海外投資家比率(国民の利益)1

アングロ・サクソン流のエゲツナイアジア通貨危機の演出で株式やウオンが大暴落したところで救済と称して資金を投入する・・ウマイ具合に企業が乗っ取られてしまったようなものです。
サムスン電子の場合海外投資家比率55%以上と言われていますが、韓国の個人株主比率がこの後に書くように11%とすれば、残り35%が機関投資家保有となります。
韓国の機関投資家の外国投資家比率についてはOctober 3, 2011労働分配率1(韓国民の悲劇)出で紹介しましたが、銀行・金融機関関係の外国人株主比率はおおむね77〜78%になっているようです。
そうすると35%の7〜8割が外国人ですから全体の27〜28%がこの段階で外国人に流れます。
結果的に55%のサムスンでも、儲け全体の7〜8割が海外資本家に流れる感じです。
サムスンに限らずいろんな企業の外国人比率が上がって来るとそれら企業同士の持ち合いの結果、実質的には大変な比率に上がってしまいます。
この比率がもっと上がって行くとこれをもって韓国企業と言えるのか、中国清朝末期〜辛亥革命〜中国共産党樹立時に批判された買弁資本家(民族資本家との対立概念でしょう)とどう違うのかの問題になって行きます。
会社の関心が株主の意向に左右されがちなのは当然ですが、余りにも海外投資家比率が高くなると、工場・生産拠点のある国の国民への配慮が二の次になるのは自然の流れです。
我が国企業は、企業である以上は利潤を目的とはしているものの、最後の最後まで従業員を守る意識が強いのとはその点が大きく違います。
韓国企業や政治は「今度はこのやり方が良い」となれば直ぐに方向転換出来るのは、国民の意向・痛みなど問題にしない本質があるからでしょう。
その結果何か決めるとなれば、性急に進める結果(効率は良いのですが・・・)流血の惨事を引き起こす大騒動になることが多いのですが、そこは中国同様に圧政の歴史が長いので、力さえあれば押さえ込んでしまえば、いくら騒いでもそれでおしまいという国柄です。
上記のように、韓国では海外株主資本家比率が高い企業が多いので、サムスンその他の大業ががいくら儲けても国民にとってはその恩恵は今でも半分の半分程度しか意味のないことになりつつあるようです。
しかも個人投資家と言っても戦前の日本みたいに財閥形式の経済ですから、保有者が偏ってるのでなお大変です。
一般庶民を使い捨ての駒みたいに扱い、賃金競争に不利となればあっさり海外展開してしまいます。
(日本企業が中国の人件費等が上がればベトナム等へ移転しようかと簡単に考えるのと同じです)
この結果労働条件では非正規雇用中心の社会となり、片や国民は(そんな国に愛着がないので)少しでもお金が貯まれば外国籍の取得に精出すようになっています。
中国もそうですが国民がチャンスさえあれば外国籍をとりたいと願望している国っておかしな国ではないでしょうか?
中国や韓国人の行動原理を見ていると、市場万能主義というよりは、拝金主義という方がぴったりではないでしょうか?
お金だけに価値をおいた社会では、お互いに国民・同胞をどうするという意識が育たなかった感じです。
ところで純債権国と言っても、結局は個人金融資産の総額しか価値・意味がないことについて以前どこかに書きました。
例えば日本の企業が海外に債権や鉱物採掘権を持っているとしても、その株式保有者の大部分が外国人であれば、実際に持っているのは外国人になってしまいます。

