都市住民内格差2

消費者物価のデフレは現役の適応能力差よりは既得権価値(高齢者の預貯金保護)の保護向きですから、中間層以下の階層固定化に結びつき易いでしょう。
ここから、昨年末からの関心である中間層以下の都市住民内の格差問題(親世代の資産有無・多少による格差)に話題が戻って行きます。
マスコミは都市集中=悪を前提として如何に田舎は住みやすいかを長年宣伝し、たまにUターンがあるといかにも良いこと出るように宣伝し続けていますが、(農業の人口吸収力が減少し続ける以上は)首都圏その他の大都会への集中が今後も結果として進む一方でしょう。
これまで何回も書いていますが、長かった農業社会でこそ散らばって住む必要があったに過ぎないからです。
その他の産業の場合、むしろ集住の方がメリットが大きいので、マスコミがどう宣伝しようと自ずから都市集中が進む筈です。
親の家から大都会の雇用先あるいは大学等へ通えない地域に住んでいる若者にとっては、今後も都会に出て行って進学したり、働くしかないので、就労チャンスの少ない(まだ過疎地とは言わない)地方都市の親の家・資産を相続するメリットが少ない、明治維新から現在に至るまでと同じ意識傾向が今後も続くでしょう。
低成長時代になったと言っても、地方出身者・大都市住民一世にとっては(意識は都会人よりも古くて共同体尊重意識が強いのですが)明治以降から高度成長期までの地方脱出組と同様に今後も地方脱出するしかないので、(地方居住者が皆無になるまで)身体・現実の方では親離れ・・マイナス意識・・相続財産の有り難みが薄れて行く一方の状態がこれからも続いて行くことになります。
高度成長期前後までは地方脱出者は農村出身が中心でしたが、平成に入ってからは地方都市出身に入れ替わりつつあります。
昨年末に電車で一緒になった知人(70歳過ぎですが・・・)がある地方・・山口県と言っていましたが・・・の元は造り酒屋だったらしく遺産を相続したらしいですが、農地や山林などどうにもならないので困っていました。
彼としては先祖の家屋敷くらいは固定資産税を払ってでも相続し守って行くしかないが、その他の膨大な農地山林はいらない・・どこにあるかもよく分らないのに税ばかりかかるのは納得出来ないので、市役所に相談に行って来たがどうにもならないと言っていました。
この人に限らず、地方都市で元何かの事業をしていて今は廃業していて使用していないコンクリート製ビル・工場等を持っている(資産家の)親が亡くなった場合、東京にいる息子がこれを相続すると、取り壊す勇気もなくずるずると維持しがちですが、その内地方都市も過疎化が進んで地価が下がり続けて坪3〜5万円でも売れなくなってくると取り壊し費用の方が高い時代が来る可能性があります。
前記の人には「寄付でもするしかないでしょう」と答えておきましたが、(詳しくは書きませんが、市が寄付を受けるにはそれなりの基準があります)首都圏に住んでいて一定の生活をしている人にとっては、地方にある遺産はお荷物・・義務感で承継する・・マイナス資産(造り酒屋の立派な家屋敷も壊す訳にも行かないものの、どうして良いか分らないのですが、彼は何とか維持するとしてもその次の世代になると???となるでしょう)に過ぎないものになっています。
高度成長期に生活様式が激しく変わり、火鉢・提灯その他旧時代の家庭用品が次々と不要になって縁側の下などに置いてありましたが、(直ぐに捨てるには忍びなかったのでしょう)一般に靴であれ洋服であれ、使わなくなったのに保管していても時間の経過で結局は捨てるしかないことが多いものです。
郷里の家も、火鉢に比べて取り壊すまでの期間の長短はあれ、同じ運命を辿るしかない筈です。
火鉢や古いストーブその他家財道具を捨てるくらいは大した問題ではありませんが、家になってくると取り壊すだけでまとまったお金がかかり、都会に出た次世代にとっては大きなマイナス資産となります。
お荷物と言えば、年老いた親が遠く離れた地方に残っていること自体大きなマイナス心理負担でしょう。
都市住民2〜3世は大学〜就職直後も(結婚までは)親元から通えるので経済負担が少ないのに比べて、地方から出て来た人たちは自前で大都会のアパートを借りたりしなければならず、地方出身者は分が悪くて気の毒です。
以下は、この気の毒な感情・・論理的ではないかも知れませんが・・・に基づいて書いて行きます。

