身分と古代の位階制1

奈良〜平安時代の貴族社会といっても、要は家柄と能力によってどこまで昇進できるかの不文律があっただけであり、今で言えば医師や弁護士裁判官の資格がないと裁判官や医師になれないというのと似ています。
平安時代にも家柄が良くても総合能力がなければ、三位以上に昇進できない人もいっぱいいました。
家柄が良ければ皆三位以上になれれば、天皇家から臣籍に降った一族や摂関家等で4〜5人子供がいた場合みんな三位以上になれるのでは、数世代経過で三位以上が数十人〜100人規模に膨れ上がっていきます。
ところが関白や左右の大臣、大中納言等の官職数が決まっているので、際限なく殿上人を増やません。
ちなみに、中国王朝の場合、官職任命があってそれに合致する位階が決まるらしいですが、日本の場合官位相当職制度・官職補任と関係なしに位階が決まるようなので、官職数以上の官位叙爵可能ですがそれにしても限度があるでしょう。
今で言えば、部長待遇であるが所属する課がなく、部下0名とか、国務大臣であるが担当省庁がない無任所大臣みたいな温情主義?制度が昔からあったのです。
課長補佐もこれに似た待遇です。
太政大臣の息子でもできの悪いのは昇進できなくなるのは当然ですし、一家一世代で一人も三位以上にあがれない家も出てくるでしょう。
しょっちゅう天皇家から天下り的に清和源氏とか嵯峨源氏とか桓武平氏とかの新規参入があるのですから大変です。
これらの家も1〜2世代は上級貴族の格式でしょうから、三位以上の位階と官職はものすごい狭き門になります。
箱根駅伝で言えば、シード校に入れば翌年のエントリー権がありますが、翌年(次世代が)シード校落ちすれば翌年は予備選から勝ち進まないと出場できません。
箱根駅伝の場合シード予選から勝ち上がった大学・・初出場でも実力次第で優勝することが論理上可能ですが、(実際実際には多分一回もないでしょう・・)
上級貴族の子に生まれても、あまり昇進できなくて終わる(シード落ちした)人の子孫はもっと下(六位以下)から始まり、昨日紹介した本間氏の説明によれば、最高昇進でも従4位上だったらしいですから、親の地位まで行けない人材が数世代も続くといつの間にか貴族階層から脱落して事務官僚や地方官僚等に下がっていきます。
一旦六位以下になると優秀な人材が出ても四位上止まりらしいですから、1世代足踏みがあるので、2世代続いて能力が高くないと公卿に復活できない仕組みのようです。
大相撲でいえば前頭の下位で平幕優勝してもいきなり横綱になれず昇進の限度があるのと同じです。
能力の低い子が出ると中級貴族さらには下級貴族等に世代交代ごとに下がっていきますが、それでも途中で優秀な人材が出れば、伴大納言のように中〜上級貴族に参入して行けるし、(大納言まで昇進したのは、大伴旅人以来130年ぶりとのことです)天皇家出身でも世代が降るごとにどんどん下がって地方に下って源氏や平家にもなって行くわけです。
源氏や平家の嫡流に生まれても能力がなければ、どんどん傍流に落ちて行って、並みの武士になっていきます。
一般に上級貴族〜中級〜下級貴族といいますが、位階制ですから、必然的にその人の能力に応じた一身だけの地位が決まるのであって、生まれつきの身分で決まる制度ではなかったのです。
江戸時代の将軍や大名の地位は世襲ですので身分制そのものですが、実は大名家、徳川家と言うように実は家(家業・家産)を世襲をするだけであって、大名や旗本の家を継いでも、自分の家の中で当主としての地位を承継するだけで〇〇家相続人として新たに出仕する徳川家内の老中や町奉行職等の役職を世襲することはありません。
藤原氏内で、氏長者を世襲しても朝廷の役職を世襲するものではありません。
ただ強力な勢力を有する一族の代表者ということで朝廷内で尊重されるというだけです。
この辺は東京電力社長就任=電力業界の会長を世襲するのではなく、最大大手代表者として尊重されるというだけのことで、原発事故があって味噌をつけるとその尊重がなくなるなど本来流動的なものです。
徳川秩序では家格によってどの程度の役職につけるかと言うだけのことで、今風に言えば、一種の参加資格でしかなくデビュー後は本人の能力次第で役職を上げていく仕組みした。
そして能力が家格の枠を越えるときには家格の引き上げが行われてきたのです。
今の資格は、厳格で無資格者が能力が高くとも・・ベテラン看護師が新米医師より診立てが良くても医師の領分の仕事をすると違法ですし、この人に限って医師より有能だから許可すると言う裁量権もありません。
今で言えば一応学歴や過去の実績等が就職試験や審議会委員選任等の大枠資格基準になる程度ですが、
各種資格については、試験制度等の発達で資格制度が透明・ルール化されて、裁量による救済措置がどんどん減っていく過程と見ることができるでしょう。
大名家に属する大身(知行持ち)家臣も先祖代々の領地(知行)を世襲するだけであって、大名家の家老職等役職の世襲をしません。
今風に分解すれば世襲制度といっても、個人資産相続の観念で大企業オーナーに限らず小農・個人商店、庶民に至るまで自分のものは全て子供らに相続させるのを当然と思っている点は今でも同じです。
親が駅前商店会や同業者団体の会長をしていても、企業の相続人が業界団体会長職を相続しない点は今も同じです。
私が弁護士になった頃には、民法中の親族相続編は、講学上身分法という分類でした。
親子関係は生まれによって関係が決まり、終生変わらない関係であり、相続もこの身分関係によって決まる分野という意味でしょう。
位階等は生まれでだけ決まるのではなく、能力次第で変わっていく仕組みでしたので身分そのものではなかったように思えます。
近代社会の特徴は「身分から契約へ」と一般に言われますが、契約で決まるのは財産法の分野であり身分法に及ばないという二分法の考え方でした。
相続に関しては遺言で修正できる点で個人の自由がある程度あるものの、それは契約ではなく、一方的な関係です。

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