貿易赤字下の円高1

輸出入を全体として見ると収支が貿易黒字になっている・・その結果円高になったときに、その円相場では大量生産型産業が国内に生き残れなくなって行くのは嘆かわしいことではありません。
昨日書いた比喩的利益率の分布によれば、輸入によるマイナス分も加重平均した結果の貿易黒字による円相場で生き残れない業界は、わが国の輸出産業の平均的利益率以下になっていることになります。
・・即ちもっと効率の良い産業が別に多く発展していることの証(あかし)であり、日本の輸出産業の平均コスト以下に決まる円相場でも生き残れない企業は、既に我が国の平均利益率以下の産業になっているアカシでもあります。
平均能力以下の産業は退出して行き、より効率の良い(利益率の高い)分野に労働力や資源を集中すべきです。
この種の話は元々景気不景気の話と同様であって、不景気で売れないと嘆く人と同じです。
その業種がゼロになったなら別ですが、建築でいえば、前年比5%着工が減っただけならば、(車の売上でも同じです)「腕の悪い職人から仕事が減るのであって、腕のいい人の仕事は減らないでしょう」と言うのが私の持論です。
不景気を嘆くのは自分が業界の最下位の仕事しか出来ていないからヒマになったら真っ先に仕事を切られるに過ぎないことを自白しているのと同じです。
大学の入学定員が5%減って厳しいという人は、最下位入学を志しているようなもので、そんな人は入学出来ても授業について行くのが大変なだけですし、やっと卒業出来てもマトモな仕事にも就けないでしょう。
やっと最下位で就職しても真っ先に首を切られたり窓際族になったりして、居づらくなります。
ただし、上記の原理は、貿易黒字による円高になった場合のことであり・・我が国は昨年3月11日の大震災までは貿易黒字が続いていたことを前提に書いています。
もしも大震災以降燃料の大量輸入等で貿易赤字が定着して来たとすれば、大晦日のコラムでも少し書きましたが話は別です。
貿易赤字になっている・・総合的競争力がマイナスになってしまったにも拘らずに、その他の理由・・高金利のために円が上がったり、所得収支や移転収支の黒字のために円が上がっているときには、既に産業の競争力がなくなっているのに更に円が上がり続けると悲惨な結果になります。
我が国は巨額の貿易黒字が続いていたにもかかわらず、低金利による円キャリー取引、海外投資促進による資金流出で、(今回の円高局面でも海外M&Aの盛行で巨額資金が流出し円高圧力を和らげている側面があります)円高になるのを長期間阻止して来たのですが、経済実態(国際競争力があるのにハンデイを付けていた)に反していたことの裏返しの結果が始まろうとしています。
逆の動き・・すなわち過去に逆張りして来た咎めが出て貿易赤字・競争力がなくなってから円が上がり始めると大変です。

構造変化と格差13(部品高度化1)

