製造業の強靭性(レアアース禁輸対応力1)

この辺を読み違えたのが中国で、10年に反日暴動を煽るのと同時に日本企業の高度製品が中国のレアアースに90%以上も頼っていることに目をつけて事実上の禁輸しましたが、日本はその間備蓄在庫(内々中国リスクに備えて潤沢な在庫備蓄していた備えもあって)でしのぎながら、レアアース使用率大幅引き下げ技術開発に成功したので、レアアースは暴落して中国を苦しめる結果で終わったことは、耳目に新しいところです。
中国人は、日本人は環境変化対応能力が高いことを知らなかった・・中国では輸入技術で生産してきただけ?で自前で技術開発して経験がなくそういう方向に日本が努力し克服することが予想できなかったからでしょうか?
それと戦前と違い今の日本は世界中に友人を持っている点が大きな違いです。
欧米相手の満州事変以降の日本は孤立していたので、技術革新も孤立したまま(打開のための宿敵?ドイツとの和解・日独防共協定をするしかなくなったことを書いたことがあります。
ただし、中国で反日運動を仕掛て日本を世界孤立に導いていたのはドイツが主勢力でした・現在慰安婦騒動を仕掛けている黒幕は中国系人脈であり、中国マネーと言われているのと似ていました。
日本は反日勢力の中心であるドイツと手を組み、ドイツ蠢動を抑制して貰うしかないほど追い詰められていたし、ドイツとしてはアメリカの背後を脅かし欧州戦線への関与を当面薄める時間稼ぎだけの利害ですから、ビッグ技術で広告効果の大きい潜水艦Uボートの日本への回航作戦が知られている程度で、本気の地道な技術協力はなかったでしょう。
戦前は国際孤立・ABCD包囲ラインによって資源獲得で困ってしまい、(石油一滴血の一滴」という標語が生まれるほど石油を求めて東南アジアに進出・血路を開くしかなくなっていました。
これに対して今の日本は世界中に友人がいる時代です。
技術開発だけでは短期間に数%利用を減らすのさえ大変で、すぐに90%近い削減できないので、並行して世界中でレアアース開発が始まり、世界中が協力してくれたことが大きな成果でした。
最後には、中国の対日禁輸はWTO違反というお墨付きまでもらって完勝でした。
やはり正義(国際協調の必要性)は強いと実感した日本人が多かったのではないでしょうか?
https://www.sankei.com/premium/news/150515/prm1505150002-n1.html
2015.5.15 06:00

中国ついに“白旗” VS日欧米「レアアース兵糧戦」で自ら首を絞めた

2010年9月に尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖で起きた中国漁船衝突事件とその後の日中摩擦を受け、中国が制裁措置として事実上の対日輸出規制を行ったレアアース(希土類)。ハイブリッド車(HV)のモーターなどハイテク製品に欠かせない素材だが、日本は欧米とも共同歩調を取って追い込んだ結果、不当な措置をとり続けた中国は5月1日に最終的に白旗を掲げた。
世界の需要の90%以上を出荷していた中国は、制裁措置に音を上げた日本の経済界が政界に圧力をかけることをもくろんでいた。
同時に欧米市場向けも“売り惜しみ”で輸出を滞らせて値をつり上げるなど、姑息(こそく)ともいえる戦術に出た。
漁船衝突事件をきっかけに対中依存度を引き下げようと日本企業は、レアアースを使わない製品やレアアースのリサイクル技術を続々と開発した
。この結果、中国の対日レアアース輸出量は11年に前年比34%減となり、その後も大幅減少が続いている。
日本企業は「やればできる」ことを証明。オーストラリアなどからのレアアース供給も本格化し、中国産の需要は減っている。
疲弊する中国レアアース業界
こうした中で中国産レアアースの価格が数十%も下落した。
国内の過剰生産と過剰在庫がダブル、トリプルパンチとなって中国のレアアース業界は疲弊。中国紙、21世紀経済報道によると、輸出減少や価格下落などを背景に、中国のレアアースは14年、業界全体として初めて赤字に転落した。
18社の利益合計は11年以降、年ごとに減少。13年の合計利益はそれでも31億元(約605億円)だったが、14年は赤字転落したという。赤字幅は明らかにしていないが、14年の売上高合計は前年比21%減の260億元に止まった。

