近代社会と親族の制度化2

 

民法の親族相続編は、このシリーズで書いているように社会保障の代替物として制度化・強化されて来たと見れば、時代精神・・社会のあるべき姿をそのまま反映する傾向があるので、社会意識の変革期には大改正を受けざるを得ません。
財産法関係と親族相続関係は別々の法律が合体した歴史があってこそ、(元々別ですから)価値観の大転換した戦後すぐに第4編5編だけを切り離して全面入れ替えの改正が出来たゆえんです。
ちなみに1〜3編の財産法関係は敗戦にも関連せずちょっとした条文の手直しが時々あっただけで、明治以来のまま現在に至っていて、(2005年4月施行の改正で文語体のカタカナまじり文が口語化されただけです)ここ数年漸く現在社会の取引実態に合わせて大改正しようとする気運が盛り上がって来て(内田貴東大教授が大学を辞めてこれに専念している状況で)改正試案が公表されて、債権者代位権制度や危険負担制度・瑕疵担保など分野別の改正に対する意見を弁護士会その他各分野に求めている段階です。
現行民法制定後約10年以上も経過していても財産法に関してはこんな程度です。
例えば民法で,「借りたものは期限が来たら返さねばならない」「ものを買ったら代金を払う」と言う規定は500年や1000年で変わることはないでしょう。

民法
(売買)
第五百五十五条  売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。
(使用貸借)
第五百九十三条  使用貸借は、当事者の一方が無償で使用及び収益をした後に返還をすることを約して相手方からある物を受け取ることによって、その効力を生ずる。

「借りたら返す」「買えば代金を払う」原理自体をいじることなく,借りるにして(友人同士の貸し借りは民法の原理通りですが,高利貸しの場合などは貸金業法や利息制限法の規制があります)も買うにしても割賦販売その他多種多様な複雑な取引形態があるので,これを民法に取り込もうと言うだけで,言うならば民法を複雑化しようとする改正です。
ですから民法制定後110年もたっているのだからと言う理由で大きく変えようとはしているものの、身分法関係の戦後改革のような価値観の転換によるものではなく,技術的な要因によるものがほとんどです。

近代社会と親族の制度化1

近代社会化の進行は地域共同体が崩壊して行く過程でしたから、子育ての社会化が準備されるまでの受け皿として親族のあり方が重要視され、その親族は血縁の親疎によって構成される原理となっているのは、前回書いた社会インフラの不備を親族・家族の協力責任に求めたからです。
民法は本来市民の民事取引に関する法であるのに親族相続編がほぼ同時に施行され、結果的に一体化されているのは、今の価値観から言えば社会で責任を持つべき分野を(国家に経済力が伴わないために)私人に委ねざるを得なくなり、私人とその周辺・・親族の責任とした結果、民法の一部にするしかなくなったと思われます。
民法は大きく分けると財産編と親族相続編の二種類からなっていて、しかも国会でも別の法律として成立しているのですが、結果的に一つの法律として合体して運用されているのは、こうした歴史経過に由来するのではないでしょうか?
何回も民法の冒頭部分を紹介していますが、法典の成り立ちを見直していただくために現行民法の冒頭部分をもう一度紹介しておきましょう。

民法
  明治29・4・27・法律 89号(第1編 第2編 第3編)
民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム
此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
明治二十三年法律第二十八号民法財産編財産取得編債権担保編証拠編ハ此法律発布ノ日ヨリ廃止ス
  (別冊)
  
明治31・6・21・法律  9号(第4編 第5編)

上記のとおり財産法に関する第1〜3編は明治29年に成立しており、その際の上記文言からも明らかなようにこれに先立つ明治23年の民法(財産関係法・・ボワソナード民法)があって、これの改正版であったのです。
この辺のいきさつについては、これまで06/04/03「民法制定当時の事情(民法典論争1」や民法制定の歴史で詳しく紹介して来ました。
これに対して、親族相続に関する第4編5編は2年遅れの明治31年に別の独立の法律として成立しており、これを後から先行する財産法に合併させたもので、元々一体ではなかったのです。
ナポレオン法典もボワソナード民法も原典を見たことがないので自信がないのですが、明治23年の民法(すなわちナポレオン法典を基礎にしたボワソナードの起草になるものです)に、親族相続編がなかったとすれば、親族相続関係の強化は、まさに産業革命の進行によってナポレオン時代の後に必要になった制度であったことが分ります。

