非武装平和論3と集団自衛権反対論1

彼らの言う平和外交とは、応援してくれる国を外部に求めると戦争になると言う論理ですが、ヤクザが「警察に通報すると酷い目に遭うぞ!」と言うのに似ています。
ヤクザ組織(中韓)から頼まれているのじゃないのか!と言う意見が出る所以です。
非武装平和論や「集団自衛権=戦争する国へ!」論は論理に飛躍があって、誰でもおかしいと思うでしょう。
彼らの主張によれば、相互防衛条約を締結している国々は、みんな軍国主義・侵略国家になります。
無茶な説明に無理が出て来ると最近ではマスコミを通じて、「国民の理解を得られていない」と宣伝していますが、自分で混乱した説明しているから理解を得られないのではないでしょうか?
マスコミが「よく分っていませんよね」と聞けば、9割以上の人が「分らない」と答えるのは当たり前のことです。
我々法律専門家でも民法改正・商法改正論その他各種特別法改正の研修を受けても、大方今後こんな改正になる程度のことは理解出来る程度で充分であって、詳細までは知りません・・事件のときに詳細基準等を見れば、充分であって、改正前にそこまで知っておく必要もないからですが・・。
事前研修程度では、詳細どころか・・応用編・・こう言う場合どう言う扱いになるかの具体論になると、その詳細は政令等で施行までの間に決める分野も多いし、実際に事件処理するときにその後に(普通の法律は施行までの周知期間があります)発行された解説書を読み、あるいは書記官等に実際の運用を聞かないと分らないないのが普通です。
身近な都市計画法の用途区域があると知っていても、その詳細まで知っている人は滅多にいないでしょう・土地を買ったり家を建てるときに必要になってからプロに聞いたりネット等で見れば良いと言うのが普通です。
そのときになっても、具体的になるとこれがこの規制のどれにあたるか迷うのが普通で、専門家や規制当局に相談するのが多いのです。
身近なゴミ捨てのルールでも配って来た説明書を覚えていられないので、そのときに見ながら粗大ゴミ、不燃ゴミ等を捨てているのが普通で、前もって内容を知らないと法律や条例が出来ないと言うことはありません。
詳細は市会議員等に任せておけば安心と言うのが代議制民主主義の利点です。(何もかも直接頭を突っ込んでいると生活時間がなくなります)
ましてや法案や条例段階でどう言う場合どうなると言う応用議論は、(何が資源ゴミで何がそうではないかの細かい基準)プロ・・立案当局・政治家同士(あるいは政省令やガイドライン等作成段階でそれぞれのプロが参加して)で問題点を議論するべきものであって、弁護士でさえもそんな議論を前もって知る必要もありません。
「どうなったらどうなるのか」の詳細をマスコミが「国民に理解されていない」と宣伝しまくっていますが、詳細運用パターンを国民大衆が事前に直接説明を聞いて直接決めるような法律はそもそもありません。
国民に直接の影響の大きい相続税法改正だって、国民はこう言う方向に変わると言うことを知れば良いのであって詳細は(その後に規則や通達等で決まり税理士等を集めた説明会等で具体化して行くものです)税理士等専門家に聞いて生活しています。
原発の安全性も、設計や地震等の詳細説明の正確性に付いては、科学者でさえも専門家以外には良く分らないのが普通です。
一般人あるいは一般科学者は、それぞれの立場(反対派、推進派など)の科学者の説明によって、原発の安全性に付いて賛否を決めているのが普通です。
まし集団自衛権に関して、どこまでの行為があればどの時点で反撃するかは退自衛隊員の安全を守るために高度な軍事機密であって、これを公開で議論するような性質のものではありません。
元々応用形態を公開するのは問題がある点で、普通の法案とは違うのですが、この法案に限って、普通の法律では政省令や運用規則等に任せるべき具体基準まで・・細かい応用編まで逆にあら探しみたいな議論をしているところにも大きな問題性があります。
どんな法律(レストランの衛生基準、建築構造基準・計算式、薬事法関係の基準等々・・総べてそうです・・)でも、細かい運用基準を一々国民(国会議員や市議会議員も)が理解出来る訳がないので、そこから先はプロが参加する審議会等で議論して規則やガイドラインになって行くのです・・だから国民に分り難いと言うよりも、元々理解不能な議論です。
国民がこの点がどうなるかを知りたいと言う合理的疑問があるならば、軍事機密以外の分野では、その声を吸い上げて国会で質問し反映させるのが政治家の役割ですが、詳細運用になると政治家は上記のとおりその道の専門家ではないので、不安だけ煽ってみるもののその先に付いてそ説明能力を持っていないから自分で説明出来ないのでしょう。
(東北大震災時に菅総理が理工系出身と言うことで、・・原子力の専門家ではないのに、・・半可通的に原子力発電事故処理に口を挟んだことで、却って大混乱に陥れたことは、記憶に新しいところです)
民主党は、当初は審議時間が少な過ぎると言う正論を主張していましたが、大幅会期延長になって見ると、(戦争する国にするのかと言う程度の)抽象論以外に言うことがないのですから、言うことがなくなったらしく夏休み予定だったのに延長したのだから、休み予定中には審議に応じないと欠席したり、言うことがなくなった結果、国民理解が進んでいないと言い出したのですが、これでは国民の声を反映する仕事を怠っていることになります。

