう。
リスク最小化対策としては一定期間紙資料を保存しておいて、年金記録に疑問を持つ人の照会に対応できるようにしておけばよかったと思います。
「疑問を持たない人は損をしっぱなし」というのはひどいということでしょうが、これはある程度仕方ない仕組みの応用です。
法律の世界では、時効という制度があるのはこういう時のためです。
自分の権利は自分で守るしかないのが原理であって、気がつかなくとも不法行為で言えば被害に気がつかなくとも20年で時効ですし、多くは10年とか3年とかの期間限定仕組みになっています。
例えば遺言があっても、遺留分減殺の権利がありますが、遺言で遺留分権を侵害されたことを知ってから1年、遺言があったのを知らなくとも10年で権利行使できなくなります。

民法
第千四十二条 減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。

年金は超長期の掛け金で、もともとすぐに気がつかない制度(支給を受けるときに初めて気になるもの)ですから、5年や10年で記録廃棄されて復元不能では困りますが、コンピューター転記直後にコンピューター化した後の過去の年金加入履歴を全員に送って(コンピューター化したのちのプリントアウトコストはコピーする人件費その他に比べれば大したコストではないでしょう)、本人に転職歴など間違いないかの確認チャンスを与えておけば、かなりの人が自分の職歴の空白期間があれば気がついたはずです。
戦災等で焼失した戸籍の再記載作業や本籍展示の転記作業での、親や本人の氏名や生年月日の誤記載を昨日紹介しましたが、最近でも平成7年頃こら戸籍のコンピューター化が進んでいて、4〜5年前までには多くの自治体で完了しているようです。
このコンピューター化作業においても一定率の誤記が生じているはずですが、自分の戸籍など見るのは一生に何回もないので気づくのが遅れます。
生年月日や婚姻届出日に誤記があっても騒ぐほどのこともない(思い違いだったかな?程度で)ことが多いし文字が違っていても戸籍訂正の裁判までしないで終わるひとが多いのでしょう。
年金保険の事務作業のコンピューター記録への移記作業でミスをなくせないからといって永遠に手作業しているわけにいかないのですから、何100人という大量の作業員を集めて行う入力作業ではワクチン接種のリスク同様にミスが起きたら政府が手厚く保障する体制で臨むしかなかった・補償問題であって、責任追及の問題ではありません。
ソ連崩壊以降、野党による政権追及テーマは政権の不正というよりは、作業技術問題であったことが多い(今回も支払基金にマニュアル作りを委託していたらプログラムミスがおきたように)政府・政治家の責任追及ばかりにフォーカスしてきた印象です。
らい病関係の政府追及?補償請求も似たような攻め方です。
政治問題にするならば、年金コンピューター化事件や、今回で言えば支払基金にプログラム設定作業を外注するしかない実態(外注でなくすには公務員を増やすしかない・・後記引用論説はそういう主張のようですが、公務員の身分があれば、ミスがないと言えないでしょう)を前提にどうやって正確率をアップするかの課題解決・提案力で競争すべきでしょう。
今年の国会追求のテーになっていた統計不正?追及も、国民の多くは「不正」というよりは事務作業レベル問題であって、政治家の責任ではないという見方がほとんどのようです。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00006/?P=3

官僚叩きでは解決せず…統計不正の「悪の根源」論考
2019年1月29日
15年前に比べ、3分の1に減った統計担当公務員
野党は「アベノミクスほにゃらら」などと政権主導による恣意的な“捏造”と批判しているけど、さすがにそれはないと思う。全数調査をサンプル調査にしたからといって、期待する結果が出るとは限らない。それに、サンプル調査でも、適切な集計手法を施せば統計的には信頼がおける数字を得ることは可能だ。
ちろん、集計手法を間違えたり公表すべき事案を隠したりするなど、今回露呈した「初歩的な統計知識の欠如」や「モラルの欠如」は気が遠くなるほど深刻だが、よくよく考えてみると、もっと根深い問題が潜んでいるのではないか。
【事実関係】
・1996年以降、調査事業所数が公表より1割程度少なかった
・2004年1月以降、東京都の規模500人以上の事業所を抽出調査にしたが、年報には「全数調査」と記載
・2004年~2017年まで抽出調査するも、集計上必要な復元処理が行われなかった
・2011年に変更承認を受けた調査計画に記載された内容どおりに調査が行われなかった
・2015年調査の事務取扱要領から、東京都の規模500人以上の事業所を抽出調査とする旨が不記載
・2018年9月にサンプルの入れ替え方法の変更に伴う数値の上振れの指摘を受けた際、統計委員会に、「復元を行う」としたことを説明しなかった

