ソフト化社会5と紛争当事者2

我々熟年層以上の弁護士にとっては従来獲得した中小企業経営者の顧客層や会社顧問等がありますが、若手がこれに参入し損ねているから苦しいとは言い切れません。
熟年弁護士層にとっても、従来の主要顧客であった中小企業経営者の依頼・・あるいは紹介事件が激減しています。
中小企業の世界も大手企業の下請け等に組み込まれていて、独立事業者とは言い切れない状態になっている結果かも知れませんが、今や創業者も言葉遣いや身のこなしや判断を含めて紳士的です。
70代以上の創業者は次世代に実権を譲りつつある世代で,その結果彼らがいろんなところに手を出して失敗しては,弁護士に相談に来る件数が今では激減しています。
次世代の後継者(40代)はの特徴は創業者と違って,継承した事業の維持発展にやっとの人が多いので,いろんなところに欲を出す傾向が少なく,ひいては紛争に巻き込まれることが少なくなっています。
50歳代弱以降の性格がソフトになったことから若年層の刑事事件は激減していますし、被疑者段階からの国選の始まりで私選弁護を頼む人は激減しました。
私撰弁護依頼件数が仮に2割であったとすれば 、100%国選になったので事件が増えたろうと言えばはそのとおりですが、国選事件が何倍に増えようともコスト的に赤字受注が前提ですから、弁護士は窮乏化するしかありません。
赤字受注が前提であることから,支援センター直属のスタッフ弁護士が配属されるようになって来たことを以前紹介したことがありますが、(彼らは国の建物や事務所経費等丸抱えで事件処理する仕組みです)全部が私撰になると弁護士は黒字受注分がないのに赤字の扶助的仕事・・経費持ち出しばかりやって行くのでは経済的に無理が出てきます。
以前は採算の取れる私撰事件で稼いだ分で赤字の国選を引き受けて来たのですが,今では刑事事件は,ほぼすべて社会奉仕として担当しているだけになりました。
(民主党元党首の小沢さんの事件やホリエモンのような事例は、滅多にありません)
統計上刑事事件総数が激減しているだけではなく、年齢別では中高年齢層の刑事事件が減っていないのが我が国の特異性ですが、これは生活水準の向上・・若者のソフト化によるものとすれば、理解可能です。
若者の犯罪が減って高齢者の犯罪が増えているのではなく、粗野に育った世代が若かった頃に一杯事件を起こしていたのですが、彼らがその性向のまま持ち上がって高齢者になったから、今度は高齢者の犯罪率が上がり、彼ら世代の犯罪比率が減らない状態です。
今の高齢者が高齢者になってから粗野になったからではありません。
その10〜20年以上年長の(大正から昭和初期生まれ)世代では、60〜70代になれば犯罪者・加害者になるほどの元気がなかったので、高齢者は被害者になる率が高く加害者になる率が低かったのです。
今の60〜70代はまだまだ元気なので70代以降になっても加害者になる・・高齢の加害者・犯罪が増えるようになりました。
昨年1年間に私が国選で担当した刑事事件では,全員70代以降(80代もいました)の被告人でした。
4〜5年前に60歳代半ばの被告人の10数件に及ぶ連続強姦事件を担当しましたが,昔(数十年前)なら考えられない年齢の事件です。
(60代になってイキナリ性犯罪を犯したのではなく,前科も同じ種類の事件で,出所後直ぐに犯したものでした)
一般刑事事件が激減中であることは大分前に統計を紹介しましたが,交通事故死に関しても激減中で,以前は年間1万人以上でしたが今では,5000人を割るところまで下がっています。
これはインフラ整備によるところも大きいでしょうが、人格的にソフトになって乱暴な運転が減ったことも大きい筈です。
この分野でも高齢者の引き起こす事故・・加害者になることが目立っていますが、上記のとおり高齢者になっても運転をやめないことと、70〜80代の人は戦中、戦後育ちで元々粗野系が多いことにもよります。

