周辺無視の都市国家3 (香港の場合2)

中国にとっての香港問題・一国二制度の約束を守るかどうかは領土問題のように一旦妥協すれば永久的効力のある問題ではなく、1国2制度の終了期間が国際条約で決まっているので、ここで無理押ししないで1国2制度の約束を守っても約束期間が満了すれば中国政府の自由になるので何らかの既得権が生じる訳でもなく次世代に負の遺産を残すリスクもありません。
一国二制度の国際合意を守り香港の民主制度形骸化を止めれば良いだけのことですが、米中問題の厳しい最中に何故こういうバカなことを始めたのか?
ここで引き下がると政治責任問題が起きるのを習近平氏が気にしているのでしょう。
習近平は米中経済対決・・のギリギリの攻防をしているこの微妙な時期に一国二制度期間満了前になぜ中国本土へ犯罪者引き渡しを強制する条例制定を迫ったのか?
これまで議会?立候補資格制限など一国二制度の条約無視・・条約当事国の英国が傍観するばかりで条約違反に対する国際世論も大したことがなかったので自信を持ったことが第一の原因でしょう。
南沙諸島に関する国際司法裁判所判決を「紙切れに過ぎない」と公言した上で埋め立て強行を続けても、米国は埋め立て工事現場近くの公海を航行する程度しかできない現実を見れば、強盗が来てパトカーを呼んでも強盗を追い出してくれず周辺を巡回する程度しかしてくれないのと同じです。
米国のぬるい出方を見て国際政治は正義よりも実力次第という態度を明らかにしたのがここ7〜8年の中国の対外姿勢です。
以後尖閣諸島周辺同様に公船と称する事実上の軍船を大量投入してはベトナムやフィリッピン漁船に体当たりなど繰り返しては横暴の限りを尽くしています。
海軍らしい海軍もないフィリピンやベトナムは切歯扼腕してもなすスベもないのが現状です。
このような状況下で味を占めた中国は尖閣諸島や南沙諸島侵攻を続けえても実効支配の準備を着々と進め国内ではウイグル族を百万人単位で強制収容して思想教育?強制するなどが始まりました。
これらと並行して香港でもなし崩し的に民主主義諸制度を形骸化させてきましたが、南沙諸島のフィリッピンやベトナムの抵抗同様に香港市民の抵抗はゴマ目の歯ぎしり程度で、中国にとってはなんともなかったので自信を深めた結果、安易にその延長上の政策実現になったのでしょう。
リーマンショック後の世界経済落ち込みに対して中国が巨額のインフラ投資によって、世界経済の底割れを防いだ貢献度を背景にした自信によって、その後4〜5年は日の出の勢いの様相でした。
10〜11年の反日暴動や尖閣諸島への実力行使、続いて南沙諸島海域全体の領有宣言とその実力行使としての公海での埋め立てと軍事基地構築の実力行動、一帯一路計画に対する日米の難色を尻目に強行したところEU諸国が相次いでこれに参画するなど当時の中国は日の出の勢いにあったことで香港住民にとって不利な国際環境下にあった影響もあります。
世界の中国依存度が急激に高まった時期でした。
メルケル首相の中国訪問10回ほどに対してニッポン訪問がその間たったの1回で短時間という批判があったのがこの時期でした。
そのニッポン訪問も中国の成長限界がなんとなく見え始めた後のことで、それまでは中国一辺倒の姿勢でした。
ドイツの誇るフォルクスワーゲンの国外販路の中心が、中国での優遇・中独蜜月によるものだったからです。
https://response.jp/article/2018/04/17/308627.html

