民主国家と人民論の矛盾3

一知半解というか青い主張に対する社会の支持が広がらない結果、唯我独占傾向が進むといよいよ社会の理解を得られなくなって孤立化する一方→唯我独尊的特殊集団になり、暴発集団化します。
共産党は視野狭窄.偏執狂に陥らないように自己抑制している様子ですが、そうすると弾き飛ばされる跳ねっ返りが行き場をなくします。
左翼からも阻害された超原理主義者の集団化は、精神病者の集団化現象に似ているともいえるでしょうか?
日本では連合赤軍・・浅間山荘事件やオーム真理教事件などがそれに当たる・・国際的に見ればいわゆるテロ組織でしょうか?
以上の次第で人民という用語が廃れるわけですし、現在民主国家における実力行使正当化論は時代遅れであり、アウトローの集まりでしかないというべきでしょう。
専制支配国家→正義に基づかない規制や処罰=恣意的処罰・権力行使が許される社会では、正義の裏付けのない強制となりますのでこれに抵抗するのが正義の実現行為である場合もあるでしょうが、民主主義のルールに従って制定された法秩序を自分や一定の党派が気に入らないからといって抵抗権があると主張してこれを実力行使で秩序破壊するのを許すならば、民主主義社会が成り立たない・裸の実力闘争社会になります。
民主主義社会においての人民論は、民意による政治に従わない→民主主義社会を否定する主張となります。
抵抗権行使によって実力闘争に勝ち抜けば支配者になり政府権力に抵抗すべき人民ではなくなるのですから、中国や北朝鮮政府が朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国と名乗り人民解放軍、人民日報、人民銀行・人民元などというのは言語矛盾です。
政府は人民の代表だから、人民は政府に従うべきという意味でしょうか?
国内武力闘争に勝ち抜いた以外に、人民の代表という根拠が不明です。
内乱・反乱軍が政府転覆に成功して政権樹立後も反乱軍とか反乱政府と自称しているようなものです。
実際には、人民は権力闘争に庶民が利用されて捨て駒に使われるだけですので、政権獲得後、邪魔者扱いで反乱軍として弾圧される側に回ります。
いわゆる草莽崛起の末路です。
人民用語が一般化されていない江戸時代には草莽と呼ばれていたのですが、草莽に関するウイキペデイアの説明です。

幕藩体制が動揺をきたした18世紀後半以後、在野もしくはそれに準じた豪農・知識人層(江戸幕府に対して直接意見を進言できるルートのない人々)の中に、自らを「草莽」になぞらえ政治的主張をする者が出現した。それが19世紀に入ると尊王論や攘夷論と結びつき活発化する。
黒船来航など西洋からの圧力が大きくなった1850年代に入ると、吉田松陰らによって「草莽崛起」論が唱えられた。吉田らは武士以外の人々、すなわち豪農・豪商・郷士などの階層、そして武士としての社会的身分を捨てた脱藩浪士を「草莽」と称し、彼らが身分を越えて、国家を論じて変革に寄与して行くべきであると主張した。
これを受けて、1860年代にはこうした草莽が尊王攘夷運動や討幕運動に参加していくことになる(奇兵隊・天誅組・生野組・真忠組・花山院隊・赤報隊など)。しかし、攘夷という方便に利用されただけであったことに気づかなかった大多数の人々は、討幕がなると、討幕とは逆の「開国和親」というスローガンをかかげた政府によって手のひらを返され、反乱を起こすもののトカゲの尻尾切りよろしく大量に打ち捨て殺された(士族の反乱、奇兵隊の末路など)。結果的に、明治政府へ組み込まれた者は頭がよく使えるごく一部であり、大半は政治的敗者として姿を消すことになった

