民主主義のルール・手続き重視論2と違法収集証拠排除論1

例えば警官がスピード違反して追いかけたり、追跡中に犯人が逃げ込んだ他人の(塀で囲まれて門が開いている)敷地を通過してその裏の路地に逃走するような場合に、警官が(他人の敷地に入るのが違法だからと遠回りしていると逃げられてしまう)一緒に踏み入って庭を横切ってその先の路地で逮捕したからといって逮捕が無効違法になるべきではないでしょう。
それぞれに緊急事態に対応する法令(パトカーでサイレンを鳴らしていれば信号無視できるなど・住居侵入は「正当理由」)があれば済むことですが、新規分野でまだそう言う手当の法令ができていない不備の場合に臨機応変の法令違反行為があれば、そのような検挙が許されないかということです。
福島原発事故では、現地所長が東電首脳部による現状無視の指示を無視して臨機応変の果敢な処置をして過酷事故発生を防いだことが知られていますが、国民は首脳部指示無視の法令違反と日本国滅亡の瀬戸際に瀕するリスクから、救った所長判断のどちらの方に正義があったかを知っています。
まだ例外を認める法令がないのに、現場判断でやったことが仮に違法であるとしても、違法の程度が重大でなければ、その法令違反(パトカーが信号無視できる法令がまだない場合を考えると、逃げる犯人が信号無視で突っ走った場合にパトカーも(横から来る車がないときに)信号無視で追いかけた場合)ですが、そのために事故が起きたか実害が起きていないかだけで処理すればいいのであって、違法な逮捕が許されない・・その後の手続き(逮捕によって得た指紋や自白その他の証拠を裁判に使えないか?)一切を無効にする必要はないでしょう。
(上記で言えば住居侵入で処罰するべきか否か・・この例の場合には、「正当な理由」が認められるでしょうが、庭だけでなく家の中まで無断で入れば行きすぎでしょうがそれでも)その犯罪の成否に関係がない以上その犯人を無罪にする必要までないでしょう。
最近の最高裁判例で言えば、GPS捜査はプライバシー侵害の危険性が高いから捜索差押え令状手続きが必要である→違法捜査と認定され、その捜査によって得た窃盗犯罪実行の証拠が否定されたように記憶しています。(時間がたったので正確な記憶がありません)
https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20170316-00068741/からの引用です。

警察が捜査対象者の車両に密かにGPS端末を取り付け、その位置情報を把握するGPS捜査。最高裁は、その法的論争に決着をつけた。しかも、今後の犯罪捜査に深刻な影響を与える厳しい内容だった。公開されている判決文(詳細はこちら)を踏まえ、その理由を示したい。
捜査対象者に気づかれないように注意しつつ、密かにその生活圏内に近づき、行動を内密に把握する、といった観点からすれば、尾行や張り込みと全く同様だ。
現に警察は、GPS捜査をそれらの延長線上のものと見ており、捜査人員や予算が限られる中、そうした古典的な捜査手法に代わる有効な手段だととらえてきた。
その上で、基本的に路上を走行する車両の位置情報を把握するだけであり、個人のプライバシーの領域に深く踏み込むわけではないとして、尾行や張り込みと同様、裁判官の令状は不要である、という立場を堅持してきた。
検察も同様のスタンスだった。
今回の事件でも、警察は被告人や共犯者らの承諾はもちろん、裁判官の令状も得ない状態で、約6か月半にわたり、被告人らの19台の車やバイクにGPS端末を取り付け、その位置情報を把握していた。
今回の一審、控訴審も、被告人を窃盗罪などで有罪とする結論自体は変わらなかったが、大阪地裁は令状なしのGPS捜査を違法とし、高裁は今回のケースだと重大な違法性なしと判断するなど、全く異なっていた。
これに対し、最高裁は、まず次のとおり、GPS捜査と尾行や張り込みとの関係について、警察・検察の見解を全否定した
「GPS捜査は…その性質上、公道上のもののみならず、個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間に関わるものも含めて、対象車両及びその使用者の所在と移動状況を逐一把握することを可能にする」
「このような捜査手法は、個人の行動を継続的、網羅的に把握することを必然的に伴うから、個人のプライバシーを侵害し得るものであり、また、そのような侵害を可能とする機器を個人の所持品に秘かに装着することによって行う点において、公道上の所在を肉眼で把握したりカメラで撮影したりするような手法とは異なり、公権力による私的領域への侵入を伴う」
「憲法35条は、『住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利』を規定しているところ、この規定の保障対象には、『住居、書類及び所持品』に限らずこれらに準ずる私的領域に『侵入』されることのない権利が含まれる」

