専門家集団と民主的コントロール

原発問題を見ても分るように高度な専門家しか分らない分野が増えて来ています。
政治家が何もかも意味も分からないで最終決断する仕組みに疑問が出て来るのは当然です。
東北大震災・原発事故当時の菅総理が口を出し過ぎたことが混乱を増幅したとして問題になっていますが、保元の乱で左大臣頼長が軍事戦略に口をはさんだのと同じです。
「餅は餅屋に任せろ」ということですが、他方で専門家集団に対する民主的コントロールをどうするかについて別途考察が必要です。
歴史上の専門家集団の最初は軍事組織であったことを01/09/07「世界平和11(戦争の原因5・・王様の戦争5)戦闘員の専門化1」以下で書いたことがありますが、軍人にもシビリアンコントロールが必要なように科学や経済などの専門的決定も国民生活に及ぼす影響が大きくなって来ると民主的コントロールが必要です。
専門家集団の中で誰を最終決定権のある10人(仮の数字です)として選ぶかという段階に民主的手続きを導入する必要性の方が高いかも知れません。
専門家の能力は専門家だけが分るからと言うことで、同じような意見の人たちばかりが専門家集団を牛耳って関係機関・学会で上へ上へと地位が上がって行くようになってしまうと、所謂原子力ムラのように原子力政策推進の一方向の学者ばかりでは「安全だ」ということが宗教みたいになって誰も根本的反対・疑問を言えなくなってしまいます。
専門機関でも軍の場合は一種のマシーンですから効率よく動ける一枚岩である必要があって、軍組織内にいろんな意見が必要ないでしょうが(船頭多くして船山に登るの喩えもあります・・)・・・戦争するかどうかの判断は多様な意見を総合出来る政治家が決める仕組みで良かったのですが、原子力政策その他になって来ると政策決定の専門的判断自体に多様な意見が反映される必要が出てきます。
審議会などは政府の方針に合う人から選ばれる傾向がありますが、選任手続きから民主的洗礼を受けるように手を付けて行く必要があるでしょう。
日銀その他重要機関に関する国会の同意人事制度の結果、与野党の対立で前に進まないことを如何にも悪いことのようにマスコミが書いていますが、これから実質的政策決定権限が専門機関に移って行く以上は、その点は別に工夫するとして民主的洗礼システムそのものをなお強化して行く必要があります。
アメリカ経済・・ひいてはアメリカ国民生活を決める重要決定は連銀の動き次第であり、欧州危機の処方箋決定は、今や政治家の意見によるのではなく欧州中央銀行の決定次第となって来ています。
しかも決定内容は従来の専門領域である金利政策の可否にあるのではなく、量的緩和・・Q2までの包括的緩和ではどうにもならないので的を絞った緩和=実質特定分野への補助金政策になって来たことから見ても、金利政策は意味がなくなっていることが確かです。
このシリーズは年金の前提としていた高金利時代が終わりを告げてるということから話題が横に入っていましたので、ここで再び低金利問題に戻って行きます。
今回の欧州危機の解決には資金注入をどこがいつ、いくらするかの議論が中心であって、金利をどうするべきかなどという議論はまるでニュースにもなっていませんし、いまさら金利の上げ下げを決めても危機解決に何ら意味がないことは誰の目にも明らかです。
投資用資金需要の強い社会・・資金不足時代が終われば、物の価値を化体したに過ぎない貨幣も、物と同様に保管料がかかる時代になるのは当然です。
高金利が妥当したのは、歴史上の一時期でしかありません。
・・・産業革命以降画期的生産性上昇効果があってこそ、機械設備等への投資が高収益を生むからその分配としての高金利が妥当していたことを2012/09/13「年金赤字6とマイナス金利7」でも書きました。
近代化投資が地球上を一巡するまでは、資金需要が旺盛であり、またこれに対応した新規投資がその国では高収益を期待出来たので、高金利で運用出来た期間があったに過ぎません。
近代化がインド・ブラジル、インドネシア等まで行き渡った後は、数百年単位で低成長=低金利時代が来る可能性があります。
年金制度は長期保管(積み立て)してそのお金を原資に分割払いして行く制度(世代間扶養と言うのは払えなくなったことによる言い逃れ)ですから、利回りについては安全を図って(保管料)マイナスくらいのコンセプトで募集すべきです。

