騒乱の功罪3

軍の併存状態になると、そこでのヘゲモニー争いでは強い方が自然に優勢になって行きます。
源平合戦当時の平家と源氏の武士団が都で併存しているときには、弱い方の源義朝がジリジリと劣勢になって行くので、清盛の熊野詣での隙に兵を挙げたり、石田三成がこのままでは徳川に政権を乗っ取られると思って、上杉征伐名目で出陣させて徳川軍が大阪を空けた隙に兵を挙げたり・・といつも同じパターンです。
属国である朝鮮で始まった諸外国軍併存=支配パターンは清朝のお膝元でも始まり、次第に相対的に力を持つ駐留軍の動向の方が影響力・・支配力を持つようになってきて、清朝政府に主権があるのかないのか分らなくなって行きます。
清朝末期〜国共内戦時代には半植民地化して行ったと歴史で習うのですが、これは自作自演の騒乱によって招いた面も無視出来ません。
明治維新のときに本格的内戦していると外国軍の介入を受ける心配があることは(江戸城無血開城など)日本人全体の意識でしたが、中国の支配者には自分の地位保全に汲々としていて国がどうなるのかの心配が足りなかったのです。
諸外国軍並立に関連してついでに書いておきますと、日本軍による南京虐殺があったと中国と米国は虚偽宣伝に努めていますが、当時の南京は国際都市であって諸外国軍の入り乱れた南京では共産党ゲリラ等の騒動・虐殺がある都度一番規律のしっかりしている日本軍支配地域に現地住民が逃げ込むのが普通であったことが、諸外国の駐在員の日記や本国にいる家族等への手紙等に出ているそうです。
実際にそんな大虐殺があれば、あることないことを理由に処罰理由を探していた極東軍事裁判で、連合軍がこれを理由にしなかったことの説明がつきません。
何しろ南京その他の都市には日本軍・日本人だけではなく列強諸外国軍が駐留し,宣教師・商人その他雑多な居留民がいた(・・だからこそ、自国民保護のために諸外国軍が駐留していたのです)ていたのですから、どうして外国駐在員等からの虐殺の目撃や噂等の証拠が出ないのかということです。
戦後5〜60年もたって、日本敵視政策を始めた江沢民以降イキナリ問題にし始めたのは奇怪至極ではないでしょうか?
話題を大衆動員・騒乱の効果に戻しますと、世界中で、デモや騒乱というものは民衆の権力に対する不満から起きるものであることを逆手に取って中国では、(政府が背後で唆しながら・・)
  「騒乱による外国人の被った被害は基本的には政府の責任ではない・・・」
  「不当な列強の押しつけに国民の不満が爆発した」
という建前を利用して国際プロパガンダを流す・・政府が背後で主導してデモや騒乱を起こさせても民意によると言う宣伝で政府責任を逃れる手法を編み出しました。
現在でも政府が外交交渉を有利に進めるために中国政府頻繁に利用する官製デモの原型が朝鮮での壬午事変でした。
尖閣諸島に大量に出没している中国艦船を海艦とか公船と称していますが、元は海軍所属でしたが今は海軍の軍籍を外していて、これは軍事行動ではないと言う建前で日々領海侵犯しているのも、官製デモの亜流になります。
勿論船団を組んで出没する漁船等も政府から高額日当を支給されて出漁?している官製デモンストレーションです。
北京5輪の聖火リレーのときに善光寺周辺でのチベット民族弾圧反対デモに対して、中国政府動員のデモ隊が貸し切りバスで大量に集結して、却って、チベット弾圧反対運動家を圧倒してしまった光景を思い出す人が多いでしょう。
在住人数で競えば当然チベット族の方が少ない上に、亡命人はお金がないし日当など払えないので(デモに参加すること自体中国に残して来た身内への迫害を心配するので参加率も低いでしょうし)、競り負けるのは当然です。
他人の国においてさえ、日当支給で大量デモを演出する中国の横暴な態度に肝を冷やした日本人が多かったと思います。
中国政府とすればイザとなれば日本国内でさえ、大量動員出来るという中国の底力を示したつもりでしょう。
同じようなことをアメリカその他どこでも数の力で示して、彼らはそこで国威発揚をした・・相手を圧倒して勝ったつもりになっています。
そんなことをされたその国の国民が、在留中国人や中国政府に対してどのように思うようになるかに思いが至らないのが哀れです。

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