フォルクスワーゲングループの2017年の中国(香港を含む)における新車販売台数は、過去最高の418万4200台。前年比は5.1%増と、2年連続で前年実績を上回った。2018年第1四半期は、合弁2社を合わせて、中国乗用車市場のシェア1位を維持している。
年間販売台数約1000万台あまりの内、中国市場が約半分近くを占める突出ぶりでした。
中国としては、反日行動で今後産業のレベルアップは日本からの技術導入に頼れない穴埋めはドイツに頼れば良いという計算でニーハオ外交でしたので、ドイツはこれに気を良くしていた時代でした。
環境も人権も過剰聖戦いよる世界の迷惑も顧みない横暴な生産(鉄鋼などの赤字輸出)で、生産量の増加ばかり自慢して有頂天になって天狗の鼻になっていた中国に冷水を浴びせたのが、人がまともに呼吸できないほどの空気の汚れでした。
人民無視の中国も空気の汚れは支配者・特権階層にも平等に影響がありますので、流石にこの状況を放置できなりました。
環境問題分野では、ドイツに対して日本に一日の長があるのとドイツ人は日本のように親切に教えないので技術移転が進まなかったらしく徐々に対日ニーハオ外交に転じたようです。
同時期16年夏ころの株価急落以降・要は中国の無駄なインフラ投資の限界がきた・・中国の新車販売数がこの1〜2年頭打ち〜前年比減が続くようになり、落日が迫ってきたので中国べったりだった西欧が再び中国と距離を置き始めました。
南シナ海での埋め立てに異を唱えるなどこの数年中国に遠慮しなくなってきました。

https://jp.reuters.com/article/china-autos-idJPKBN1WT15H

2019年10月14日 / 18:38 / 1ヶ月前
[北京/上海 14日 ロイター] – 中国汽車工業協会(CAAM)が集計した9月の自動車販売台数は前年比5.2%減の227万台だった。9月は販売が盛り上がる月のはずだが、15カ月連続の減少となり、年後半の回復は期待薄となった。
8月は6.9%減。7月は4.3%減。2018年は1990年代以来のマイナスだった。景気減速と米中貿易戦争が自動車市場に影を落としている。

国内需要無視の闇雲なインフラ投資の限界がきたのと同様に環境無視の無茶な増産の結果
北京の空気は汚れに汚れ、市民はまともに呼吸すらできないようになったので流石がの市民無視の中国も環境対策に乗り出さざるを得なくなったのも同時発生でした。
色んな咎めが集中的に吹き出してきたのがこの数年です。
環境問題では世界最先端技術を誇る日本とよりを戻さざるを得なくなった中国は徐々に対日ニーハオ外交に転じました。

都市国家2・シンガポールと香港の繁栄と不採算地域の切り離し

日本の場合もともと同胞・親戚意識ですから、都民も神奈川、千葉県人も皆等しく幸福になって欲しい気持ちが強く、東京だけ独立したい・儲けを分配するのはイヤと思う人はいないでしょう。
シンガポールはマレー半島から港湾都市として発展してきた独自性を活かすために生産性の低いマレー半島から切り離して独立し、安い労働力をマレー半島から通勤で賄っています。
シンガポール独立ができたのは人種対立が基本にあったので、これが幸いしたのです。
150人前後の漁村でしかなかったシンガポールを港にしたのはラッフルズ卿ですが、その時に華僑をどんどん入れて、華僑中心の港湾都市として発展していたものです。
第二次世界大戦で日本軍占領となり戦後英国植民地に復帰したものの独立を認める時にマレー半島全体をマラヤ連邦として独立したのですが、人種も違えば産業構造も違うので内部抗争の結果、喧嘩ばかりしているより別の国になろうと合意ができて、シンガポールという都市国家が生まれたようです。
このように、周辺と人種が全く違うことと、地中海の古代都市国家と違いシンガポールとマレー半島等とは一体化するほど長い付き合いがない(ラッフルズ上陸は1819年)上に、一応ジョホール水道という水路で隔てられた島になっているなどの自然条件の違いもあって、上手くいったようです。
この結果シンガポールは、底辺労働力をほぼ地続きのマレー半島から日帰り往復の通勤形式で雇用していて、彼ら居住地の整備、子育てその他の福利を心配する必要がない状態です。
数十年前に家族旅行でジョホール水道からシンガポールへ入国したことがありますが、小型マイクロバスに乗ったママの簡便通過だった記憶です。
同じことは香港の特殊性にも言えます。
香港の場合周辺住民も同じ中国人ですが、無人の荒野であった香港島がアヘン戦争後イギリス領(シンガポール同様イギリス領になってから中国人移住が始まったもので、シンガポールに移住した華僑と本土と地続きが飛び地かの違いはあっても本質は同じです)プラス100ヶ年の祖借地になったもので、シンガポールの港湾発展とほぼ同時期に始まっている点で双生児のような成長を遂げてきました。
中国本土は、日中戦争後内戦を経て共産主義国家となりましたが、西側諸国とは鉄のカーテンが引かれ、体制的にほぼ完全に切り離されたものの共産圏への唯一の出入り口として(長崎出島のような)の特殊な地位を獲得しました。
いわば自由貿易都市の恩恵だけ受けた関係・・儲けを周辺地域に分配する必要がなかった点はシンガポールと同じです。
イギリスから返還された後も、一国二制度・自由貿易の恩恵だけ受けるだけでなく巨大市場の窓口として経済恩恵をたっぷり受けられるしかし、民主主義=本土人同様の、怖い義務と引き換えにしなくてよい・・・良いとこ取りです。
中国の資本導入窓口として急激拡大状況の一端は以下の通りです。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-11-15/Q0ZGISDWX2PU01
Alistair Barr、Lulu Chen