人民・・当時の用語でいう草莽に関するウイキペデイアの解説は、〇〇チルドレンや付和雷同型の本質がよく出ている印象です。
小池都知事の都民ファーストに共鳴して参集した多くのチルドレンが、当選してみると話が違うと不満を持つのと同じです。
すぐに運営方法に対する不満で都民ファーストを脱退したか?批判意見を展開していた都議がいた記憶です。
反NHKで昨年総選挙時に参加して東京都区議に当選したばかりのユーチューバーが、運営に不満で?離党したようですが、末端ほど純粋ですので実際に運営が始まると齟齬が生じます。
庶民は権力闘争に利用されるだけで権力闘争が終われば、ご用済みになってきたのが中国歴代王朝交代時に大動乱の結果でした。
「王候相なんぞ種アランや!」というスローガンを掲げていた育ちの悪さが売り物であった?漢の高祖であれ、朱元璋であれ、天下を取るまで付和雷同して付き従った多くの武将を粛清していきます。
武将の場合范蠡の有名な言葉・・・「飛鳥尽きて 良弓蔵れ 狡兎死して 走狗烹らる。」で表現される実態で誰もが知っている現実ですが、雑兵等に関しては、誰も気にしませんが、平和が来ると真っ先に無用になります。
秀吉の天下統一以来、武功を挙げた功臣・武将の出番がなくなった不満から家康についた豊臣恩顧の大名らは、徳川政権確立後次々と粛清・戦国大名の取りつぶしが行われたのも同じです。
徳川家だって政権を握ってみれば、無駄な兵力がいらない点は同じです。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、ただ日頃の不満のはけ口として?煽りに乗る時局便乗・付和雷同型の人材は政府転覆に成功すれば、今度は邪魔者になる運命です。
新政府構築・・真っ先に必要な政治は治安回復です・・小難しい細かな法の縛りを破って奔放に暴れ回る人材は真っ先に標的になります・・に向けて役に立つ能力がない大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
漢の高祖は庶民出身で最もバカにしていた儒教の礼式を彼が天下を取って真っ先に採用したと言われています。
権力を握ればルールに従わせる必要が生じるので、ルールになじまない彼らが真っ先に邪魔になる運命です。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、煽りに乗る時局便乗・付和雷同して政府転覆に成功しても、新政府で役に立つ人以外の大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
人民が人民(思慮不足)のまま権力を握れることはありえないのが現実でしょう。

民主国家と人民論の矛盾2

人によっては俺は生まれ付きの人民だという人もいるでしょうが、それは国民主権国家においては主観的思い込みであって、ありえない論法です。
日本で生活しながらこういう考えに凝り固まっている人たちは、現実社会のあり方を見ずに旧ソ連や北朝鮮、中共政府支配下の社会を前提に、悲惨な人民状態を日本現実社会と同視して政府の抑圧から人民開放をする必要があるという主張をしている矛盾がありそうです。
人道主義を標榜するならば一党独裁という現代的専制支配に苦しむ人民解放するために中国や北朝鮮人民のために運動するのが普通ですが、左翼系は文化大革命賛美に始まり中国政府等の厳しい言論弾圧や環境破壊を批判するのを寡聞にして聞いたことがありません。
これを日本政府否定に結びつけようとしているので(論理の倒錯が激しすぎて)訳が分かりにくくなるようです。
韓国の決まり文句「歴史を知らないものは・・」式の慰安婦・教科書その他批判は、自分の非(歴史無視の主張)を日本の非と置き換えているので、論理の無茶加減で国民が驚いて辟易します。
このような論理の倒錯は一瞬相手をたじろがす戦法・・「鬼面人を驚かす」論法と同じ戦法でしかなく、短時間しか効果を持ちません。
中国や北朝鮮のように、国民の声など問題にしないと公言する一党独裁体制の場合独裁機関幹部以外は皆人民でしょうが、民意による政治を行い民意の支持を失えば権力を失う仕組みになっている社会では、民意によって出来上がった法を民意による法改正でなく暴力で無力化する行動を正当化する余地がありません。
思想表現の自由がある社会で自分の主張がほとんど支持されないのを相手が悪い、国民レベルが低いから、言論によるよりは暴力革命が正しい式の論法では民主主義社会が成り立ちません。
政治は無数とも言える不確定要素の複合で成り立っているので、戦車一台戦闘機1機の費用で〇〇が出来る式の単純論理・・学校で習った程度の勉強成果を主張する程度では、大方の国民が納得する筈がないので支持されないと自己の不足を反省するのではなく、国民レベルが低いのだと開き直る方向に行くと大変です。
彼らの暴力革命が仮に成功すると、(本当は自分らの思考が硬直的すぎて無数にある変化係数を理解できないだけですが)人民は蒙昧だから政府が指導する・・1党独裁が正当化され、この完徹のための情報統制に走る宿命です。
中国が今回のコロナ型肺炎蔓延初期に「普通の肺炎ではないのじゃないか?と言う医師間のネット情報交換さえ禁止して彼らを犯罪者扱いで拘禁したのがその好例です。
政権獲得成功しない多くの国では、生き方に柔軟性のない者の集団が出来上がり、仲間内での傷の舐め合い現象が起こり、自分らの主張を理解しない庶民大衆の頭が悪い→議論では無理だから革命あるいはテロしかない!的発想に落ち込み謙虚な姿勢がなくなります。
これが戦後共産党の武力革命論だったように理解していますが、独りよがりが支持されず急速に国民大衆の支持がなくなりました。
警察庁かな?の意見は以下の通りです。
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm
警備警察50年  現行警察法施行50周年記念特集号
第2章 警備情勢の推移
1 暴力革命の方針を堅持する日本共産党

