ギリシャ危機とEUの制度矛盾4

日本列島が300諸候に分割統治されていた徳川政権時代でも、都道府県に分れている現在でも1つの国であるように、EU参加国全部を日本の地方自治体のようにしてその住民は自国よりもEUの人の意識であり、出身地の有利不利はあまり関心がないようにして行くつもりだったでしょう。
日本でも、千葉市や東京の調布市に住んでいるのは便宜上そこにいるだけであって、千葉や調布が何らかの理由で立地上不利になればあっさりと捨てて有利になった場所へ移動しても良いと考えている人が大半でしょう。
EU諸国民も今では居住地にこだわる人が少ない・・好きに移動出来るのだから「どこが損な役回りでも良いでしょう」という意味かも知れません。
とは言え、移動の自由を謳歌出来る人は限られていて、大半(特に高齢者)は生まれ育った場所にしがみついているものです。
千葉の住民なども、ここ4〜50年間で移住して来た人が大半ですから都合によってどこへ引っ越しても良いという意識の人が多いだけであって、首都圏等大都会の近郊以外の数世代前から同じ地域に住んでいる人の多い地域(殆どの地方)では、そんな単純なものではない筈です。
実際には地元から動きたくない・・大半が移動しない・・移動の自由が事実上ない人が多いのです。
日本国内・300諸候統治場所の統合と違って、EUの場合はこちらから見れば同じアルファベットの国々のように見えますが、実際にはドイツ語とフランス語スペイン語やギリシャ、イタリアなどそれぞれ言語が違い、日本国内の方言の差とはまるで違います。
政治・法的に統合・移住が自由化されても、実際に自由に移住しても生活に困らない人は、外国語への適応力の有る人に限られます。
日本の国内移住でも方言しか話せない人は尻込みしたくなるでしょうが、それよりももっとハードルが高く法制度だけ自由化しても(特に高齢者にとっては)簡単では有りません。
同一経済圏にして実際には、移住の自由がない人の方が多い期間には、ドイツやオランダ等で富を独り占めしないで、EU全体で均衡ある発展が出来るように、日本の地方交付金のような制度・・再配分制度が日本以上に必要だったと思われます。
内部分配問題はEUに任せておくとして、EUそのものの価値(相対評価)について考えて行きたいと思います。
欧州諸国の内先進国は、日本の台頭によって世界市場競争に負け始めるとアメリカのように内需拡大路線をとらず、(アメリカのように蓄積がなかったので内需拡大をする資金がなかったことによります)他方技術革新で対抗するのでもなく半分正攻法?(外国人労働力を入れて平均賃金を引き下げて輸出単価を下げる)で貿易黒字獲得を目指していたので、内需拡大・財政赤字政策ではありません。
それでもアメリカ、アジア市場での輸出競争で日本に負けるばかりでしたが、安い外国人労働力確保によって、南欧東欧諸国を内庭・市場としてEUに囲い込んで一息ついていたことになります。
グーグルのストリートビユ-で世界中の都市の状況を見られますが、発展著しいアジア諸国の都市(公開されているのは日本くらいかな?)の一般報道(水害関連でバンコクの映像が流れたりしています)で接する上海、香港、マレーシアやシンガポール等の映像に比べて欧州諸国の都市はおしなべて、沈滞している様子が明らかです。
欧州諸国は、新規建造物が増える中で歴史建造物を大事にしているのではなく、まるで新規投資がない、寂れ行く日本の地方都市の様相を呈している印象です。
(ベルリンは東西ドイツ統合後の新規建設都市ですから新しいのは当然ですが・・その他の諸都市のことです)

ギリシャ危機とEUの制度矛盾3(地方交付税)