2019年11月15日 9:24 JST 更新日時 2019年11月15日 13:06 JST
アリババの香港上場、1.3兆円以上の規模目指すこと示唆

現在香港騒動の真っ最中にも関わらず、上場(資本調達を目指す)するとは大した度胸ですが、中国企業にとっては香港市場が資本導入の生命線になっていることがわかります。
米国はこの弱点を見越して、天安門事件再来のようなことに発展すれば香港の自由市場を取り消す?と国際金融取引から締め出す?と中国を牽制している最中です。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57956
米「香港人権法案」に中国激怒、揺らぐ香港の命運
法案成立なら報復という習近平政権、トランプはどう出るのか?
2019.10.17(木) 福島 香織

https://www.cnn.co.jp/usa/35144038.html

2019.10.16 Wed posted at 13:05 JST
米下院、香港人権法案を可決 中国への非難鮮明
同法案は、年次報告書によって香港の自治が十分に機能しているかどうかを検証することを義務付ける。この検証に基づき、米国の法が定めた香港への優遇措置の妥当性を判断する。
また香港での人権弾圧に故意に関わったとみなされた人物に対し、米大統領が制裁や渡航制限措置を科す手順も明示している。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-11-14/Q0Z9JDT0AFB501
米上院、香港人権法案の採決迅速化へ-中国外務省は報復を警告
Daniel Flatley 2019年11月15日 7:40 JST
ルビオ議員は声明で「米国は中国政府に対し、奮闘する香港市民を自由世界が支持しているとの明白なメッセージを送る必要がある」とした。
「香港人権・民主主義法案」は、米国の法律の下で香港に与えられている特別な地位が継続されるべきかどうか、毎年検証を行うよう米国務省に義務付ける。上院の法案は、既に下院で可決された案とは若干異なるため、トランプ大統領に送付する前に一本化して両院で可決する必要がある。
中国外務省は同法案が米議会を通過すれば報復すると警告した。

資本導入の窓口が締まれば中国経済が窒息しかねないので中国は必死です。
現在米国による対中経済攻撃防戦に手いっぱいの中国が、どういう報復手段があるのか不明です。

地方交付金(再分配)制度2(都市国家の有利性1)

企業を例にすれば、10の事業部門のうち9部門平均が10%の収益率でA部門だけ3%あるいはマイナスとした場合、A部門を売却した方が平均収益率が上がります。
赤字部門を抱え続けて収益部門の収益で補填していると収益部門の研究開発費や再投資資金が蚕食されて競合他社に遅れを取っていきます。
GMが最盛期にドラッカー氏に指摘されたこの提言を無視した挙句に破産に至った事例をラストベルト地帯のシリーズで紹介しました。
イギリスのシティ・オブ・ロンドンに関するウイキペデイアによると以下の通り荒稼ぎのようです。