集団責任論5(哀悼の意を表したり、陳謝等の必要性)

韓国と言えども、今年の3月に起きた駐韓アメリカ大使に対する襲撃事件では、犯人個人と民族・国家は関係がないとは言えずに、国・民族を挙げて心配しているとか誠意を示す行動等に励んでいました。
実際に多くの人が集団を構成して行動し、集団や民族は間接的に受益しているのですから、(この関係を法的に立証出来ませんが・・)言わば、近代個人責任法理の修正がないと双方共に解決しない分野です。
アメリカに対するこの態度→韓国がテロリスト安重根を顕彰するのは、国家意思として日本要人暗殺を奨励していると思う人がいてもおかしくありません。
2015/02/14/「近代法理の変容8(社会防衛と人権擁護2)」で民事で言えば選任監督の過失論で過失を擬制・・こじつけるのでは無理があることを書くなど、個人責任法理は随所で修正されつつあることを、2015/02/20「法理(原理主義)1から具体論へ」まで書いてきました。
厳密に言えば個人責任法理はそのままであって、部分的修正に留まるにしても、個人責任主義によって集団的に哀悼の意を表したり、陳謝するべき道義の正統性まで否定されてはいないことを自覚して行動すべきではないでしょうか?
日本の高校生を乗せた練習船がハワイ近海でアメリカ軍の艦船に衝突されて沈没した事故がありましたが、アメリカ大統領が法的責任を負って、刑務所に入ることはありませんが、哀悼の意を表したり、陳謝くらいすべき・・遺族が訪問すれば好待遇で迎えるなどが普通です・・法的責任がないことと道義責任がないのとは同義ではありません。
以下平成27年6月28日現在のウイキペデイアの記事からの引用です。

「えひめ丸事故(えひめまるじこ)は、2001年2月10日8時45分(日本時間)、アメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」が、浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」と衝突し沈没した事故[4]。乗務員の35人のうち、えひめ丸に取り残された教員5人、生徒4人が死亡し、救出されたうち9人がPTSDと診断された。」
事故後[編集]
当時のグリーンビルの艦長であるスコット・ワドル中佐(当時)は事故の責任について軍法会議で審議されることはなく、司令官決裁による減俸処分を受けただけで、後に軍を名誉除隊した(懲戒解雇に相当する不名誉除隊ではなく、軍人年金などの受給資格のある一般退職。退職後ただちに海軍関連の企業に再就職した)。2002年12月には愛媛県宇和島市を訪れ、同市内にあるえひめ丸慰霊碑に献花した。
2002年11月30日、5代目えひめ丸が建造され、愛媛県に引き渡されている[8]。また、ホノルルと宇和島に慰霊碑が建立されている[4]。
2003年、全国水産高校長協会が2月10日を「海の安全祈念日」に制定した。
時期不明、アメリカのジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領は電話で森首相に謝罪。アメリカの責任を全面的に認めた。
ハワイの航海カヌー「ホクレア」は、えひめ丸の犠牲者追悼の意味も込めて、2007年5月に宇和島市を訪問。ナイノア・トンプソン船長は水産高校をクルーと共に訪れ慰霊碑の前で献花、同校等でワークショップを開催した。」