暴力的破壊活動展開(昭和20年代)

1 占領下での勢力拡大

第二次世界大戦終了後、公然活動を開始した日本共産党は、敗戦直後の国民生活の窮乏と社会不安を背景に党勢の拡大に努め、昭和24年1月の衆院選では35議席を獲得し、10数万人の党員を擁するようになりました。
2 「51年綱領」に基づく暴力的破壊活動を展開

日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け、昭和26年10月の第5回全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。
そして、この方針に基づいて、20年代後半に、全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げました。しかし、こうした武装闘争は、国民から非難されるところとなり、27年10月の衆院選では、党候補は全員落選しました。

51年綱領廃止と現綱領
1 略
2 現綱領の採択
・・昭和36年7月、第8回党大会が開催されました。そして、同大会で「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟している日本の独占資本である」とする現状規定や、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」方式等を規定した現綱領を採択しました。
・・・両党大会や綱領論争の過程における党中央を代表して行われた様々な報告の中で、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示されました。

日本共産党の現状
1 略
2 規約、綱領の改定
・・16年1月の第23回党大会で、昭和36年7月の第8回党大会で採択して以来5回目となる綱領改定を行いました。
改定の結果、マルクス・レーニン主義特有の用語や国民が警戒心を抱きそうな表現を削除、変更するなど、「革命」色を薄めソフトイメージを強調したものとなりました。しかし、二段階革命論、統一戦線戦術といった現綱領の基本路線に変更はなく、不破議長も、改定案提案時、「綱領の基本路線は、42年間の政治的実践によって試されずみ」として、路線の正しさを強調しました。
このことは、現綱領が討議され採択された第7回党大会から第8回党大会までの間に、党中央を代表して報告された「敵の出方」論に立つ同党の革命方針に変更がないことを示すものであり、警察としては、引き続き日本共産党の動向に重大な関心を払っています。

政府による共産党の戦後史を見てきましたが、私の体験では暴力革命論挫折後「自分たちが前衛であり蒙昧な労働者に権利要求権の自覚を植え付ける使命がある」とする姿勢が顕著でした。
平成初めころのことですが、いわゆるブル弁希望の司法修習生に労働系事務所の実習を経験させた方が良いと思って私の同期の労働系法律事務所に2〜3日実習を勧めて会内留学に出したことがあります。
その後報告を聞いたところ、ある日夜労組の集会に出かけていわゆるオルグをする状態を見学できたという報告を聞機、良い経験ができたね!と答えました。
最近日弁連や単位会で推進している法教育活動がいつからどういう経緯で始まったかよく分かりませんが、教育内容を見る限り従来のオルグ活動が難しくなった変形版ではなく推進している担当者も(私の知る限りですが・・)思想的偏りがなさそうですのでお間違いのないように。

民主国家と人民論の矛盾1

2月7日の公務員と労働法の続きですが、労使であれ夫婦(離婚騒動)であれ親子(意見相違)であれ兄弟(相続争い)であれ、上司と部下(パワハラ)であれ全て内部関係は対立をはらんでいます。
なぜ公務員に労働法規が不要か?別立てにする必要があるかの実質的説明が欲しいものです。
国民は全て同胞といっても、国民同士でも敵味方があり相争うことが多いから国民同士の争いを裁くシステムが発達してきたし、ルールが整備されてきたのです。
消費者を王様と持ち上げていても代金不払いや万引きがあれば、敵対関係になります。

