中国軍に解放してほしい日本人がいるか? 1

中韓等による日本非難の言語の多くは、自分らが日頃したいと持っている悪行を日本がしたことにすり替える・真逆の意味が多いという理解が今の日本では普通になっているのではないでしょうか?
人民解放論は支配者による搾取構造を前提にして異民族領域への侵略→支配を合理化するものですが、日本は古代から中ソが世界支配を正当化する図式の前提たる搾取構造社会ではありません。
指導者とは何か事業をするときにこれをみんなで心を一つにするようにまとめていく能力のある人のことで私利私欲のために動く人ではありません。
また多くの事業業績は集団協力があってこそ実現できるので、総大将や代表者・・旗振り役・・巨石を移動させるために修羅というもので運ぶのが知られています。
石の上で力を合わせるために音頭を取る人がいますが、彼一人の力で巨石が動くのではありません・・このように各種事業は旗振り役が重要ですが、彼は集団を代表して栄誉を受けるに過ぎないと言う点も民族の常識化しているからです。
この人のおかげで一つの事業を成し遂げられたと思う人が出るとうまく行くし、後世偉人として尊敬されます。
奈良の大仏の像立に成功できたのは、それまで朝廷権威による布教形態を無視して独自布教していたことで弾圧されていた・・・最後は行基の指導力を利用するために朝廷が僧としての最高位を授与していますが・・)行基の指導力だとして今だに尊崇されています。
その他、各分野で中興の祖となどと尊崇される人は、自己利益・豪邸を建てて名をなしたのではなく清廉潔白の権化みたいな人ばかりです。
ところで、民族利益とは何か?
異民族支配に成功することではありません。
搾取構造の最たるものは異民族支配でしょうが、我が国では縄文の昔からこういう不当な利益を目的に行動すること自体意味嫌われる社会です。
みんなで労力提供して稲作の為の灌漑施設を作り、ようやくコメを収穫できるようにした場合に、地域住民みんな利益享受できる共同体利益を増進することです。
卑近な例で言えば、日頃から住む自宅周辺や町を綺麗にして気持ちよく暮らすのもその例です。
千年単位で形成した文化その他を含めた幅広い総合的概念が民族利益というものでしょう。
地方旅行すると、郷土の偉人の顕彰碑や資料館があることが多いのでいつもよく見てくるのですが、地元共同利益アップにいかに貢献するかによって人徳が決まる社会ですし、この逆もあるので日本人では子々孫々に恥をかかせない生き方が基本価値観になっています。
また多くの事業業績は集団協力があってこそ実現できるので、総大将や代表者は集団を代表して栄誉を受けるに過ぎないと言う点も民族の常識化しているからです。
百の地元貢献・もたらした功績で代表者個人が百の対価を得たのでは、不当利得であり、尊敬されません。
その代表者の次順位幹部はまだ名を残せるでしょうが、そのまた下の中堅協力者の努力に報いるには結局は当時は顕彰するしかなかったのでしょう。
ため池を作る場合を考えると巨大な資金負担があり、完成と同時に地元に恩恵があるわけではないので褒美を払う資金が枯渇している点もある上に、ため池の効能は子々孫々が継続的に享受するものです。
ため池も灌漑設備も完成と同時に100%受益できるわけではないので対価も受益に応じて払うのが合理的ですが、当時今のようにストックオプション制度もなかったので、地域住民が将来に渡って受ける受益対価も将来の分割払い・・世襲的地位(将来の家禄が保証されても主家が滅びたらおしまい・ストックオプションと同じ)を付与するのが普通でした。
世襲した方は、地元民から祖先の功績を褒められ立派な人だったと尊敬されるので、自然に自分も先祖に恥じないような行動を心がけます。
名主、庄屋や豪族の地位は上記のように地元の役に立ってこそのものですから役立たずになれば、下剋上にあって地位を失っても仕方ないという社会意識が定着していったのでしょう。
その結果現世利益は名目的であり、名誉で受けるのが99%みたいな対価方式が日本社会で定着したのでしょう。
日本では今の企業経営も同じですが、成功に応じて上位者の給与がちょっと上がる程度(百の功績に対して2〜30くらいの報酬、残りは後世子孫への名誉)であって、功績以上の報酬=搾取率の低い社会です。
せっかく(渇水対策のため池を作り洪水対策の堤防を築いたり)事業に成功しても自分の功績以上に私腹を肥やすなどもってのほか(ある程度の対価は必要ですが)ゴーン氏のように対価以上のものを貪るような恥ずかしいことは社会が許しません。
もともと功績評価は地域の子々孫々にどのような福利を残したかが基準ですから、欲をかくと却って子孫が恥をかきます。
この価値観の違いが大きく出たのが発光ダイオード発明の特許に対する企業の報奨金が少なすぎると争うことになった訴訟でしょう。
日本社会は紙一重程度の技術差の人材がひしめいて、その技術集団意見のすり合わせ・協力・集団成果の上に物事の実現が図られる社会です。
例えば、・・ある商品売上増には営業課長一人の能力によるだけではなく部下の功績も無視できませんので、何かの実績をあげた代表選手だけがヒーロー化されますが、実は集合智の目印になったに過ぎないという考え方が基本です。
何かで表彰された時に約99%の人が皆様の協力を得て・・「おかげ様で・・」と謝辞を述べるのはこの価値観によります。
発光ダイオード訴訟についてhttps://ironna.jp/article/407が発明対価について論点整理してすっきり書いていますので明日引用します。