民主主義のルール(手続き重視論と議事妨害)1

大臣や担当官僚の発言を撤回しないと審議に応じないという審議トップが多いですが、大臣の説明を求めるのは法案趣旨明瞭化のためですから、「その発言であれば法案の趣旨はこういうことになるのでそういう趣旨の法案であればこういう問題点があるので反対」と争点が明確化した点を捉えてその争点化に対する国民支持に自信があるならば国民に提示して国民判断を仰ぐのが民主的です。
大臣が発言を撤回したら法案から大臣発言のような、危険な解釈運用余地がなくなるということでしょうが、その程度の効果ならば、「こういう解釈運用される危険があるが、どうか?」と質問して大臣から「こういう解釈運用を考えているので心配いりません」と答弁を引き出せば足りることで、失言騒動→撤回に追い込んで得意になる必要がありません。
もともと国会で議論をしていってより良い法律に仕上げていく前向きな気持ちがないことを表しています。
失言を引き出したのが成功であれば、「〇〇発言でこういう危険な法律であることがわかった」と国民に宣伝し国民判断を仰げ良いことですが、それをしないで大臣が発言撤回しない限り審議ストップとは意味不明です。
革新系野党は、審議ストップ・議事妨害が自己目的化していて、「こういう乱暴な発言に対する審議ストップならば、国民批判が野党にこないだろう」という視点優先の国会戦術と見られます。
連携しているマスメデイアがこれに呼応して囃し立てる風潮が安保騒動以来続いています。
我々証人尋問で敵失発言があったときに、得意になってそれ以上深追いしないですぐに尋問を切り上げて敵失証言を早く確定させて裁判所の判断に持ち込むみたいのが原則です。
敵失の補正がないうちに結論に持ち込んだ方が有利に決まっているのに、敵失の「発言撤回」や資料補正しない限り審議に応じないというのでは、野党が問題視している大臣発言あるいは資料ミスがあってもその程度絵は国民の支持がひっくり返らない・・逆転するほどの敵失ではないことを自己証明していることになります。
失言と騒いでいるものの多くは「〇〇がそんなことを言って良いのか」と言う問詰型で、実態は揚げ足取りに終始している印象です。
それを理由にしての法案反対では国民支持が得られないが審議ストップ程度は大目に見てもらえるだろうとの読みを前提にしているとすれば、「法案反対だから審議に応じない」ということを言い換えているにすぎません。
ところで意見が合わないから審議に応じないというのは、自分の意見は「自分の国をより良くしたい」意見ではないからではないでしょうか?
目的を共通にする限り、議論を尽くせばより良い結果(正反合の止揚効果)が出てくるし、相手の方が自分よりよく考えているとわかった場合、合理的議論では引きさがるのが普通の結果です。
目的を共通にしない場合、例えば「旅行に行きたくない人」と旅行先についてどこがいいかの議論を尽くしても方向性が違うのですから、良い結果が出るわけがありません。
意見相違を前提にした議論を尽くしてより良い結果を目指す民主政治とは、「自分の住む社会をよくしたい」という共通目的があってこそ成立するものであって、「自分の住む社会よりよくしたくない」人といくら議論しても・・旅行に着たくない人相手に相談しても行きたくないと言わずにケチをつけている相手の本音が分かれば分かるほど対立が深まるばかりです。
話せば分かるどころか、かえって相手の底意が見えてきてしまいます。
審議拒否や議事引き伸ばしを目的にしてできるだけ審議に応じないのは、ちゃんと言えるような独自意見が元々ない・・どうせならば、「日本のためになる政策遂行の意欲がない」という後ろ向き運動でないのかの疑問が生じます。
一般的な各種会議では、会議中に資料ミスが分かっても次回までに整備した「資料を提出してください」ということでその日はその資料なしでも進められる内容について先に議論を進めるのが普通です。
ところが、60年安保以降の国会では、政府提案に対して野党は反対の為の反対・・あら探しをしている印象で国をどうするかの野党の展望を示されたことがありません。
今国会の働き方改革では、厚労省の資料不備があったというだけであって、では「野党がとしてどういう労働政策が良い」の意見が見えてきません。
国会での審議拒否運動と並行して憲法論→刑事訴訟法分野でもデュープロセス論が重視され、内容無視で手続き重視論が主流になっています。
以下の通り昭和35年の安保騒動の翌年・昭和36年(15人中15名)頃から我が国で有力になってきた法理論です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%95%E6%B3%95%E5%8F%8E%E9%9B%86%E8%A8%BC%E6%8B%A0%E6%8E%92%E9%99%A4%E6%B3%95%E5%89%87