http://biz.searchina.net/id/1529816?page=1

レアアースの輸出停止で、最も損をしたのはわが国だ=中国 2014-04-15 06:57
レアアースは「産業のビタミン」とも呼ばれ、ハイブリッド車のエンジンや省エネ家電、スマートフォンなどには欠かせない材料だ。中国メディアの中研網は9日、「レアアースの輸出停止によってもっとも損をしたのは中国だと考えられている」と論じた。
「わが国はレアアースを軍事、外交の駆け引きに利用していたことは周知の事実だ」とし、2010年にレアアースの対日輸出を突然停止したことが、日本では代表的な「中国リスク」と認識されるようになったと論じた。

 2010年9月、東シナ海で発生した海上保安庁の巡視船と中国漁船との衝突事故をきっかけに、レアアースを外交の切り札にした中国は、日本への輸出を停止した。当時、レアアースの輸入の約9割を中国に依存していた日本の産業界は混乱に陥り、11年夏ごろまでレアアース不足は続き、価格は約20倍にまで跳ね上がった。
「わが国はレアアースを軍事、外交の駆け引きに利用していたことは周知の事実だ」とし、2010年にレアアースの対日輸出を突然停止したことが、日本では代表的な「中国リスク」と認識されるようになったと論じた。
しかし、レアアース価格の高騰によって、米国やカナダ、オーストラリアなどではレアアース鉱山の開発を促進し、日本では中国以外のレアアース調達先を開拓する動きが活発化した。さらにレアアースの使用量を削減する技術の開発や、都市でごみとして大量に廃棄される家電製品など、いわゆる「都市鉱山」から回収したレアアースの再利用も進んだことで、2012年には日本のレアアース輸入量は前年比でほぼ半減した。
「わが国が突然、レアアースの輸出を停止したことで国際社会の信用を失い、さらに輸出量が減少したことで中国国内のレアアース関連企業は大幅な減産や生産停止に追い込まれた」と論じ、業界内ではレアアース輸出停止によってもっとも損をした国は中国だと考えられていると報じた。(編集担当:村山健二)

日米製造業の違い6(変化対応力1)

中国進出の大手企業は中国の報復が怖いので黙っていますし、同じく中国特派員安全のためにか?・・大手メデイアはトランプ批判一色です。
しかし、例えば関税アップで自国産業保護しても意味がないとか、二国間貿易赤字だけをテーマにするのは間違いとかの批判は、部分部分ではその通りでしょうが、トランプ氏の求めているのは知財強奪をやめろという脅し(取引)に使っているのであって、目先の関税で特定企業を保護しようとしている訳ではない・支持者獲得のためにそのようなレトリックを使っているに過ぎないので、筋違いの批判です。
ウクライナ侵攻に対する対ロ経済制裁で見ればわかるように、制裁によって経済利益を得ようとしていないのに、欧米が損を被ると批判した場合、比較対象が違う事を無視していることが誰の目にも明らかでしょう。
揉め事というのはお互い損になるに決まっているが、かトイtyて相手が無茶をyても何事も穏便にいうばかりではのさばりすぎるので、いつかは「いい加減にしろ!という時期が必要です。
揉めることによってどちらの方にダメージが大きいかで勝敗が決まるので、経済制裁発動の場合、どちらの方が被害が大きいかを計算するのは大事ですが、関税アップや輸入規制すると、自国産業保護が損をするから愚策と批判するのは筋違いです。
大所高所から見るとトランプ氏の対中政策は今の所、サイレントマジョリテイー・・実際には先進国全体の支持をうけているように見えます。
話題が逸れましたが、日本の半導体製造措置の国際競争力・中国韓国の半導体製造装置輸入状況を紹介しておきます。
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/special/2018/1001/efa7580c25d588d6.html