ギリシャ危機から先祖の預貯金や資源の権益収入で遊び暮らす社会〜格差問題にそれてしまいましたので、Euの制度論・元に戻します。
日本の各県は独立国として輸入制限したり関税を取ったりしないし、貨幣交換レートの切り下げをしたりしない代わりに、地方交付税名目で中央から補助金・補償金をもらっている関係が我が国の政治制度です。
ですから、地方選出国会議員が人口比で多すぎるから、大都会は不当に搾取されているばかりだと言う都会住民の不満は実はおかしいことになります。
沖縄だって独立国になれば、基地を置かせてやる代わりに年間何千億円を要求したり当然関税も要求するでしょうから、そうなれば、沖縄への年間補助金支出と同じことになるかも知れません。
ギリシャの場合、EU参加によって青森等のように、中央にあたるドイツ、フランス,オランダ等から、無関税で(輸入制限なしに)自由に製品が流入するようになったのですが、貿易赤字を調整するべき為替操作権(自国通貨切り下げ権)も国内金融調節権=金利の設定や紙幣供給の調整権能も失ってしまいました。
代わりに補償されるべき日本の地方交付金に似た制度もないので、半端な制度のためにやられっぱなしになっていたのが今回の危機の原因です。
1つの通貨制度にする以上は財政も1つ・・儲かっている地域から補填する制度(日本の地方交付税制度)が必要ですが、これがないままでは、ドイツなど強者にとっては良いことばかりで、弱者・南欧東欧諸国にとっては悪いところだらけの制度になっているのです。
それでも周辺弱小国がEUに入りたがるのは、先進国と同じ経済圏に入る名誉・・?あるいはステータスが欲しいからでしょうか?
ギリシャ国民・庶民にとっては自国が損しようがしまいが、自分が国境の検査なしに自由に先進国に出入り出来る・・どこでも働けるのですから、出身国が損しようしまいが自分には関係ないということでしょう。
先進国は先進国で容易に南欧,東欧の安い労働力を使えるメリットが有ります。
結局EU成立は、労働力の移動の自由・・国内に低賃金異民族・外国人労働力を抱え込む長年の西欧先進国の政策の帰結点でもあったことになります。
人の移動が自由化されれば、国境は不要ですし、ひいては国境ごとに別の政策をする理由もありません。
域内国の権限は、日本の地方自治程度の権限・独自性で足りることになります。
EUは将来的にはこの制度実現を目指しているのでしょうが、その過程での妥協・・と言うのは論理が一貫しないことと同義ですから矛盾が有るのは当然です。
この矛盾を顕在化させないためには、域内貿易黒字国は(日本の地方交付金のような)何らかの資金還流政策をすべきだったことになります。
今回の危機で欧州の黒字国が、何割かの債権放棄しなければならなくなったのは、前払いしておくべき還流資金を今になって払わせられた・帳尻を合わせられたに過ぎないと言えます。

貧困と格差社会

最貧国ほど貧富格差が激しくなる傾向があるのは、有力者が利権収入を得た場合、全体の嵩上げまで出来ずに街全体が貧民街のように貧しくみすぼらしい中に自分の館だけ外国からの輸入品で完成させて一点豪華主義にする傾向が有るからでしょう。
街全体のかさ上げが出来ないので、自分だけで自家用ジェットを持ったりプール付きの邸宅を持つくらいしか出来なかったことが、国内格差の象徴みたいになってしまったように思われます。
30年ほど前まではインフラ全体を輸入することができなかった制約の結果、後進国と先進国とでは町のたたずまいが格段に違っていたのが、海外旅行の楽しみでもありました。
・・中国の改革解放後10年ほど経過した頃に北京へ行ったときは、まだロバが藁を満載した荷車を引いて歩いている風景が有りましたし、昔からの四合院もあちこちに残っていました。
走っているトラックは、我が国で言えば戦争前の古い型のごついものばかりでした。
南方の広州郊外を旅したときには、水路に突き出した厠(まさにかわやです)があちこちに有り、水たまりにはアヒルが泳ぎ水牛中心の水田でした。
その数年前にタイへ旅行したときには、ホテル前の船着き場から船便であちこちを巡るのが普通で、大きな建物と言えば、ホテルや日系デパート、王宮や有名寺院が中心でした。
・・・ここ数十年では中国(上海や北京など)もタイのバンコク・アラブ首長国も皆同じような高層ビルの林立した街・・世界中が似たような市街風景になっています。
それにしても日本の場合、何故支配者が庶民と隔絶した豪奢な生活をしたことがないのでしょうか?
武家政権になってからのことは、質素倹約・質実剛健を旨とする武士の精神が長年日本の精神構造を形作って来たと説明することが可能ですが、質素、簡潔さに美意識を見いだす傾向はそれ以前からの精神構造のようですから(だから武士のモラルにもなれたのです)それは何故か?ということです。
欧米や中国の美意識を足し算の美学とすれば、我が国は俳句に象徴されるように引き算の美学です。
京都の紅葉を見に行くと、京都の庭園の美しさは白砂と白い塀があって、庭園の一隅に一本だけ枝を張っている真っ赤の紅葉の枝振りの決まり方に有って、量に価値が有るのではありません。
和食も量が有ると言えば有りますが、それぞれ一点一点は厳選された逸品を少しずつ出されるのが特徴です。
量にこだわるのは田舎者・田舎料理というランク付けです。
(この点、東福寺は紅葉は量で勝負してるキライ・・決まった枝ブリを愛でるのではなく、量を楽しむだけならばどこの山でも植林すれば出来ます)
カステラでも何でも外国から入って来た嗜好品でも原産地よりも立派なものになっていますし、明治に入って来たに過ぎない歴史の浅い肉食でも、今や日本産の和牛が世界の名品になっています。
日本人は今でも量よりは質の良いものが好きで良いもの・ブランドものには金をかける習慣ですが、長年の歴史がこうした国民性を作り出し、「舶来もの」と言えば超高級品を意味していたのです。
グローバル化によって汎用品を外国で生産して逆輸入するようになると、千年単位で馴染んで来た舶来品の意味が変わってしまいました。
この20年くらい前からは、生活用品に限っては「国産」が品質保証の代名詞になっています。