違法収集証拠排除法則
排除法則が、日本の最高裁判例 で採用されたのは、昭和53年(1978年)からのことである。
それまでの判例は、押収物は押収手続が違法であったとしても物自体の性質、形状に変異を来すはずがないからその形状等に関する証拠たる価値に変わりはないというものであった (最判昭和24・12・13[1])。
しかし、学説上は、アメリカ法の影響を受け、少なくとも収集手続に重大な違法がある証拠の証拠能力は否定すべきとする見解が有力になっていた。また最高裁昭和36年6月7日大法廷判決では、15人中6名の裁判官が反対意見として、理論的に違法収集証拠排除法則を認めた。下級審においても、違法収集証拠排除法則を肯定する裁判例が増えてきていた。このような状況の下、最高裁は昭和53年9月7日第一小法廷判決において、排除法則を理論的に認めた。

違法収集証拠排除原理も手続き重視論の一つですが、人権擁護・違法捜査根絶の目的のために必要な戦略かもしれませんが、拷問その他悪質な場合はその通りでなるほどと共感したものですが、違法かどうかの判例も決まっていないような境界事例でもで何でもたまたま非合法と後日判定されると違法捜査のレベルに関わらず、一旦違法であると認定すれば証拠能力ゼロにしてしまうとすれば行き過ぎではないでしょうか?

日弁連意見と会員(会内民主主義とは?)

