財政出動5(増税5)

それまでなかった住民サービスを新たに開始するとき・・美術館その他施設(保育所新設も同じです)を造るときには、その分の初期投資額と維持管理費を計算して同額の既存の支出をカット・・何かを廃止するか廃止出来ないならば、増税をセットにして決めるべきです。
可哀想だから生活保護費を上げろ、障害者手当を上げろ、保育所増設せよという議論には、どこかの予算をその分削ることとセットにするか、その分の増税をセットした提案をしないければ論理的ではないし、無責任です。
国保や年金赤字についても以前から書いていますが、一定の収入以下の人には納付義務を免除したり障害者免除など各種例外が設けられていますが、そんなことは税で面倒見るべきことであって、相互扶助・掛け金で成り立っている年金や保険制度に組み込むのは邪道です。
保険制度は相互扶助・・掛け金を納めた人同士で助け合う制度ですから、掛け金を納付しない人にまで保険金を払っていたら赤字になる・・パンクするのは当然です。
生命保険会社や損害保険会社が保険未加入の人にまで保険金を払っていたのでは保険制度自体が成り立たないと言えば直ぐに分ることです。
掛け金も掛けられない人の救済をしたいならば、別途その分これだけ増税する必要があると国民に説明して増税出来たら、増税で来た限度で障害者などは保険の枠外で別途救済すべきです。
生活保護その他福祉予算も税収と切り離して議論するのではなく、「生活保護費に年間これだけかかります、その分の税額はこれだけです」と説明して国民の同意を得た限度で保護して行くしかないでしょう。
放射能測定、一定地域の除染や健康診断は当然個人負担ではなく公的負担でやるべきでしょうが、これら新たに発生する支出に対応する資金はその分増税(または東電に転嫁)しない、と自治体であれ政府であれ赤字になる理屈です。
公的負担と言いさえすれば資金がどこからか降って来るような感覚はおかしいのです。
殆どの市民運動はいろんなことを要求するばかりでその資金手当については何らの言及もしないどころか、セット増税には殆どの場合反対します。
こうした運動方式が蔓延する社会ではどこの自治体でも政府でも財政赤字になるしかありません。
(要するに自分はびた一文負担したくない人が多いのに要求だけはきつい社会です)
今回の震災復興資金でも、全額増税で賄う方式は頭っから問題にされていませんが、おかしな議論風潮です。
可哀想だ・・東北へ援助金をつぎ込むべきだと言いながら、自分の納税額を増やすのを嫌がってるのですから「きれいごと」を言っているだけです。
何事もそんなことに大金をつぎ込むべきではないという意見は、薄情だと批判されるので誰も反対し難い風潮で予算が膨張する一方ですが、他方でそのための資金として増税するべきかという議論になるともっと外に抑制するべき分野がある筈という抽象論で逃げてしまう人が多いのです。
薬害エイズであれ、癩病患者の補償であれ、被害者救済すべきことに私は反対していませんが・・積極的に賛成ですが、それは私を含めた国民全部の責任だから補償すべきと言う考えによるのですが、賛成するからにはその支払分として必要な額を国民みんなが負担すべき=増税すべきだという意見です。
子供の失不祥事に対して親が「私の責任です」と被害者に向かって明言しながらお金を出すのは嫌だと言うのでは、矛盾した発言・・喧嘩になるでしょう。

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