金銀輸出と日本2(国産志向)

グロ−バル化の進んだ今でも、最先端技術の結晶である携帯電話市場においてもガラパゴス化と言われるほど特に我が国では特異な進化を遂げる国です。
カルフールその他海外流通大手が参入しても根付くことが出来ず、殆どが撤退して行きくのは生活習慣の違いが大きすぎるからでしょう。
昔から日本は外国とは生活習慣・様式の違い・特異性が際立っているので、海外製品そのものをそのまま日常生活に持ち込むことは不可能に近かったことが幸いして国産化努力が必要であったのかも知れません。
国産化が進めば、自然に先進的な製品が国内で大量に作られるので、一般化され易く、国内水準が平準化して行きます。
アラブの産油国あるいはインド等では貧富格差が大きかったのは、生活様式が基本的に欧米先進国と同じなので金持ちは先進国の出来上がった生活様式をそのまま輸入しても違和感がないところにあるように思われます。
世界中で日本以外の国では、宮殿は石造り(あるいは磚や煉瓦等)が基本ですから、権力者は巨大なものを造れますが、日本の場合は木造ばかりですから、権力者になっても巨大化の程度は限られています。
せいぜい五重塔やお寺の山門や本堂くらいです。
(雨の多い東南アジアは別かも知れませんが・・タイだったかマレ−シャだったか忘れましたが、どこかで高床式で日本の桧皮葺きのような屋根の反り返った古い王宮を見学したことが有ります。
しかし、タイの古都アユタヤに行ったときにレンガ作りの塀やパゴダが林立するのを見てきましたし、アンコールワットを見ても分るように原則はレンガや石造りでしょう)
木造社会の日本でも、織豊から江戸時代初期までは、姫路城・熊本城のような巨大な天守閣が造られるようになりますが、それも直ぐにやめて行きます。
(江戸城天守閣は再建されないままになりました)
日本人には大きすぎる家は使い勝手が悪いのです。
それまでは、最大でも大仏殿あるいはお寺の本堂かせいぜい五重塔くらいしか造れず権力者と言えども自宅用に大仏殿のような大きなものを造るのは恐れ多い意識だったでしょう。
天皇家も何故か大きすぎる皇居に住むのを嫌がって?適度な広さの御所から移住しないまま皇位継承後23年もたちました。
アラブの王族は成金であってもその町・インフラが近代化出来るようになったのはこの20年ほどのグローバル化が進んだ結果であってそれまでは、街全体の近代化を出来ないので、、王族が一着何百万の毛皮や洋服を注文したり自宅屋敷の豪華さを競うくらいしか出来ませんでした。
数十年前までは、インフラ自体の輸出・グローバル化ができなかったので、特権階級が点としての自宅居館だけ豪華にする贅沢くらいしかやりようがなかったとも言えます。
20年以上前に家族で中国の広州郊外をマイクロバスで旅行したときに、どろんこ道を4〜5時間走って休憩する施設で車が止まると、いきなり竜宮城のように一角だけ豪華な施設が出来ていたのには驚いたものです。