ソフト化社会4と紛争当事者1

話が大阪の地盤沈下と橋下氏の政治手法にそれましたが、生活水準向上・・社会のソフト化と訴訟事件あるいは法的トラブル増減の関連に戻ります。
私が職務上経験する直感では、私が弁護士になったころの顧客の中心は中小企業経営者あるいはある程度の資産保有者でした。
今では、こうした人々は事件を起こしたり事件に巻き込まれなくなって顧客の中心から外れています。
今では生活保護すれすれの人・・まだ生活水準上昇の恩恵に浴していない階層の顧客が、交通事故であれ離婚であれ、少年事件であれ貧困層が中心です。
最近の若手弁護士の受任事件の傾向を見ているとその殆どが国選事件や法テラス(支援センター)からの事件・・基本的に生活困窮者の事件が、大方を占めている状態です。
資産家の争いのように見える遺産相続事件でさえも、被相続人は一定の遺産を残しているのに次世代は非正規雇用等貧困層中心で、生活に困っている人・・何でも大きな声で争う人々中心に移行しつつあります。
鳩山元総理やホンダ自動車,あるいはソニーや西武など大手企業創業者の遺産相続のような巨額遺産相続人が、法的紛争をしないのが一般的であるように,一定の中産階層でも穏便に片付いているのが普通です。
相続が開始するときには次世代が既に50〜60代ですから,ホワイトカラー層は言うに及ばず、工場労働者でも安定的に働いて来た階層では,既に持ち家に住んでいて生活に不自由を感じていないのが普通です。
この段階で,母親が死亡しても(父の死亡時にはよほど生活に困った子供がいてゴネない限り母親に一任するのが一般的です)母親の面倒を見て来た子供が一定の分配案を示すとこれに反対して兄弟喧嘩までする人は滅多にいません。
母と同居していた兄や姉あるいは弟妹の提案が仮に若干不公平で正しい数字を要求すればさらに数百万前後自分の取得分が多くなるとしても,自分の生活が安定的に回っている人にとっては、預金通帳の残高が少し増えるだけで日常生活に変化がないのですから,そんな程度のために兄弟が一生口をきけなくなるような争いをするのは割に会わないからです。
衣食がある程度足りている人は余程のことがないと争いをしなくなるのが,我が国の文化習慣ですし,むやみに喧嘩っぽい・争う人は人間のレベルが低いと見なされてしまう社会です。
生活の安定・・水準向上の結果,今では貧困層あるいは精神的におかしな人?が,紛争の中心になっています。
教育現場ではモンスターと言われ,企業の消費者問題ではクレーマーと呼ばれる人の増加ですが,彼らは精神病ではないものの,相手が少しでも悪かった(是正対応が終わっても・・)となれば粘着質というのか際限なくクレームを要求して来る傾向があります。
しかも会社に何回も繰り返し来て,来ると4時間でも5時間でも粘るのが普通で,会社としては担当者(安全のために複数対応するとなお大変です)が長時間対応に追われて日常業務が麻痺してしまうので困りきって弁護士相談になります。
こういうことは・・昔はヤクザの言いがかりが多かったのですが、今はヤクザが彼らを就職先として吸収しなくなったのか今は一般人化していて、(クレーム以外は善良?な市民ですから)企業は対応に苦労しています。
昔はヤクザ相手なので法的処理が簡単でしたが,今は「消費者は王様」の肩書きで来るので,簡単に刑事事件にもならないし,ギリギリまで丁寧対応が要請されるので弁護士対応になるまで相当の時間が経過しています。
学校現場は子供の教育的配慮が絡んでいるのでなお親の態度が強くなる感じで,自分が給食費など納金しない非を棚に上げて、子供が同じように配慮されないのはおかしいというような使い分け論理まで多くなっています。
この使い分け論理が加わった結果一般消費者のクレーマー的要求を越えているので,「モンスターペアレント」という概念が生まれて来たのでしょう。
交通事故損害賠償分野では,保険会社が担当していますので,一定基準以上の法外な?要求の場合機械的に弁護士対応としている(システム化されている)ので,それほどクレーマーに悩まされていません。
ただ,千葉県弁護士会だけで見てもかなりの数の弁護士が保険会社の代理人として相当量の債務不存在事件の受任をしている様子ですから,世の中には膨大なクレーマーがいることになります。
実際には09/01/02「交通事故の損害賠償額について2(保険会社の役割 2)」前後で連載したことがありますが,保険会社の基準による損害賠償額は訴訟基準よりは半額程度のことが多いのです。
実は多くの人がこれを知らずに,本に書いてるとおりの基準で払われるなら仕方がないか・・と示談していることが多いので、保険会社の基準自体に問題がないとは言えないので,これを肯んじない人がすべてクレーマーではありません。
訴訟結果を統計化しないと正確なことが分りません。
しかし、このような正当な主張に対して弁護士対応になった場合,裁判の結果が分かっているので,弁護士会基準(赤い本・あるいは青い本)に計算し直して示談に落ち着いているのが普通です。
それでも示談出来ずにプロの弁護士が債務不存在確認の訴えを提起する事件では,その大方は被害者の主張は不当な請求だった・・あるいは似たような結果になっていることが、多いものと推定されます。
弁護士が保険会社の代理人として受任するのは,保険会社の担当者では手に負えない・・基準を大幅にずれた主張をする被害者に対する分だけですが,千葉では保険会社の代理人として事務所収入の多くを依存している法律事務所がいくつもあります。
これだけクレーマー的被害者・主張が多いことが推定されます。