都市住民内格差1と選挙制度

きちんとした仕事の展望もないのに、産み育てるのは無責任ですし、成人してみて仕事がないのでは若者が元気をなくすのは当たり前です。
人口政策のミスが若者に閉塞感を与えていて、これの解決策が見当たらない(あるいはこれを認めたくない)ために、失われた20年となどと(打開する能力のない政治家や学者の意を受けた)マスコミが言い訳しているに過ぎません。
高度成長期にも取り残される地方や過疎地の人たちは苦しかったのですが、若者は都会に出れば就職先があったし、地方に残った中高年以上の人たちの処遇をどうするか・・・大都会と山奥や漁村等の地域的違いがはっきりしていたので、地域格差是正のテーマが分りよかったので、日本全体をひっくるめて失われた時代とは誰も言いませんでした。
現在の政治状況は地域格差の時代が終わりに近づき(過疎地は高齢者ばかりとなって就職難の問題を通過しました)、政治家は地域格差の是正だけ叫んでいれば良いのではなく、同じ都会地に新しい時代の産業に適応出来る人と出来ない従来型の労働者(事務職を含め)が混在していて、適応出来ない汎用品向け労働者が困るようになりました。
この点は昨年末 December 28, 2010「成長・停滞と出産2」から予告しているとおり、都市住民内格差としてこの後で書いて行く予定です。
今後の政治の要点は、都会地盤の政治家か地方基盤かの差ではなく、都会の中での時代不適合型の市民を支持者にするかどうかの違いになって来ます。
高度成長期は格差是正を訴える地方政治家が幅を利かしましたが(・・田中角栄や竹下、現在の小沢(敬称略)とみんなそうでした)今後は都市住民内の格差是正がテーマですので、18〜20世紀まで妥当していた地域代表制の選挙制度は意味をなさなくなり複雑です。
長年慣れ親しんだ地域代表制は実はその基礎を失いつつあるのですから、従来の選挙制度は抜本的に見直す必要があります。
身近な問題では住民自治が必要なので、細分化した地方自治体が必要ですが、国政選挙の選出母体と一致している必要がありません。
この意味では小選挙区制は時代錯誤になると思います。
我々日弁連でも(昨年3月コラムで選挙を紹介しましたが・・・)地域による意見差ではなく、消費者問題を扱う弁護士かどうかなど仕事内容による意見の違いが重要になって来ました。
ただし、人口構成比では、底辺労働向け人材・・裾野人口の方が圧倒的に多いので、子供手当・授業料の補助等社会保障給付を強調する政党が有利になって行く・・衆愚政治に陥って行く危険があります。
これが民主党政権による社会保障給付(高速料金の無料化まで社会保障と言うかは別問題ですが・・・外国人参政権その他いくらでも広げたい政党の本質を持っています)の大膨張の原因でしょう。
世界の何割のシェアーを閉める特殊なベアリングやレンズ、携帯用金型を手作りで作れるなど、今後もこの種の技術力で日本は生き残るしかないのですが、この種技術者は何万人に一人しかいりません。
従業員さえ多ければ金融取引で余計儲かると言うこともないし、知財分野も人口さえ多ければ良いものではありません。
従来のようにベルトコンベアー向けの人材ではなく、優秀な人材比率を上げて行かないと、就職難で困る若者が増える一方になるだけです。
若者の閉塞感・苦境を打破するには、人口増こそ国力の源泉とする誤った考えを払拭して、中間管理職以下の事務職及び単純工場労働向けの人材供給をしぼる・・労働力の過剰供給の是正・・少子化をもっと早く大胆に進めるしかありません。
労働環境が激変して大量の労働力が不要になっても従来通り供給を続けるから、労働力の供給過剰・・失業回避のためのワークシェアとしての非正規雇用増加になっているのですから、供給圧力をそのままにして結果として生じた非正規雇用を非難しても始まりません。

都市集中と地方出身者

いわゆるグローバリゼーションが明確になって来た平成(中国の改革開放とソ連の崩壊)以降首都圏や大阪圏、福岡、名古屋圈等の大都会周辺を除いては、今では大都市への脱出が農村の子弟だけではなくなり、地方中核都市・・県庁所在地でさえ人口減が始まりつつあります。
この結果大都市住民親世代の資力・遺産と人口減に向かい始めた地方(都市を含めて)住民の資力・遺産とでは、期待価値観に大きな格差が生じています。
都市住民二世三世(とりわけ非正規雇用等の弱者)では、高度成長期に蓄財をした親世代が生きているうちの資産効果・親からの援助(同居継続も援助の一種です)と死亡後の遺産価値の重要性が増して来ていますので、september 20, 2010「所得低下と在宅介護」のブログで書いたように江戸時代までの3世代共同生活の必要性が高まり、ひいては家族共同体意識の復活・・親孝行意識が再来しそうな雰囲気となって来ました。
これに対して低成長期に入ったことによる現在の都市住民の意識変化(親からの援助と死亡後の遺産期待価値上昇)は東京大阪その他大都会経済圏特有のもので、地方では県庁所在地の都市を含めて職場の減少→人口減少が続いているので、地方在住の親の資産価値は今でも下がる一方ですから、大都会とその他に二極分化しつつある時代です。
職業の大半がサービスその他都会的職業になって行く以上は、首都圏や大阪等の大都会に人口が集中して行くしかありませんし、公的負担面でも効率的です。
バカの一つ覚えのように(これといった根拠なく)東京1極集中是正が言われますが、集中することは生活が便利になるばかりですから、都市集中がア・プリオリに弊害があるかのようなマスコミの論調は、長かった農業社会への(合理的根拠ない)郷愁を前提にしているとしか考えられません。
大都会もだだっ広く広がるのではなく60〜100階建を原則に集中立地し、その他は緑したたる田園地帯にして行くようになるべきでしょう。
工場等生産設備・大学等は田園の中に所々にシャトウのように綺麗に立地して、中心部から通う仕組み・・今のように郊外から中心部に通うのではなく中心部から郊外へ放射状に通う仕組みにするのが私の描く社会・・都市計画像です。
地方出身者と大都会2〜3世との経済格差と非正規雇用の問題については次回・新春以降に書いて行きます。
明日から年末年始コラムになりますので、今年のレギュラーコラムはこれでおしまいですが、都市計画の点は別の機会に譲り、年末年始特別コラムに続いて出身地域格差と都市住民内の格差に関して引き続き書いて行く予定です。

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