異民族直接支配4(ロシア革命とグローバリスト)

ソ連の鉄の統制・内部粛清も周辺被支配国・・チェコのプラハの春や、ポーランドなど周辺からガタつきが始まり、約70年でついにガタがきましたし、アメリカ支配も戦後70年も経過すると世界規模で衰退してきました。
アメリカも、いよいよ歴史の審判を受ける時期が始まったようです。
アメリカが不当な言いがかりで対日戦争を仕掛けた非道徳性を自己否定するために(苦しむだけマシですが・・)苦し紛れに戦勝直後からでっち上げ対日道義批判を構築してきました。
時間経過ででっち上げ批判が無理になってアメリカ自身引っ込めざるを得なくなっているのですが、「親の心子知らず?」でいまだに根拠なしの対日批判に熱中して最大限世界中で騒ぎまくっているのは、韓国だけでしょう。
近所の子供の行動態度で近所の親の気持ちがわかるように韓国の手入れbルアン対日批判行動を見るとアメリカの対日真意ががわかる便利な関係です。
韓国が従来基準で日本に悪態をツケばつくほど、騒げば騒ぐほど日本人の多くが「元凶は米国の自己弁解に始まるのか!」と気がつく人が増える構図で・・米国は困っているでしょう。
世界中で米国離れが始まり、今世界で本当に米国の信頼できる国は日本だけですから、この段階で韓国に暴走されると米国の方が困ってきました。
この結果、今回の騒動・・慰安婦合意空洞化や徴用工訴訟、レーダー照射問題と国内的に亜h、日本に関するもの亜飯でも禁止するなど矢継ぎ早に反日政策を繰り出す文政権が、日本のホワイト国指定取り消しの反応に対してこれまで通り米国の圧力・/現状で打ち止め・先にやった方のやり得を期待していましたが、米国が全く応じないそぶり・・米国は韓国の味方をしなかったしできなかったのです。
米国や中韓主張を聞くと大方の日本人の価値観からすれば「戦争に勝ってもそんなひどいことする筈がない」ということが多いのですが、どこからそういうひどい想像力が働くのか?となります。
中国韓国や欧米歴史では普通に行われてきた歴史・自分らがやってきたことを日本がやったはずという主張にすり替えてきたのです。
日本は政争や合戦で勝っても相手を卑しめず、(日露戦争勝利の時に降伏したバルチック艦隊の司令官を武士道に基づき厚遇しました)逆に歯医者を称え神社等に祀る(道真等)国ですから、敗者の残した歴史文物も豊富に残っています。
中国のように前王朝の文化財を皆破却し前時代を100%否定する歴史とは違います。
大方の日本非難論は「批判者が自分ならこういうひどいことをする」という自白のような批判が中心ですから、米国の威力を背景にしている韓国の日本批判論は自分のやってきた自白みたいで恥ずかしくないのかが不思議なくらいです。
歴史を学ばないものは・・という韓国お定まりの日本批判は文字通り自分に跳ね返っている・黙って聞いている日本人の心を知らないようです。
幸い日本統治を受けた諸国地域が多いので、日本の統治内容は事実として多くの国が証明してくれる関係でありがたいことです。
日本では「子々孫々に汚名を残さない」というのが生き方の基本ですが、史上最大の困難に直面していた我々の親世代が、「貧しても貪せず」の精神で太平洋の島嶼国や東南アジア諸国で立派な行いをしていたことがわかります。
ユダヤの陰謀論から話題が逸れましたが、昨日引用記事の論拠と関係ない私の印象ですが、祖国を持たないユダヤ民族にとっては、
「自分らは永久に民族国家を持てないならば、世界中が祖国を持たない世界になれば良い」
「キリスト社会で迫害されるならば、無神論社会になれば良い」
非宗教社会化・グローバル化を極限まで推し進めることが彼らの悲願だったと言われればそうかな?とも言えますが憶測の域を出ません。
病気も科学発明も多くは結果から見て一定の関連性のありそうな時にその仮説に基づいてもしかしたらこういう因果関係があるのじゃないのか?と検証していくのが普通ですから結果からそのような疑念を抱くこと自体を荒唐無稽とは言えないでしょう。
疑念レベルに過ぎないことを断定的に表現するのは行きすぎですが・・。
レーニンが帝国主義論主張に至った背景に関する本日現在のウイキペデイアの解説です。