ただし道義責任はそこまでであって、息子が近所で犯罪を犯しても、親には法的責任がないので、近所に謝って歩くのが普通と言うだけであって、謝って来ないからと言って「謝りにこい」と言えるものではありません。
それをしないのが悪いとも言えません。
ただ道義のルール・・社会の暗黙のルールに従わない人は、(刑事罰を受けないまでも)その社会で仲間はずれになるのは仕方がないでしょう。
だからアメリカ大統領も日本の国民感情に配慮してお詫びの電話をしたのです。
「交際したくありませんから、お詫びなどしたくありません」「それで結構です」・・「自分たちだけのグループで生きて行きます」と言う意思表示が、チャイナタウンやコリアタウンの形成でしょうか?
タウン内で自給自足完結して行ければ問題がないのですが、今の時代、1〜2km四方程度の街の中で全て用が足りる時代ではありません。
外部との交流がないと生きて行けないので、黒人等との摩擦が起きる・・この生き方に無理が出て来たのではないでしょうか?
日本の場合、コリアタウンやチャイナタウンを形成することが不可能ですから、ソモソモ日本社会に溶け込むしかない・・そのためには日本社会の暗黙知であるルールを守る必要があります。
日本人や黒人等が怒り出すと、日頃の自己の行動を反省するよりは、個人の行為を何故民族問題にするのかと言う正論(近代の個人責任法理の無理が出て来た分野の1場面です)で、ヘイトスピーチ批判運動に注力し、反日のシバキ隊が組織され、あるいは裁判で勝っても、(ヘイトスピーチ論はこれまで書いているように定義が難しいのでまだ裁判のテーマにはなっていません・・マスコミ中心の黙殺だけです)現地で地元民から嫌われている根本の解決にはなりません。

集団責任5(近代法理の変容14)

表現の自由を認めると名誉毀損行為やエログロ猥褻・ポルノが蔓延するように、個人責任を強調し過ぎると集団行為を悪用する人が増えます。
証拠裁判主義を強調すると証拠さえ隠蔽すればいいのかと言う人が増えます。
法制度は悪用する人が出て来るとこれにいつも柔軟対応して行くしかないのですから、近代法の原理・法理とか、平和主義とかを標榜して具体的議論の思考停止を求める意見は、そもそも頭が固過ぎると思います。
「現在は近代ではない」と言う意見を共謀罪法案に関連して、このコラムで昨年書きました。
サイバーテロの本格的な攻撃は個々人には難しいし、軍事機密漏出やロケット弾や人工衛星システムの作動撹乱攻撃(準備)などは、個人犯罪としてはあまり意味もないので、やっているのは、ほぼ国家的組織・資金がバックにあっての攻撃と推定されますが・・この証明がアメリカでさえ出来ず困っています。
個人責任主義は証拠が簡単に入手出来る前提の議論であって、巧妙に仕組まれると肝腎の首謀者・・収益帰属グループが検挙されない・・何の責任も取らないことになります。
特定秘密保護法等の制定機運は、・・サイバーテロ対策が基礎にあります。
民主主義だから何でも公開するべきだと言う民主党や文化人の意見は時代変化にあっていません。
近代法の原理と言うのは一種のスローガンであって、そのまま貫徹して行くと悪用する人が出るので、無理が出てきたのが現在です。
この意味では/2015/02/19「近代法理の変容13・破綻4(日本固有の法理5)」の続きになります。
自由主義だから、クルマの走り方も人殺しでも泥棒でも全て自由にすべきだと言う議論をする人はいないと思いますが・・。
全てモノゴトには限界や例外があります。
特定秘密保護法制定批判論は「秘密=反民主主義的で良くない」と言うばかりですが、このために秘密保護法案は「特定」と限定されているのですが、マスコミ・文化人?はその辺を報道しないで、民主主義の危機と煽ります。