シティは英国のGNPの2.5パーセントに貢献しており[5]、ロンドン証券取引所やイングランド銀行、ロイズ本社等が置かれる金融センターとして[注釈 6]ニューヨークのウォール街と共に世界経済を先導し[6]、世界有数の商業の中心地としてビジネス上の重要な会合の開催地としても機能している[7][注釈 7]。

1990年代初期に、IRA暫定派がシティ内に複数の爆弾を仕掛けて爆発させる事件が発生した[注釈 8][注釈 9]。居住する人口はおよそ11,700人だが、金融業を中心に約31万6,700人の昼間人口がある[9]。

これを英国全土にばら撒かずに、シンガポールや香港のようにスクエア・マイル(the Square Mile)?の狭いシティー内で収益分配できればボロ儲けでしょうが、そうは行きません。
居住人口11,700人でGDPの2、5%も稼ぐ・このおこぼれがグレーターロンドンに浸透しはるかな僻地にもおこぼれが行き渡るのでしょうが、この極端な職業の格差というか分離が、国民一体化を崩壊させているように見えます。
EU離脱支持が地方に多く、反対がロンドン市民に多いとのニュースを見た記憶ですが、このような極端な産業構造の分離が国論統一に対する妨げになっているような印象を受けます。
上海だって、独立して、周辺の安い労働力(昼間人口)を使って儲けを上海市民だけで分配した方が得に決まっています。
現在の香港騒動を西側メデイアが民主主義の危機と受け止めて大騒ぎですが、中国人の方は上海深圳と違い「香港だけいい思いをしている」・・巨大人口市場をバックに儲けているのに全土に還元しない不満があって、中国本土人民での支持が広がらずこれをバックに中共政府の対応が強気になっているように見えます。
貧しい・・近代化の遅れた国は実力のままの方が相応の待遇を得られて有利なのに、僻地が大国の仲間入りすると僻地の企業まで(中国でいえば)後進国向けの恩典を得にくくなります。
外国へ行った時に中国人として大きな態度を取れる程度のミエを張れるのと引き換えに相応の振る舞いが要求されるより、内陸のチベット人や少数民族の人は、その民族名で外国へ行き経済力相応の安宿に泊まる方がエコノミーで良いのではないでしょうか?
自分の属する国が大国であることによって何か良いことがあるのでしょうか?
中国が偉そうな主張をしながら、後進国の特別待遇を求め続けているのはズルイと思う人が多いでしょうが、この矛盾を抱えていることによります。
平均化の不都合の穴埋めに、円が上がると今でも苦しい農業等が余計困るので貿易交渉・・概ね農業保護の要求撤廃緩和の妥協の都度農業地域への補助金等の所得格差補正が行われてきました。
不採算事業・農林漁業の多くはそうですが、企業の事業部門のように不採算事業売却とはいかないので世代交代によって従事人口が減っていくのを待つしかないのでその間は環境変化に対する適応期間(失業者の再就職適応のための職業訓練や、失業給付と目的は同じです)とが必要です。
昭和30年代に高度成長が始まると金の卵と呼ばれる中卒集団就職列車が農村部から東京に向かいましたが、当時現役の4〜50台の農漁業労働者の工場労働者への変身は無理でした。
その頃でも長男は残ることが多かったので、結果的に約2世代かかりました。
それから約5〜60年でようやく農家の担い手がなくなってきた・・近代工場労働〜都市型労働への切り替えが終わった段階です。
今は都市内労働者が、ITやサービス関連への切り替え・再教育が模索されている段階ですが、今後は変化が早いので世代交代を待ってられません。
世代交代なしにIT化など急速進化する科学技術に適応していくのは難しくなりそうです。
今後の世代は大卒時の能力で人生が固定するのではなく、20年ごとに来る新技術への適応力次第で中高年時に大きな格差が生じることになりそうです。
40代に生じた技術変革にうまく適応できた成功者が、60代に来る2回目の変化に適応できないなどの厳しい社会になります。
10年ほど前までは60代になったばかりの人が新技術を知らなくとも「俺は逃げ切れる」という発想の人が多かったのですが、70代まで普通に働く時代が来ると、60代の人でも、もう一度新技術を学ぶしかない時代がきます。
農漁村が置き去りにされる時代には、地域格差でしたので政府の所得保障・補助金や地域経済の活性化目的公共事業による底上げでなんとかなってきましたが、今後は地域にお金を落として就労機会を与えれば良いのではなく(地方救済の公共工事の場合、農家の人が土木工事作業員に向いていたのですが・・)個々のニーズに合わせた再教育機会の提供が重要です。
日本ではこうした分配・所得修正政策が手厚かったので、地域格差問題にそれほど苦しまないし、個々人間の所得格差にも早くから手厚い修正・再教育プランが働いているので民族一体感を強固に保っていられるのだと思います。
東京都は持ち出しが多いので小池都知事が全国知事会等で不満を表明していた記事を読んだ記憶ですが、そもそも東京は周辺や地方経済があってこそ(千葉県には製鉄所や東京電力その他大工場がありますが)と東京に本社機能が集中しエリートサラリーマンや高級官僚がひしめくのであって、東京都民だけでは今の大規模なビル群が維持出来ないはずです。
大規模な催し物・高級芸能あるいは美術展音楽会などが東京で可能なのは、全国から人が集まるから興行が成り立っています。