背景
『帝国主義論』が書かれる直前の1914年に第一次世界大戦が勃発。1912年に第二インターナショナルに集っていた社会主義者たちは、戦争に反対していく決議(バーゼル宣言)をしていたにもかかわらず、第一次世界大戦がはじまると、その主流派は自国の戦争を支持する「祖国擁護」の態度をとり、第二インターナショナルは事実上崩壊してしまう。
ドイツ社会民主党の指導者で、当時マルクス主義理論の泰斗といわれたカール・カウツキーは、「祖国擁護」をとなえた戦争支持派と、レーニンらの戦争反対派の中間である「中間派」に位置し、両者の融合に努めようとした。また理論的には、帝国主義列強が共同で世界を搾取する超帝国主義(英語版)の出現の可能性について言及し、帝国主義は列強がとる「政策」の一つであるとして、必ずしも不可避なものでないとした。
レーニンは、この「祖国擁護」をかかげた戦争賛成派の議論とともに、カウツキーの議論を反論する必要性を痛感し、帝国主義戦争は列強の「政策」の一つなどではなく、資本主義の最高段階における必然の現象で、絶対に不可避であるという主張を本書で展開した。また、こうした戦争支持派がなぜ労働運動や社会主義運動のなかに生まれるのかという解明の必要性にも迫られ、そこで上述の「超過利潤による労働貴族の培養」という概念に達した。

日本の左翼系思想家やメデイアによる戦争反対論は、ソ連や中国による侵略は「人民解放の正義の戦いであるから、この解放戦争から人民が自衛するなどあり得ない」という立場で理解すれば(中ソの核実験やチェコやポーランドでの戦車による蹂躙等に対しては全く批判しませんでした)非武装論は一貫しているようです。
中国の人民解放軍という名称の滑稽さ・・秘密警察すら不要なほど公然と監視し続けるシステムの保証装置・人民抑圧装置を人民解放軍というのですからギャグそのものです。
そしてこのギャグを真に受けて?左翼系思想家や運動家や大手メデイアにとっては解放軍が解放に来てくれるのだから抵抗するための軍備不要ということになるのかな?
それだと非武装平和論は一貫します。

異民族直接支配5(ロシア革命とユダヤ人2)

以下の記事は人名等具体的でしかもユダヤ主導を隠す必要性にも触れていますので、長くなりますが一部引用しておきます。
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/582c8b494f27d9e823500007cf87432c