総理や原子力関連施設等の警備体制など秘密にしなければならないことが一杯ある筈ですが、これらの例外を認めずに公開することが何故民主主義に不可欠かの説明もありません。
人権団体も秘密の例外を認めるならば、秘密保護法制定自体が民主主義の危機ではなく、知る権利の例外とするべき基準造りの段階でこの基準がおかしいなどと意見を言えば良いことです。
アメリカがイラン相手のように中国からのサイバーテロの仕掛けに対して、対中国で全面金融制裁を出来れば良いのですが、世界中が中国とは深く経済関係を持ち過ぎているので、中国相手の金融取引全面禁止などとても出来ない状態です。
中国は「図体が大き過ぎて世界の村八分に出来ないだろう」と言う自信が、臆面もない無茶をやっていられる原因と言えます。
しかしこのコラムでは、2015/06/12「資金枯渇8(出血輸出とその原資2)」まで、中国の経済破綻の可能性に付いて書いている途中で、中国の世界ルール破りの弊害から集団行為に対するペナルテイの必要性に話題がそれていますが、世界経済の潮流は結果的に中国から撤退縮小に向かっています。
中国に国際秩序を守らせるためには、中国関係を縮小して行くしかないと言うのが、今の潮流でしょう。
ドイツ(日本では伊藤忠)がその穴埋めに動いているのは、不可解と言うか時流を読み違えているのではないでしょうか?
中国が流出し続ける海外資金の穴埋めのために、庶民の株式市場参加を必死に煽っていることも/2015/05/13「中国のバブル崩壊16と庶民の株売買参加1」に書いてきました。
基礎的経済状態が出血輸出するしかない・・製品投げ売り状態になっているのに、瀕死企業中心の上海・深圳株式市場相場が急騰する・・情報のない庶民をあおって市場参加させても長続きする訳がありません。
5月末ころから下落基調が始まってなりふり構わない短期関での金融緩和の繰り返しで応じていましたが、緩和程度では効き目がなくなって、先週では毎日のように、ストップ安が続いていましたので、先週末には国有証券会社等に命じて資金約2兆円以上投入すると発表して市場動揺を抑える発表をしていました。
7月8日水曜日の日経朝刊3pには、上海、深圳両市場の上場企業の三割が既に売買停止になっていると報道されています。
際限ない株価下落になるのを恐れて前日までのストップ安企業はそのまま取引停止にしていることが窺われます。
金曜日に大量のストップ安が出ていたので、売り損ねた投資家が月曜日に殺到するのではないかと思っていたら、そうでもないので、不思議でしたが、このような措置をとっていたことが分りました。
三割売買停止と言うことは、(残りの売れる株を売り逃げしようとするのが普通ですから、)毎日のように、売り先行で始まり途中で政府資金投入による買い支えと言う繰り返しが待っていると思われます。
このように、(上場企業の大半が国有企業なので破綻させる訳に行かず)政府が裏で資金投入して買い支えしている間に、外資が売り逃げるので余計(資金枯渇が進み)苦しくなるでしょう。
・・国を挙げての仕手相場はいつか破綻すると言う意見で書いてきましたが、これが本当に目の前に迫ってきました。
上記のように現在は殆ど株式市場機能麻痺状態ですから、自分からデフォルトしているのと効果が似ています。
ギリシャが、銀行窓口を自分で制限しているのは、国際取引停止されて100%イキナリ停止にくらべれば、自主規制の方が効果がソフトで市民への打撃が少ない(小口現金払い戻しには応じているようですから)メリットがあります。
中国も売買停止幅を2〜3割〜4割と徐々に広げる方が、(ギリシャの銀行で言えば徐々に一人当たり払戻金額を下げて行くようなものです)イキナリの市場閉鎖よりは衝撃度を緩める効果があるでしょう。
いずれにしても中国が自爆状態で事実上経済活動を徐々に縮小して行くしかないとすれば、結果的に国際社会から、金融取引禁止または制限を受けたのと同じ状態になります。

