2014年元旦

あけましておめでとう御座います。
今年は午年ですから・ウマと言えば躍動感が売り物・・昨年から始まった好景気の更なる持続・・飛躍の年という希望に合致しそうな雰囲気です。
日本経済が昨年に続いて更に上昇を続けられれば・・と明るい希望を持って新年を迎えられた方が多いでしょう。
日本全体の流れが共通土台として重要ですから、政治の役割が重要なことは論を俟ちません。
個人的には今年新卒の社会人・・我々の世界では昨年末に弁護士・裁判官等になって新たな1年が始まるなど、いろんな分野で飛躍の年に・・と希望に溢れた人々が沢山いると思います。
勿論景気が良くても病を得たり失業するなど個人的には失意の人もいるでしょうが、昨日・大晦日に書いたように失意のどん底のようなピンチも、後で考えればチャンスだったと言うこともありますから、チャンスにするかどうかは本人の心の持ちよう・対処次第です。
大晦日に書きましたが私個人の場合、1年どころかずっと長い間これと言った飛躍もなければ単にモクモクと弁護士を続けて来ただけでした。
新年が始まってもこれと言った抱負がないままです。
でも何となく大晦日が来て元旦が来ると、改まった感じがするのは長い伝統の刷り込みによるのでしょうか?
私のような生き方を世間では「馬齢を重ねる」と言いますが、今年は午(ウマ)年ですので、何故「馬齢を重ねる」と言うようになったのかが気になります。
ウマはじっと黙っていて何かを考えているようですし、年相応に智恵が高まっているようですから、決して無駄に歳を取っているようには見えません。
これと言った故事出典もないようですし、ただむなしく年を重ねることを謙遜して言うのに誰かがウマを引き合いに出したのがイカすということになったのが人口に膾炙した始まりでしょうが、ウマにとっては良い迷惑です。
我が家には、とっても利口で思慮深い犬がいましたが、犬も無駄に歳をとっているようには見えません。
人は万物の霊長などというおごり高ぶった思想が西洋から入って来たので、これに便乗して「馬齢を重ねているだけです」としゃれて表現したのでしょうが、人も思慮深く生きない限り、(思慮深い)犬にもウマにも劣ってしまいます。
犬かウマか人間かで差があるのではなく、犬でもウマでも思慮深いかどうかで価値が決まるのです。
「馬齢を重ねる」と自分の不甲斐ない生き方をウマと一緒にするのは失礼なことですから、自分がしっかりしなかったと言えば良いことです。

士(おのこ)やも 空しかるべき 万代(よろずよ)に 語り継ぐべき 名は立てずして
                          山上憶良
上記のように言い切れる人はまさに・・ますらお・・相応の自負心があるからですが、かく言う私自身この1年あるいは過去何十年間の来し方を思い出すと、(何を基準にすれば良いのかはっきりしませんが、)これと言った価値ある生き方をして来たとも思えません。
凡人・・人並みに生きて行ければ有り難いと言う自覚・・子供のころからその程度の希望しか持っていませんでしたので、それはそれで良いのかなと思っています。
事件処理でもこうしたいとか言う野心がなくただ、相談に来た事件を善人・悪人を問わずにひたすらその人の立場で(正義の基準に合うように)必死にやっているうちに先が開けて来るものです。
悪人らしい人でも頭から断ったことがありませんが、どこかコチラの意見が煙たいらしくその内来なくなるので、弁護士は継続的客層が重要です。
弱者のために役立ちたいという高い志が当初からなくとも弱者が多く相談に来ればこちらはその立場で考えるようになるし・・弁護士はどんな客層を相手にしているかが重要です。
ただ、強い立場の相談に乗っても弱い立場の相手の心をくみながら(いつも正義の基準で)事件処理することが重要ですから、この辺は基本的弁護士としての心構えが必要かも知れません。
子供のころから「◯◯をやりたくて弁護士になった」という若手弁護士の抱負?を聞くと志の高さにうらやましく思うことが多いのですが、私のように成り行きで生きている人も結構いるのではないかと思って、普通の弁護士には・・「兎も角正しいと思うことを一生懸命やっていなさい・・そのうちに道が開けるから」と言っています。
今年も来年以降も末永く「凡人らしく生きて行ければそれであり難い」と感謝しつつボチボチ生きて行きますので、今年もどうぞよろしくお願いします。

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