組織(集団)の存在理由2

戦国時代、落城にあたって勇猛な兵士が敵の前に立ちふさがって主君を逃すようなストーリイがありますが、歴史の実態は城主が責任を取って腹を切る代わりに篭城した城兵や妻子の助命を引き換えに要求するのが我が国の主流的解決法です。
第二次世界大戦の敗北においても、(極東軍事裁判という変な仕組みですが・・・)結果的に指導者が戦争責任を負って国民が皆殺しになるのを防ぎました。
明治維新の江戸城無血開城も同じですが、背後の人民の被害を出来るだけ小さくするための知恵がいつも働きます。
私が育った頃には、上記のように我が国の実態に反して主君が先に逃げるような物語や、経営者はいつも良い思いをして労働者は搾取されるばかりだというストーリーが多かったのは、戦後盛んだった共産主義の思想や西洋の流儀をそのまま日本の歴史に応用して、経営者は無責任だという主張をしたかったからでしょう。
日本の企業経営者や中小業の親方もそうですが、自分が先頭に立って、従業員の何倍も働いているのが普通です。
西洋の貴族のように領地経営を執事に任せて、優雅に遊び暮らしている前提で日本の組織を見ると誤ります。
学者は、西洋のお勉強中心ですから、我が国の実態を余り知らないで議論している傾向があります。
私の場合、小なりといえども法律事務所を実際経営してみると、その月々の収入の増減は経営者が先に負担するので、例えばその月の固定経費が200万円必要なときに、200万円までの収入は全部給与や家賃等の支出等になってしまいますから、月末になってそれだけの収入がないと、経営する弁護士の収入はゼロ・・200万円に達するまでは、ただ働きになる仕組みです。
月の25〜6日経過した時点まで200万円しかないときにはそれまでの仕事は経営者個人にとってはただ働きになり、それ以降の収入だけが経営者の収入になる勘定ですから、最後の数日が勝負になります。
我が国では経営者が先に自分の収入をとってしまう関係ではありません。
中小企業では経営が左前になると自分の手取りを減らして、従業員の給与だけはそれでも払い続ける・それも出来なくなると金貸しから経営者個人名義で借りてでも払い続けるのが普通ですから、倒産すると大変なのです。
我が国では従業員給与が先取りになっている社会・・まずは従業員の生活を保障する社会と言うべきでしょう。
集団利益を守るために責任者(日本では指導者というよりも責任を取る人=「責任者」が正しい表現です)がいるのであって、トップの私腹を肥やすために集団があるのではありません。
海外の方が儲かるからと言って、徐々にシフトして行き、結果的に生産拠点も本社機能もすべて海外移転することになってしまう(日本人の殆どが振り切られる)のでは、何のために集団トップに選ばれたのか分らないことになるのではないでしょうか?
海外本社にトップとその取り巻きだけが移住し、その他集団員の99、99%が置き去りにされる結果になるのでは、その企業の名前は残るかも知れませんが、元の集団構成員にとっては意味がないでしょう。
今朝の日経新聞朝刊第1面「アジア消費をつかむ」の冒頭には、SNSのフェイスブックで日本第2位のサテイスファクションギャランティード(sg)が本社機能もシンガポールに移したと報じられています。
SNS98万人のファンのうち97%が海外顧客だから移転は必然との説明があります。
こういう新興企業がいくら生まれても一握りの優秀な人材が海外移住して行くことになり、国内は底辺層が残るばかりになって国が衰退してしまいます。
中央で通用する優秀な人材が出れば、当然のことながら中央に出てしまうのが普通ですから(たまに名を成してから地方に隠棲する(・・空海→高野山・道元→永平寺のように特別有名になりますが・・・)地方から人材が流出して首都に人材が集まる傾向・地方疲弊の国際版となります。
人材流出による地方疲弊の構図については、10/02/03「地方自治と人材3(憲法38)」前後のコラムで連載しました。
海外進出を賞賛するよりは、為政者としては日本に人材が集まるような工夫が必要です。
儲かるところへ率先して移動して行く発想は、遭難した船の船長と取り巻きだけが、安全な(儲かる)ところへ先に避難したようなものです。
最近話題のイタリアの豪華客船の座礁事故では、船長や従業員が我先に逃げてしまったことが我が国では大きく報道されていますが、イタリアに限らず日本以外では本来当たり前のことかも知れません。
第二次世界大戦ではマッカーサーサーが「アイシャルリターン」と言いながら将兵を残して自分が先にフィリッピンを脱出してしまいますが、我が国の感覚から言えばおかしな行動です。
我が国では部隊の長は「最後まで死守する」・・・と言うと玉砕まで頑張る非合理な歪んだイメージが造られていますが、そうではなく日露戦争の廣瀬中佐・杉野兵曹長の故事のように、部下を見殺しにしない・・自分が先に逃げないという思想です。
第二次世界大戦末のソ連参戦時に関東軍が満蒙開拓団を放置して撤退したことが、未だに非難されているのはこの思想によるものです。
原発事故では吉田所長以下の命がけの大活躍が報道されていますし、現地自治体の人々が自分は逃げないで最後まで避難を呼びかけて回っていて津波に巻き込まれた話がいくらもあります。
2度にわたる蒙古軍撃退も単に嵐が来た結果撃退されたのではなく、地元の武士団・松浦党などが背後の同胞を守るために決死の夜襲攻撃を仕掛け続けた成果によるものであることは誰も疑わないでしょう。
台風が来たのは運が良かったことから神風というものの、運は決死の努力が呼び込むものであることは人生経験で学ぶ事柄です。