私の理解力では「法曹実務にとっての近代的立憲主義」の一連の論文では何を言いたいのか?「平和憲法を守れとか憲法は簡単に変えるべきではないとか?憲法判断のあり方とか」はイメージ的に分かるものの、論理関連が不明でした。
どんどん違憲判決が出るのは反体制派にはキモチ良いイメージ・それが不十分と言いたい気持ちはわかりますが、それが立憲主義とどういう関係があるのか、イマイチよくわかりませんでした。
憲法が最上位法である・違憲審査権活用を言う程度ならば誰でも知っていることであって、だからこそこの主張を前提に実態に合わない憲法を実態にあわせるために憲法改正必要論が一般人の間で増えているのです。
憲法の優位性だけならば、一般人もすでに知っていることですから、今さら「近代立憲主義」と大げさにキャンペインする必要がなさそうです。
立憲主義とはいわば権力抑制のための理念ですが、中国と違って日本ではその程度の事は当たり前です。
文化人の主張は中国や旧ソ連でいえば至極真っ当な意見ですが、とっくの昔に克服している日本に当てはめようとするから、ちぐはぐで国民が賛同しないのです。
なんとなく従来に型にはまった革新勢力の政府批判が、「今のソ連や中国にいうならばピタリだがなあ!と思ってきた人は多いでしょう。
今ではソ連がなくなったので韓国や中国批判をすべきところ路怖くてできないから、日本政府向けにやっているんかな?という印象です。
西欧近代の立憲主義以前から日本は、時の権力者も犯せない不文律のような考えがありました。
正倉院御物には時の権力者と言えども滅多に手をつけてはならないこと・信長が蘭奢待を削ったことがいまだに言われ続けられる国柄です。
今の皇室に関することについては、腫れ物に触るような意識もその一つです。
判例時報の特集は、立憲主義の主張によって、「多数意見でも憲法改正を許さない」という論理を導きたい本音があったのに、その論理感関連が難しいのでせっかく製本して送付してきたのに竜頭蛇尾の印象で終わったのでしょうか?
ただし定期購読中の私のような人は、事実上2000円の本を押売りされたような関係ですから出版社には損はないでしょう。
彼らの前提・・立憲主義とは権力抑制の道具である・政府のすることにはまずは憲法に違反しない化の爪を研ぎ澄ましておいて反抗すべきが、立憲主義の根本だとすれば、最後まで市民活動家であれが終始一貫しますが、権力掌握目的の立憲民主党のになると存在意義不明です。
政党は権力獲得を志向する集団ですが、権力のすることに原則反対・反抗することが目的の政党とすれば選挙民にはわかり良いものの、では自分が権力を握ったら自分で決めた国家権力行使に反対するしかない・.自己矛盾になります。
権力を取ればソ連や中国のように「立憲」どころではない・・「自分・権力がすることは全て正しく何も問題がない」という旧ソ連や中国政府みたいになるつもりでしょうか?
日本の公害や軍備には反対なのに中ソの公害や軍事行動や威嚇には文句を言わないのと同じ二重基準論です。
立憲主義者や平和主義論者は原理論者というよりも空理論者というか、目の前の中国の拡張主義や北朝鮮の脅威にどう対処すべきかついての具体的議論には全く不毛です。
お題目さえ唱えれば平和が来るものでないのですが、(野党を含めた)目の前に迫っている対北朝鮮やちゅごく拡張主義の問題について具体論を聞いたことがありません。
格差反対論に戻りますと、格差縮小をどうして実現するかがテーマなのに、格差反対という抽象論ばかりでは建設的ではありません。
・・・私の意見では正規非正規の待遇格差を合理的な範囲に縮小していくしかないし、政府は現に徐々に取り組んでいますからこの取り組みに対して「この辺をこうしたら良いとか」・・建設的意見を建言することが国民の責務でしょう。
万物に品質差→格差は生じるのは当然ですし、どの程度までの格差を許容すべきかの具体論ではないでしょうか?
オリンピック選手と私のような運動能力の低いもの・アップル創業者と凡人との収入や名誉格差はどの程度が妥当か?の具体論が必要です。
経営者と一般労働者の格差等々・どちらかと言えば日本では諸外国より格差が比較的低いという認識が常識ではないでしょうか?
何が常識かを決めるのは難しいですが、メデイアによるいわゆる世論調査の信用力が近年ガタ落ちです。
イギリスのEU離脱投票とトランプ政権誕生で明白になったように、マスメデイアの党派性が際立ってきたからです。
民主主義社会では民意は選挙結果で見るよりないでしょうが、これに挑戦するために、昨日まで書いてきたように立憲主義が勢いを増してきました。
日弁連は「日本の労働者の現状は,非正規労働やワーキングプア問題の拡大に代表されるように,窮乏を極めており・・」と言うのですが、日本人の何%がこのような主張に納得しているのでしょうか?
日弁連の「偉い人」が宣言すればそれが正しいのではなく、民意を知る方法は選挙ですが、今回の総選挙で自民党圧勝の原因は多くの若者が自民党の経済政策成功の恩恵に浴している満足感(窮乏を極めていない)に基いているという評価が一般的です。
窮乏を極めているか否かの前提論はこの辺で終わりにして、日弁連の労働法制に対する姿勢を見ると予想通りに「解雇に関する現行のルールを堅持すべきこと。」が結論的要望です。
根拠のない前提を(問答無用式に?)掲げた上で結局は、超保守の現状維持・「なんでも反対の旧社会党」が凋落した後を受けて旧社会党に代わって民意の支持を必要としない日弁連が肩代わりして行なっている印象を受ける人が多いのではないでしょうか?
政党である限り選挙民の意向無視では成り立ちませんが、日弁連は直接的には国民の支持など関係がない・・唯我独尊ですから、現実離れした主張の繰り返しが可能になっているのでしょう。
NHKも立場が似ていますが、政治の影響を直接に受けない制度保障が、国民批判を受け付けない「唯我独尊で良い」という意味に転化してくると制度保障自体が民意の支持を失い危うくなります。
昨日か1昨日の報道では、来日中のトランプ政権のバノン前戦略特別補佐官が、HKK名指しでアメリカのCNN同様のフェイクニュース機関」と述べたことが大きく報道されていました。
http://www.sankei.com/world/news/171217/wor1712170029-n1.html