ということで「根っこは公務員削減にある」という結論のようですが・・。

自衛→集団自衛権2

相手が要求しないからと、日頃最低の付き合いにしておいて、・・友人近隣関係も同じですが・・日本が本当に困ってから手のひら返しで手土産持参してお願いしても相手がしらけます・日頃の付き合いが重要です。
米国の協力を得るために日本の負担がどの程度になるのかの具体論を見て国民が判断すべきことです。
どうせ半独立しかないならば、米ソどちらの支配がソフトかの選択が講和条約賛否論の基礎思考でした。
ソ連支配では「満州で非戦闘員が生き地獄的なひどい目にあったし、東独でレールまではがして持って行ったソ連と、今でこそ米兵の婦女暴行などが(中国系工作?により)ネットで拡散されていますが、非道行為を被占領側が主張すれば占領軍政側で「そんなことは恥ずかしい」ことだという気持ちがある国・・これが朝鮮戦争時の米兵向けの慰安婦制度発達の歴史ですが・・と政府率先して残虐行為を奨励する国とは基本が大違いです。
戦後70年以上経過した今でも、ソ連は日本降伏後に捕虜でさえない日本兵をシベリヤへ連行した人道の罪を謝りさえしないまま平和条約を求めるふざけた国です。
ロシアがソ連とは別の国だというならば、樺太、千島列島全部を日本に返すべきでしょう。
勝った勢いもあって少しの行き過ぎがあっても「米兵とソ連兵どちらの支配がより過酷であったかを比べれば明白でしょう」というのが一般的意見でした。
後進国による支配は(もともと自国民を虐げているの国の場合、国民は不満のはけ口を求めているので政府もガス抜きのために被征服民を最大限非道に扱わせることによって積極的にガス抜きに使おうとするのが普通で、多めに見るしかない現実がありますので往々にして過酷になりがちです。
家庭内でいじめられている子が外で自分より弱さそうな子を見つけると不満のはけ口としていじめっ子になることが多いのと同じです。
家庭内イジメも母親の地位が低すぎると特定の子供をないがしろにする傾向が起きるなど、連鎖が知られています。
そのまた親をたどると子供の頃に家庭内暴力の対象として育った人が多い・負の連鎖も知られています。
その判断は憲法学者や小説家その他エリートが決める人気投票の問題ではありません。
日本が古代からのボトムアップ社会なのにボトムアップの経験のない西欧のエリート支配の思想(西欧の民主主義は国民が個別テーマを決める権利がなく、指導者を選ぶ権利です)を文化人?が持ち込んで、「エリートのいう通りにすれば良い」民衆は自分で考える必要がないと言わんかのような運動をして同じビラの中で「民主主義を守れ」というスローガンですから自己矛盾です。
世論調査というのは、4月4日紹介したように、設問次第・実施主体の方向性次第になることを表しています。
もともと片面講和反対(ソ連支配の方が良い主張)以来の思想系譜を引きずる団体の意向に沿う方向の設問による調査結果を反対派の団体が最大限我田引水的に利用して国会周辺デモ等を各種団体が企画実行してきました。
例えば映画労連の以下の声明です。
http://www.ei-en.net/appeal/141016_10.16ketsugi.pdf

2014年7月1日、戦争をする国づくりにむけて暴走を続けてきた安倍内閣は、集団的自衛権行使容認を閣議決定した。立憲主義を否定し、民主主義の根本原則を踏みにじる歴史的暴挙である。 一方的な解釈の変更によって、戦争放棄を謳い平和主義を基本原則に掲げる憲法を破壊する決定を、国民に信を問うこともなく閣議のみで強行したのである。私たちはこのような蛮行を許すわけにいかない。直ちに撤回を求めるものである。 法前文と第9条が規定している恒久平和主義、平和的生存権の保障は、憲法の基本原理であり、時々の政府や国会の判断で解釈を変更することは到底許されるものではない。これ以上政治の暴走、憲法と民主主義の破壊を容認することは出来ない。
私たち映演労連は直ちに集団的自衛権行使容認閣議決定の撤回、関連法案の阻止・廃案を求め、日米ガイドライン再改定に強く反対することをここに決議する。
2014年10月16日