非嫡出子差別違憲決定の基礎2(空襲→都市壊滅)

昭和22年改正時に非嫡出子差別がなぜ残ったか?社会生活の変化がそこまで進んでいなかったのかを以下見ていきます。
日本産業構造の近代化に連れて(タイムラグがあります)生活様式や意識も親族関係の重みも変わっていきます。
明治時代はまだ人口の大半は旧幕時代の意識濃厚であったでしょうが、明治45年を経て大正時代に入ると生まれたときから文明開化の空気で育った新人類(今で言えば生まれた時から「テレビを見て育った世代」最近では「生まれつきネットで育った新人類」)の時代に入っていたでしょう。
文学分野では、明治末から白樺派など(志賀直哉その他財閥2世?のお坊ちゃん文化)が一世を風靡していましたが、芸術系は発表時に現実多数化している生活変化の後追い表現ではなく、先行心情の先取り傾向があるので文学芸術表現が必ずしもその時代意識とは言えません。
大正時代には産業構造的にも都市化=核家族世帯化がかなり進み、家族関係も変わっていました。
法制度は実態の後追いですから、私の職業上のソース・・法制度で見れば以下の通りです。
https://kotobank.jp/word/%E5%80%9F%E5%9C%B0%E6%B3%95-75830

借地法(読み)しゃくちほう
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
大正 10年法律 49号。借地人の権利の強化を目的とした法律で,借家法とともに制定された。借地人保護の法律としてはすでに建物保護ニ関スル法律があったが,本法は,借地権の存続期間延長と継続をはかり,その反面土地所有者に地代増額請求権を与えたものである。 1941年の一部改正 (法律 55号) によって,東京など一部の地域に限定されていた適用区域を全国に拡大した・・。