2017.12.17 22:00
フェイクニュース「NHKも」名指し バノン米元首席戦略官、会見で批判「日本のCNNに違いない」
トランプ米大統領の有力側近で首席戦略官兼上級顧問を8月まで務めたスティーブン・バノン氏が17日、東京都内で記者会見し、情報を過去に誤って伝えたフェイク(偽)ニュースの報道機関として、「NHK」の名称をあげた。バノン氏は以前から、トランプ氏をめぐる報道について痛烈に批判しており、日本の報道機関がやり玉に挙がった形だ。
「私も個人的にメディアに反発したいわけではないが、(誤っているのが)真実だから語っている」と話した。」

NHKも批判を真摯に受け止める必要があるでしょう。

大統領令5(民主主義制度と民度)

トランプ大統領の課税アップ宣言・その実行するための大統領令の国内法的側面に戻ります。
幾多の革命が課税を巡って起きたことで知られるとおり欧米では,課税権は議会の絶対に譲れない専権事項・・正義とおしえられて来ました。
我が国でも租税法律主義と言って行政府には課税権がありません。
フランス革命以降、法がない限り人権制約出来ない仕組みを持つことが近代国家と言えるための基本とおしえられて来ました・・これも先進国の共通価値観です。
憲法
十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第三十条  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
関税引き上げによる究極の影響を受けるのは外国の輸出業者,・・例えばメキシコや中国ですので、国民相手ではなく対外行為だから国民の人権に関係ないからトランプ氏がイキナリ無茶出来るのだと思っている方が多いと思われますが,実は関税を納税するのはアメリカ国内輸入(業)者です。
以下のとおり,日本法で言えば関税納付義務者は輸入者・国民ないし内国企業ですし、この原理はどこのクニでも同じでしょう。
※消費税で考えれば分りますが、消費者が納めるべきと言ってもパンや牛乳を買った個々の消費者から具体的に徴収する方法がないので、業者が代わって納付義務を負うのが法の原則です。
輸出した外国人相手に「払え」と言っても(トヨタなどアメリカに進出している大手は別として外国に住んでいる個人的輸出業者相手に)取りようがありません。
輸入者に負担があると、喩えば国内企業からの仕入れ商品より1割安いから輸入している場合,関税で2割取られると仕入れが割高になるので結果的に輸入が減る結果、実質的輸出が減る・・対外標的の政治問題になっているのですが,法的には国民に対する課税強化です。
国民に対する課税強化が国会無視・・大統領令だけで決められるとすれば・課税法律主義の原理に正面から反します。
関税法(昭和二十九年四月二日法律第六十一号)
(納税義務者)
第六条  関税は、この法律又は関税定率法 その他関税に関する法律に別段の規定がある場合を除く外、貨物を輸入する者が、これを納める義務がある。」
実際の被害を受けるのは外国ですから、国民の反対がないと見込んでいる・・国内多数であれば何をして良いかの議論の一場面です。
july 16, 2013「民意に基づく政治4(大統領制と議院内閣制3)」前後で大統領制は選任手続を世襲から選挙にしただけでその後は一任支配を前提にした社会・・個々の政治テーマで民意を聞くとまとまらない社会に妥当する制度だと言うことを連載したことがあります。
日本では、法や憲法がないときから・・古代から何事もムラ社会では寄り合いで納得の上で決めて行く社会ですが,PC(きれいごととして)だけで民意重視必要と習っただけの社会・・実際の納得を前提にしていない社会では、合意形成が形式に流れ勝ちです。
投票箱民主義と揶揄される所以です。
