あいちトリエンナーレ不自由展騒動の得失1

8月29日書いたように、弱小政治集団ほど補助金制度のメリット率が高くなります。
少数数意見保護というのも民主国家において重要ですので、その程度をどうするかでしょうが。
暴力行為を繰り返す過激派集団も少数意見に違いないですが、彼らが自己主張(内ゲバの必要性など)を演劇風に仕立てれば、その公演を国公費で何億円も補助して宣伝する必要があるかも重要です。
その限界をどうするかよくわかりませんし、解散→新設立を繰り返せば過去の刑事件歴が関係なくなるのかなど規制する基準を設けるには複雑すぎて現場では運用に困るでしょう。
どういう集団か?ではなく企画テーマと運用実績(提出企画と違い実際には政治活動中心だった・あるいは〇〇展前半は作品展であるが、後半は政治主張の展示ばかりなど)でみるしかないのでしょう。
政党交付金制度も政党要件を満たした政治集団限定補助金制度ですが、これは国会議員何名以上・得票率何%以上などの数値的絞りがあり客観性があります。
国政選挙立候補者の無料政見放送枠制度も、客観的絞りがあります。
政党政派による差がなく政治活動全般=公平にどの程度まで補助金を出すかどうかは立法府の裁量であると言えるとしても、それと現場判断の単純可視化をどうするかです。
愛知の不自由展までは政治活動の自粛程度・阿吽の判断でなんとかなってきましたが、不自由展を強行したことで、(もともと委嘱状交付時に尖った企画期待発言をしていた大村知事は、世間を騒がせることは予定通りの結果だったでしょうが)パンドラの箱を意図的に開けてしまったように見えます。
自粛でなく禁止制度を明記すると境界の明確化が求められる現場は困るので、結果的に自由化するしかないのでしょうか?
左翼系少数派はこれを狙ったとも言えそうです。
この場合も政治活動のための補助金を出せない制度自体が検閲にあたらないでしょうが、政治目的かどうかの判定訴訟頻発を前提にするような制度は政策妥当性の問題です。
実際現在の制度.政党交付金制度や立候補者限定の無料放送、あるいは公職選挙期間限定の立候補者のポスター掲示の公園利用などに対する規制に対して憲法違反論を聞いたことがありません。
何でも反対→何で憲法論に持っていく運動論が大手メデイアお抱え?文化人(形式上外注ですが)では主流ですが、上記例で見ればわかるように利用基準を明確化すれば済むことです。
違法でない限りどういう商売方法を選ぶかは経営の自由判断ですし、芸術発表も同様ですが、それは市場淘汰のリスクをとるから平衡・バランスが取れています。
一部または全部公的補助の場合、補助比率に比例して市場淘汰のチェックが効かないので公的選択が必要です。
巨額公費を伴う政治選択は基本的に民意によるのが原則であるべきです。
公的施設利用・使用料低廉メリット程度の場合は、補助によるメリットが低いので利用許可基準が公平(申し込み順が一般的)である限り問題が少ないのですが、愛知県の不自由展の場合、一般申し込みにせず優先利用権を設けている(と想定されます)点で不公平ですし、制作費まで補助したようですし、公費による?大々的宣伝や街路展示許可などの便益提供など、受けるメリットが巨大だった点が特に問題でしょう。
ウイキペデイアには、第1回目の予算が出ていますが、愛知県予算だけでも巨大な資金投入です。
数字だけ再引用しますが(リーマンショックによる3割減でも)

「2009年3月6日、愛知県議会は総事業費を従来から3割削減した13億8000万円」

19年のトリエンナーレでは、その後の景気回復もあって総予算はもっと膨らんだでしょうし、文化庁の補助金も出るし、名古屋市の分担金も出ています。
思想の自由市場論→完全自由化はこの点で破綻しています。
どういう作品に補助金まで出すかの基準を芸術監督に委ねるとすれば、監督を自分の主張したい政治団体内の誰かを選べば良いことになります。
そんな身勝手なことで公費を出すのは無理があるので、施設低廉利用メリット(音楽でも落語でも早いもの順の予約制度で大したメリットでは無い)を超える補助金制度は無理が出てくるでしょう。
制度というものは、保険制度であれ生活保護であれ、全て悪用・濫用しない信用でなり立っているのですが、それでも医療必要性は専門家である第三者医師が判断するし、生活保護必要性をも自己申告が契機になるとはいえ、保護適格の有無は福祉事務所調査によっています。
革新系政党や弁護士会等では、生活保護の窓口調査制度を水際作戦と称して「弱者切捨てを許すな!」の批判が多いのは、自己申告でフリーパスすべきという主張なのでしょうか?
そこまで言わないとすれば、失業保険支給基準同様に基準がどうあるべきかは、政治が決めるべき分野です。
今回の不自由展論争ではその基準判断を芸術監督に委ねるべきという主張が目立ちました。
芸術監督自体は主催側決めた内部職であり、津田監督は芸術家でない政治色の濃いジャーナリストであることを紹介してきました。
お手盛りの監督の自由裁量内容に白紙で巨額補助すべきというのでは、生活保護を自己申告通りフリーパスにしろというのと似ています。
不自由展の全国的話題提供により、芸術監督として論壇顧問先の朝日新聞の基本姿勢かな?そのままに政治的企画をした津田大介氏の評価がその筋では上がったとも言えるし、芸術(と称して?)を政治利用したジャーナリストの(プラスマイナス両面)イメージが国民一般に定着した面があるでしょう。
昭和天皇の写真拡大したパネルに竹槍を突き刺したプラカードを掲げてデモ行進する反転連デモが一時はやりましたが、眉をひそめる人の方が圧倒的に多いらしく次第に姿を消すようになっていたのは、まさに自由市場の良いところでしょう。
自由市場で敗退したグループがこれを表現の不自由とでも言うかのような展開ですが、こういう主張を国公費補助で行うべき芸術かどうかです。

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