私事ですが、最近7年ぶりに眼鏡を造り替えて昨日貰って来たところ 顔の輪郭がはっきり見えるのに驚くとともに、人並みに顔のしわが増えて皮膚のツヤが衰えているのにも気づきました。
昨日のコラム最後に書いたように、まだ若いと思っているのは自分一人であったことが客観的に明らかになったこの一日でした。
不思議なことですが、「最近風邪を引かないし健康になったな・・」と実感した途端に風邪を引くなど、健康に関する意識は何故か真逆になることが多い傾向があります。
おごった気持ちが油断を招くのか、ちょうど病の兆候が忍び寄っていてこれを本能的に感じた結果、普段気にしない健康に関心が向いて、「最近体調がいいな・・」と意識に上って来るのかも知れません。
風邪に限らず何らかの異変が出て気づく前に、風邪その他の病因が進行していることが多いものです。
とは言え、皮膚のツヤが年齢相応になっているのが分った程度で、今のところこれと言った病気もなく元気に新年を迎えました。
ここで、正月特別コラムを終わりにして昨年12月30日までの通常コラムの続きに戻ります。
2011-12-30日のコラムで炭素繊維で有名な東レを例に書きましたが、同じ業界であった倉敷の大原美術館関連で私のような素人にも有名なクラレ(倉紡)がどうなっているかをデータでみてみましょう。
同社ホームページで売上高利益率の推移をグラフでみると高度成長期は売上ばかり伸びて利益率は低下の一方で、シェアーばかり競う時代であったこと・・今の韓国や中国みたいな状況だったことが分ります。
1980年代以降現在まで売上高はほぼ横ばいでそれほど伸びていないのに、利益率はドンドン伸びて2003年度当期利益額(単位不明ですが数値だけ比較すると)が8,051に対して、2007年度(リーマンショック前)では22,412に約3倍弱増加しています。
1980年〜85年頃の売上高は2007年頃とほぼ同じですが、売上高利益額は、2007年ではほぼ倍増になっています。
過去に売上高が2倍あって利益が同じ場合、薄利多売・・多くの生産をしていたこと・・多くの雇用を吸収していたことが分り、20年以上経過して売上高がほぼ同じなのに利益率が2倍になっている場合、雇用比率が下がっていること・・製品の高度化転換・高収益化が進んでいると推定されます。
上記の例はホンの一例であってそれ以外に多くの分野で我が国は産業高度化に成功した結果、国内総生産の落ち込みもなく(バブル崩壊後も漸増していたことを既に紹介しました・・気になる方はご自分で国内総生産の推移をネットで調べてみて下さい)、国全体の貿易黒字がなお続いていたことから、(蓄積した分だけ円が上がる道理です)リーマンショック以降急激に円高が進み、これについて行けない多くの業種で淘汰が進んでいます。
ちなみに、リーマンショック、ニクソンショック・あるいはギリシャ危機などと天災のごとく言いますが、本来の経済現象の変化に合わせて生じるべき変化を政治的その他の事情で人工的に無理にせき止めていた咎めが出た(ダムの決壊に類する)ときに、このように表現しているに過ぎません。
地殻変動のひずみが一定量を超えると大地震が起きるのに似ています。
リーマンショック以降の経済の大きなうねりは、長期にわたるアメリカの赤字累積・紙幣の乱発に対するひずみの是正作用が連続して起きているに過ぎませんし、・・我が国の円高も長期にわたる黒字にも拘らず超低金利の結果円キャリー取引を通じた円の流出によって円安を演出していた咎めが出た・・アメリカも欧州も低金利になると同じ金利ならば、黒字国の円が過去に上がるべきだったのに正当に上がっていなかった分まで上がる(下がるべき国は下がる)のは当然です。
ショックとは調整過程の始まりに(気づかなかった人が)ショックを受けていることであり、実際に起きているマイナスを塞き止めて来たダム(ごまかしが効かなくなった)決壊が目前に迫った下流の地域の危機を言うマスコミ用語です。
円高ショックと最近言わないのは、国民が経済実態・円の実力を前からよく知っていたからショックでも何でもないからです。

発電所の消費地立地2(コンパクト化1)