大阪の地盤沈下3とスケープゴート探しの危険性1

こうした場合、国民のストレスに便乗して如何にも一部医師の不正あるいは詐欺受給が多いかのようなマスコミ報道とそれに便乗する摘発が繰り返されるのですが、生活保護受給者の増加や医療費の増加自体は医師の責任でも申請を応援する弁護士の責任でもありません。
昨年5月に住吉大社の参詣を終えて門前から天王寺まで路面電車に乗ったことがありますが、天王寺の裏口という点を割り引く必要があるとしても、その庶民的雰囲気・・東京で言えば新宿西口や池袋西口が開発される前の印象・・今から40〜50年近く前の粗雑な印象の社会が残っているのに驚いたものです。
(私は昭和41年3月まで池袋に住んでいましたので、池袋や新宿西口の怪しげな路地の雰囲気を今でも思い出します)
困窮者が福祉重視の政党に投票しても事態は良くならないので、大阪府民はイライラしていると思いますが、生活困窮者をなくすための職場確保・・産業を興す人を当選させない府民の選択が間違っているのです。
生活が困窮するとそのセーフティネットの充実を主張する民主党や社会党・公明党系の当選を最初は促しますが、彼らは職場を造るよりは分配論理・バラマキ論しか関心がないと言うか能力がないので、結果的に職場が減る一方で却って困窮者が増え続けることになります。
「角を矯めて牛を殺す」ようなもので、非正規雇用の禁止や賃上げ要求・福祉の充実ばかりでは却って海外進出を加速させてしまい職場が減る一方です。
アメリカの民主党も分配論の政党ですから、格差税など主眼を置きがちです。
こうしたストレス・民主党政治(福祉重視)に対する不満が高まって来ると、左翼の次には右翼が勢いを増して行きます。
第2次世界大戦前を振り返ると、ドイツが敗戦後の困窮状態でワイマール憲法という理想的な憲法をもちますが、分配論では国民が食べて行けませんので結局はその対極の超右翼のナチスが政権を取りますし、スペインも不況の困窮に対して分配福祉論の左翼が政権を取りますが、経済音痴ですからこれを不満とする対極の右翼が政権を取ります(スペイン内戦)し、イタリヤも同じで左翼の台頭に対極のファシスト・ムッソリーニが政権を取っています。
右翼も極論を主張して分りよくしているだけで、左翼同様に経済音痴ですから、そのやり方は、国民・府民のストレスを強調して、スケープゴートを作り出しては(何でもユダヤ人が悪いような主張をしたナチスを想起して下さい・・)責め立て喝采を浴びる方法が普通です。
前大阪府知事橋下氏の政治手法はこれに似ているのが怖いところです。
大阪府経済圏の低迷・・これに基づく府民のストレスは大阪経済圏における産業の構造的要因によるのですから、医療機関や市職員・教育関係者のつるし上げでどうなるものではありません。
まして行政の仕組みをいじってみてもどうなるものでもありません。
府と市が一体になれば、関西の産業構造がどうなるという展望が全くなく、(府と市の二重構造は戦前からでしたが、昭和50年代までは大阪は元気でした)さしあたりスケープゴート探しの材料にしている・・自分が府知事になっても何も出来ないことの言い訳にして結局何もしないまま中途退任してしまったのです。
そもそも彼は現行の制度を前提に立候補したのですから、現行制度の中で府知事になれば何をするかを主張していた筈ではないでしょか?
(大阪の選挙ですのでで当時の立候補での主張の具体的内容は知りませんが、普通はそうあるべきです)
政権を取って総理になってから「大統領制ではないので、あれが出来ないこれが出来ない」と言っても、世間の笑いものでしょう。
ところで、大阪に限らず全国どこでも府縣と政令市の二重構造ですから、二重構造を大阪が特に地盤沈下している理由に持ち出すのは非論理的です。
橋下氏はボロが出ないうちにこれと言った政治成果もないうちに任期途中で辞任して県から市長に移り、今度も労働組合などを批判しているだけで、前向き施策としては何の提案も見受けられません。
結局何もしない内にさらに国政に転出しようとしている様子が見えます。
教師に対する君が代斉唱(起立)の強制や市労組に対する締め付けをしたからと言って大阪府の地盤沈下の歯止めにはどう言う関係もないのは誰の目にも明らかでしょう。
次から次へとスケープゴートを作り出す手法は、経済停滞下にあってストレスの多い国民や府民には受けが良い・・喝采を浴び易いでしょうが、この方法では事態打開のための前向きな提案がまるでないまま、いじめられっ子探しをしているようなものです。