集団責任4(アメリカによるテロ指定1)

サイバーテロを宣戦布告と見なしたからと言って、アメリカは中国をイラクのように爆撃する勇気がないし、経済制裁する経済的条件が熟していないこと知っているから中国が強気に出ているのではないでしょうか?
中国は相手が反撃出来ないと見ると、どんな不正なことでもやってのける傾向・習性が見えます。
アメリカは対中国では取引相手国が多く規模も大きいためにイランのような金融制裁が出来ないまでも、宣戦布告行為とまで言明している以上は、相応の仕返しに向けて水面下の動きだけではなく正面から動き始めています。
7月2日日経新聞夕刊3pによれば、アメリカ国防省の軍事戦略目標の発表には、北朝鮮・イラン・ロシアに続いて中国を名指しで「アメリカの安全保障を脅かす国家」として明記し、「日本などと共同で対処して行く」決して後に引かないと言う決意表明したと報道されています。
金融制裁その他の不利益を強制することによって不利益を受ける国民が政権に対して、軍事力を背景に対外的理不尽・強硬なことをしないように民主的圧力がかかる・・この種の期待すること自体悪いことではありません。
ただしこれは民族的自尊心を傷つけるようなやり方の場合逆効果です。
また、国民が一定の力を持っている場合に有効であって、相手が、非民主国家の場合(政権は民族問題に転嫁するでしょうから)、この種の圧力は全く効き目がないことも北朝鮮やイランの例で証明されています。
ロシアも多分その例に入るでしょう。
先進国では、ちょっとしたインフラ網の損壊でも大騒ぎですが、後進国では元々交易率が低く輸出入が急減しても金融取引が不便になってもさしたる影響がないことが強みです。
電車が止まったり銀行が休んでも、生活に及ぼす影響度が農家と都会人では、大きな違いがあること考えれば分りよいでしょう。
この辺でも、ロシアに対する金融制裁は実は一般国民に大した影響を与えません。
ロシアの主要輸出品は資源系ですので、資源=政府関係者しか損しない・・一般国民は直接利益を得ていないので気にならないでしょう。
貿易黒字・政府収入が減って、回り回って税収が減りますが、財政赤字でも凌いで行けば(日本の財政赤字の例を見ても分るように5年や10年どうってことはありません)なんとかなるので、国民には当面直接関係ない話です。
貧富化格差の大きい国での庶民は、元々最低生活しているのでそんなに影響がない・・富裕層の方が影響を大きく受けます。
金融制裁は庶民よりは国外出入りの大きい政権支持層に大きな影響があるので、(中国でも裸官と言われるように政府高官の方が海外に巨額資金を持っています)ロシアに対する全面制裁ではなく、プーチン氏の周辺人物を名指しして欧米が金融制裁を実施しているのはその意味では、的を射ているとも言えます。
しかし、彼らの海外逃避資金は、(中国の裸官と同様に政府高官の国外巨額資金は元々イザというときの亡命資金であって、生活資金ではないし)解決する・ほとぼりが冷めるまで5年や10年海外旅行しなければ良いだけですから、その間預金を下ろせないくらい生活に何の影響もありません。
アメリカは取引禁止=凍結するだけであって、没収することは出来ないので、その内円満解決すれば、また使えます。
まして、今はプーチンの側近層として信頼されている人物中心の制裁ですから、(信頼されているからこそ欧米が狙い撃ちしているのですから)失脚しない限り海外逃避資金の具体的必要性がないので、今のところ忠誠を尽くすしかないので、政権には何の痛痒も感じないでしょう。
プーチンと仲違いして国外逃亡する人だけが必要になる資金ですから、そんな資金を凍結してもプーチンには関係がないことです。
ロシア等に対する金融制裁は国民一般には、短期的直接的影響をあまり与えないことが確かですが、経済取引が発達している国の国民にとっては、短期間で大きな影響を与えます。
刑事制裁あるいは国際間ですぐに武力行使出来ない場合、婉曲的間接的影響力行使・直接行為者の周辺を含めた不利益効果は必要な実力行為と言うべきです。
企業間や個人消費者も行政取締まで求めないまでも、個人的にその製品を敬遠するなどの行動で影響を与えるしかないことはいくらでもあります。
近代法の原理・・証拠のある犯人だけ検挙すべきだ・・関係ない者をまとめて不利益扱いするのは良くない・・「江戸の敵を長崎で・・」となるのを非難だけしていれば良いと言う訳には行きません。
「日本人はいい人だが◯◯政権が悪い」と使い分ける常套文句は無理が出て来ているでしょう。

集団責任3(組長訴訟)