民族共同体意識の確立されていない社会で・・PC(きれいごと)流行批判を2月4日に紹介しましたが、形式的人権擁護論だけでは解決で来ません。
合意で政治をする・本当の意味の民主主義社会になり切れていない・投票箱民主主義社会の底の浅さが大統領令の乱用・・亡霊が出て来ることによって露呈します。
現在社会でしかも世界の指導国を任じていたアメリカで,こう言う専制的命令が(トランプ氏個人資質の問題ではなく,クリントン政権もそうでしたし)過去の積み上げた法令無視で自由自在・・専制君主並みに大統領令が出て来て・・しかもPC・偽善的表現を棄てて猛威を振るい始めた・・アメリカ社会の本音が出て来たことに驚いているのが世界の現状です。
本音と言うより、これが本当のレベルだったのです。
どんな立派な制度があってもそれを運用する能力・・構成員の多くが心の底からみんなの意見や気持を尊重するかどうかは民度次第と言うことでしょう。
「仏作って魂入れず」の状況です。
ナチスも、民主主義・ワイマール憲法下で委任立法制度の悪用で猛威を振るったものでしたし、ソ連のスターリンの独裁・恐怖政治も下部組織から順に持ち上がる形式主義を悪用したものでした。
大学自治会やその他組織で意見集約行為が形式に堕して一握りの活動家が私物化してしまったのは、構成員の未熟性に帰すると思われます。
大学生程度では、まだ自主運営するには十分成熟していないから「形式論・・多数決さえ取れば良い」だろうと反対論を無視することの繰り返しで誰も参加しなくなる・・反対者が減る一方でドンドン尖鋭化します。
学生自治会の場合参加しなければ良いのですが、逃げることが出来ない国民・・・これを国家規模で貫徹し収容所列島にしてしまったのがソ連の民主主義でした。
人民みんなが声を上げてデモ出来るわけではない・・政治に携わる人は、文字どおり声なき声を十分斟酌・忖度しながら政治をする度量が必要です。
アメリカで、歴代大統領が自制して来た大統領令の濫発をトランプ氏が始めた・・しかも過去に蓄積して来た人類の智恵・・各種国際合意全部について「ちゃぶ台返し」のように全面否定する選挙スローガンを掲げ、政権につくとそのまま実行し始めた・・しかも法的にこれにブレーキをかけるのは司法権しかないのでは驚きです。
司法権による救済は国内人権侵害対応しかしない・・国際合意・・国際的正義の破棄には何ら権限もないので、被害国としては押し止める力があるかどうかだけで、相手に抵抗する力がない場合、暴走しっぱなしになります。
これではまさに中国やロシアのやりたい放題の仲間入りです。
トランプ氏は、今後世界の指導国の地位・国際的に歴史上形成されて来た正義・・格好付けを放棄して横暴・・やりたい放題やると言う主義主張のようにみえますが・・。
これはアメリカ人(ピープル)レベル低く、いわゆるPC(政治禁句・きれいごと)政治について行けない・・疲れたことによります。
成金が上流社会に参加してみて複雑な礼儀作法に疲れ切った状態に似ています。
自由主義の本家グローバリズム・・金融等業務では成功している・・尤も恩恵を受けているアメリカとイギリスがそろって移民反対に転じた理由は、グローバル化成功しているからこそ早過ぎる進行速度について行けない一般国民の不満が大きくなったと見るべきです。
急激な高度成長する新興国で、ついて行けない階層とのギャップが大きくなるのが普通ですが、新興国では底辺層の工員等現場系の仕事から増える関係で恩恵を受ける層が厚く大きな社会問題になりません。
格差といっても農村に残っていて都市労働者になり損ねる不満とこれまで得ていた地位喪失の不満とは質が違います。
高度成長期に農村に取り残されて成長の恩恵にあずかれない不満に比べれば、既存の地位喪失・・失業や降格倒産の方がダメージの方が圧倒的に大きくなります。