憲法
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

公務員と国民一般は原則として対立する機能を持っていませんし、逆に全体の奉仕者です。
ただし王様であるはずの顧客でもクレーマーや万引きに対しては、販売員が厳正対処する必要があるように国民全体に対するルール違反者=犯罪に対して公僕が国民を代表してルール違反者を検挙するなどの利害対立が生じますが、この場合はあくまで例外関係です。
民主国家においての公権力とは、国民の福利を守るために行使されるべく存在するものです。
警察権力は国内の国民間の利害対立を話し合いを経て最終的には裁判でケリをつけて、それでも守らない人に対して強制力を行使して実現するためにあります。
外国人の違法行為も個人実行場合には警察対応で間に合いますが、外国政府行為として集団で行われる場合には、警察には対応できないので軍の出動となります。
軍と警察の役割分担は、日常的個々人の違法行為・・原則凶器を保持していても小規模な場合を対象とし、警察が日常的に所持する拳銃程度では対応不能な大規模武装集団を相手にする時に国内でも軍隊の出動となるように大まかな分類ができます。
個人生活で言えば、軽トラや軽乗用車、普通車等に使い分け、引越しになると業者に頼むような感覚でしょうか。
歴史的に見れば、警察活動と軍事活動の未分化状態から、軍事と警察の分化が江戸時代に発達し、一種の軍事基地である大名屋敷自体が盗賊等の被害防止や検挙を町奉行所に頼り、付け届けする関係になっていたことをだいぶ前に紹介したことがあります。
いずれも国民福利を守るためにあるものですから、無政府主義とかその焼き直しの公権力と距離を置くという主張は現秩序維持による日常恩恵を享受しながら、その負担を否定する自分勝手な意見です。
公務員であろうと政府機関の中枢であろうと国内で法を破れば、一般国民同様に法の適用を受けます。
国民と公務員は、公職についたり退職によって時に入れ変わることを前提にしているので、原則として入れ替わることを予定していない身分ではありません。
しかし、人民と政府とは、相容れない恒常的対立関係概念を予定しています。
人民概念は人民と政府権力・支配層が原則的に対立関係にあることを前提にしていますので試験や選挙等で被支配者が支配者と入れ替わることを予定していない対立概念です。
明治憲法制定者の真意は、権力の手足である官だけでなくもっと遠い関係にある民を含めて臣民一丸となって迫り来る欧米諸国に対抗すべきという含意だったのでしょうか?
臣民とは臣と民があるという意味ではなく、臣民一体化の強調の趣旨だったとすれば合目的的ですし実際に成功していたように見えます。
今でも大災害がある都度同胞意識・絆意識の再生産が行われますし、明治憲法の前文にもこの趣旨がにじみ出ています。
明治憲法前文

朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ・・・・。

「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ」といわゆる大御心を「朕カ親愛スル」と表現し「祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民」と先祖代々大事にしてきたよ!という書き出しです。
平成天皇の被災地訪問の繰り返しは、まさに恵撫の実践でした。
国民全てが天皇の恵撫に感動して臣民一丸になれば、臣民以外の刃向かうべき人民はいないはず→明治憲法の臣民論は人民論を根こそぎ抹殺する含意だったことになるのでしょうか?
人民と官とは同じ国民であっても特定の機能側面に限定した概念です。
ある人が生産活動や販売に従事する場面では生産等の供給側ですが、自己の生産品や販売活動以外のその他大多数商品やサービスに対しては消費者であるように消費者概念はその時々における側面の分類です。
例えば反乱軍や反政府デモ隊員もこれの警備出動した政府軍兵士や警備中の機動隊員も、国民か否かのレベルでは双方とも国民です。
特に一般デモ行動は、政権支持者のデモもあるし、いろんな目的(同性愛の婚姻合法化、LGPTなど)のデモ行進があります。
警官が非番の日に何かのデモに参加すること自体は自由なはずですが、特定政党支持を明らかにするのは全体の奉仕者としての信用に関わるので(事実上かな)ダメとされているようです。
特定政党支持ではなく、保育所をもっと増やしましょうとか、わが町に美術館を!というようなデモに参加してはいけないとは思えませんが・・。
支配されていた国民が抵抗権行使する場合だけを人民と言うとすれば、日常的に国民性を否定するものではなさそうです。
国民か外国人かの定義のレベルではなく次の小分類・国民内のサラリーマンか経営者か、大企業従業員か中小企業従業員か、ある人がある時は消費者であり、ある時は供給者側の人間であるなど、その時々の行動によって立場の変わるレベルの分類でしょう。