核家族化と子育て

ここからは、養育料支払義務の前提となる婚姻費用分担義務制度が生まれて来た時代背景は何かの関心で書いて行きます。
養育料支払義務の法的構成は2010-4-6−1「母子一体感3(養育料3)」前後で書いたように、元々子育ては未熟な期間が長い人類では母親独りの手に終えないことに起源があることが明らかです。
これを人類は女性集団で面倒を見る古代社会から、氏族社会・大家族制での大家族内での女性集団あるいは親族共同体が近接して何世代にもわたって重層的に住む社会を順次構成して、冠婚葬祭・出産・介護その他夫婦あるいは親世代の援助だけでは間に合わないときには女性同士で助け合う(これは古代からの基本的インフラです)社会を経験して来ました。
ところが産業革命後都市への人口移動が始まると当然のことながら、上京した若夫婦には近くに親戚がいない(身寄りや同郷人を頼って行くものでしたが・・・それにしても糸一本わずかに繋がっている感じです)上に核・小家族化の進行ですから、(親世代は田舎に残っているので、都市住民1世は当然核家族になります)親族や親世代の助け合い関係が消滅して行き母親の孤立化が進行します。
社会の近代化=都市生活化に連れて小家族または核家族化が進行し、大家族制あるいは地域社会の崩壊による子育ての外延的枠組み崩壊が進行するのは必然です。
ちなみに、地域社会崩壊が言われて久しいですが、何世代にもわたって同一地域に住んで来たことによって親族関係の入り組んだ関係や仕事での共同関係があってこそ、地域社会が機能するのです。
赤の他人ばかりでしかも遠くに働きに出ていて地域内で共同して働いていない・仕事その他お互いに何ら接点のない人が砂粒のように住んでいるだけで、同じ地域に住んでいると言うだけでは昔のような一体感を期待するのは無理があります。
現在地域活動を担っているのは地域内で営業している業者が中心になっているのは彼らが金儲けのためと言うだけではなく日頃から地元で働いていて共同体意識が育まれているからです。
近くに親族もいないで、隣人同士無関心のママ放っておくと子育ては母親独りに委ねることになってしまいますが、それが無理であるからこそ古代から女性同士の助け合いが発達して来たのですから、その補充のためには社会・政府による責任制度へ移行するしかなかったのです。
近代国家・・流入都市住民の増加が大家族・親族共同体による母子支援を不可能にした以上は、母子の(経済だけではなく子育て支援を含む)生活保障に関する社会制度整備が完成するまでは、その担い手として当面身近にいる父親(血統重視)の責任とする前々近代的手法による思想教育に求めるしかなかったと考えられます。
November 8, 2010「子育ての意味」 のコラムで 里子制度を少し書きましたが、本来血縁に関係なく博愛精神?で社会的に子育てに協力すべき方向へ行くしかないのに、その思想を含めたインフラ準備が間に合わないので、(今のペットブームはその代替・補償作用です)その逆に血縁重視に舵を切っていたと言えます。