昨日紹介した暴排条例の続きです。
暴力団員一人一人が犯罪を犯せば処罰されますが、何もしていない・・犯行を具体的にしていない・・証拠がなくとも指定組織員と言うだけで社会活動からのほぼ100%の閉め出し、各種プレーお断り出来るようにする風潮です。
近年暴力団に対する締め付けが広がり、あらゆる業種・・ゴルフ場などで「暴力団員のプレーお断り」などあちこちに広がっています。
(温泉の入れ墨お断り程度なら入れ墨さえしていなければ良いし、生活には支障がありませんが、レベルの違う話です)
振り込め詐欺事件では、末端で銀行口座の名義貸しをした人が、(本人確認資料提出している関係で)先ず検挙されますが、その犯罪事実は他人に貸す目的を言わない・・銀行を欺いて口座を作ったこと・・これが詐欺罪に問われる仕組みです。
(名義貸し主が検挙されると、多くは「振り込め詐欺に使われるとは知らなかった」と言う言い訳ですから、振り込め詐欺の共犯容疑では有罪判決まで持ち込むのには無理があるし、検挙時には関連証拠もありません)
組員自身が組に入っているのに入っていないと噓を言って、自分名義で銀行口座を開設したり不動産取引等をしても、組員ならば取引に契約しなかったと言う業者の供述調書が作られて、詐欺罪になります。
最近では組長の娘が自分名義で口座を作って、父親である組長に使わせていたことが詐欺罪で有罪になっています。
条例自体は刑事罰ではないとしても、これに従って、かなりの業種では、業界ひな形によって、契約書に暴力団関係との契約禁止条項を入れるようになり、契約時に暴力団員なのに組織員ではないと噓を言って契約すると詐欺罪になる・・事実上あらゆる種類の契約・・社会生活が出来ない事態が起きています。
家を買うことも借りる契約することも、銀行取引も出来ないので、電気ガス電話料金等の引き落とし契約も出来ません。
最初は誰かの名義を利用していれば良いと思っていたでしょうが、上記のように名義貸し自体が詐欺罪検挙の運用ですから大変です。
クルマの場合、名義貸しではなく名義人が組長の運転手として毎日乗っていれば名義貸しにはなり難いでしょうが、そんな程度です。
組員が悪いことをしても全員が共謀に関与している訳ではないので、個人責任原理のきつい刑事手続では、(振り込め詐欺の例では上記のとおり)刑事責任を問えない代わりに、そんなグループとは社会全体でおつきあいをお断りしましょうという運動が法的レベル・・取引自体が刑事処罰になるのではなく、民間が暴力団排除契約書を作っている結果、騙して契約しないとマトモな契約1つ出来ない・結果的に詐欺罪となって刑事処罰を受ける仕組み)になってきたのが現在社会です。
ムラの掟を守らない一家には一定限度を超えても刑事処分までしない代わりに、村八分にして村の共同社会の付き合いをお断りしていた江戸時代と原理が同じです。
ただ、暴力団組織員は生まれつきの身分ではなく、「足を洗い」さえすれば逆に更生出来るように公的に応援する仕組みですから、自分で選んでいる点が民族問題とは、大きな違いです。
出身民族は自分で選べないので、出身による事実上の公的差別をすると大きな人権問題になります。
憲法
第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

人によっては帰化して日本国籍を取れば良いのに、敢えて何十年も在日のママでいる方がおかしいと言う意見もあります。
この辺は、暴力団から脱退しないのと似ているけれども違う・・この違いこそが本質的な差であると思う人が多いでしょう。
日本国籍を取る気がないのに長期間居住させる方に問題があるならば、永住権その他外国人在留資格制度を改正して行くべきかどうかの問題です。
観光や留学その他入国目的によって、在留期間が法定されていますし、その滞在態様によって日本で果たす権利・義務も違って来るべきでしょうから、在特会の批判の多くが在留資格と果たしている義務が比例関係にないことにあるのかも知れません。
その辺の具体的な議論に入って行くと、話題がそれるので、また別の機会・・話の流れによってそのときにします。
公的な在日排除条例がないのはその点で妥当ですが、個人的に「在日とは付き合いたくない」と思うのは個人の自由の範囲と思えます。
これを外部に言いふらす・・賛同者を募るのが許されるかどうかの問題でしょう。
誰も相手にしなければ(例えば子供を殺された人の周辺だけ加害者一家と付き合わなくとも、)害がないのですが、賛同者が人口の過半を占めるようになると「在日」と言うだけでその社会で生き辛くなるので、人権問題になります。
こうして見ると、賛同者が増えると危険になる関係です。
集団内の行為については、その結果をある程度引き受けるべきだとしても、その程度が重要です。
民族に関係のない集団と個人の関係の話題に戻ります。
刑法では、犯行に直接関与しない組幹部の責任追及を出来ませんが、民事では10〜20年以上前から、いわゆる組長訴訟・・組長に対する損害賠償訴訟が定着しています。
以下はhttp://www.lawandpractice.jp/files/yongou/urakawa.pdfからの引用です。
組長訴訟の生成と発展 浦川道太郎
「抗争の前面に立って実行行為をする末端組員 には賠償資力がない者が多く,収監されてしまえば,実際上賠償を求めること は不可能になる。
このような状況の中で,被害者救済のために,組織の上部で最終的・最大の 利益を収めている暴力団組長に対して損害賠償責任を問うことが必要になる。 この方法として,民法 715 条に定める使用者責任を基礎に,暴力団組長の責任 を追及する「組長訴訟」が提起されることになった2)。
「使用者が被用者の活動によつて利益をあげる関係にあることに着目し,利益 の存するところに損失をも帰せしめる」報償責任の原理を考えると,組員の活動から上納金の形で利益を吸い上げている組長に対する責任追及には,同原理 を根拠にする使用者責任こそが相応しい法的構成であるともいえよう。」

このように暴力団に関しては、個別犯罪を認定出来しなくともその周辺利益帰属者に幅広く網がかかる時代が来ています。

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