一般民家の屋根上の太陽光発電は自家使用する限り送電ロスがないので、その点(発電コストは別に論じるべきですが・・)では合理的ですが、個人の場合自家用分を越えて発電すると、売電すると言っても少な過ぎるので送電コストが高すぎます。
企業・事業所と違い家庭では、昼間不在が多くて自宅のために発電時間帯には殆ど電気を使わないので、この時間帯に発電するのではミスマッチとなります。
昼間発電分を自家使用出来ない・・送電するには高圧化しないとロス率が高いのですが、住宅街には超高圧化する仕組みがありませんし、少量ずつ変圧するにはコスト割れです。
(現在は山間立地の高圧線から市街地に近づくに連れていくつかの変電所を経て順次低圧化する仕組みですが、その逆の変圧システムがありませんし、抵抗の少ない高性能電線も家庭近くに張り巡らせていません)
低電圧のままで且つ少量送電コストに関する画期的技術進歩あるいは昼間の電気エネルギーの蓄電コストが画期的にならないと家庭の余剰電力は無駄になる感じです。
広告では1年間に自宅でどれだけ発電出来て電気代がどれだけ少なくなると宣伝していますが、これらは一般家庭では昼間自宅には猫しかいない時間帯に最高の発電量になる現実を無視した前提で広告していることになります。
現在の技術では火力発電は大型発電所でないと発電効率が悪いとされていますが、もしかしたら危険なものを大都市から切り離すための口実か、あるいは独占的電力体制維持の口実でこのような意見が流布している・・その方向の工夫・改良意見・研究をさせたくないだけかが分りません。
(もしかしたらその混合でしょう)
仮に大型の方が効率が良いとすれば、今のところ各ビル(または一定街区)ごとの小型発電は今のところ現実的ではないことになりますが、(そう言う議論をすること自体現実を知らない青い意見としてバカにされます)今回の原発事故を教訓にするならば、現状に甘んじて怠慢を決め込むことは許されません。
今後は、都市内に発電設備を分散立地出来るように小型化してでも効率の良い発電システムの構築・工夫が必要です。
9電力体制・・独占維持のために小型化→分散立地へ研究が進まないとすれば、9電力体のシステムを何とかしないと行けません。
日本の技術開発は学者がするのではなく企業・現場の改良によることが多いので、我が国では電力供給が独占企業になっている関係で、独占企業にとっては利害の反する小型化研究→分散立地化への意欲・動機がないとすれば、我が国は小型化技術で世界をリードするどころか、小型化・スマート化で世界で最も遅れた国になってしまうかも知れません。
これを打破するのは政治の仕事で、戦後の緊急事態・・傾斜生産時代が終わったのですから、電力供給を自由競争体制に戻すべきでしょう。
今流行の議論は発電と送電シスムの分離論ですが、これでは社会発展に必要な小型化への研究インセンイブにはなり難いでしょう。
生活利便性の進化はコンパクト化であると元旦以来書いてきましたが、小型化は無理だと始めから諦めないで部品その他小さくして行く工夫・努力次第で将来的には今の10〜20〜100分の1程度の小型電所を生み出して行くことが必要です。
小型化して、発電所が身近になれば、その安全性・環境負荷を極小化する技術も磨かれます。
現在大型発電機しか造れない・・小型の自家発電装置はもの凄く効率が悪い・・ひいては環境負荷が大きいし割高であることから、大型病院や工場でもホンの短時間の自家発電能力しか用意出来ていませんので、昨年の震災のように長期間停電するとお手上げになります。
送電ロス防止目的だけではなく危機対応のためにも、画期的な小型化技術の開発努力は必須でこの先端技術を開発すれば、世界に向けた大型輸出産業に育って行くでしょう。
小型発電機自体は既にあるので、これから必要とされているのは大型発電所での発電効率に負けない・環境負荷の小さい発電機・システム作りです。
いきなり大型と同効率で100〜200分の1の小型発電機を造る必要がなく、現在病院や工場等に非常用に準備している短時間の発電機の効率を少しずつアップして、性能向上して行けば、輸出産業に育って行くでしょう。
現在の発電機の持久時間を延ばすことによって、昨年のような短時間の計画?停電でも(その停電時間より少し長い自家発電装置があれば結局ストップしないで済むので)工場や店舗の操業を全面的にストップしなくても済んだことになります。
自家発電への切り替えに時間がかかる・・しかも10〜20年に一回も稼働しないとイザと言うときに動かないなどの問題があります。
しょっ中試運転しているとそのコストがバカにならないし、数時間の運転で問題がなくとも長時間になると別の問題が起きるなどリスクが大きすぎて信頼性がイマイチです。
現在の発想・別の発電機の準備や蓄電池に蓄電(電池への変換時点でのロス率の高さから)しておく発想はコスト上問題があり過ぎます。
素人考えですが、非常時の切り替えや、ときどきの試運転ではなく、車のバッテリ−のように日々使う蓄電システムにしておく必要があります。
・・水で言えばプール内を循環してから供給する体制・そのプール蓄積分を4〜5日間の余裕にしておけば、停電しても切り替える必要がなくそのままプール蓄積分がカラになるまで4〜5日間稼働出来るので維持コスト不要です。
プール蓄積分の容量を少しずつ増やして行くことで(我が国はこの種の技術革新は得意です)行く行くは10〜15日分として増やして行けるし、バッテリー自体の大きさを小さくしてどこにでも設置出来るようになって行けるでしょう。
昨年の計画停電が批判されていますが、需要側にこれに対する備え・危機管理がなかったことによるもので計画停電自体が悪かったとは言い切れません。
ただし、社会に自家発電や蓄電システムがない状況・・備えがない・・電力側がそうした方面の発達を妨害しておきながら、一定時間ごとの停電を実施してしまった点は乱暴だったことになります。
例えば鉄道を含めた各種事業所では5〜6時間以上の自家発電装備するのが標準社会になっていれば、(しかも上記のように自動的に切り替えられるように使い勝手の良いシスム構築がされていたならば)毎日3〜4時間の停電が計画的に行われても何の混乱もなかったことになります。
一戸建て住宅では、トイレや電話その他いわゆるライフラインだけ別系統にして24〜48時間程度持久出来るような蓄電池を普及させておくべきだったでしょう。
一定規模以上のマンション等集合住宅では(高層マンションだけではなく高齢者が増えるとエレベーターの停止は死活問題です)まとめて100時間程度運転出来る自家発電装置または、上記蓄電システム準備の義務づけが有効です。
(年月をかけてこの準備時間を順次延ばして行けば良いのです。)
マスコミは民主党政権は危機管理能力がないと決まり文句のように批判していますが、危機管理の備えがなくてオタオタするのは事故が起きたときの政権の責任ではなく、こうした準備は社会意識の醸成から始めて何十年もかかるものですから、歴代政権・数十年前からの各界オピニオンリーダー・指導的立場だった人たちの連帯責任です。