集団自衛権反対運動声明の一例を引用しましたが、多くの反対論は「国民に信を問うこともなく」(国民多数の声を無視して!との街頭運動につながっていましたが、安法法制(集団自衛権等)反対運動とこれをうけた直後の総選挙への動きが加速し始めると解散反対へ主張が変わっていきました。
まず集団自衛権等の安保関連法制に関するウイキペデイアの説明です。

平和安全法制は、「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律(平成27年9月30日法律第76号)」(通称 平和安全法制整備法)と「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律(平成27年9月30日法律第77号)」(通称 国際平和支援法)の総称である[1][2][3][4]。平和安全法制関連2法とも[1]。
マスメディア等からは安全保障関連法案・安保法案・安保法制・安全保障関連法・安保法[5][6][7]と呼ばれるほか、この法律に批判的な立場(立憲民主党、日本共産党、社会民主党等)が主に使用する戦争法という呼び方も存在する[8](後述)。

これまで紹介してきたように集団自衛権を認める一連法を「戦争法」であるという宣伝が行われました。
昨日書いたように自衛するには近隣国間で最強国でない限り不可能・・孤立していたのでは自衛できないので・同盟国が必要→同盟国があれば自衛戦争に立ち上がれる=集団自衛権関連法は「自衛戦争可能にする」という意味で使うならば正鵠を射ています。
ところがメデイアは、日本が自衛の枠を超えてあたかも明日にも侵略戦争が始まるかのような宣伝が行われたのは虚偽・虚偽でないまでも今流行りのフェイクニュースだったというべきでしょう。

自衛→集団自衛権1

集団自衛権の必要性論争のキモは、日米安保強化どころか空洞化阻止必要性の有無でしょう。
非武装論は結果から見れば中国や朝鮮の対日報復熱・・他国が侵略してきたらどう対応するかの疑問に未だかつてまともに答えた論者を見たことがありません。
せいぜいそうならないように外交努力をするという程度です。
質問の意味は「外交努力をしても相手が一方的に攻めてきたらどうするか?」の質問なのにそれに対する答えになっていません。
本音は決裂しないように「相手の要求が無茶でもすべていう通りにすればいい」ということでしょうか?
日本周辺でそういう無茶を言いそうな国は当面中韓、北朝鮮ですが、韓国の場合、今でも竹島は日本領と教科書で書くなと言わんかのような主張をしています。
本日現在のニュースです。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/

韓国国会が日本へ是正要求決議-「竹島は固有領土」の検定/ar-BBVDToF
【ソウル共同】島根県・竹島(韓国名・独島)が日本の「固有の領土」と明記された教科書が2020年度から小学校で使用されるとの日本の文部科学省の検定結果発表を受け、韓国国会は5日の本会議で「深刻な憂慮」を表明し、即時是正を要求する決議案を、出席議員の全会一致で採択した。