半導体では落ち込んだ日本のデジタル関連財輸出だが、世界貿易においてプレゼンスを発揮している品目もある。代表例は半導体製造機器で、ここ10年、日本が世界最大の輸出国の地位にある。半導体製造機器同様に、産業用ロボットも輸出国として日本は首位を維持している。世界経済の回復に伴い企業が設備投資意欲を高めたこともあり、両品目とも近年の輸出は好調だ。日本のデジタル関連財輸出は2015年を底に増加に転じたが、半導体製造機器はデジタル関連財輸出の増加分のうち2016年は約7割、2017年も約3割分を担うなど、回復の原動力となっている(図2参照)。

ついでですが、18年には半導体装置では中国が輸入額で韓国を抜いたようです。
https://news.mynavi.jp/article/20181207-737115/によると以下の通りです。

日本半導体製造装置協会(SEAJ)ならびに国際半導体製造装置材料協会(SEMI)は、2018年第3四半期における半導体製造装置出荷額が前四半期比5%減、前年同期比11%増の158億ドルになったことを発表した。
地域・国別に見ると、中国市場が、前四半期比5%増、前年同期比106%増の39億8000万ドルとなり、同統計開始以来、初めてトップ国・地域となった。
以前からSEMIでは、2019年に中国が韓国を抜き、世界最大の半導体製造装置市場になるとの予測を述べてきたが、メモリ市場の軟化の影響を受けた韓国勢の勢いが鈍化したこともあり、若干早まった感がある。

BTOB部品輸出で見ておきます。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-07-19/-2025からの引用です。

増島雄樹(エコノミスト)

2018年7月19日 9:07 JST

【インサイト】中国製造2025、日本にとって脅威よりもチャンス

relates to 【インサイト】中国製造2025、日本にとって脅威よりもチャンス

以上によると消費財や加工品の輸出額自体は長期的に見てそれほど減っていないが、逆輸入が増えた分を部品等輸出増加で補っている印象です。
日本人の多くは「その場限りの仕事をすれば良い」という人が少なく、職に就くと天職と心得えて日本の職人気質というか日本人気質というか自分の仕事に打ち込む人が多いので、そこから次の時代に適合できる素質が育まれている人が多いように見えます。
幸田露伴作の「五重の塔」で描かれる人物像は、創作であり本当のことかどうか知りませんが、これが国民多くの感銘を受けるのは、その気質を尊ぶ国民性があるからです。
江戸時代に培った生真面目な職人気質が、次の明治時代の工業製品製造に能力発揮してすぐ応用できた・(低レベルで満足せずに時計でもレンズでもすぐに世界最高水準のものを作りだせた)のとおなじです。
職人気質尊重の総合力が日本の企業精神そのものとなり、何百年も続く(いろんな変化に柔軟対応できた)企業が多くなっているもとになっているとおもわれます。
石油危機では、ほぼ全量輸入の日本はもうダメだと騒がれたものの、省エネ技術確立で却って世界に先行しましたし、公害発生でも同じです。
基礎技術の蓄積が大きいので時代が変わったくらいでは、柔軟対応能力があるので壊滅的打撃をうけません。