大統領令4と法の優劣

レーガン大統領のトキに議会で成立したスーパー301条は2年間限定の時限立法だったので失効していた筈ですが,クリントン大統領が301条を行政命令で復活させたと1月27日に紹介しましたが,ここでズバリ大統領令・行政命令とはどう言うものかを見ておきましょう。
大統領令に関するウイキペデイア(正確かどうかは別として一応の解説)からの引用です。
「君主国や立憲君主国における勅令に相当し、法律と同等の効力を持つが、アメリカの大統領令の場合、権限の制限範囲はアメリカ合衆国憲法で明確に規定されているわけではない。
アメリカ合衆国大統領は、1789年以降、行政官による任務遂行の命令に助言するために大統領令を発してきた。大統領令は連邦議会の制定する法律に従い、その法律による大統領への委任を受けて発することもあり、その場合法的強制力が付与される。」
「日本で有名なものに1942年2月19日付けのフランクリン・ルーズベルト大統領による『大統領令9066号』がある。これは軍が国防上の必要があると認めた場合には強制的に立ち退きさせることを認めたもので、これが大規模な日系人の強制収用の根拠となった。」
仮に大統領令に戦前の勅令同様の効力があるとしても,法と抵触する場合どちらが優先すると言うルールがないと混乱します。
上記ウイキペデイア説明では「法と同等の効力を持つ」となっていますが,同等と言うことは法理論上後から出来た法が改正法になりますから,後法優先と言う意味でしょう。
喩えば、逮捕状がなければ逮捕出来ないと言う法律があっても,大統領の指定したものは無制限逮捕・勾留権をもつと言う大統領令が仮に出るとそれが優先することになります。
この適用例が何らの違法行為もしていないのに日系人と言うだけで日系人に対する強制収容・資産没収令の執行だったのでしょう。
フィリッピンのドウテルテ大統領の麻薬犯罪者現場射殺命令?も同じ原理かも知れません。
現在トランプ大統領が関税をイキナリ45%に引き上げるとか水責めなどの拷問取り調べ復活を主張しているのが報道されても・・日本的に膨大な法改正が必要と言う前提で考えると緻密膨大な関税関連法や移民法・・人権保障手続が網の目のように張り巡らされている現在、「無茶なことがそう簡単に実現出来る訳がない」・・・これらの法改正には数年かかるがその間事実上の運用で嫌がらせされるのが怖いので企業などがなびいているだけと思っていた人が大多数だったでしょう。
こう言う前提論で選挙時の極端なスロ−ガンは、大統領になれば現実的なものに修正されて行くだろうと言う読みが一般的でした。
ところが、就任後も選挙中の放言?とおり,有言実行とばかりに続々と大統領令が出て来て、直ちに入国制限が始まったのでみんな驚いています。
入国制限や関税を35〜45%にしたい思えば議会を通さずに大統領令に署名さえすれば、(ウイキペデイアの解説によれば)現行法より後から出来た大統領令が優先する以上、数分間の署名だけで即時発効してしまうとすれば、法改正の困難さに直面して現実化されることはなさそうです。
日本では法を一瞬にして無効化出来る制度がないので,そんな乱暴なことが出来るわけがないと思うのが普通ですが,アメリカでは彼が大統領令に署名すると既存の人権保障手続による制約を即時に無効化出来る前提になっているとすれば、全てその場で実現出来るシステムですから彼は自信を持って言っていたことになります。
ただ無茶をやれば支持率が下がるので、その塩梅をどのように見ているか・・支持が下がっても次の選挙に出ない覚悟ならば何でも出来ます。
(支持さえあれば何でも出来てしまう制度の危うさは別に書きます)です。
移民法も膨大ですし、関税法も緻密に出来あがっていますが,45%とか35%課税と言っても簡単に議会を通せないだろうと思う人が多かったのですが、トランプ氏が大統領令の威力を前提にしていたとすれば納得です。
自由自在に現行法と同等の命令(後で作った法が優先とすれば)を発効させられるのが大統領令となれば,どんなに緻密な法令システムが出来上がっていても署名だけで即時に無効化してしまえる・・生殺予奪の権を持つ専制君主制とほぼ同じです。
ある犯罪は懲役5年と決まっている場合,大統領令で「10年」と決めればそのときからそれが優先させられるとすれば驚くべき制度です。