中国軍に解放してほしい日本人がいるか? 1

中韓等による日本非難の言語の多くは、自分らが日頃したいと持っている悪行を日本がしたことにすり替える・真逆の意味が多いという理解が今の日本では普通になっているのではないでしょうか?
人民解放論は支配者による搾取構造を前提にして異民族領域への侵略→支配を合理化するものですが、日本は古代から中ソが世界支配を正当化する図式の前提たる搾取構造社会ではありません。
指導者とは何か事業をするときにこれをみんなで心を一つにするようにまとめていく能力のある人のことで私利私欲のために動く人ではありません。
また多くの事業業績は集団協力があってこそ実現できるので、総大将や代表者・・旗振り役・・巨石を移動させるために修羅というもので運ぶのが知られています。
石の上で力を合わせるために音頭を取る人がいますが、彼一人の力で巨石が動くのではありません・・このように各種事業は旗振り役が重要ですが、彼は集団を代表して栄誉を受けるに過ぎないと言う点も民族の常識化しているからです。
この人のおかげで一つの事業を成し遂げられたと思う人が出るとうまく行くし、後世偉人として尊敬されます。
奈良の大仏の像立に成功できたのは、それまで朝廷権威による布教形態を無視して独自布教していたことで弾圧されていた・・・最後は行基の指導力を利用するために朝廷が僧としての最高位を授与していますが・・)行基の指導力だとして今だに尊崇されています。
その他、各分野で中興の祖となどと尊崇される人は、自己利益・豪邸を建てて名をなしたのではなく清廉潔白の権化みたいな人ばかりです。
ところで、民族利益とは何か?
異民族支配に成功することではありません。
搾取構造の最たるものは異民族支配でしょうが、我が国では縄文の昔からこういう不当な利益を目的に行動すること自体意味嫌われる社会です。
みんなで労力提供して稲作の為の灌漑施設を作り、ようやくコメを収穫できるようにした場合に、地域住民みんな利益享受できる共同体利益を増進することです。
卑近な例で言えば、日頃から住む自宅周辺や町を綺麗にして気持ちよく暮らすのもその例です。
千年単位で形成した文化その他を含めた幅広い総合的概念が民族利益というものでしょう。
地方旅行すると、郷土の偉人の顕彰碑や資料館があることが多いのでいつもよく見てくるのですが、地元共同利益アップにいかに貢献するかによって人徳が決まる社会ですし、この逆もあるので日本人では子々孫々に恥をかかせない生き方が基本価値観になっています。
また多くの事業業績は集団協力があってこそ実現できるので、総大将や代表者は集団を代表して栄誉を受けるに過ぎないと言う点も民族の常識化しているからです。
百の地元貢献・もたらした功績で代表者個人が百の対価を得たのでは、不当利得であり、尊敬されません。
その代表者の次順位幹部はまだ名を残せるでしょうが、そのまた下の中堅協力者の努力に報いるには結局は当時は顕彰するしかなかったのでしょう。
ため池を作る場合を考えると巨大な資金負担があり、完成と同時に地元に恩恵があるわけではないので褒美を払う資金が枯渇している点もある上に、ため池の効能は子々孫々が継続的に享受するものです。
ため池も灌漑設備も完成と同時に100%受益できるわけではないので対価も受益に応じて払うのが合理的ですが、当時今のようにストックオプション制度もなかったので、地域住民が将来に渡って受ける受益対価も将来の分割払い・・世襲的地位(将来の家禄が保証されても主家が滅びたらおしまい・ストックオプションと同じ)を付与するのが普通でした。
世襲した方は、地元民から祖先の功績を褒められ立派な人だったと尊敬されるので、自然に自分も先祖に恥じないような行動を心がけます。
名主、庄屋や豪族の地位は上記のように地元の役に立ってこそのものですから役立たずになれば、下剋上にあって地位を失っても仕方ないという社会意識が定着していったのでしょう。
その結果現世利益は名目的であり、名誉で受けるのが99%みたいな対価方式が日本社会で定着したのでしょう。
日本では今の企業経営も同じですが、成功に応じて上位者の給与がちょっと上がる程度(百の功績に対して2〜30くらいの報酬、残りは後世子孫への名誉)であって、功績以上の報酬=搾取率の低い社会です。
せっかく(渇水対策のため池を作り洪水対策の堤防を築いたり)事業に成功しても自分の功績以上に私腹を肥やすなどもってのほか(ある程度の対価は必要ですが)ゴーン氏のように対価以上のものを貪るような恥ずかしいことは社会が許しません。
もともと功績評価は地域の子々孫々にどのような福利を残したかが基準ですから、欲をかくと却って子孫が恥をかきます。
この価値観の違いが大きく出たのが発光ダイオード発明の特許に対する企業の報奨金が少なすぎると争うことになった訴訟でしょう。
日本社会は紙一重程度の技術差の人材がひしめいて、その技術集団意見のすり合わせ・協力・集団成果の上に物事の実現が図られる社会です。
例えば、・・ある商品売上増には営業課長一人の能力によるだけではなく部下の功績も無視できませんので、何かの実績をあげた代表選手だけがヒーロー化されますが、実は集合智の目印になったに過ぎないという考え方が基本です。
何かで表彰された時に約99%の人が皆様の協力を得て・・「おかげ様で・・」と謝辞を述べるのはこの価値観によります。
発光ダイオード訴訟についてhttps://ironna.jp/article/407が発明対価について論点整理してすっきり書いていますので明日引用します。