日本から韓国人が仏像を盗んだ事件では、これは昔韓国から盗まれたものだから日本に変換する義務がないと主張してそのまま盗みっぱなしですし、日本発の有名なこと柄は全て韓国が創作したと言い張る国柄です。
どんな理不尽な要求でも聞くしかないとなれば、韓国の要求がどんどんエスカレートした場合どうするかです。
壱岐対馬の領土占拠だけではなく、慰安婦の強制性を認めろ・ハイハイ・・賠償金として今後年間1兆円づつ1000年間払え、日本の教科書で慰安婦や、朝鮮人に対する残虐行為を教えろ・・ハイハイ・・違反婦の強制性を否定する発言者を取り締まれ、ハイハイ、在日韓国人に日本の選挙権を持たせろ・・ハイハイ、在日だけでなく韓国人にの日本国内の選挙権を与えろ、その場合日本人の2倍の投票権を認めろ、各種選挙では韓国人以外の立候補を認めるな・ハイハイ、徴用工の報復だから毎年1000人以上の奴隷を送れ→ハイハイ・天皇を後ろ手に縛って韓国へ連れてこい・・ハイハイ・今後日本全土に韓国軍駐留を認めろ、その費用は全部日本が持て、自衛隊中堅幹部以上は韓国人以外認めるな・・・・このように、いくらエスカレートしても、全部要求どおりにするのでしょうか?
中国の場合も同様で尖閣ならば黙って占領させておけばいいという意見の場合、その次の沖縄諸島全部中国領だから1ヶ月後に軍を派遣する・と言い出したらどうするのでしょうか?
その次には奄美諸島全部〜九州全部という場合、非武装論者は中国国旗を振って歓迎する・中国占領軍の手先としての良い地位が約束されているので歓迎一色というのでしょうか?
非武装平和論者が、「あまりひどい時には断固断れば良い」というならば、相手の出方によれば平和解決できない時がある・・断固拒否することを認めることになるのでしょう。
断固拒否だけで収まればいいですが、尖閣諸島に対する現在の中国の実力行使がさらにエスカレートしたらどうするかの回答になっていません。
軍備の必要性の有無は、その時どうするかの議論ですから、非武装論でも際限なく従う気持ちがないという場合には、いつかは戦う意思表示をするためには相応の準備が必要ということではないでしょうか?
自衛の必要性を認める以上は=弱小国は応援を頼む権利と不可分です。
女性が襲われた時に噛み付く程度の自衛は許されるが襲われた時に「助けて!」と叫ぶことは違法だという人がいるでしょうか?
友好国と同盟してはいけない・・応援を頼めない自衛権論は、世界最強国家を除けば(少なくとも紛争を抱える周辺国家との軍事力で劣勢にある国の場合)絵に描いた餅であって、マヤカシでしょう。
応援・警察にすぐ来てもらうためには、警察制度を作り、適正配置などの予算措置・・日頃の納税負担が必要です。
自分が110番で呼んだらすぐ来て欲しいが、他人のために応援にいく費用は出したくないという身勝手なことは許されません。
「同盟を拒否し友好国の緊急時に応援しない」と決めている国が自分が困った時だけ「応援してくれ」と言っても大方断られるでしょう。
「中韓支配はごめんだ」独立を保ちたいという立場では、いざとなれば米国に応援してもらいたい・そのためには日頃からどこまで米国に協力すべきかとなります。
この重要論点決着次第で運動の方向が真逆になるので、この点をはっきりさせておく必要があるでしょう。
非武装論(何をされても従う予定論者)にとっては自衛自体否定してきたので米国に庇護を頼る必要がありません。
元々日米安保条約否定論系譜の人たちにとっては、ああだこうだとケチをつけて戦えそうもない弱い国にしてきたのに、その補完として米国の応援を受けて、「いざとなれば応戦できる国にする」のは文字通り「戦争できる国になる」のが許せないという論法でしょう。
国家民族の生存権としての自衛を認めるならば、弱小国はその手段として相応の助け合いシステム構築・相互防衛条約が必要になるし、応援団がいれば無茶をされれば応戦できる国=「戦争できる国」になります。
元々何をされても相手のいう通りにするのを理想とする非武装論は、これを目的にする集団自衛の関連法を「戦争法」と定義して反対していれば良いので米軍に頼る必要がない立場では協力度合いを議論する余地がないのでしょう。
自衛が必要・その実質化を図るためには総合防衛条約で仲間を増やすのが必要とする立場では、中国の侵攻があった時にアメリカがどの程度の協力をしてくれるか?
そのためには日頃から日本がどの程度までお返しするかの先行申し出をしておくかの具体論が中国の侵攻が目前に迫っている・・中国公船による領海侵犯が日常化していて侵略が事実上始まっています・・現在では現下喫緊のテーマです。
米国の合理的立場は、日本が日頃米国のために協力している程度に応じて自国も協力しましょうということであり物事の道理・当然の主張です。
大規模災害のお見舞いをするのはお互い様という気持ちの知恵です。

各種反対政治運動背後の利害

政治とはその政策実現によって受益するグループと損するグループのせめぎ合いです。
非合理な扇動にすぐに乗るレベル・・付和雷同型もいますが、扇動する側の人材は一応憲法学者や弁護士ジャーナリスト等ある程度の知識人が多いことから見ると、それぞれがなんらかの利害関係者の意向を受けて動いていたと見るのが合理的です。
芦部理論・自己実現自己統治論を理解して「これは使える」と図式化して中レベル階層へのセールストークに書き換えていく知恵者が、低レベルとは思えません。
集団自衛権論を「戦争法」と言い換える(浅?)知恵者と同じです。
背後の利害当事者を見ると、日本の再軍備反対〜独立反対〜反安保運動〜沖縄基地を残す返還反対は、(密約騒ぎはその亜流です)日本対旧ソ連系諸国の利害であり、公害・・工場立地や高速道路、空港開設などありとあらゆるイノベーション反対(パソコンやレンジの害を強調し防犯カメラ反対など)運動は日本台頭を抑え込みたい国際競争上の利害国全部による対日包囲網であり、尖閣諸島問題は、日中であり、慰安婦騒動で言えば韓国による日本の国際的地位低下を目指す運動です。
それぞれに呼応する国内運動体・支持層がいつも共通して(何々を守る会などと名称こそ違いますが、概ね同じような構成員がダブっているイメージです)いるところが不思議です。
ずべての事件で日本支持層は日本人である限り重複しているのは当たり前ですが、片面講和反対に始まり、相手がソ連であれ中国であれ韓国であれ、日本民族弱体化したい勢力といつも利害共通の運動に精出すのを見れば、理解力の低い単純思考グループとバカにするのは間違いです。
単純図式に反応する人材を表面に出して敵を欺く・「バカの集まりだから相手にする必要がない」と油断させる高等戦術だったとも言えます。
慰安婦騒動ではこの戦術に乗せられて「ばかのいうことはほっておけばいい」と放置していたツケが回ったのです。
例えば集団自衛権立法反対運動の檄文の一例は以下の通りです。
https://shikyoso.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305081007-1