社会変化=価値観・ルール変化1

社会の仕組みが変われば文化も変わります。
旧文化=価値観に染まったあるいは旧支配層から籠絡された清盛の息子重盛が清盛の新機軸に反発したものの夭逝した結果、旧支配層は内部浸透を諦めてカウンター勢力の源氏を盛り立てて再興させ平家打倒に成功しました。
源氏が勝って見ると旧勢力の期待した旧体制への復帰にならず却って武士の時代への流れが強まり、鎌倉幕府というはっきりした別組織まで出来上がってしまいました。
当時朝廷直属国軍皆無の時代でしたから、平家打倒には武士や僧兵の力が必須であったのですから、武士団や僧兵を朝廷の味方につける必要がありました。
後からかんがえると各地武士団の平家に対する不満は、武士代表であるべき平家一族が、貴族化・公達化してしまった・地下人の期待にそう行動をしなくなったことが反平家勢力盛り返しの基本であったと言われ、旧支配層から見れば平家一族の振る舞いが旧支配層のしきたり・文化を破り新秩序への移行をはらんでいることに対する危機感を基礎にして反平家機運を盛りたてていたのですから反平家の理由が相反していたことになります。
実力組織の一翼を担う僧兵は寺社権益代表ですから旧体制・公卿権益もさらに古層に位置する・・叡山の僧兵撃退に清盛の父忠盛が活躍して後白河院の覚えめでたくなっていく経緯があるように・・ものです。
宗教組織は、世俗の争いから一歩引いている・・直接当事者にならない関係で・・南都焼討や信長の叡山焼き討ちなどもあり、戦国末期には実力組織は完全消滅しましたが・・源平の争乱〜明治維新〜対米敗戦を経た今でも一定の教団を維持しています。
旧政治打倒に成功した場合の政権運営の特徴ですが、一般的には急進的改革を進めるの無理があるので一般的に新旧妥協政策が政権樹立後の運営方法になりますがせっかく革命的動乱に参加したものにとっては、これでは裏切り行為と思い不満です。
平家も「薩摩守忠度都落ち」で知られるように、旧支配層の文化秩序にも参加して和歌を詠み、旧文化に迎合しながらも、一歩一歩武士の地位向上に努力していたと見るべきでしょう。
政治というものは「言い分が100%通るものでないのが原則です」から、武士と貴族層は荘園支配の実利でずっと対立していたのですが、(この対立は実力でとったもの勝ち・中央の裁定ができなくなった戦国時代に入るまで続きます)対貴族の紛争裁定に不満な人はいつもいます。
不満な方・負けた方は貴族寄りだと不満を持つし、貴族の方も負けた時には武士に有利な裁定が多くなったという不満を持ちます。
これが武士層から見れば貴族におもねて貴族化した生活態度は鼻持ちならないとなるし、貴族からすれば「地下人の分際でけしからん」となるのでしょう。
特に八条院領が急速に広がった平安末期では、清盛でさえも後白河法皇の権勢には正面から歯向いにくかったので八条院関連では、武士層の主張が通り難くなっていた不満が蓄積していた可能性があります。
八条院に関するウイキペデイアの本日現在の記述です。

暲子内親王(しょうし/あきこないしんのう、保延3年4月8日(1137年4月29日) – 建暦元年6月26日(1211年8月6日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての皇族。初めて后位を経ずに女院となり、八条院(はちじょういん)と号した[1]
・・・彼女自身には特別な政治力は無かったとする説もある[4]。その後も異母兄である後白河法皇の院政を影から支えており、平清盛でさえも彼女の動向を無視することは出来なかった。
八条院の政治閨閥?関係は以下の通りです。

後白河院の異腹の妹・八条院翮子(あきこ)内親王は、美福門院を母として鳥羽天皇の第五皇女として生まれた。彼女は夭折した近衛天皇の後継女帝にとも考えられたほど鳥羽法皇から寵愛され、両親亡き後は二人が残した広大な荘園と近臣の大半を相続し、時の政権から一定の距離を置きながらも、摂関家・源氏・平氏の何れもが無視できない独自の存在感を発揮した。

八条院の経済力は「八条院」に関するウイキペデイアによると以下の通りで、平安時代どころか、後醍醐天皇〜南北朝時代までの政治活動の屋台骨となっていたことがわかります。
政治といっても経済基盤がないと何も出来ません。
上記引用の続きです