生活水準向上とソフト化社会2(大阪の地盤沈下1)

このシリーズで何回も書いていますが、バブル崩壊後の生活水準の向上は目覚ましいところがありますが、例えばユニクロ以来各種衣料品・生活雑貨で言えば100円ショップで大方間に合うし、食品で言えば牛丼や回転寿し等々、生活コストはバブル期以降約半分以下になっています。
タマタマ日経朝刊1月23日の9面に出ていましたが、花王の洗剤アタックが25年前の870円台に対して店頭実勢価格が300円以下になっているなどの事例が出ていましたが、機能が良くなって半値以下というものが消費財にはゴロゴロしています。
(牛丼・パソコン・携帯電話その他いくらでも半値以下になったものがあるでしょう)
物価が半値以下であれば現状維持の収入でも生活水準が2倍以上になっていますが、繰り返し書くようにバブル崩壊以降国内総生産がジリジリと上がっていたのですから、生活水準向上は2倍どころではないことになります。
これをドル表示で見ても約2倍になっていて裏付けられることを、2012/01/19「為替相場1と輸出産業の変遷1」のコラムで書きました。
前回書いたように生活水準が上昇するとすべての分野で行動形態がソフトになるのが我が国の傾向で、(そこが諸外国とは違います)勢い粗野な争いがなくなって行きます。
高度成長期に生まれた膨大な中間層の2代目が、みんなお坊ちゃんお嬢さん育ちになってデーイプインパクトのようにソフトになってしまって「大阪のおばちゃん」と揶揄される横柄・厚かましい人種が姿を消してしまったのです。
この種の人は10〜15年くらい前までは東京でもどこでも一杯いてオジさんやオバはんが嫌われていたのですが、生活水準の向上に連れて厚かましい中年族はいつの間にか姿を消した(今では60〜70代になって世間に余り出なくなった)と言うか、少数派になってしまったのですが、大阪だけ今でも残っていることから目立つのでしょう。
大阪だけに何故今でも厚かましいオバはんが多く残っているのかですが、以下に書くように大阪経済圏では生活保護受給率が大阪では高い・・医療保険の利用率も高い、学テでは全国最低水準になっているなどの現象からみて、この20年あまりの我が国の生活水準向上の波に乗り遅れているからではないでしょうか?
どこかで言ったことがありますが、大阪の長期的地盤沈下は、府と市の二重行政に原因があるのではありません。
産業の主役が繊維系から電気に移るまでは元気だったのですが、その後車産業に主役が移ったときについて行けなくなったころから、関西経済圏の沈下が始まったと私は考えています。
江戸時代中期ころから関西以西では木綿栽培が発達していたと読んだことがありますが、これを基礎にして、近畿圏周辺〜岡山までには繊維産業が明治維新以降勃興し、これに連れて糸扁の商社も大きくなりこの傾向は戦後も続いていました。
戦後は家電系も松下電器産業(ここから派生して生まれたサンヨー・・今は合併しましたが・・・)に始まって新たに経済を支えましたが、精密な電子産業以降となるとちょっとついて行けない感じになって行きました。
造船その他重工業も大阪の経済規模に合わせて十分発達しましたが、車製造が経済の中心になる時代が始まると新たに広大な工場敷地を必要としました。
過密化していた大阪周辺では工場敷地の余裕がなかったこともあって、自動車産業と関連産業の新規開設立地がほぼ皆無だったことが、大阪の地盤沈下に甚大な影響を及ぼしたと思われます。