こんにちは!静岡市教組です。

・・・この一年余、「戦争法案絶対反対」「9条壊すな」の声は全国津々浦々にひろがり、老若男女がこぞって行動し手を結ぶ歴史的なうねりとなってきた。最高裁長官や内閣法制局長官の職にあった人びとをはじめ、学者、法律家、宗教者、芸能人などを含むあらゆる分野で「戦争法案廃案」の声が湧きあがり、大学生や高校生、若い母親たちの主体的な行動とも響きあい、違いを超えた広範な共同行動が生み出された。私たち「総がかり行動実行委員会」は、このような運動の発展に一定の役割を果たすことができたことを誇りに思う。
この間、全国数千か所での人びとの行動を背景にして国会正門前を連日埋めつくし、国会を何度も包囲した人びとの波は、暴走する政府・与党に立ちふさがる巨大な壁となり、政府・与党を大きく揺さぶり、窮地に追い込んだ。この広範な人びとの声と行動こそが、民主・共産・社民・生活の連携を支え、野党の闘いを強めるという画期的な状況をつくりだした。

この種のネット記事は巷に溢れています。
1億数千万の人口のうち非武装平和論や戦争になると信じるレベルの人が総人口の1%でも百数十万ですし、国会周辺への日帰り圏人口は2千万を超えていますので、その1%でも20万人もいるのです。
こらの人たちは「自己実現・自己統治はいいことだ」という応援に力を得て政治活動に関する活動力が上がっている上にお祭り騒ぎでテンションが上がっているのもわかります。
彼らが繰り返しデモに参加すれば国会周辺で2〜3万前後集まってもそれが国民大方の意思とは関係がありません。
数万のサッカーファンが暴徒化しても、それが国民意思と関係ないのと同じです。
選挙でも自己実現・自己統治理論によって投票率や活動力が一般の人より高いとすれば、4〜50%の投票率の場合、得票率1%の支持を得ているとしても投票しなかった人を含めた実態はもっと支持率が低いことになります。
悪天候等で投票率が下がると組織票に頼る共産党や公明党の得票率が上がると一般的に言われていることを想起してもいいでしょう。
逆からいえば、投票率30%でも60〜65%でも凝り固まった組織票の場合得票数が変わらないので65%になれば投票率が極端に下がる政党となります。
意見が違うから議論するために会議や議会があるのですが、どの政策を採用するかが決まった後は前向きに実現に協力しその過程で運用によって判明した不都合の修正を提案するのが政治家の仕事でしょうが、今までの野党のやり方はそれを怠りせっかくの権限を政権批判に利用するばかりです。
企業内や同好会その他あらゆる組織でこういうことをする人が、その組織内で一定の居場所があるのか?を考えれば、日本の野党の政治活動のあり方が如何に異常であるかが分かるでしょう。
団体や組織とまでいかない友人関係でも・気に入らないとプイッと横を向いて協力しないどころか妨害に精出すような人は、その集団内での居場所をなくすのが普通です。
これが政治問題になると芦部憲法によれば、自己実現・自己統治の崇高さを解くので、これを図式的理解する人たちは、違法でない限り何(妨害行為?)をしても許されると誤解しているようですし、国民も何%かの人が誤解しているのが不思議です。
日本では欧米よりも数千年以上も前から進んだ社会合意のあり方が確立していたことを繰り返し書いてきましたが、欧米がフランス革命で初めて手に入れた民意重視政治の理想(まだ経験不足で観念の先走りです)伝播は、多くの国では新しい統治形態の新知識でしょうが、数千年以上前から衆議で決めていく伝統のある我が国にとっては、小さな子供が生煮えの知識を学校で習ってきた料理の仕方などを両親に自慢しているような姿です。
これを象徴するのが絵画の世界で、幕末欧米の新技術・遠近法あるいはブルーの顔料はそのまま部分的に取り入れたものの北斎に象徴されるように「美意識」そのものは日本の方が優れていたので、ジャポニズムとして西洋文化に影響を与えてきました。
輸入された民主主義は児童の料理自慢同様で、まだ生煮え的歴史段階ですので、落ち着いた結論を出す様式を確立できていないので、人材次第で「自己実現はいいことだ」式の乱用的に利用すると文字通り衆愚政治になってしまいます。