2017-07-05 10:28:20 | ユダヤ的価値観
●ロシア革命にユダヤ人多数が参加
●トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフら枚挙にいとまなし
ロシアの社会主義運動の中心部にいたのは、ユダヤ人だった。19世紀末ロマノフ朝圧制下のロシアで、ユダヤ人はポグロムと呼ばれる虐待・虐殺を受けた。
多数のユダヤ人が出国してアメリカ等に移民した。
ユダヤ人に対する迫害を阻止するには、ロマノフ王朝を打倒しなければならないとする急進的な革命思想が広がった。
将来のパレスチナへの移住よりも、現在の体制からの解放が追求された。そのため、多くのユダヤ人が革命運動に参加するようになった。シオニズムより共産主義という選択である。
19世紀末から20世紀初めのイギリスの論壇で活躍したヒレア・ベロックは、作家、歴史家、社会評論家として知られる。ベロックは、1922年に出版した『ユダヤ人』で、ロシア革命を「ユダヤ革命(the Jewish revolution)」と表現した。ボルシェヴィキの幹部には、ユダヤ人が多かった。
レーニン(本名ウリヤーノフ)自身はユダヤ人ではなかったが、母方の祖母がユダヤ人だった。4分の1がユダヤ人というクォーターである。妻のクループスカヤは純粋なユダヤ人だった。それゆえ、レーニンはユダヤ人の民族集団に近く、ユダヤ人と非ユダヤ人を結合するのに適した背景を持っていたと言えよう。
ロシア革命で最も象徴的なユダヤ人は、10月革命を軍事的に成功させたトロツキー(本名ブロンシュタイン)である。
またそれ以外に、ジノヴィエフ、カーメネフ、ウリツキー、ラディックが有名であり、他にスベルドルフ、リトヴィーノフ、メシュコフスキー、ステクロフ、マルトフ、ダーセフ、スハノフ、ラジェヌキイ、ボグダノフ、ゴーレフらが挙げられる。ブハーリンについては、ユダヤ系だという説とそうではないという説がある。
ボルシェヴィキの幹部だけでなく一般党員においても、ユダヤ人は目立つ存在だった。党大会の代議員の15%から20%がユダヤ人だったといわれる。1920年の時点で、ソ連政府の各委員会は委員の約8割がユダヤ人だったという説もある。
ボルシェヴィキが政権を奪取すると、これを撃破しようとする白ロシア軍は、ボルシェヴィキだけでなく、全ユダヤ人を敵として取り扱った。ウクライナの内戦は、ユダヤ人の歴史で最も大規模なポグロムに発展し、6~7万人のユダヤ人が殺害された。東欧でもボルシェヴィキとユダヤ人は同一視され、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア等でユダヤ人迫害が行われた。
しかし、ロシアのユダヤ人が全員、共産主義者なのではなく、ボルシェヴィキに参加したユダヤ人は、脱ユダヤ教的なユダヤ人だった。ボルシェヴィキは、帝政ロシアで、ユダヤ教徒の目標と利益に積極的に敵対する唯一の政党だった。
最高指導者のレーニンは、ユダヤ民族主義・シオニズムを批判し、プロレタリア国際主義を推進した。
レーニンは「ユダヤ人の民族性という概念は、ユダヤ人プロレタリアートの利益に反する」「ユダヤ人の民族的文化というスローガンを提唱する者は、プロレタリアートの敵、ユダヤ人の古いカースト的地位の支持者、ラビとブルジョワジーの共犯者である」と批判した。
それゆえ、レーニンはユダヤ人のみの利益のために革命を起こしたのではない。あくまでプロレアリア国際主義の原則のもとに革命を起こした。
実際、一般のユダヤ人は、ボルシェヴィキのユダヤ人によって苦しめられた。彼らは革命によって被害を蒙った。
ケレンスキー臨時政府は、ユダヤ人に完全な投票権と市民権を与えた。その政権が続けば、ユダヤ人は多くのものを獲得できただろう。
だが、ユダヤ人にとって、デモクラシーを否定し、武力で政権を奪うボルシェヴィキのクーデタは、時計の針の逆回転となった。ユダヤ人の多数が粛清され、生き延びた人のうち約30万人は国境を越えて亡命した。
1919年8月にユダヤ人の宗教的共同体は解散させられた。
それらが持つ財産は没収され、大多数のシナゴーグは閉鎖された。脱ユダヤ教的なユダヤ人は、ユダヤ文化の特異性のすべての徴候を撲滅しようとした。ロシアにおけるシオニズムの根絶を図り、1920年以降ロシア人シオニストが何千人も強制収容所に送られた。
彼らのほとんどは、出所できなかった。ユダヤ人共産主義者が、ユダヤ人によるシオニズムを弾圧したのである。

ユダヤ批判が高まったのでロシア革命に対する支持を失わないためにレーニンは「泣いて馬謖を斬った」のでしょうか?
レーニンはグローバル支配完成というユダヤの大義のために目先ユダヤ人優遇を封印するだけではなく逆に少数ユダヤ人を冷遇して、いかにもユダヤのための革命ではないというプロパガンダに成功しました。
経済政治運営でレーニンが、「一歩前進2歩後退」ネップ戦略を発表したのに通じるものがあります。
共産圏だけでなく、米国であれどんな強大国・強力な国家統制体制を構築しても事実に基づかないプロパガンダは、いつかはメッキが剥がれ「地」が出てくる・・色あせる時期がきます。