都市住民が増えていたことがこのような法律を必要とするようになっていたことがわかります。
大正時代には、大都市化の進んでいた東京だけ対象の法律でしたが、1941年から全国適用になっています。
そこで敗戦によって家の制度がなくなり親族相続編が抜本的改正が行われたにも関わらず、嫡出非嫡出の差別がなぜ残ったか?の疑問です。
敗戦直後都市住民の多くは空襲によってほぼ全部燃えてしまい・・空襲にあったのは東京だけではありません・・千葉市のような小さな町でもほぼ灰燼に帰したばかりの空襲写真展を時々見ますし、全国小都市にあるお城がほぼ空襲で燃えてしまった(空襲を受けずにそのまま残ったのは姫路城や松本城などほんのわずかです)ことでもわかるでしょう。
家もなければ食の手当てもできない→生活できないので故郷の実家を頼って田舎に帰っている世帯多数でした・・。
私自身都内で生まれましたが、東京大空襲にあって住む家もなくなったので母の故郷に戻りそこで成長しました。
GHQの当初占領政策は、日本の工業生産を認めず農業生産しか認めない方針であったことを何回も紹介してきました。
戦後直後は工場関係壊滅したばかりかせっかく空襲を免れた工場機械までGHQの命令で中国や東南アジアへ強行搬出されている時代でしたので、工場労働が縮小する一方で強制的に原始時代に戻ったような時期だったことになりそうです。
農業→家族労働同時代に逆行が始まっていたとすれば、非嫡出子・多くは正妻のいる農家や家業に関係しない子を前提にすれば、半分で良いのではないかという考えが多数だったのでしょう。
戦後民法改正時には、日本を今後江戸時代の農業社会へ退行させるという今考えれば悪夢のような恐ろしい政策がGHQによって実行されている最中だったのです。
以前にも紹介していますが、重要なことですので再度引用しておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/連合国軍占領下の日本#貿易で7月7日現在検索すると占領政治は以下の通りでした。

産業解体
SCAPはドイツと同様に日本の脱工業化を図り、重化学工業産業を解体した。初期の極東委員会は賠償金を払う以上の日本の経済復興を認めなかった。
マッカーサーも1945年(昭和20年)9月12日の記者会見で「日本はこの大戦の結果によって、四等国に転落した。再び世界の強国に復活することは不可能である。」
と発表し、他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体するべく、極度な日本弱体化政策をとった。

欧米の植民地レベルに落とす政策・・奴隷解放運動をした運動家を奴隷の身分に落とすのと同じやり方・・植民地解放運動した日本を植民地にしてしまう・・日米戦争に引きずり込んだ米国の真意・目的がここに現れていることを何回か紹介してきました。
極東委員会は復興を認めなかった(焼け野が原にしておけ)だけですが、GHQは残っていた工場までスクラップ化を進めたのです。
引用続きです。

こうして各地の研究施設や工場を破壊し、工業機械を没収あるいはスクラップ化し、研究開発と生産を停止させ、農業や漁業や衣類を主力産業とする政策をとった。工業生産も、東南アジア諸国などへの賠償金代わりの輸出品の製造を主とした[12]。
1945年(昭和20年)に来日した連合国賠償委員会のポーレーは、日本の工業力移転による中間賠償を求め、賠償対象に指定したすべての施設を新品同様の状態に修繕し、移転まで保管する義務を日本の企業に命じた。1946年(昭和21年)11月、ポーレーは最終報告として「我々は日本の真珠湾攻撃を決して忘れない」と報復的性格を前文で明言し、「日本に対する許容工業力は、日本による被侵略国の生活水準以下を維持するに足るものとする。右水準以上の施設は撤去して有権国側に移す。」とした。軍需産業と指定されたすべてと平和産業の約30%が賠償施設に指定され、戦災をかろうじて免れた工業設備をも、中間賠償としてアジアへ次々と強制移転させた。大蔵省(現在の財務省と金融庁)によると、1950年(昭和25年)5月までに計1億6515万8839円(昭和14年価格)に相当する43,919台の工場機械などが梱包撤去された。受け取り国の内訳は中国54.1%、オランダ(東インド)11.5%、フィリピン19%、イギリス(ビルマ、マライ)15.4%である。

都市住民内格差8(公営住宅のミスマッチ1)