自己実現と社会の関係3

自己実現理論の本籍である心理学の解説を見ましょう。
ウイキペデイアによれば以下の通りです。

自己実現理論(英: Maslow’s hierarchy of needs)とは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。
自己実現論、(マズローの)欲求段階説、欲求5段階説、など、別の異なる呼称がある。
ピラミッド状の階層を成し、マズローが提唱した人間の基本的欲求を、高次の欲求(上)から並べる[1]。

    • 自己実現の欲求 (Self-actualization)
    • 承認(尊重)の欲求 (Esteem)
    • 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
    • 安全の欲求 (Safety needs)
    • 生理的欲求 (Physiological needs)

以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。
自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。芸能界などを目指してアルバイト生活をする若者は、「社会要求」「承認の欲求」を飛び越えて自己実現を目指している。
1969年にスタニスラフ・グロフと共にトランスパーソナル学会を設立した[3]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/

人間性心理学(英語:humanistic psychology)とは、主体性・創造性・自己実現といった人間の肯定的側面を強調した心理学の潮流である。ヒューマニスティック心理学とも呼ばれる。
それまで支配的であった精神分析や行動主義との間に1960年代に生まれた第三の心理学とされる。
それまでの心理学では、行動の原因の動機として空腹などの単純な特定の欲求を満たすような欠乏動機(deficiency motivation)に重点を置いて満足してしまっていたが、マズローはそれだけでは説明できない人間のある種の成長への欲求を存在動機(being motivation)と呼び、より高次の価値を求める人間について研究しようとしたのである[2]。現在では、マズローの自己実現理論は高校の教科書にも記述されるほど広く知られるようになっている[2]。
提唱者であるアブラハム・マズローは、精神分析を第一勢力、行動主義を第二勢力、人間性心理学を第三勢力と位置づけた。人間性心理学は人間性回復運動の支柱ともなった。また後に、人間性心理学に続きトランスパーソナル心理学が登場する。

自己実現理論は米国で1960年頃から最高潮に達したようですが、すぐに下火になります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アブラハム

マズローの着想は科学的な厳密さの欠如により多々批判されている。
ひとつはアメリカの経験論哲学者による、科学的に脆弱だというもの[3]。2006年には、Christina Hoff SommersとSally Satelが経験的実証の欠如により、マズローの着想は時代遅れであり「もはやアカデミックな心理学の世界では真面目に取り上げられてはいない」と断言した
5段階欲求という図式は、西洋的な価値判断またイデオロギーにバイアスがかかっているとして非難されている。多数の文化心理学者が、この概念を他の文化、社会と関連付けて考慮したところ、一般原理として採用することは到底できないと述べている

上記の通り米国では批判されてしまったようです。
(ただしその後米国でその系譜がどうなっているか、日本の心理学会でどうなっているかも私には不明です。)
心理学会の分野は別として、憲法論としての自己実現理論については上記批判論の最後の「文化、社会と関連付けて考慮したところ、一般原理として採用することは到底できない」という批判部分が重要ですが、これに対して日本では大した批判もないのかな?
心理学と法学との架橋理論づけがはっきりしないまま(「私には」という限定です)の法理論への流用なのにこれの批判すらほとんどない?ままのようです。
明日以降紹介する判例時報増刊号の論文を紹介するように、今も表現の自由=自己実現説が通説的地位を占めているように見えます。
23日に自己実現論を引用紹介した文書には、
「受験生の中には表現の自由に関する問題が出題されたときには、何が何でも答案のどこかにこれを書かなければならない、これを書かないと減点される、という強迫観念さえ持っている人がいる。」
というのですが、日本では司法試験の基本テキストになれば・・意味不明でも丸暗記してわかったような気持ちになって書かないと合格できなくなった(東大教授の権威が高すぎる?)ことが大きいのでしょう。

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