異民族直接支配3(ロシア革命とユダヤ人1)

戦後圧倒的地位に躍り出た米国は、競争力抜群を背景に自由貿易推進政治に邁進します。
ソ連崩壊により、自由主義経済の勝利を確実にした段階で、WTO体制が構築されました。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/wto/gaiyo.htmlによれば以下の通りです。

WTO(世界貿易機関:World Trade Organization)は,ウルグアイ・ラウンド交渉の結果1994年に設立が合意され,1995年1月1日に設立された国際機関です。
WTO協定(WTO設立協定及びその附属協定) は,貿易に関連する様々な国際ルールを定めています。WTOはこうした協定の実施・運用を行うと同時に新たな貿易課題への取り組みを行い,多角的貿易体制の中核を担っています。
1 ガットからWTOへ
1930年代の不況後,世界経済のブロック化が進み各国が保護主義的貿易政策を設けたことが,第二次世界大戦の一因となったという反省から,1947年にガット(関税及び貿易に関する一般協定)が作成され,ガット体制が1948年に発足しました(日本は1955年に加入)。貿易における無差別原則(最恵国待遇,内国民待遇)等の基本的ルールを規定したガットは,多角的貿易体制の基礎を築き,貿易の自由化の促進を通じて日本経済を含む世界経済の成長に貢献してきました。
ガットは国際機関ではなく,暫定的な組織として運営されてきました。しかし,1986年に開始されたウルグアイ・ラウンド交渉において,貿易ルールの大幅な拡充が行われるとともに,これらを運営するため,より強固な基盤をもつ国際機関を設立する必要性が強く認識されるようになり,1994年のウルグアイ・ラウンド交渉の妥結の際にWTOの設立が合意されました。

日本の挑戦により米国一強の足元が揺らぎ始めてはいましたが、プラザ合意(1985年)により円高強制で日本押さえ込みに成功し・・・新たに台頭する予定の中国を米国主導の国際秩序に囲い込めば何とかなるという楽観論が占めていた頃に構築した国際体制構築でした。
しかしこのもくろみが外れたことが今の米中対決になった原因です。
国際市場が自由貿易時代に入るとシンガポール・香港規模の都市国家形態・中国の場合、いわゆる特区形態が国際競争には有利であって経済規模・国家を大きくするのはむしろ不利益になってきたように思われます。
バルト3国がソ連支配から解放されると(小規模人口國としての)「小規模の利益」を活用してさっさと先進国(OECD)の仲間入りしています。
ウイキペデイアによると以下の通りです。

バルト三国(バルトさんごく)は、バルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国を指し、北から順に、エストニア、ラトビア、リトアニアである。3か国ともに、北大西洋条約機構(NATO)・欧州連合(EU)および経済協力開発機構(OECD)の加盟国、通貨もユーロでシェンゲン協定加盟国である。

レーニンは第一次世界大戦で各地の共産主義者が結果的に愛国(民族)主義に変わったのを踏まえて、「民族主義を捨てろ」という基本方針で帝国主義論を書いたと言われています。
革命成功後も世界同時革命や出身民族の利害を捨てる精神教育・・コミンテルンなどに熱心で当初より現在盛んなグローバリストの総本山でした。
たまたまその危険性を感じた欧米が封じ込めに向かったので、後進国経済の集合体に終わったのですが、もしも世界同時革命=ロシア民族が世界征服に成功した場合コメコンの拡大版・精神世界では収容所列島?を想定すればゾッとする世界でした。
10日見た事例では根拠不明ですが・・ロシア革命はレーニンをはじめとするユダヤ系グローバリストが牛耳る政府だった(ユダヤ陰謀)成功例と最近言われるようになっている所以です。
ロシア革命とユダヤ人の関係については、以下に主張されています。