・・所領は八条院→春華門院昇子内親王→順徳天皇→後高倉院→安嘉門院→亀山院→後宇多院→昭慶門院憙子内親王→後醍醐天皇に伝わり大覚寺統の主要な経済基盤となった。

源平合戦は革命直後で言えば、革命精神そのままの実現を求めて不満を持つ勢力と反革命・王党派の合体した革命政権打倒運動であり、今で言えば、左右両極支持による現政権打倒運動であったことになります。
新政権打倒に成功して具体的政治に踏み出すと元々の方向性が違うので、文字通り血を血で洗う抗争となる(クロムウエル独裁やジャコバン恐怖政治〜ロシア革命後の抗争など)のが普通です。
日本では新政権発足後の血なまぐさい抗争は起きませんが、それでも民主党政権は方向性の違う集団であったことが(野合と言われ)政権の寿命を縮めました。
朝廷は平家打倒を画策したものの鎌倉府成立により、朝廷権威は逆に低下しましたが、文化による影響力行使・・内部籠絡・・貴族社会価値観浸透を試みたのが、(平家を公達化して骨抜きにしたように)三代実朝の文化的籠絡・取り込みであり、これを拒絶したのが尼将軍政子の(我が子を殺してでもせっかく獲得した武家政権を守ろうとした)英断でしょう。
実朝暗殺は1219年ですから、鎌倉幕府成立後わずか20年あまりのことです。
内部浸透戦略に失敗した朝廷側は、そのわずか2年後の1221年外部から反鎌倉不平武士団を組織して「承久の変」を起こしますが、これは清盛政権を内部から切り崩す重盛籠絡作戦失敗後のカウンター勢力を煽る焼き直しだったことになります。
承久の変(1221年)では、カウンター勢力の棟梁(スター)がいないので二度目の反革命が失敗し、蒙古襲来後の三度目の正直では、(蒙古襲来で活躍した武士の広範な不満を背景にしていた結果騒乱が大きくなり)再び源氏の貴種足利氏担ぎ出しに成功したので、建武の新政となりましたが、政権が始まってみると不満武士に応えることができず、時代錯誤性・貴族有利裁定(広大な八条院領はなお存続していて後醍醐天皇の財政基盤になっていたなど)が命とりで、結局短期間で崩壊しました。
ちなみに「観応の擾乱」の主役・直義の政治も、どちらかというと武士に不利な裁定が多かった(教養が邪魔して?思想が古かったようです)ので短命に終わりました。
応仁の乱以降足利将軍家自体衰微すると、公卿経営荘園の管理料納付争いなど裁く機関すらなくなり、足腰になる公卿の収入源が途絶えると天皇家の収入もなくなります。

継続契約保障と社会変化4(離婚法制の変化・破綻主義へ)

継続的契約関係ではDecember 9, 2017の「継続契約保障と社会変化3(借地借家法立法3)」で書いた続きになります。継続関係解消で似たような事例では、偕老同穴の誓い・共白髪の末まで・・と契ったはずの夫婦関係も何かの事情変化でわかれる(離婚)しかない事態が起きます。
この場合も戦前の旧法では、法律上は相手に契約不履行・・不貞行為等の違反・落ち度がないと離婚を求める権利がありませんでしたが、戦後は破綻主義といって、破綻している以上無理にこれを維持させるのは意味がないし逆に害悪があるということで離婚できるようになりました。

民法旧規定
第二款 裁判上ノ離婚
第八百十三条 夫婦ノ一方ハ左ノ場合ニ限リ離婚ノ訴ヲ提起スルコトヲ得
一 配偶者カ重婚ヲ為シタルトキ
二 妻カ姦通ヲ為シタルトキ
三 夫カ姦通罪ニ因リテ刑ニ処セラレタルトキ
四 配偶者カ偽造、賄賂、猥褻、窃盗、強盗、詐欺取財、受寄財物費消、贓物ニ関スル罪若クハ刑法第百七十五条第二百六十条ニ掲ケタル罪ニ因リテ軽罪以上ノ刑ニ処セラレ又ハ其他ノ罪ニ因リテ重禁錮三年以上ノ刑ニ処セラレタルトキ
五 配偶者ヨリ同居ニ堪ヘサル虐待又ハ重大ナル侮辱ヲ受ケタルトキ
六 配偶者ヨリ悪意ヲ以テ遺棄セラレタルトキ
七 配偶者ノ直系尊属ヨリ虐待又ハ重大ナル侮辱ヲ受ケタルトキ
八 配偶者カ自己ノ直系尊属ニ対シテ虐待ヲ為シ又ハ之ニ重大ナル侮辱ヲ加ヘタルトキ
九 配偶者ノ生死カ三年以上分明ナラサルトキ
十 壻養子縁組ノ場合ニ於テ離縁アリタルトキ又ハ養子カ家女ト婚姻ヲ為シタル場合ニ於テ離縁若クハ縁組ノ取消アリタルトキ
第八百十四条 前条第一号乃至第四号ノ場合ニ於テ夫婦ノ一方カ他ノ一方ノ行為ニ同意シタルトキハ離婚ノ訴ヲ提起スルコトヲ得ス
2 前条第一号乃至第七号ノ場合ニ於テ夫婦ノ一方カ他ノ一方又ハ其直系尊属ノ行為ヲ宥恕シタルトキ亦同シ