ニューカマー優先社会の矛盾(新規会員は入会金を払うべき)

米国やシンガポール等の動きを見ると、為政者は地元住民の福利を度外視して次々と高額所得者や高度技術者を呼び込めば良いという政策・・新技術に適応できない旧住民は底辺労働者に転落・・現居住者を貧困層に落とし、場合によっては域外に追い出し高額所得者に入れ替えてもその都市さえ繁栄すれば良いというコンセプトのようです。
そこには「居住者に対する愛」がありません。
もともと米国は原住民・アメリカインデアンの生活の場=職業を奪い今のホームレスのような地位に追い込み駆逐し、生き残った先住民を「絶滅危惧種」のような保護対象に格下げしてきた社会です。
香港、シンガポール(例えばリークアンユーなども華僑の子孫です)等も後からの流入組が支配層に乗っかっていき都市国家を形成してきたものです。
この系譜を引く社会では、歴史に学ぶというか本当の反省をしない限り今度は自分らがニューカマーに負けて隅っこに追いやられる番になります。
これに気がついてトランプ氏とその支持勢力が移民反対に転じたように見えます。
国内で新興都市では旧住民がホームレスになるのを防ぐには、都市間移民反対・現在の住民が職につける産業誘致が必須です。
日本の場合、いつから始まったか不明なほど連綿と続いた民族国家であり、(沖縄は薩摩島津家支配に入ってからでは数百年以上ですが、正式編入からはまだ約150年ですので、大方という意味です)共同体意識の強固な国です。
天災等で甚大な被害を受けてこの先数十年挽回できない・・落ちぶれるであろうとも見捨ててバカにしない・絆を大切にする社会です。
まして新来の人がお金持ちであれば擦り寄り、数百年間居住してきた人たちを蔑ろにするなどは考えられない社会です。
01/04/02「外国人労働力の移入1」以来繰り返し書いてきましたが、国民のための政治であるべきで、国民を追い出してあるいは下層民・生活保護者に転落させて、日本を豊かにしても意味がありません。
ハワイで言えば米国人移民が入ったので今の繁栄があるかもしれませんが、ハワイ原住民にとっては現地人だけの社会で徐々に近代化して行った方が幸せだったのではないでしょうか?
同じようにアメリカインデアンも、中南米のアステカやインカ文明の人たちにとっても、他所からやって来た人たちによる急速な近代化で自分たちが絶滅危惧種扱いされるよりは幸福でしょう。
米国に限らず、日本を含め移住者奨励政策を取る場合には少なくとも既存居住者生活水準の底上げのための割増税を取るべきです。
過去の国民が歴代に渡って子孫に残すために努力し営々と築き上げてきた国民資産形成に何の貢献もしていない入国したばかりの人が平等の利用権があるというのは非合理であり不正です。
会員組織で言えば今後家賃を払わなくて済むように一人当たり数百万円づつ拠出して会館本部を自前で作り、あるいは会員を募ってゴルフ場を作った場合、翌年入会する人が、無償でこれを利用できるのでは不公平です。
このために現在価値に応じて会員権相場が形成され、やめる人が売却して回収できるのです。
企業も同じで過去の活動履歴・・企業評価に応じて、株価が変動し新規入会したい人は時価で株式を購入した人が株主として株式数に応じた企業保有仲間に入れるのです。
このように後から入会するのは入会金を払うのが正義であり原則です。