ユダヤ民族とその「不愉快な事実」 — 長谷川 良

ユダヤ民族とその「不愉快な事実」 — 長谷川 良 2014年04月19日 19:50
興味深い点は、ユダヤ民族はロシア革命にユダヤ人が関与したという事実を否定してきたことだ。ノーベル文学賞受賞者のソルジェニーツィンは「200年生きて」という歴史書の中でボリシュヴィキ革命におけるユダヤ人の役割について書いている(200年とは1795年から1995年の間)。
ソルジェニーツィン氏は「ユダヤ人は1917年革命の関与について否定し、『彼らは本当のユダヤ人ではなく、背教者(otshchepentsy)だった』と弁明する。ユダヤ人の主張を認めるなら、同じ論理でボリシュヴィキ革命を主導したロシア人は本当のロシア人ではなかったと主張できるはずだ」と書いている。
イエスを殺害したユダヤ民族は“メシア殺害民族”という追及から逃れるためロシアで革命を支援し、無神論社会を構築していった。そしてロシア革命への関与を追及されると、「彼らは決して本当のユダヤ人ではなく、ユダヤの背教者だった」(ソルジェニーツィン)と突っぱねてきたわけだ。

ロシア革命とその後の運営がユダヤ人主導の革命政府であったことを何故隠す必要があるかの素朴な?疑問が湧きます。

異民族直接支配→植民地支配でない?2

異民族直接支配→植民地支配でない?2

コメコンは域内分業の強制組織でしたが、これは体良くロシア支配の固定化を図るものでした。
ソ連支配圏内の域内分業とは自由主義諸国間で一般的なサプライチェーンの統制版ですが、ソ連解体→コメコン解体=ソ連による権力統制がなくなると、本来の競争力に基づくサプライチェーンと違う弱み・・ロシアから割高品を買わされていた国や地域は、国際相場で他国から買うようになり、国際相場より割安でロシアへの供給を強制されていた国や地域は販路を国際市場に求めるようになります。ソ連崩壊後ロシア共和国の旨みが消えて、ロシア共和国が急激なマイナス成長に落ち込んだ原因(私の個人意見)です。ソ連解体後のマイナス成長の結果についてはあちこちに記事が出ていますが、一例を挙げれば以下の通りです。https://www.jica.go.jp/jica-ri/IFIC_and_JBICI-Studies/jica-ri/publication/archives/jbic/report/review/pdf/28_07.pdf

第1章 はじめに
ロシア連邦:体制移行の現状と今後の課題*1国際審査部第2班能勢 学小田島 健
1991年12月のソ連解体以降、ロシアを取り巻く政治・経済環境は劇的に変化している。崩壊直後、急進的な経済改革が実施された結果、旧ソ連諸国と比べても大きく生産が落ち込み、ハイパーインフレーションや財政収支、経常収支の悪化に見舞われてマクロ経済は大きく不安定化した(図表1、2)。また1998年にはアジア通貨危機の余波を受けた結果、それまでのクローリングペッグ制が維持できなくなり、対ドルのルーブル為替レートが大幅に切り下げられ、短期国債の事実上のデフォルトが生じた(図表3)。この結果、1997年にプラス成長となった経済も再びマイナス成長に陥り、物価・為替の安定性も喪失された。
・・・豊富な天然資源を有する同国は、1999年以降油価上昇等の対外環境改善の恩恵を受けて目覚しい成長を遂げている。実質GDP成長率は4~10%と高成長で推移し、所得水準は崩壊直前の水準まで回復した(図表4)。

上記図表4を見るとソ連解体後中東欧諸国のGDPが一直線に近く上昇しているのに対してロシアの方は、2000年代に原油相場高騰によるまでマイナス成長でした。
ソ連邦解体直後の上記結果を見れば、約100もあるといわれる多数被支配民族を共産主義名下に一体市場化に成功したロシア民族がいかにうまい汁を吸っていたかが分かります。

現在用語でいえばグローバル論を展開した元祖レーニン主導でロシア革命が成功してソ連邦が成立したのですが、ロシア革命〜ソ連成立後のコミンフォルムとかコミンテルン・世界同時革命論等々一貫して今風にいえばグローバル化論の悪しき原型でした。 仮にソ連邦内で自由競争が行われているグローバル化であれば、中東欧やバルト三国の優秀な企業は鉄のカーテンで仕切ったソ連邦内を独占市場として席巻できたのでしょうが、強制割当制下では遅れた方に合わせられる不都合があったでしょう。

大手企業で不採算部門の損失穴埋めに成長部門が再投資資金を食われてしまい外部専業競合企業より不利になるのに似ています。 中国もこの段階に入ってきた・・・沿海部の収益を内陸部に回すしかない・規模の不利益に直面しています。

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