上記の通り相手方になんらかの原因がないと離婚の訴えが認めれない仕組みでした。
民法現行規定

(裁判上の離婚)
第770条 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
一 配偶者に不貞な行為があったとき。
二 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
三 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき。
四 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
五 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
《改正》平16法147
2 裁判所は、前項第1号から第4号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。

上記「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」がこれ(破綻主義採用)にあたるという解釈が定着しています。
第二項の「一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。」場合とは、離婚に至った事情を総合し、離婚請求される方の生活保障等のバランスを考慮することになっています。
破綻主義と言っても当初は有責配偶者(例えば浮気している方)から、自分の浮気や暴力が原因で「夫婦関係が破綻した」という理由の離婚請求を認めない・・いくら高額慰謝料・終身の生活保障をすると言っても)妻が「懲らしめや復讐のために?」拒否すると離婚が認められない解釈でした。
この間の研究については以下の論文がネットに出ています。
ただし、論文発表時期明示がないのですが、かなり古い時期の分しか引用されていないので、現在の参考にならないかも知れませんが、問題点が十分に掘り下げられていますので深く知りたい方は、以下を参照してください。
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181112095822.pdf?id=ART0001408704

いわゆる制限づき破綻主義の判例法理について(その1)梅木茂
1聞題の所在
2 有 責配偶者の離 婚請求拒否法理 の背景
3.判例の動向 な らびに考察
「法 は かくの如き不徳義勝 手気儘 を許すもので は ない.道徳 を守 り,不 徳義 を許 さない ことが法の最重要 な職分である.総て法はこ の趣旨にお いて解 釈されな け れ ば な らない、・・・前記 民法の規定は相手方に有責行為のあることを要件とするもの でないことは認 め る け れ ど も,さりと て前記の様な不徳義 得手勝手の請求を許すものではない.(最高裁 昭和27.2.19判決最高民集6.2.110)

借地借家法成立前には、相場の数倍の立ち退き料支払いを申し出ても借地人が拒否すればどうしょうもなかったし・・労働契約解約のために契約上の退職金の数倍の上乗せ支払いを申し出ても労働者が応じなければそれまでだったのと「軌を一」にしていました。
その後(昭和62年)破綻後一定期間経過と子の養育や相手方の生活保障等のセットで有責配偶者からの請求でも離婚が認められる最高裁判例(いわゆる破綻主義)が出て、これが定着しています。
離婚を認めるかどうかは離婚後の相手方や子供の生活がどうなるかの問題であるという実態を直視してその面の判断が重視されるようになってきたのです。
こういう判例が出る前から庶民の世界・・現場労働系低所得階層・特に職を転々とする傾向のある男相手の場合には、相手が浮気でいなくなったのであろうと理由が何であろうと、慰謝料を1円も払わないからと離婚しないと頑張っていてもどうなるものでもありません。
こういう場合には早く離婚して母子手当て・母子優先のいろんな制度(公営住宅の優先入居その他)利用をして生活の安定を図り、場合によっては次の男と再婚した方が有利なので、どんどん別れていくのが私が弁護士を始めた昭和40年代でも普通でした。
仮に相手の居所がわかってもあちこちフラフラ職の定まらない(こういう場合生活費も入れない男が普通)男相手に「慰謝料を払わない」から「払え」と裁判しているよりは早く別れて社会保障手続きする方が簡明ですし、次の相手と再婚する方が手っ取り早いからです。
たまたま夫が行方不明で離婚届けを出せない場合に、(再婚前に次の子供ができると大変なことになるので)はやく離婚するために弁護士費用を払ってでも法的手続きするのが普通でした。
長々とした裁判になる事件の多くは、相手が高額収入・・安定職業に就いている場合で話の通じない・ほどほどのところで手を打つ能力のない・・同士の争いが普通でした。
最近家事事件が多くなっているのは、男も子育て参加の掛け声によって男性も子供に対する愛着が 強くなってきた結果、親権者や子供との面会にこだわる人が増えたことによります。

マッカーサーの変化(天皇・マッカーサー会談の効果?)

