レッテル貼りと教条主義2

このような教条的画一思考で満足している?国民性とはどういう民族でしょうか?
もともと日本は八百万の神々を信仰する・・多様な意見が流布している方が健全とする民族性です。
太古以来、一神教支配下にあった社会では画一思考(マニアル)を流布してくれる方が、自分で思考しないで済み、気楽でしょう。
西洋では自由平等博愛と言いだしたのはせいぜいフランス革命後のことです。
日本にくらべてなぜ思考の自由を求める気持ちが発達しなかった・遅れたのか?
10年ほど前に気候風土の単純性と思考の単純性の関係を書いたことがありますが、単純性が一神教を生み、その一神教のせいで思考の画一化をはみ出すと、異端審問によって処刑される悪循環に陥って暗黒の中世になったのではないでしょうか?
ローマ帝国崩壊後、宗教という精神世界支配を残すために、いわゆるガリア〜ゲルマニアの地を暗愚のままにして置くための工夫としてラテン語以外に自民族の民族文字の開発意欲を意図的に阻害してきたのかもしれません。
あるいは逆に文字を必要とするほどのレベルに達しないのでいつまでもその必要を感じなかったから工夫も普及もしなかったという方が本当かもしれません。
アジアで言えば朝鮮族あるいは周辺国では、漢字が伝わった時に、それを使いたい人だけが使う・自民族文字を使ってはいけないような、なんら強制もなかったのですが、日本以外には自分らの発音に合わせて文字を開発した民族がなかったようです。
朝鮮のハングルは世宗による開発が知られていますが、実際に使うようになったのは日本統治時代に教育制度を導入した日本側の意見で、朝鮮人の文字で教育した方が便利なので推進したからです。
この点についてはAugust 3, 2017,「日本統治・義務教育化によるハングルの普及」前後に連載しました。
アメリカが第一次世界大戦後、西欧文明・・植民地支配や奴隷制の批判を始めた上に工業開発力で凌駕の兆しを示していた日本を叩き潰した上でアジア諸国同様の被植民地にしてしまう計画を始動した結果、ついに対日開戦に成功し日本占領に成功しました。
その後も日本台頭阻止のため長年中韓を唆して日本の足を引っ張りあるいは中韓企業育成に精出してきました。
中国がローエンド〜セコンド製品組み立て加工を卒業あるいは離陸してアメリカの覇権に挑戦を始めると今度は日本に秋波を送り対中潰しに路線変更しました。
アメリカが先例にしているのが、ローマ帝国衰亡後キリスト教自体の浸透をバックに神聖ローマ帝国と称する一種の価値観支配体制を構築に成功し、新興の欧州大陸諸国に対する精神支配に成功した事例でしょう。
ちなみに高校時代に聞いたか大学で聞いたか忘れましたが、

「ローマは三たび世界を支配した。」
「一度はローマ帝国として2度目はローマ教皇をトップとする精神支配で、3度目はローマ法で!」

というものでした。
法治国家と言えば聞こえが良いですが、専制支配効率化の道具として法家の思想が中国戦国時代に始まり、秦の始皇帝によって全面採用されたこと・・マニュアル化の始まりであったことをこのコラムで何回か紹介している通りです。
日本の民法はローマ法→ナポレオン法典経由の法典と言われているように結果的にローマ帝国の法=命令が日本社会の基本を律していることになりますし、戦後アメリカ法がどっと入ってきたのはアメリカ議会で決めたことを結果的に日本人も守るしかない・・支配貫徹の進行を表していました。
中国やロシアがアメリカ最高裁によって確立してきた人権に関するルールを無視するのは、アメリカ支配に属したくないという意思表示です。 中国による知財剽窃し放題も、ロシアによるクリミア併合もそんなアメリカの決めたルールがどうした!という態度表明でしょうし、安倍総理の言う「価値観外交」とは、アメリカの価値観に従う陣営の構築という意味になるのでしょう。
秀吉による惣無事令を「なんぼのもんじゃ」と小田原北条氏が無視して真田攻めを実行したことによって秀吉の小田原攻めとなり、秀吉の天下が定まりました。
対して、ロシアが何の名分もなく強盗のようにクリミヤ併合してもほんの形だけの経済制裁程度ですから、アメリカの足元を見た中国も気楽に南シナ海で公然と軍事基地設置工事を実施して既成事実化をしました。
核兵器さえ持ってれば何をしても許されるという風潮が広がり、北朝鮮も強気のまま現在に至っています。 現在は宗教の力に頼るのではなく技術開発力に頼るしかない・・車社会化やIT化が進めばそれに適したルールが必要なように技術開発力で先行する国のルールが国際基準を制するようになるのでアメリカは挑戦者中国のハイテク開発潰しに必死です。
西洋中世の停滞に戻りますと、長年自国言語の文字表現が普及していなかったことによる面、この制約も大きかったのではないでしょうか?
レベルが低いから自国言語を文字化する需要がなかったとも言えますが、独自文字の普及がないとある事象に対する掘り下げた思考をする道具がないので外国の文字を使える階層と使えない階層との格差が開きますおよそ千年に及ぶ長期間文字に親しめた階層と、文字を学ぶ機会がない階層が同じ地域社会で劃然と別れてしかもそれが領主層と農奴的身分差になっていた場合、異人種のような関係になっていてもおかしくありません。
これが今でも欧米で牢固として根を張っているエリートとその他の別人種的格差意識(の原点になったのではないでしょうか?
ホワイトカラーはブルーカラーと食事すら一緒にしないなど、日本企業が欧米に企業進出すると「驚く第一歩」と言われます。
例えば、西洋では、1300年ころになって初めてダンテが神曲をトスカナ地方の方言で書いたのがルネッサンスの始まりかな?
日本ではすでに西暦700年代に編纂されている万葉集に比べておそるべき後進性です。
ウイキペデイアによる紹介です。

『神曲』地獄篇は、1304年から1308年頃に執筆されたと考えられている。1319年には、地獄篇と煉獄篇は既に多くの人に読まれており、ダンテは名声を得ていたことが分かっている。天国篇は1316年頃から死の直前、1321年にかけて完成された。『神曲』は、当時の知識人の共通語であったラテン語ではなく、トスカーナ方言で執筆されたことも、多くの人に読まれた理由である。

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