これを求めると新規移住してこないので、逆に既存居住者向けの税一部免除(日本の過疎地では無償に近い農地や空き家提供〜一定期間固定資産税免除など・企業誘致もインフラ整備など公費で準備するなどの逆優遇策を講じるのが普通です。
入会金を取るのではなく入会補助金を与えて勧誘しているのは、論理が逆ではないかの視点です。
私が繰り返す観光立国反対論もこれに対する非合理性に基礎を置いています。
国民が電気ガス水道、美術館や大学、道路行政等で税負担しているので道路が無償で利用できるし、美術館や学校を安く利用できているものを、外国人が税負担なしに道路無償利用または核種公的施設を国民と同額で利用したりするのは不公平です。
この程度までは我慢しても良いとしても、各種免税や値引き措置を講じるのは逆だ・「入国税を取るべきだ」というのが私の長年にわたる反対論です。
そんなことをしたら観光に来てくれないならば、人が汗水垂らして作り上げた庭園や図書館等をタダで利用しようとする人は来なくていいので放っておくべきです。
会費を払わない人が会費をはらった人と同じパーテイー参加権その他の利用権があるはずがないでしょう。
ゴルフで言えば、ビジターを無償でプレーさせるだけではなく、ビジター客には各種費用を割り引いて会員より安くするような方法です。
コスト的に見れば入国の始まりからして入国審査などのコストだけでも余計なコストがかかり、消費現場でも日本人がホテルを利用し、デパートで買い物するより外国語対応人材雇用などのコストがかかり、医療費未払いのリスクも高いし道路や駅でも公共団体が税で外国人用の標識を作るなどコストも日本人よりも多くかかっています。
マナーの知らないビジターが来るとコストが余計かかるのと同じです。
余計なコストを負担してでもそれ以上に観光で潤うと言うならば潤う業界が、入国者の払うべき入国税を負担してもペイするならば法人税や所得税の他に入国税を入国者に代わって払うべきでしょう。
05/31/07「観光立国のまやかし3(インフラの無償使用2)龍野旅行」で姫路城近くの竜野市を訪問したときの感想を書きましたが、公共の広大な駐車場は多分市で作ったものと思いますが、そのコスト分近隣業界が補助金を得ているのとおなじです。
自宅の家のローン負担しない他人が「気持ちの良い家だから昼寝したい」と言って図々しく上がりこむのが自由で良いという人はいないでしょう。
個々人の家でも気持ち良くするには、まめに片付けたり相応の負担をしているのです。
入国税を取れば観光に来てくれないならば、人が汗水垂らして作り上げた庭園や図書館等をタダで利用しようとする人は来なくていいので放っておくべきです。
無料にしないと客が来ないから無料にするという映画館やレストランがあるでしょうか?
大きな施設の場合、入場無料にすれば中で食事したり色んな消費をしてくれるメリットあるならば、食事設備等の儲けで施設インフラのコストを負担する仕組みにしているのが・古くはパルコに始まって今では麻布のミッドタウンなどでは施設入場自体は無料ですが、無料にして入場客が増えた方が自社利益になると思う企業が入居しテナント企業がホールや廊下などの冷暖房等の維持費を負担しているのです。

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