男の存在意義4

11月22日の男の存在意義に戻りますと、日頃から夫婦円満であれば経済的に困ったり病気したからと言って、(危機のときこそ助け合うのが夫婦ですから・・)妻から離婚を求められないでしょうから、困ったときに離婚を求められるような男は、日頃の態度が悪いのですから、そもそも復縁を期待するのが間違いと言えます。
ところで、外見上普通の夫婦でも内心では相方に不満を持っているカップルが結構多いようですが、これは男だけの問題ではなく妻の方も結婚してしまえば、男からの離婚が簡単に出来ないことから「永久就職」だとばかりに女性的魅力の維持に工夫する気持ちがなくなる傾向があることも無視出来ません。
妻の方が積極的に働きかければ、(おだてて使えば)男はいい気になって妻へのサービスを怠らなくなるので、この問題はお互いの心がけ次第のような気がします。
現状では妻の夫に対するサービスは多くの場合、子供が生まれるとその段階で意欲がかなり喪失し、その後は子供一辺倒あるいは子育て中心になるので、そこから夫婦関係が疎遠・・不満の蓄積が始まるようです。
そもそも動物的母子一体感を前提にすれば、雄の方は種付けが終わればそのメスにとっては本来用済みです。
オスの方も子孫を残すべき性行為が終われば、メスとの関係は用がない筈です。
これが魚や鹿などに見られる原始的雌雄関係でしょう。
人間のメスが動物的本質からみれば用済み後の雄引き止めに努力していたのは、子育てに必要な経済的支援を引き続き求めるためと用心棒的役割のためだったでしょうが、経済支援に関しては婚姻費用分担と養育料請求権として法的に強制出来るようになると雄を何が何でも引き止めておく努力が不要に(動機が弱く)なって来ます。
公的な場所の治安維持は政府が責任を持つ時代で、特にわが国では安全安心ですし、私的自衛の必要な自宅の安全に関しても防犯機能の充実したマンションの発達で用心棒的役割は縮小しています。
こういう状態下では妻は子供が生まれると夫の世話などしていられないどころか、今では逆に夫も子育てや家事に協力すべきだと言う時代になって来たのです。
これまでの長い歴史では夫の機嫌を損ねないように努力するのが妻の役割でしたが、今では逆に夫が妻のご機嫌を損ねないように家事や子育てに積極的に協力することが求められています。
夫婦関係がうまく行かなくなった場合の(家庭内不和と離婚になって困る)リスクが、夫により多く来ているからでしょう。

求愛2と時機

男女関係の合致方式は正札販売とは大違い・・昔のママで・・・例えば農家の庭先で博労が牛馬を売ってくれとかバイヤーが農産物購入を申し込むのに似ていて、相対の交渉が成立しなければ農家も売りません・・・今でも結婚を申し込まれても同意するか否かの権利が女性に留保されているのです。
商品売買の場合は購入・注文者の提示する条件は金額次第ですが、求愛の場合貨幣表示だけではなく(いわゆる3高と言う類型もありますが多くは・・・)総合力評価ですから、オスの方が安易に申し込んで拒否されるのは、面目丸つぶれ・・精神的ショックが大きくなります。
そこで、ある程度瀬踏みを続けてからでないとうっかり申し込みさえ出来ない・・このリスクにおびえて安易に深入りしないで遠巻きにしているだけの若者が多くなって、その内に年齢が過ぎてしまう・・のが現在でもあるでしょう。
リスクに弱く、求愛行動の動物的本能が薄れて来ているのが、昨今の草食系化・独身率上昇の現象にダブっているようにも思えます。
ボヤボヤしていて異性にのぼせる年齢が過ぎ去ってしまうと、これまで書いているようにオスの方は何のために結婚するのかと言う合理的疑問が湧いてくる人が多くなります。
勿論女性の方も、一定年齢が過ぎると「あえて子供が欲しい訳でもないし・・一人で生きて行けるし・・」となってお互い消極化してしまいます。
オスは年齢的に求愛行動をしたくなる時期があって(メスの発情期はほとんどの動物で年一回原則ですがオスの場合、年齢的期間限定です)、この時期に(のぼせ上がって)愛想を振りまいて一所懸命に異性を求めて「メスを釣る」行動をするのですが、恋が成就してしまうとあれほど熱心に求愛していた相方の女性に対するあこがれが急速に色あせてしまう仕組みです。
オスのこうした身体の仕組み自体は仕方のない事ですが、メスの方はそこからがオス引き止め・・毎日帰ってくるようにする正念場・・智恵次第と言うことで、古代から営々と工夫し、頑張って来たのです。
まさに若気の過ちで一緒になってしまうのが良いとする前提で、一緒にさえなれば後は女性の智恵で何とかなると言う時代が続きましたが、これは一人では生きて行き難い社会が続いていた社会背景によるものでした。
今では離婚後の生活保障が手厚くなってくると、女性がじっと我慢する必要がなくなって来ましたから、一緒にしてしまえば何とかなる時代ではありません。
まして、今のように双方ともに一定の経済力があって、(独身でも食事や洗濯に困らないなど一人でも生活がし易くなっています)しかも30代後半になってくるともう一人でいいやと言う人が増えてくるのは当然です。