社会保障や国債と世代間損得論1

各種社会保障負担に関して「次世代が損をする」と言いますが、元々親のいなかった子供はいません。
社会保障制度がなくとも子は親の老後や最後を見るのが、人としての勤めではないでしょうか?
年金や高齢者医療制度は子のいない親はいても親のいない子はいない・・自分の親を見るべき分の一部を既に親が死んでしまい今は親のいない同世代に負担してもらっているだけのことです。
不公平と言えば若い頃に親が亡くなった人とまだ親が生きている人の間の不公平程度のことかも知れません。
現在の年金赤字や高齢者保険赤字は、個々人が自腹を切る分を減らして行き、高齢者保険や年金支給に切り替えて行く関係・個人・親子負担から社会負担に切り替えていることによっています。
お金持ちと貧乏人と差が最大化するのが老後生活ですが、この差を社会保障制度の普及でなくして行く・・最低保障して行くと、そのレベルをどこに置くかによって、制度赤字が起きて来ます。
僅か5〜10万円の手術費を出せなくて命を落としたり身障者になるのでは可哀相だと言うことから始まって、保険で無料の範囲が15〜20万・・50万円に広がり今では透析や1ヶ月300万円とも言われるオプジーボのように、自己負担を前提にすれば億万長者でも無理があるような高額治療まで、誰もがほぼ無償で受けられるようになると国民平等負担の限界が来ます。
メデイアは社会保障制度は痰述べ原因を高齢化に求めて世代間対立を煽っていますが、財政破綻の原因はどの程度まで社会保障すべきかの肝腎の議論をメデイアがきれいごとごとばかり(「お金のない人は死ねと言うのか」式のきれいごとばかり言っている・肝腎のテーマを避けるところに現因があると言う意見をオプジーボの高額性が問題になった2016/10/08「大義を滅ぼす小義の強調2」のテーマで書きました。
生活保護もその基準を高額所得者の基準にまで上げて行けば、財源が破綻します。
学校教育の無償化などは、どの段階までお金をかければ次世代の社会貢献力アップの期待によって別の基準・・どの程度の教育をすれば、どれだけの効果があるかの厳密な判断が別に必要です。
運動神経が鈍い私の例で言えば、無料化して際限なくスポーツや音楽の練習させられても意味がないと言う実体験があります。
その他の才能もそれぞれ向き不向きがあって似たようなものでしょう。
幼児期からの早期選別にお金を使うのは合理的ですが、これをしないで適性無視の大量訓練→大量養成・・大卒等高学歴者だけ増やす乱暴な政策では、人生を無駄にする人が増えるだけで財政的にも無駄な投資になってしまいます。
売れる商品を作る努力工夫をしないで、大量出店を先行してもその企業はつぶれてしまいます。
社会保障に関して世代間不公平を煽る意見は医療費から介護あるいは次世代教育費等の個人・一家負担から社会負担への切り替え反対論の言い換え主張ではないでしょうか?
個人負担と社会保障レベルの塩梅をどうするかに先決問題があるのに、これを避けて際限なくレベルを広げて行く無理が出て来ただけでしょう。
保育所充実や子育て支援あるいは教育費無償化推進は、子供のいない人にとっては損をする気分・・子供のいる人といない人の不公平感と同じ発想です。
しかし、子供のいない大人はいても親のいなかった人はいないので、世代間対立を煽る意見は無理があります。
国債であれ社会保障であれ全て不都合な事実があると「次世代が損する」と言う事実に反するキャンペインがはやっているのではないでしょうか?
「高齢者批判をしていれば安心」とばかりに馬鹿の一つ覚えのように今朝の日経新聞でも高齢者有利の政治がまかり通っていると言う意見が尤もらしく書かれていますが、親が自己利益のために子供に不利な選択をする親が何人いるか?・・自分の命を棄ててさえ子供を守りたいのが親の本能です・・社会実態無視・・原理原則無視の意見です・・。
生命保険で言えば、自分のために生命保険を掛ける人はいない・・(死亡後に受け取るものですから自分が受け取るメリットは皆無)死亡後に残った家族が生活に困らないように貧しい中から必死に掛けているのが普通です。
人の行動はすべからく死亡後の子孫のために考えて行きていると言っても過言ではありません・・愛国心・郷土愛全て子孫の生きて行く環境・共同体存続・連続を願う人の気持ちの表現です。
高齢者が死後の子孫の幸福を考えて生きているのが普通ですから、高齢者の投票率上昇と次世代が損をする意見と何故結びつくのか疑問です。
今流行の世代間対立論は、子供のいない高齢者が自己利益実現に動く可能性があると言う程度でしょうが、これは今後子のいない夫婦や生涯単身者が増えて来ると現実化する可能性があるでしょうが、今の75歳以上の世代で子供のいない高齢者はホンの一握りでしょうから、議論としては実態にあっていません。
子供のいない生涯単身者等が今後増えて来ると逆に「高齢化しても社会で面倒を見ます」と言う仕組みにしないと「子育て支援」教育その他の次世代投資型社会保障負担を嫌がるようになるので、このときになってかえって社会保障制度がどの世代のためにあるかの実態がはっきりする時代が来るでしょう。
次世代損得論で言えば、子供が一人前になるまでの親の負担+相続財産以上を子世代が親に返せている人が何人いるでしょうか?
税で収めると親が巨額納税したのが法の義務を果たしただけであって、その実績を全く相続出来ませんが、自発的な国債購入で収めていた場合には親の保有していた国債を相続するので政府に大きな発言権を相続する外にいつでも換金・回収出来るので(値下がりしてもゼロになることは滅多にないでしょうから)殆ど損もありません・・。
このように次世代に債務を相続させるのかと言う意見は、任意納付しなかった人の次世代が大きな顔を出来ないと言う意味の格差が再生産されると言う点・・巨額納税者とそうでない子孫が差を受けることだけでしょう。
これは親の功績をどの程度まで次世代に及ぼすべきか・・相続税負担率をどうするかで解決すべきテーマであって、赤字国債の問題ではありません。
日本国債の外資保有額が5%前後でほぼ安定(日本との日々の為替決済上その程度持っていないと決済資金に不安があるから保有しているだけ)ですから、その5%さえ別の資金があれば問題がありません。
対外純資産がマイナスになるとそれ以上の赤字国債を発行しても信任を得られない・・満期決済のための買い換え債を発行しても買い手がつかない・・満期国債の償還資金手当が出来ない・・取り付け騒ぎになるリスクがあります・・。
ユーロ加盟国では通貨発行権がないので、日本のように日銀引き受けが出来ない・・無制限通貨発行出来ない結果、国外からファイナンス出来ない限り取り付け騒ぎになります。
このファイナンスに応じるかどうかがECBとIMFの議論ですが、一定の緊縮財政を条件にして短期救済の繰り返し・・揉みに揉んでいるのが現状です。
これがこの数年大騒ぎになっている南欧諸国の債務危機であり、中南米諸国の場合、通貨発行権があるので、いくらでも紙幣発行して国内的には救済出来ますが、その代わり国内的には何百%と言う大インフレになり、対外的には、通貨の信用が失われて対外債務を払うべき外貨両替が成立しくなります。
何をするにもアメリカドルや日本円など国際通貨を入手しない限り何一つ輸入出来なくなるので、国内経済は無茶苦茶・・・事実上急激な鎖国状態と同じ・・北朝鮮みたいになっているのが今のがベネズエラ経済です。

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