組織(集団)の存在理由1

円高になった場合、見込みのあるかどうか分らない生産性向上努力に資金を投じるよりは海外生産比率を上げる方が結果が分かりよいので、外国人株主はその決断をすることに傾きます。
ところが、国民を守らねば・食わせねばならないという命題から我が国の企業は始まっていますので、利益確保ののために安易に海外移転をする企業はありません。
安易に海外移転するとその時点で国民の支持を失うし、同胞意識で成り立っている我が国の宗教的指弾を受ける気配です。
わが国の国民はキリスト教か何教かと聞かれると、無宗教と答える人が多いのですが、実は仏教でもキリスト教でもどちらでも良いと言うだけで、その上位にある「日本教」に骨の髄まで染まっている民族とも言うべきです。
これに反する宗教は、何教であろうと存続できません。
税金が安い等経済的利益優先で本拠地をシンガポールに移した村上ファンドは、その時点で国民の支持を失ったようです。
日本の企業は経営者の利益を出すためのみにあるのではなく、構成員・部落共同体・いまでは従業員を食わせることが第一の使命ですから、本来アングロサクソン・ユダヤ商法流の株式会社・・利益さえ出せればどこで商売しても良いし、儲けるためには従業員を減らせるだけ減らせば良い・・企業利益の最大化を図るために海外に出てしまっても良い・・自国民従業員の数をゼロにしてしまい国民が食えなくなっても構わないと言うシステム向きではありません。
更に言えば、構成員を養えさえすれば良いならば、構成員ごと環境の有利な国外移動しても良いことになりますが、我が国の場合、郷土愛と一体化しているところもあって、そうは簡単ではありません。
出エジプト記のユダヤ・キリスト教やイスラムあるいはフン族・ゲルマン民族の大移動は基本的に考えられない・・我が国の集団意識は、郷土愛意識と一体不離の関係にあるように思われます。
原発に汚染されてもしょっ中大津波が来るとしても、その地を離れたくない意識が強いのも特異と言えるでしょうか?
どこの国民でも一度住み着けばそこが良いので簡単に移動しないのが普通ですが、我が国の場合、稲作農業で、水田を何世代にもわたって作り上げて来た歴史が長いので他民族よりもその意識が強いだけかも知れません。
利益だけに着目する社会・・に戻します。
交通事故等の損害賠償事件をやっていて思うのですが、(得べかりし利益の賠償だから)加害者の方は事業で得るべき利益だけ賠償すれば良いという考えで主張して来ますし、裁判所や法律家もそのような考えが基本です。
しかし経営者としては、収支トントンでも自分が働いていることによって多くの従業員を養っていると思ってますので、経営者が事故で休んで従業員が路頭に迷ったのをどうしてくれるという意識です。
経営者が事故にあって8ヶ月休んでも、事故前の利益が月10万円しかなかったのなら10万円×8だけ賠償すれば良いだろうと言われると頭にきてしまいます。
利益追求を目的とする株式会社組織が本来で、それ以外は間違っているというのではなく、利益追求型の組織ばかりではなく、日本的な組織構成員を食わせるための団体組織があっても良いのですから、この日本モデルを世界に発進して行くべきかもしません。
利益追求型ではないと言うと非利益・公益型・・ボランテイアという対比ではなく、(これが欧米流組織論です)第三の道・・我が国のように組織構成員の生活を守るための組織もあっても良いでしょう。
世界的に見ても企業の外に国や自治体はそうした目的で存在しているのですから、別に目新しい概念ではありません。
学生時代に読んだ本にゲゼルシャフトとゲマインシャフトの対比があったのですが、今は英米あるいはユダヤ流儀のゲゼルシャフトの思潮が幅を利かせ過ぎです。
ゲマインシャフトの意識を復権してこれを私企業にも及ぼしたらどうかというだけです。
企業は金儲けに邁進していれば良くて、時々社会貢献・寄付をすれば良いのではなく、企業自体に構成員に対する責任があるという意識の復権が要請されます。

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