組織(集団)の存在理由1

円高になった場合、見込みのあるかどうか分らない生産性向上努力に資金を投じるよりは海外生産比率を上げる方が結果が分かりよいので、外国人株主はその決断をすることに傾きます。
ところが、国民を守らねば・食わせねばならないという命題から我が国の企業は始まっていますので、利益確保ののために安易に海外移転をする企業はありません。
安易に海外移転するとその時点で国民の支持を失うし、同胞意識で成り立っている我が国の宗教的指弾を受ける気配です。
わが国の国民はキリスト教か何教かと聞かれると、無宗教と答える人が多いのですが、実は仏教でもキリスト教でもどちらでも良いと言うだけで、その上位にある「日本教」に骨の髄まで染まっている民族とも言うべきです。
これに反する宗教は、何教であろうと存続できません。
税金が安い等経済的利益優先で本拠地をシンガポールに移した村上ファンドは、その時点で国民の支持を失ったようです。
日本の企業は経営者の利益を出すためのみにあるのではなく、構成員・部落共同体・いまでは従業員を食わせることが第一の使命ですから、本来アングロサクソン・ユダヤ商法流の株式会社・・利益さえ出せればどこで商売しても良いし、儲けるためには従業員を減らせるだけ減らせば良い・・企業利益の最大化を図るために海外に出てしまっても良い・・自国民従業員の数をゼロにしてしまい国民が食えなくなっても構わないと言うシステム向きではありません。
更に言えば、構成員を養えさえすれば良いならば、構成員ごと環境の有利な国外移動しても良いことになりますが、我が国の場合、郷土愛と一体化しているところもあって、そうは簡単ではありません。
出エジプト記のユダヤ・キリスト教やイスラムあるいはフン族・ゲルマン民族の大移動は基本的に考えられない・・我が国の集団意識は、郷土愛意識と一体不離の関係にあるように思われます。
原発に汚染されてもしょっ中大津波が来るとしても、その地を離れたくない意識が強いのも特異と言えるでしょうか?
どこの国民でも一度住み着けばそこが良いので簡単に移動しないのが普通ですが、我が国の場合、稲作農業で、水田を何世代にもわたって作り上げて来た歴史が長いので他民族よりもその意識が強いだけかも知れません。
利益だけに着目する社会・・に戻します。
交通事故等の損害賠償事件をやっていて思うのですが、(得べかりし利益の賠償だから)加害者の方は事業で得るべき利益だけ賠償すれば良いという考えで主張して来ますし、裁判所や法律家もそのような考えが基本です。
しかし経営者としては、収支トントンでも自分が働いていることによって多くの従業員を養っていると思ってますので、経営者が事故で休んで従業員が路頭に迷ったのをどうしてくれるという意識です。
経営者が事故にあって8ヶ月休んでも、事故前の利益が月10万円しかなかったのなら10万円×8だけ賠償すれば良いだろうと言われると頭にきてしまいます。
利益追求を目的とする株式会社組織が本来で、それ以外は間違っているというのではなく、利益追求型の組織ばかりではなく、日本的な組織構成員を食わせるための団体組織があっても良いのですから、この日本モデルを世界に発進して行くべきかもしません。
利益追求型ではないと言うと非利益・公益型・・ボランテイアという対比ではなく、(これが欧米流組織論です)第三の道・・我が国のように組織構成員の生活を守るための組織もあっても良いでしょう。
世界的に見ても企業の外に国や自治体はそうした目的で存在しているのですから、別に目新しい概念ではありません。
学生時代に読んだ本にゲゼルシャフトとゲマインシャフトの対比があったのですが、今は英米あるいはユダヤ流儀のゲゼルシャフトの思潮が幅を利かせ過ぎです。
ゲマインシャフトの意識を復権してこれを私企業にも及ぼしたらどうかというだけです。
企業は金儲けに邁進していれば良くて、時々社会貢献・寄付をすれば良いのではなく、企業自体に構成員に対する責任があるという意識の復権が要請されます。

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