議会による法の制定には(関連業界の意見聴取など)与野党の綱引きを経るなど膨大な時間がかかります・・数年かけてやっと法が成立しても、極端なことを言えば,大統領がその法律を気に入らなければ,その10〜30分後に反対内容の大統領令に署名すれば,逆の法が生じてしまいます。
戦前日本の勅令だって天皇が個人の思いつきで出していたものではなく,それなりの手続を経て出していたものですし,日本の政令は閣議決定が必要であり,省令も省内のしかるべき手順を踏んで決まります。
局長通達でさえ内部手順があり局長が個人的に出す文書が全部通達になるものではありません。
ところがアメリカの大統領制は、日本の閣議のような手続がいらない・・各行政部門のトップは大統領の部下・・企業の部長みたいな扱いで社長は直截なんでも出来る企業のようなシステムに見えます。
大統領令を無効化するにはもう一度大統領令に反対の法案を可決すれば,後から出来た法が有効になりますが,大統領署名には順次の内部手続すらいらないとすれば、その10〜30分もあれば次の署名が出来るので効力否定競争では大統領の方が格段に有利です。
司法によるチェック・・憲法違反の無効判決を仮に得ても、直後にちょっと変えてまた施行すれば、次の最高裁判決が出るまでの期間は有効です。
国内政治の争点は憲法問題は滅多にない・・ちょっとしたことでしょっ中法律が出来ているので(憲法違反になるような政治案件は少ないので,)大方は大統領令を後出しされたらおしまいです。
例えば税率を何%にするか,産業振興のための◯◯法など新たな分野でこれを刑事処罰の対象にするか、ある種の犯罪の刑を何年にするかなどの意見相違で法律が議会を通過した場合、憲法違反をテーマにするのは難しいのが普通です。
結果的に大統領の意見に反した法律を審議会を経て何年もかけて議会で通しても・直後に懲役何年・税率何%(消費税適用除外品目など)と言う大統領令を出されたら直ぐ変更になってしまうのでは,議員が地元民の意向を吸い上げ,議会で何年も議論した意味がなくなります。
これでは議会と大統領の関係は対等どころか圧倒的に大統領有利・・殆ど専制支配と変わりません。
実際にはこう言う泥仕合は起こらなかったのは・・国民の支持が少ない大統領令を濫発すると次の選挙で落選するし、明白な憲法違反を繰り返すと革命騒動が起きるでしょうから,歴代大統領が自制して来たので大きな問題が起きないまま現在に来たと思われます。
この結果、せいぜい反発の少ない少数民族・・戦時中の日系人だけ、(ドイツ系民は何千万人もいるので出来なかった?)今回はアラブ人だけを標的にしているように,少数者迫害向けの大統領令が多くなる傾向があります。
今回もマスコミが支持率の多少を気にしているのは,法律論・・人権保障よりは、「多数の支持さえあれば良い」と言う実際的効果の重要性を意識しているからです。
支持率の多さだけを基準に少数民族に対して何をしても良いと言うのでは,(実際今回の入国制限で最も被害を受けるアラブ系米国人が反対運動さえ出来ていない弱さをみれば・・)ナチスのユダヤ人迫害とどのように違うのかの基準が見えません。
戦時中の日系人迫害に対して日系人は反対運動することが出来ませんでしたし,数年前にはトヨタ標的の言いがかり的騒動でも「でっち上げ」と言う反論さえ許さない雰囲気でした。
古くはハンマーで日本製品をぶちこわす・・ナチスバリにいつもスケープゴートを作り上げては、マスコミ挙げて興奮する・・巨額課徴金を徴収するなどの繰り返しでした。
専制君主以上の権限を持つ大統領制と民主主義の関係を日本が危惧しても意味がない・・ソモソモ全人類破滅に追い込む核のボタンすらも,彼・大統領一人の判断で出来る制度設計からすれば専制的権力を持っていても驚くにあたらないかも知れません。
「民意に基づく政治4(大統領制と議院内閣制3)」その他で民主主義のランク付けでJuly 16, 2013「議院内閣制に比べて大統領制は民度が一段遅れた社会向け・・専制支配権力行使を前提に任期と選任手続が担保されるようになった違いだけ」と言う意見を連載して来ましたが,大統領令にその制度的担保が残されていたことになります。

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