金銀輸出と日本1(高級品志向)

日本の場合、金銀産出による資金で世界の最高級品を買い集めて、自家薬籠中の物・・国産化努力を怠らなかった点が世界のどの資源国とも違います。
この豊富な資金を使って殆どの分野で世界最高水準の学問・知識・芸術作品の輸入に努め、宗教(古くは空海や最澄などの遣唐使の留学生派遣に留まらず、)その時期時期ごとのいろんな技術・・鉄砲(最後は工芸品になってしまいましたが・・・)から、磁器、絵画、工芸品・学問(朱子学や禅の思想)に至るまで輸入しては、あらゆる物の国産化に努力し続けていました。
アップルのジョブスが日本の禅に傾倒して永平寺に入門しようとしていたと言われるように、今では禅と言えば、日本が本家のような感じでしょう。
数日前に北海道産の生チョコレートを食べているとその箱の中に北緯20度以北では栽培ができないと言われているカカオの栽培に石垣島(北緯24度)で1000本単位の栽培に挑戦中で既にかなり大きく育っていて、近いうちに純国産のチョコレートが出来るようにするべく努力していると書いてありました。
いろんな農産物でも良いのが入って来ると、エリンギでも何でも直ぐに国産化するのを皆さんご存知でしょうが、金を産出するからそれで買えば良いと言うのではなく先ず国産化に努力すること・・これは漢字の輸入に始まる我が国の長い伝統です。
外国では戦争に勝つと金銀財宝を戦利品として持ち帰ることが多いのですが、我が国の場合、朝鮮征伐(子供の頃に習った用語ですが、今では文禄・慶長の役というのでしょうか?)でも財宝を持ち帰るのではなく、優れた陶工を連れ帰っているだけです。
連れ帰った陶工を大事にして一家を構えさせたので、有田焼その他九州各地に陶磁器生産技術が根付いたのです。
日本では世界有数の金銀が取れていたからと言って、それを理由に昔から王侯貴族が贅を極めて遊び暮らしていたことは一回も有りません。
平安貴族は、せいぜい和歌を詠んでいたくらいで質素なものです。
栄華を極めたと言われる藤原氏の残した宇治の平等院くらいが代表的なものでしょうが、元々は浄土思想の顕現としての建物ですし、見に行くと建物の芸術性に感心するものの自分が贅沢するためのものという印象では有りません。
平泉の金色堂も宗教施設であって、自分が贅沢するためのものでは有りません。
家光が金ぴかの日光東照宮を造営しましたが、これも彼の個人的贅沢をするためのものでは有りません。
日明貿易で巨利を得た義満が金閣寺を建てたりしていますが、その程度のことに過ぎず、これと行った贅沢をしていたとも思えません。
東京の六義園(柳沢吉保造営)を見ても今の迎賓館のように、社交の場として造ったものであって、自分一人が贅沢したくて造ったものでは有りません。
明治の財閥が造った庭園も皆同じく接待用で、直ぐに東京都へ寄付したりしています。
日本の場合、古来から世界有数の金銀産出国でありながら、何故平安朝や武家政権時代の将軍家やその周辺で、アラブの王族のような贅沢をしなかったのでしょうか?
今のように何でも輸入出来る時代ではなく、しかも波浪を越えて来るにはリスクが大きく高いものについたからでしょうか。
輸送に大した負担にならない・腐らないもの・・学問を学んで来たり、教典や書物、仏像、絵画、磁器等の内特に高級なもの・・嵩の割に高級な芸術品・文物を買いあさるしかなかったことが幸いしたのでしょうか?
その結果、日本人は庶民に足るまで良いものが、好きになったのだと言い切れるかまで今のところ分りません。
陸続きでなかった結果、金・銀がいくらあっても国民が食うためには自前で食料を作るしかなかったし、衣類その他日用品も、金がいくらあっても輸入で間に合わせられるほど便利な時代ではありませんでした。

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