January 15, 2018,「GHQ(内部対立)+本国政府+極東委員会3」まで書いてきたあと憲法の自衛権論のテーマに逸れていましたので、GHQ・マッカーサーと極東委員会の対立に戻ります。
GHQが日本憲法改正作業に本国/極東委員会の介入を嫌がった理由は何でしょうか?
マッカーサーが天皇との会見後急速に天皇に親近感を抱くようになったことが知られていますが、そのことと関係があるのでしょうか?
http://www.seisaku-center.net/node/122による会見の模様です。
結論は誰でも知っている事ですから、詳細経緯に関心のある方が多いでしょうから、この際、煩を顧みずに大方を引用紹介します。

天皇にお供したのは、石渡荘太郎宮内大臣、藤田尚徳侍従長、筧素彦行幸主務官、通訳の奥村勝蔵外務省参事官など六名。が、会見に同席したのは奥村参事官のみだった。
会見後、奥村は会見の内容についてのメモを作成した。それは、外務省から藤田侍従長のもとへ届けられ、侍従長から天皇へ手渡された。
通常であれば、その種の文書は侍従長の元に戻されるが、そのメモは戻されなかった。会見の内容は公表しないというマッカーサーとの約束を守るための措置だったと思われる。
日本人が会見の内容を初めて知り、深い感動に包まれるのは、それから十年後のことだ。すなわち、「天皇陛下を賛えるマ元帥――新日本産みの親、御自身の運命問題とせず」という読売新聞(昭和三十年九月十四日)に載った寄稿が最初の機会となる。執筆者は、訪米から帰国したばかりの重光葵外務大臣であった。
重光外相は、安保条約改定に向けてダレス国務長官と会談するために訪米したのであるが、この時マッカーサーを訪ね、約一時間会談した。先の外相の寄稿は、その際のマッカーサーの発言を紹介したものだ。
次に、その寄稿の一部を紹介したい。重光によれば、マッカーサーは、「私は陛下にお出会いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は天皇陛下なりと断言するに憚らないのである」と述べた後、陛下との初の会見に言及。「どんな態度で、陛下が私に会われるかと好奇心をもってお出会いしました。しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました」として、次のような天皇のご発言を紹介したというのである。
「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」
そしてマッカーサーは、このご発言に関する感想をこう述べたという。
「私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした」
この天皇のご発言を知らされた重光外相は、次の感想を記している。
「この歴史的事実は陛下御自身はもちろん宮中からも今日まで少しももらされたことはなかった。それがちょうど十年経った今日当時の敵将占領軍司令官自身の口から語られたのである。私は何というすばらしいことであるかと思った」
扶桑社の歴史教科書が引用している『マッカーサー回想記』が出版されたのは、それから九年後の昭和三十九年のことである。
GHQ側の「証言」
ところで、会見のお供の一人の筧氏は、重光外相の寄稿を読んだ感想を、「十年来の疑問が一瞬に氷解した」と記している。氏の「疑問」とは、会見の前後でのマッカーサーの態度の急激な変化である。会見の時間はわずか三十七分であった。が、「先刻までは傲然とふん反りかえっているように見えた元帥が、まるで侍従長のような、鞠躬如として、とでも申したいように敬虔な態度で、陛下のやや斜めうしろと覚しき位置で現れた」という。会見前後の場の雰囲気を知る当事者として、筧氏は「あの陛下の御言葉を抜きにしては、当初傲然とふんぞり返っていたマッカーサー元帥が、僅か三十数分のあと、あれ程柔和に、敬虔な態度になったことの説明がつかない」(『今上陛下と母宮貞明皇后』)と証言している。これは、マッカーサーが伝えた天皇のご発言を裏付けるいわば状況証拠といえよう。
例えば会見の時に大使公邸にいたマッカーサーの幕僚の証言だ。軍事秘書のボナ・フェラーズ准将は、会見が行われた九月二十七日に自分の家族に宛てた私信で、天皇が帰られた直後にマッカーサーから聞いた話として、こう伝えているという。
「マッカーサーは感激しつつこういった。『……天皇は、困惑した様子だったが、言葉を選んでしっかりと話をした』。『天皇は処刑を恐れているのですよ』と私がいうと、マッカーサーは答えた。『そうだな。彼は覚悟ができている。首が飛んでも仕方がないと考えているようだ』」(升味準之助『昭和天皇とその時代』)
また、会見から一カ月後の十月二十七日、ジョージ・アチソン政治顧問代理は国務省宛てに、マッカーサーから聞いた天皇のご発言について次のように打電した。
「天皇は握手が終ると、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、東条のトリックにかけられたからである。しかし、それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない。天皇は、日本国民の指導者として、臣民のとったあらゆる行動に責任を持つつもりだと述べた」
この文書を最初にアメリカ国立公文書館で発見した秦郁彦氏は、「決め手と言ってよい文書」「天皇が全戦争責任を負うつもりであったのは明らかである」と指摘する。また氏は、次のような根拠も挙げている。
「このことは、八月二十九日天皇が木戸内大臣に、『戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて、退位でもして納める訳には行かないだろうか』(木戸日記)と語ったところや、九月十二日東久邇宮首相が、連合国の追及に先立って、戦争犯罪人を日本側で自主的に処罰する方針を奏上すると、即座に反対して撤回させた事実と首尾一貫してくる」(『裕仁天皇五つの決断』)なお、「東条のトリック云々」のご発言にひっかかる向きがあるかもしれないが、秦氏はこう解釈する。
「天皇がこだわったのもむりはない。東郷外相ですら無通告攻撃に傾いていたのを『事前通告は必ずやるように』と厳命したにもかかわらず、奥村在米大使館書記官のタイプミスで結果的に通告がおくれてしまったのだから、痛恨の思いは誰よりも深かったであろう。
しかも、この時点では天皇は真相を知らされていなかったので、東条に欺かれたと信じこんでいたのが、言い訳めいた言動になったと思われる」(『文藝春秋』平成16年1月号)

国家国民を救った捨て身の御精神
ところで、この歴史的会見の意義を、例えば高橋紘氏は、「『知日派』の総帥は、いまやマッカーサーであった」との象徴的な言葉で評している。どういうことかといえば、当時のマッカーサーには軍事秘書として、日本文化に造詣が深かったボナ・フェラーズ准将、副官には歌舞伎役者の口真似までできる日本通のフォービアン・バワーズなどの知日派軍人が仕えていた。だが九月二十七日を機に、マッカーサーが突如として知日派米国人の最たる存在になったということだ。そして、このことは、その後の占領政策にきわめて重要な影響を及ぼすことになるのである。
当時、天皇制をめぐって米国務省内では議論が続いており、昭和二十年十月二十二日のSWNCC(国務・陸・海軍三省調整委員会)の会議では、マッカーサーに対し、天皇に戦争責任があるかどうか証拠を収集せよ、との電報を打つことが承認された。これに対してマッカーサーは翌二十一年一月二十五日、アイゼンハワー陸軍参謀総長に対し、次のような回答の手紙を送ったという。
「過去一〇年間、天皇は日本の政治決断に大きく関与した明白な証拠となるものはなかった。天皇は日本国民を統合する象徴である。天皇制を破壊すれば日本も崩壊する。……(もし天皇を裁けば)行政は停止し、ゲリラ戦が各地で起こり共産主義の組織的活動が生まれる。これには一〇〇万人の軍隊と数十万人の行政官と戦時補給体制が必要である」(高橋紘『象徴天皇』)
この手紙を高橋氏は、「天皇の終戦直後の働き」の「結実」とみなしている。つまり、天皇との会見などを通してマッカーサーが抱くに至った天皇へのプラスの認識が、先のマッカーサーの判断をもたらしたというのである。これによって天皇は戦争犯罪人としての不当な訴追を免れ、戦後も天皇制が――象徴という不本意な形にしろ――維持されることになったといえる。そのことが戦後の日本の復興と安定に寄与した意義は計り知れず大きい。

天皇制は、天皇自身の人柄・国民を思うお心が日本民族ひいては天皇制を崖っぷちで守ったことになるのでしょうか?

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC