構造変化と格差4

明治維新以降の格差発生・構造転換出来た人と出来なかった人の歴史をちょっとさかのぼってみましょう。
明治維新で近代工業化に舵を切った我が国では、近代化の時流に乗れた人は何十倍もの高収入になって行く(三菱その他いくつもの財閥がうまれた)のですが、従来通りの農業をしているだけでは収入が増えませんし、新規産業従事者でも経営者になって行く人と工員や店員で終わる人の差が出てきますが、それでも新産業従事者の方がその恩恵を受けて羽振りが良くなります。
この時点で第一次の格差が開いて行きました。
生糸や木綿の輸出を学校で習うので昔からの産業のように誤解しますが、江戸時代中期までは木綿は輸入品でしたし、生糸は明治になるまで輸入品でした・・これを明治になって輸出品に仕上げたので、これの元締めには莫大な利益が転がり込みました。
北海道には鰊御殿もあるし、紡績工場があちこちに出来たこともご存知の通りです。
いろんな分野で構造転換が進んだ時代ですが、実際には江戸時代からそのままの人の方が多かったでしょう。
戦後の高度成長期では全国的に近代産業化が進んだのですが、いわゆる過疎地とは高度成長の波に乗れずその地域の産業=農漁業・・あるいは生糸のように農漁業に基礎をおく産業が廃れて行く時代・・・空洞化して来たのに、代わりになる産業・主として鉱工業が育たなかった地域の別名です。
すなわち従来型の農漁業でやって行けなくなった以上は、有機農業等高品質化に農業自体の変質を図るか、近代工業へ産業構造を転換するべきだったのですが、地域全体の構造転換に失敗した地域を一般に過疎化・過疎地と呼んでいたのです。
04/14/04「戦後の農業政策1(自作農創設特別措置法と土地改良法1)」以下で連載していますが、農業の構造改革の方向としてはアメリカ式に大規模化しても到底アメリカやオーストラリアには叶わないので、大規模化による政府農政の対応は間違っていると(高品質化しかない)いうのが私の持論です。
ましてやグローバル化で、日本の何十分の1という低賃金国との競争になれば、大規模化による僅かなコスト削減ではとても競争になりません。
高品質の牛肉・豚肉・やサクランボや果物、米等の輸出で稼ぐしかない筈です。
後に書いて行きますが、ギリシャや南欧諸国と違い日本列島各地を別の国としない・同じ国内扱いですから、人口移動が容易です。
産業構造の転換が遅れた地域にいるとそのまま一緒に江戸時代のままの低い生活水準でいるしかないので国内地域間自由競争の結果、より良い生活を求めて他地域へ逃げ出して行くので、逃げられた方が過疎化して行くのであって、元々過疎地があったのではありません。
元々人が全く住まない原生林や山地も多くありますが、そこを過疎地とは言いません。
過疎地とは明治〜太平洋戦争までは一定の産業・・農漁業とその類縁の仕事で生活出来ていた地域であったが、戦後近代工業化への構造転換の遅れた地域から人が逃げ出す状態・逃げてしまった地域を日本的に表現したものです。
構造転換に成功した地域と転換が進まなかった地域を国際的に見れば、先進国(産業革命に成功した国)と後進国の関係であり、異国間では自由に移動出来ないし、日本の過疎地のように中央からの補助金もないので一方は貧しいままに取り残されて来たことになります。

 構造改革と格差社会2

鉱工業生産の大きい社会・・グローバル化前の近代産業中心の先進国では、流れ作業に象徴されるように中間層や末端労働者の職場が多くなって、彼らの職場が確保され貧富の格差が縮小するだけではなく、ひいては庶民が大事にされる結果民主主義が成熟し、社会が安定して行きました。
民主化の進行度や格差の少ない社会が先進国の資格要件というよりは、海外輸出国・・国内需要分以上の生産が可能で底辺労働者や中間層の仕事が多くなり、底辺層が豊かになった近代工業社会化完成(超過生産・輸出で成り立っているのですから行き過ぎ?)の結果に過ぎないと言えるでしょう。
農業社会の時代には、自営農民の多い社会は安定していたと言われているのと同じです。
グローバル化の結果、賃金コストの関係で先進国では押し並べて単純労働・大量生産職場が縮小して行くので、膨大な中間層や流れ作業に象徴される末端労働者需要が減少していくしかありません。
単純作業を減らさないようにするには、新興国と同レベルまでの低賃金化しかないでしょうが、同レベルまでの賃下げが不可能であるとすれば単純作業分野の生産は新興国に移管して行くしかありません。
国内総生産や貿易収支は別の高度化産業の育成で穴埋め出来ますが、これに対応出来る高度レベルの人材は多くありません。
アップルのジョブスやマイケルジャクソンなど、同等の人材が少ないから希少価値があるのであって、いくらでもいる人材ではあり得ません。
高度化社会とは、いくらでもいる平凡な人材の労働需要が縮小して行く社会とになります。
失われた単純労働職場の受け皿・失業対策としての公共工事の拡大の外にサービス業や介護など福祉現場への転換が急がれているのですが、これらの職種でいくら働いても外貨を稼げないので、産業高度化による貿易収支の穴埋めを出来る国でない限り、内需拡大ばかり続けるといつかは財政破綻してしまいます。
何回もたとえ話として出していますが、一家で夫婦が働いていたときに奥さんが失業してヒマになった場合、別の店で働けば(職種転換)収入が一定ですが、職種転換する能力がないからと言って、家の掃除をしたりおばあちゃんを病院へ送り迎えしても失われた奥さんの給与収入が補填出来る訳ではありません。
国民が福祉や道路掃除や公園整備で忙しく働いていても、外貨収入が減った分を稼げるどころか余計お金を使うだけです。(国民が退屈しないだけでしょう)
こうした繰り返しの結果が出たのが、夕張市の破綻でありギリシャ問題です。
戦後「ゆりかごから墓場まで」という標語で有名だった(私の子供の頃にはうらやましい制度だと紹介されていた記憶です)イギリスの高福祉社会もこうした経過・・イギリスの対外競争力低下の穴埋めとして出来た制度だったのでしょう。
イギリスは、ドイツやアメリカに追い上げられたときに日本同様に技術の高度化に活路を求め、その結果ロールスロイスなどが産まれたのでしょうが、それだけでは世界の工業国だったときの多くの単純労働者を養えません。
この再編の過程で、内需に頼るしかない・・行き着くところは福祉産業しかないまま来たので、現在連載中のポンド下落の連続となってしまったのです。
アメリカも借金規模が大きくて分り難いだけであって双子の赤字(国際収支と財政赤字)が続いていることは同じですから、2008年のリーマンショックが起きたのですが、まだこの原因(借金生活)を解決出来た訳でありません。
むしろ財政出動(新たな赤字追加)で誤摩化しただけですから、いつかはその帳尻合わせが起きるであろうことは当然予想しておくべきです。
国全体の経営問題とは別にこの機会に産業構造転換と格差問題に触れておきます。
格差問題はオキュパイウオールデモに関連して少し書き始めていましたが、横にそれている状態ですので、ここで少し書いた後に近いうちに元に戻る予定です。
工場労働縮小の受け皿としてマスコミ推奨のサービス業の拡大や介護等の職場は、従来型底辺労働の変形であって、高賃金化対応の職場ではありません。
(サービス業の中でもバー、飲み屋ラーメン屋などの飲食業や美容・理容等は、どちらかと言えば昔から底辺労働者向けでしたし、洋服屋、靴屋等の店員も同じでしょう)
サービス・介護福祉等分野で正規雇用されたとしても、基本が低賃金職種ですから、大量生産型産業の空洞化の後を穴埋めして来た高度化産業従事者に変身・適応出来た労働者(大学院進学等それなりのコストを掛けているのが普通です)との賃金格差が開いて行くのは当然です。
(グローバル化以降の先進国は近代工業化社会で輩出した中間層の多くが上下階層に再分裂して行く社会です)

構造変化と格差拡大1

国際収支表については何回か表のコピーを紹介していますので、今回はGDPの推移をwww.google.co.jp/publicdataのデータから一部紹介しておきましょう。
上記のデータによれば1990年の日本の国内総生産は447兆3699億円で、1998年489兆8207億円、2009年は560兆6580億円に伸びています。
これが2008年のリーマンショックによる落ち込みを挽回出来ずに2010年は539兆8807億円に下がっている状態ですから、1990年からリーマンショック前の2007年までの18年間で1.25倍=25%の増加をしていることになります。
電気その他重厚長大型産業の多くが白物家電の海外展開に象徴されるように海外進出し続けている・・従来型国内生産が縮小している中において、GDPが落ち込むどころかジリジリと増加していたということは、多様な分野で大幅な産業構造の転換・・高度化が進んでいる・・成功していたことが明らかです。
まして、団塊世代の退職が始まり、労働力減少しつつあることを考えれば、なおさら効率よく稼いでいることが窺われます。
単純作業中心の組み立て産業が出て行った穴埋めに、これに代わる収入源・・高度な産業が育っていたことになります。
我が国においては、底辺労働向けの大量生産型産業が海外に出て行った後にも国内総生産が減るどころか少しづつ増えていて、貿易収支の黒字はバブル崩壊前同様に維持し続けていたし、その間に海外進出が進んだので海外生産分・・海外利益分だけ所得収支の黒字が増え続けていたことになります。
これが国際収支表の中の所得収支の増加になって現れていて、リーマンショック直前には年間12〜13兆円規模になっていて貿易収支の黒字(年間10兆円前後)を追い越すまでになっていました。
この辺の数字は07年5月26日の2のコラムで国際収支表自体をコピーして紹介してありますので参照して下さい。
上記国内総生産の推移に関するデータによると(何故かうまくコピー出来ないので上記のように抜粋しました)日本はグローバル化によって出て行ってしまった国内生産分を穴埋めするための別の産業の創出・・産業高度化への転換に見事成功していたことになります。
高度化転換出来た分野の従事者はバブル崩壊前よりも高収入を得ていて、他方で生産縮小による収入減の人もいて結果的に日本全体で25%の上昇であったことになります
産業構造が高度化転換(各種製品の最終組み立て工程を新興国に移管し、その製品に組み込む各種部品の高度化や研究者やソフト関連の発達でしょう)に成功しても、最後の組み立て作業的現場単純労働向け産業が減って来ると、高度化産業に必要な人材に転進出来る人は限られていて、転進出来ない人材が増えてきます。
現在国内に残っている各種生産現場でも最終組み立て工程は、パートや派遣・期間工など非熟練工中心になっています。
最終組み立て工程分野の多くが海外に出てしまい、この分野ではここ20年間毎年のように労働需要が減少し続けています。
人口構成は一般的にピラミッド型ですから、どこの国でも裾野・・中間・末端労働者人口の方が多いのが普通ですが、この分野中心(ホワイトカラー層も減っていますが)に需要減が起きたのがこの20年間我が国の抱える大きな問題でしたし、これからも問題であり続けることになります。

社会構造変化と非正規雇傭の増加2

非正規労働者の増加原因の分析については、製造業等のオートメ化・電子化等の合理化による雇用減少や産業の海外移転による労働者の受け皿削減分がどのくらいで=本来新たな受け皿がなければ職からあぶれるべき人の受け皿になった分がどのくらいあったかを数字で明らかに出来る筈です。
内訳を明らかにした上で論じないと、ムード的なスケープゴート探しの主張に過ぎず説得力がありません。
非正規が増えたので正規職員が減ったのではなく、正規職場の減った分に近い非正規の受け皿を何とか用意出来たので、わが国では欧米のように失業率(欧米では10%前後が普通です)が上昇しないで済んでいると言えます。
ちなみにギリシャの失業率を見ると、調査機関ELSTATによると今年の第2・四半期で16、%の失業率と言われ、15─29歳の若年層で、失業率は32.9%だった報じられています。
ちなみに、平成バブル崩壊後増えた職場は殆どが内需振興型・・公共工事や医療・福祉関連等のサービス業・・一種の失業対策事業であって、対外的収入を獲得出来るものではないので、これは膨大な貿易黒字の蓄積があってこそ可能になったものです。
ちなみに、製造業や公共工事が駄目なら医療・福祉へシフトすべきだ・・その分野ではまだまだ人手が足りないという主張が多いのですが、一家の働き手が失業して遊んでいるならば家の掃除やお婆さんの病院への送り迎えや介護を手伝うべきだというのと同じで、一家(国家)の総収入が減ったままであることは同じです。
本来収入減に合わせて支出を抑えるのが本則ですが、景気対策としてこの逆ばりで内需拡大・・支出を増やす政策を世界中でとってきました。
この方面へのシフトは必然的に一家・国家の貯蓄食いつぶし・・フロー収支で見れば赤字政策ですから、このシフトが始まった平成のバブル崩壊以降財政赤字の拡大・・年金や医療保険の赤字が始まったのは当然です。
(年金や保険の赤字原因は、少子高齢化だけの問題ではありません)
・・ですから、対外純債権(日本国の対外貯蓄)のあるうちにこの余剰人員・失業者を減少させて労働市場の需給を均衡させてしまう必要・・・・人口減少政策を促進すべきと言うのが年来の私の意見です。
純債務国になってもまだ過剰労働力を抱えてままで失業対策的内需拡大=赤字政策を続けていると、アメリカやギリシャの二の舞になってしまうでしょう。
世界の工場として輸出していた時期に需給が均衡していた労働力は海外輸出の減少・・貿易収支の均衡化=国内需要分を越える生産力不要化に合わせて労働力過剰が生じますから、これに合わせて労働力を減少させて行かないと失業者が溢れてしまいます。
急激な労働需要の縮小に対応する人口減は(30年以上かかるので)直ぐには間に合わないのでその間の緩和策として内需振興・失業対策事業があるのですから、対外純債権国である間は貯蓄を使ってやって行けるとしてもいつまでも続けていて、その内貯蓄(対外純債権)を食いつぶしてしまうと大変なことになります。
対外純債権・貯蓄のあるうちに早期に財政赤字政策を打ち切るためには一刻も早く過剰労働力解消・・人口減を急ぐしかありません。
国際競争に不適合を起こしていた農村人口は幸い、高度成長期の余録をつぎ込んでいるうちに何とか人口縮小に成功しました。
今後は、対外純債権国であるうちに下層単純労働人口の縮小に成功出来るかが、我が国の将来を決めることになります。
この種の意見は、February 1, 2011「非正規雇用と高齢者雇用」その他で繰り返し書いてきました。

社会構造変化と非正規雇傭の増加1

パート出現のときには、人手不足時代であったために正社員もパートも双方とも増えたので社会問題にならなかったのですが、派遣制度が始まった頃にはグローバル化進展によって、海外進出→逆輸入の進展などで、日本国内生産の停滞縮小時期に重なるのでこの間正規社員が平行して減っていきました。
(あるいは、後期のとおり、正規社員を減らさないと国際競争上やって行けなくなって国内雇用を守るために非正規雇用制度が産まれたとも言えます。)
統計数字の結果だけ見ると、この間に例えば正規労働者が1千万人減って、非正規雇傭が1千万人増えたとすると、如何にも正規社員がクビになってパートや派遣に入れ替わったような印象となります。
しかし、生産工場の方で海外生産移行などを原因として国内正規社員を減らすしかない趨勢が先にあって、その受け皿として、彼等の失業を防ぐために公共工事拡大やサービス業などで短時間労働職場を増やした結果・彼等の受け皿を作れた面もあります。
非正規のシステムがあろうがなかろうが、企業は世界政治・経済の動向に合わせて海外進出し、その分国内生産を縮小してくしかない以上、これに合わせて人員削減するしかないのですから,リストラ実施の必要性が先に存在していたのです。
元々輸出産業の乏しい地域では、受け皿=失業対策としての税を使う公共事業が隆盛を極めていましたが、輸出産業のあった都会地でも必要になったところが大きな違いです、
公共工事は言うまでもなく100%税を使うし、都会地の労働力の受け皿として新たに始まったサービス関連職種の内医療福祉関連は、100%ではないまでも巨額の財政支出を伴います。
バブル崩壊後のわが国財政赤字が累増し、年金や医療の赤字が問題になって来たのは、この結果です。
リーマンショックは、赤字分を借金で賄う強いアメリカの虚構性を白日の下に曝したものですが、借金体質・借金で贅沢している虚構性が衝かれた以上借金=財政赤字の増額による内需拡大は、基本的に無理があります。
そこで我が国でも赤字削減が過大になってきましたが、福祉と公共工事の赤字のうち医療・福祉はやめられないので、公共工事激減策に進むようになりました。
リーマンショック以前から進んでいる製造現場・公共工事その他旧来産業の人減らし分の受け皿として、リーマンショック以降介護・福祉現場や観光産業の振興を宣伝してこれら分野への労働者の転換の必要性がしきりに叫ばれています。(この記事の原稿はその頃書いていたので現在形です)
これを後から見るとそんな職業を作り出すから、非正規労働者が増えたと批判をしているようなもので、内容を見ない合計の統計だけで議論すると滑稽なことになります。
これでは、せっかく失業者を減らすために国民みんなで苦労して新たな受け皿を作ったことが、却って非難の対象になってしまいます。
もしも半端な就業形態の職場を作らなかったら、行き場を失う労働者のために政府は、企業のリストラを制限する事になるのでもっと多くの正規社員が残れたと言うことになるのでしょうか?
リーマンショックによる売り上げ激減後も「労働者を一人も減らすな」と叫ぶのは勝手ですが、それを政府が強制していたのでは、トヨタもホンダも新日鉄もつぶれてしまいます(その前に海外に逃げるでしょう)から、もっと大きな失業がその次に来るだけです。
(この辺の意見は2008年秋のリーマンショック直後の年越し派遣ムラが世間を賑わしていた頃に書いておいたものです)

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