危険と隣合わせ3(発電所の消費地立地1)

利便性と距離およびコンパクト化の解決策としては電気は多方向(医療機器もすべて電気利用です)で大活躍ですから、電気発明以降の社会では、電気製造・運搬利用技術とその管理をどうするかによって、社会生活のレベル(文明度)が決まって来ます。
以下電力関係に絞って書いて行きます。
電気は普及当初から遠隔地で石炭を燃やすなどして製造出来るので、利用する場所では生産に伴う煙・熱・臭気騒音などに悩まされなくても良い上にオン・オフが簡単・・使う人にとって便利なものでした。
工業地帯と旧市街地を分離することで造る人の作業環境がどんなに劣悪でも、利用者は気にならない・分らない関係になりました。
電気自動車・電気エネルギーにすればクリーンだなどとマスコミは報道しますが、それは、車や事務所・台所等エネルギーを利用する場所ではクリーンであるだけで、電気を造る場所ではどうなのかの議論がありません。
その矛盾が露呈したのが今回の原発事故でしょう。
もしも電気が安全でクリーンであるならば、消費場所に最も近い東京湾岸・お台場辺りりに火力発電所や原発をドンドン造ったらどうかの議論が必要です。
電気は遠隔地から運んでも電気自体の性能は同じです(魚その他の食品のように古くなると味が落ちたり腐りません)ので、つい遠隔化する一方ですが、実は送電ロスがあります。
(距離に正確に比例し電圧にほぼ反比例します)
個人のブログによりますが、(客観性は不明です)送電ロスは平均して約5%(2000年のデータで年間約458.07億kWhの損失・100万キロワット級の原発6基分)らしく、東電に限定すれば、2002年度損益計算書では送電費と変電所維持費に6000億円あまりかかっているそうです。
(本来の送電コストは、ランニングコストだけではなく初期投資・建設費や用地取得費用がかかっています)
平均コストでは分り難いですが、火力は東京湾岸(千葉と神奈川両県)に集中していて遠くても70km前後ですが原発は近くても200km以上ですから、原発の方がロス率が大きく送電コスト(高圧線の維持管理費)が多くかかっていることになります。
火力等を電気に変換する過程で約5割もロスがあって、電池に加工すれば、その加工段階の歩留まり次第で大きなロスが発生します。
節電節電と言いますが、個人の節電も必要ですが、国民は昨年充分に節電して来たのでこれ以上節電できるのは多寡が知れていますし、節電疲れを起こすと(薄暗い駅舎など)国民の活力を弱め、生活水準を落とすことになります。
今後は、節電よりは消費地のビル10〜20棟をまとめた街区ごとの公園地下などでそれぞれの地域利用分を小型発電する工夫・・場合によっては義務づけなどに取り組む方が送電ロスとコストが少なく合理的です。

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