底辺層・都市住民内格差の多くが親の住宅が同じ生活圏内にあるか否かにかかっているとすれば、相続税で締め上げて等しく貧しくするのではなく、低廉な公営住宅の供給拡大で対応すべきです。
しかも相続税で没収するのは親が死亡してからですが、January 31, 2011「都市住民内格差5」に書いたように親が生きているうちから、親と同居出来る人と出来ない人の格差が大きいのですから、長寿時代の現在では相続税の重課だけでは格差是正になりません。
ここ20年ほどは世帯数を住戸数が上回っているので、公的住宅の供給事業は不要になったかのように言われていて、千葉県でも住宅供給公社の事業は大分前から店じまい・・残務整理に方向になっています。
しかし、余っているのは、不便なところに建てていることと、ファミリータイプが主流で単身用が殆どないこと・・ミスマッチによることが大きな原因です。
どんな商売でも客の好みが変わる都度、客が来なくなったからと言って廃業している企業はない筈です。
客の好み・・需要動向が変わればそれに向けて供給内容を変えて行くのが必要です。
中高年女性が離婚した後に生活苦のために公営住宅の募集を調べたところ、単身用の一般募集はありませんと断られたと言っていました。
単身用は障害者と高齢者向け優遇枠で一杯(それだけで順番待ち)で健常人向けには存在しないと言うことらしいです。
子連れの母子家庭用は申し込むとすぐに入れる人が多いようですが、子供が育ってからの離婚の場合、今のところ受け皿がないようです。
しかし40代後半〜50代でパートあるいはこれに類する仕事しか出来ない離婚女性の場合、民間アパート家賃を払いながら自活するのは容易ではないので、何らかの下駄を履かせる必要があります。
ところが、単身者用公営住宅は一般向けの募集すらないと言うのですから驚きです。
この女性に限らず、男性でもコンビニの店員やハンバーガーショップやフードコートなどで働いている独身若者にとっても親のスネをかじれない人にとっては家賃負担が大変です。
ところが、公的住宅では上記のように4〜50年前の制度設計・・需要予測を元にファミリータイプを中心に品揃えしたままになっていて、単身者増加時代に対応していないで余っているとして新設をやめてしまい放置しているのです。
ファミリーレストランが下火になれば単身者用に切り替え、総菜関係も単身者が増えてくれば食材その他を単身用にどんどん切り替えているように住宅供給もその方向にシフトすべきです。
まして家族持ちに比べて、単身者あるいは結婚予備軍の内、経済弱者で住宅に困っている人が多くなっているとすればなおさらです。
一昨年の年越し派遣ムラ騒ぎも、単身者の多い非正規雇用者でも都営住宅などに入居出来るようにしていれば、そもそもそういう問題が起きなかったのです。
彼ら非正規雇用の中の最弱者は自分でアパートを借りることも出来ないので、住の保障される飯場その他宿舎付きの非正規雇用が多いのですが、このやり方ですと失職するとたちまち住むところに困ってしまうのは当然です。
セーフティーネット・最低の生活保障として一定規模の公的住宅を用意するのは国家の責務ではないでしょうか?
どんな職業の人でもあるいは単身でも一定の住居が保障される生活・・これこそが文化的先進国と誇りうる社会ではないでしょうか?
文化的生活の最低保障としての公共住居があって、その上にもっと良い生活をしたければ、民間賃貸又はマイホームを持つ社会に区分けして行くべきです。
言わば生活保護や年金は現金供給システムですが、住居に関しては最低保障として誰でも(失業しているか病気で働けないかの理由なし・・審査不要)一定の住居が供給される社会です。
年金制度に比喩すれば、公的年金で高齢者の生活が一定水準で保障されるのが公的住宅に該当し、その上の生活をしたい人は適格年金や民間保険会社の年金に加入したり自分で貯蓄しておくのと同じです。
公的住宅保障制度が仮に機能するようになると国民は安心して生活出来るし、(失業しても食べるだけならば、かなりの期間やりくり出来るし、周辺が援助するにしても僅かな金額で済みます)高齢化しても現行の国民年金程度の支給(月額6〜7万円)でも生活して行けます。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC