ギリシャ彫刻と日本彫刻(高村光太郎の苦しみ)

日本の絵画の場合、美しい女性も皆着物を着ている・上村松園の描く女性も浮世絵の女性も源氏物語絵巻の女性、飛鳥の高松塚古墳の女性像も当時の理想的装いで描かれている・・時代・社会性を持っています。
高僧や偉人の絵画や彫刻の場合なおさらです。
ミケランジェロのダビデの像(1504年公開)に先立つ運慶の仁王様(1200年代)はほぼ裸ですが、仁王様を金剛力士像というように、ダビデ像よりも社会的宗教的役割がはっきりしています。
古代ギリシャでは時代を超越した理想の人間像を求めたと言えばそれまですが、なぜ古代ギリシャ(ミロのヴィーナスは最後のヘレニズム様式と言われているらしいですが)でそこまで突き抜けられたのかが不思議です。
日本でも真似して?(これはすごいことだと発奮したのでしょうか?)明治以降裸体彫刻や洋画では裸体画が行われていますが、今ひとつ国民意識に定着しない様子です。
今も国民・民族意識は「綺麗に装うものであって・・」その競争に明け暮れています・・頭でギリシャ彫刻を理解したくらいで変わりません。
この結果、明治維新以降彫刻家にとっては、大変な時代が来ています。
それまでのように仏師は仏像を彫っていれば良かった時代ではなくなったので、高村光太郎は、江戸時代からの仏師である父光雲に反抗して見たのでしょうが、高村光太郎展を見た記憶では、結局は十和田湖畔に智恵子像を完成した(大したものですが・・)程度で、その他は(千葉市美術館の企画展では良いものが出品されなかっただけか?)手首や小鳥の彫刻などに逃げていた(素人の乱暴な感想ですが・・)印象を受けました。
以下は光太郎の詩集「道程」です。

僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る  ああ、自然よ父よ僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため  この遠い道程のため

高村光太郎の苦悩は、日本彫刻界の苦悩でもあったでしょう。
あらたな彫刻へ踏み出すのは大変だったと思いますし、素人が口幅ったいことを言っては失礼ですが、今の日本彫刻界もまだまだどうして良いか分からない状態でしょうか。
明治に入って西洋列強に期していくためには、文化でも負けられない・・従来の花鳥風月では芸術と言えないと言う運動が起こり、絵画界でも同じく「洋画」に取り組んだもののすぐにフェノロサと岡倉天心のおかげで「日本画」と言うジャンルが生まれたので、画家の多くが日本画に回帰できて精神世界では大いに助かっているように見えます。
http://artscape.jp/artword/index.php/によると以下の通りです。

日本美術院は、1898年、東京美術学校を辞職した岡倉天心(覚三)を中心に、同じく美校を辞職した橋本雅邦、横山大観、菱田春草、下村観山ら26名によって、在野の美術団体として結成された。
後に経営難となって、1906年に茨城県の五浦に日本画の研究所を移し、対外的な活動をほぼ休止した。天心はアメリカと行き来しながら、この地で海を臨む場所に六角堂を建て、大観、春草らは貧しさに耐えながら研鑽したといわれる。13年の天心の死去を機に、翌14年に大観、観山が中心となって再興日本美術院を結成した。再興院展では、洋画部(20年まで)、彫刻部(61年まで)も設けられた。

この産みの苦しみが東博で今展覧されている横山大観の「無我」でしょうし、同時に展示されていた洋画の青木繁の日本武尊でしょう。
再興美術院では、日本画部門では大観や観山・春草などの英才が多数が出たのでいち早く国民の支持を受けましたが、その他部門ではイマイチで現在に至っています。
大観の今に至る影響力の大きさは明治維新当時の日本を覆った・漱石の神経衰弱に象徴される明治日本の精神界の葛藤を救った功績です。
古代に仏教導入・律令制導入後、和風文化・政治風土との軋轢に苦しんだ時代が終わり、平安時代には空海によって和風文化に適した日本的仏教が創始され、大陸文化.政治制度を吸収した上での各種和風文化が花開いて源氏物語や大和絵が起こり彫刻界では鎌倉時代に運慶のような傑物が出たように、彫刻界でも、欧米の精神を取り込んだ和風の彫刻様式を確立してほしいものです。
ただし我が国では、彫刻はもともと塑像や木造が主流であって金属や石を削る彫刻に馴染みがない・・せいぜい路傍のお地蔵様や狛犬→忠犬ハチ公が対象になる程度です。
絵画のように自宅に飾る習慣がない(書院造が発達したのちも・・・・生活空間の置物は彫刻でなく陶磁器でした(この陶磁器も今風の生活にそぐわなくなくなっています)ことが、大衆(市場での買い手が育たない)支持を得難い大きな違いでしょうか?
お寺の代わりに大きなビルが増えても、・・ホテルやデパート等正面には生花系の華やかなオブジェが食い込んでいますが、彫刻には目が行かない様子です。
この数十年の流れを見ると公園や広場のオブジェとしての意味しか(実用性?が)ないように思うのですが?
北村西望や平櫛田中の作品(例えば鏡獅子は古典題材・「意味」に戻って傑作を残しましたが、国立劇場にあるのでしょっちゅう見られます)は大好きですが、やはり意味があってこそ良いように見えるし家庭向きではありませんし一般ビル向きでもありません。
私の好みから一般化できるとはおもえませんが、私の場合意味(由緒来歴)を重視する傾向があるように思われます。
歴史建造物や歌枕を多くの人が愛するのは、そこに「意味」を見るからです。
各地の美術館で企画展が大流行しているのもその一環ですが、もしも日本人の多くが意味を求めているとしたら、意味不明の裸像を見てもピントこないし、需要に結びつかないでしょう。
高尚な芸術であっても評論家が褒めれてくれたり、美術館お買い上げだけでいいのではなく、市場の支持がないと健全な発達ができません。
裸体彫刻の時代は西欧や地中海世界でもギリシャ〜ローマで終わって以降は「意味の時代」に入っているのであって、ルネッサンス運動で一時的に(過去の遺物が)息を吹き返しただけ・「過去は過去」・だったのかもしれません。
せっかくルーブルで名品多数を鑑賞したのですが、記憶に残るのは、花より団子・・食べ物のことです。
いつも食べ物の思い出ですが、(オルセー美術館ではレストランがあって久しぶりにまともな食事ができて感激した記憶ですが・・・)ルーブルの思い出は、食事環境が(パンくらいしかなく)粗末だったことです。
隣に居合わせた若くてごつい人の太い腕と肩口しか見えなかったので、男の人と思って気楽にちょっと話しかけて見ると、ドイツから来た女性と知って驚いた記憶です。
ドイツ人にとっては気にならない食事内容でしょうが・・・。
食事といえば、ロンドンでも食事はひどいものでしたが、若かったこともあり気になりませんでした。
逆に大英博物館では美味しいオレンジジュースを毎日飲めたのが良い思い出に残っています。
まずい固いパンが紅茶に合うのも知りました。
パリでは高級レストランを探す能力もなく、街中のレストラン(飛び入り)で半端にいろんな食事をしたので、却って不味かった記憶・レベルの低さばかりが記憶に残っている感じです。
しかし大衆向けレストランのレベルが低いのでは、文化の底が知れています。
貧窮の極みである北朝鮮でさえも、最高級レストランでは日本同様のレベルを維持できているのでしょう。
文化度とは大衆レベル・表通りだけではなく、裏道の整備レベルこそ民度の基礎です。
日本は万葉の昔から大衆が文化を支えてきた強みがあります。
大衆を家畜のように支配する律令制が上滑りで終わって、これを利用した我が国古来の民族一体関係を生かした政治が鎌倉以来始まったように、洋風そのままの彫刻〜洋画には日本の心・大衆の支持がないので無理があります。
この数年近代立憲主義の主張が盛んですが、明治以降導入した欧米の皮相な思想は150年経過で次第に日本文化思想に融合(和魂洋才の完成)されてきた結果に対する焦りでしょうか?

海外収益の還流持続性5(ギリシャ・フランスの選択)

この5月6日 (日本時間では7日報道)に行われたギリシャの選挙で経済危機対策として行われている緊縮政策に反対する政党が躍進し、フランスでもドイツと連携して緊縮政策を進めて来たサルコジ現職大統領が敗れ、公務員増加など緊縮よりも支出拡大を主張して来た社会党のオランド氏が勝利しました。
第1次世界大戦後巨額賠償金債務に参ってしまったドイツが、その反動としての開き直りの主張でナチスドイツが躍進したのを想起させる事態です。
フランスやギリシャではナチスのように、景気対策として軍需産業を拡大して隣国を侵略する力はないでしょうが、それでも債務を踏み倒す(「貧者の核兵器」みたいな権利です)ことは出来ます。
債権国の言いなりの緊縮生活は御免・お断り等の主張の結果は、どうなるでしょうか?
緊縮反対と言うことは「倹約して借金支払に努める約束をしたくない」ということですから、言わば開き直りです。
1国だけで支払い拒否すると国際社会から除け者になるので出来ませんが、南欧諸国やフランスその他がまとまって未払い同盟を結ぶと除け者にしておく訳に行かなくなります。
世界中では債務国の方が多いので、金融資本の横暴と言う大義名分を打ち立てて思想的裏付けを得れば、瞬く間に金融資本打倒・・未払いを主張する政治結社が出来てこの主張が世界中に広がるでしょう。
緑の党・環境運動などに比べれば実利があるので、多くの賛同を得易い筈です。
折しも金融資本の総本山でオキュパイウオールの運動が起きたばかりでもあり、金融資本の儲け過ぎ・・横暴批判の思想が広がり始めています。
一定時期・・例えば2020年1月1日午前零時を期してそのトキ現在の債権債務を全部帳消しにするという国際合意(国際的徳政令)が出来たらどうなるでしょう。
このような合意ではっきり損をするのは純債権国ドイツと日本くらいで、その他は収支トントンまたは得する国が殆どでしょうから、この合意(と言う協定成立は無理でもこうした風潮・・今の基準で言えばモラルハザード・・)が成立する可能性が高いのです。
貿易黒字で外貨準備が大きいと思われている中国でも、全部チャラに出来れば日本や諸外国からの投資(木の書いたようにこれらは金融債権・株式です)をすべて接収出来るので損がありません。
以前どこかに書きましたが、約千年も続いた今のイタリア・ベネチア共和国は、最後のころは金融資本で食っていて、スペインやイギリスに次々と踏みたされたことが衰亡の原因になりました。
日本は世界最大の債権国ですが、この蓄積のある内に高齢化時代を乗り切り、人口7〜8000万人程度の安定期を迎えられれば理想的ですが、中南米諸国の国有化の動きやギリシャやフランスの動きを見ていると予想外に早く資本収益の本国送金が許されなくなる時代が来そうな雰囲気です。
我が国が高齢者の方が多い頭でっかち状態の人口構成から脱しない状態で資本収益回収が出来ない時代が来ると大変です。
高齢者が過去の蓄積による資本収益の(年金資金の運用先の焦げ付きにより)回収が出来なくなり、他方で、ここ数十年では現役世代は自分の働きだけでは高齢化した親世代を養うことが出来ないことが明らかです。
そのときまでに、一日も早く少子化を徹底して人口5〜7千万くらいでの安定状態に持って行き、国民の多くが物造り従事しこれによる収入を基本として、これに付随した程度のサービスや商人・金融業者等の均衡のとれた社会になるべきです。
そうなれば、日本は所得再分配による格差是正の必要性が少ない社会になります。

ギリシャ危機4(財政赤字の結末)

ギリシャ(最近ではイタリアの経済危機がクローズアップされていますが、実力以上の借金経済の結果が出た点は同じです)を見殺しにして破綻させて貸付金をパーにすると独仏蘭等の銀行や輸出企業が参ってしまい(その株主や預金者・株主・債権者・・ほぼ自国民や自国企業が損をする)大混乱が起きるので、EUとしては財政出動で誤摩化すしかなくなったのが今回の騒動です。
解決の仕方としては、焦げ付くにまかせた場合、ギリシャ国債保有率の高い銀行や対ギリシャ取引率の高い企業が自己資本不足でやって行けないならば、(独仏国内でも銀行や企業によって関与・保有比率はいろいろでしょう)個別の資金不足に応じた経営責任を問いながら公的資金を注入する方法もあり得るでしょう。
この方が個別金融機関や企業ごとの責任が明確になっていいのですが、その代わり、ギリシャ政府のデフォルトを招いて、経済が大混乱に陥るマイナスが有るので、金融機関が何割の債権カット、残りをEU各国政府=EU中央銀行の資金投入と言う二段階方式が採用されたのでしょう。
(金融機関を除いた一般企業はそのまま取引代金の支払いを100%受けられる方式)
仮に50%の焦げ付き率の場合に放置してデフォルトを待てば、債権者は等しく半額の損失ですが、(大混乱による回り回っての二次、三次〜四次損害も発生して結果的に総損害が2〜300%を超えることもあり得ます)債権カット3割として、2割をEU中央銀行が負担するとした場合、EU域外国の金融機関は、3割だけの損失で済みます。
本来ならば、5割損するところを3割で済むのですから、残りの2割をEUの公的資金投入=域内国みんなで負担して域外国債権者に掛ける迷惑を少なくする方式です。
実際には域外国の金融機関の方がギリシャ国債保有率が低いのと、その国の業界がギリシャとの取引が少ないので2〜3次被害のダメージを受ける比率が低いのに対して、域内国の方は・・特に黒字国のドイツ等がギリシャ国債保有率が高いのと、これまでの取引量も債権に比例して大きいので危機発生後ギリシャへの輸出が停滞することによる二重3重のダメージを受けることになります。
これが国内的には連鎖的被害の拡大を招くので、取引停止の大混乱・ダメージを和らげるために、デフオルト回避にEU全体の死活的利害がかかって必死になっているのです。
日本企業も少しは拘っているでしょうが、日本全体の経済活動から見れば微々たるものでしょう。(あっても1%〜数%?)
EUの騒ぎは、青森や東北各県がデフォルト寸前になった場合に貸し込んでいた東京の金融機関・あるいは販売会社等救済のために東京等の裕福なところの連合体が、どこまで企業の自己責任とし、どこまで財政出動するか騒いでいるような構図です。
(青森等東北各県を例に出して申し訳ないですが、たとえばの話ですので気にしないで下さい・・)
外国金融機関や企業が青森県等に債権を持っていても微々たるものでしょう。
今回の危機が解決したときの結果を想定すれば(独仏蘭等から南欧諸国に対する貿易黒字をさし引けば)独仏蘭等も実質大した黒字国ではなくなってしまう・・財政赤字になりかねない事態が始まりました。

ギリシャ危機とEUの制度矛盾4

日本列島が300諸候に分割統治されていた徳川政権時代でも、都道府県に分れている現在でも1つの国であるように、EU参加国全部を日本の地方自治体のようにしてその住民は自国よりもEUの人の意識であり、出身地の有利不利はあまり関心がないようにして行くつもりだったでしょう。
日本でも、千葉市や東京の調布市に住んでいるのは便宜上そこにいるだけであって、千葉や調布が何らかの理由で立地上不利になればあっさりと捨てて有利になった場所へ移動しても良いと考えている人が大半でしょう。
EU諸国民も今では居住地にこだわる人が少ない・・好きに移動出来るのだから「どこが損な役回りでも良いでしょう」という意味かも知れません。
とは言え、移動の自由を謳歌出来る人は限られていて、大半(特に高齢者)は生まれ育った場所にしがみついているものです。
千葉の住民なども、ここ4〜50年間で移住して来た人が大半ですから都合によってどこへ引っ越しても良いという意識の人が多いだけであって、首都圏等大都会の近郊以外の数世代前から同じ地域に住んでいる人の多い地域(殆どの地方)では、そんな単純なものではない筈です。
実際には地元から動きたくない・・大半が移動しない・・移動の自由が事実上ない人が多いのです。
日本国内・300諸候統治場所の統合と違って、EUの場合はこちらから見れば同じアルファベットの国々のように見えますが、実際にはドイツ語とフランス語スペイン語やギリシャ、イタリアなどそれぞれ言語が違い、日本国内の方言の差とはまるで違います。
政治・法的に統合・移住が自由化されても、実際に自由に移住しても生活に困らない人は、外国語への適応力の有る人に限られます。
日本の国内移住でも方言しか話せない人は尻込みしたくなるでしょうが、それよりももっとハードルが高く法制度だけ自由化しても(特に高齢者にとっては)簡単では有りません。
同一経済圏にして実際には、移住の自由がない人の方が多い期間には、ドイツやオランダ等で富を独り占めしないで、EU全体で均衡ある発展が出来るように、日本の地方交付金のような制度・・再配分制度が日本以上に必要だったと思われます。
内部分配問題はEUに任せておくとして、EUそのものの価値(相対評価)について考えて行きたいと思います。
欧州諸国の内先進国は、日本の台頭によって世界市場競争に負け始めるとアメリカのように内需拡大路線をとらず、(アメリカのように蓄積がなかったので内需拡大をする資金がなかったことによります)他方技術革新で対抗するのでもなく半分正攻法?(外国人労働力を入れて平均賃金を引き下げて輸出単価を下げる)で貿易黒字獲得を目指していたので、内需拡大・財政赤字政策ではありません。
それでもアメリカ、アジア市場での輸出競争で日本に負けるばかりでしたが、安い外国人労働力確保によって、南欧東欧諸国を内庭・市場としてEUに囲い込んで一息ついていたことになります。
グーグルのストリートビユ-で世界中の都市の状況を見られますが、発展著しいアジア諸国の都市(公開されているのは日本くらいかな?)の一般報道(水害関連でバンコクの映像が流れたりしています)で接する上海、香港、マレーシアやシンガポール等の映像に比べて欧州諸国の都市はおしなべて、沈滞している様子が明らかです。
欧州諸国は、新規建造物が増える中で歴史建造物を大事にしているのではなく、まるで新規投資がない、寂れ行く日本の地方都市の様相を呈している印象です。
(ベルリンは東西ドイツ統合後の新規建設都市ですから新しいのは当然ですが・・その他の諸都市のことです)

ギリシャ危機とEUの制度矛盾3(地方交付税)

ギリシャ危機から先祖の預貯金や資源の権益収入で遊び暮らす社会〜格差問題にそれてしまいましたので、Euの制度論・元に戻します。
日本の各県は独立国として輸入制限したり関税を取ったりしないし、貨幣交換レートの切り下げをしたりしない代わりに、地方交付税名目で中央から補助金・補償金をもらっている関係が我が国の政治制度です。
ですから、地方選出国会議員が人口比で多すぎるから、大都会は不当に搾取されているばかりだと言う都会住民の不満は実はおかしいことになります。
沖縄だって独立国になれば、基地を置かせてやる代わりに年間何千億円を要求したり当然関税も要求するでしょうから、そうなれば、沖縄への年間補助金支出と同じことになるかも知れません。
ギリシャの場合、EU参加によって青森等のように、中央にあたるドイツ、フランス,オランダ等から、無関税で(輸入制限なしに)自由に製品が流入するようになったのですが、貿易赤字を調整するべき為替操作権(自国通貨切り下げ権)も国内金融調節権=金利の設定や紙幣供給の調整権能も失ってしまいました。
代わりに補償されるべき日本の地方交付金に似た制度もないので、半端な制度のためにやられっぱなしになっていたのが今回の危機の原因です。
1つの通貨制度にする以上は財政も1つ・・儲かっている地域から補填する制度(日本の地方交付税制度)が必要ですが、これがないままでは、ドイツなど強者にとっては良いことばかりで、弱者・南欧東欧諸国にとっては悪いところだらけの制度になっているのです。
それでも周辺弱小国がEUに入りたがるのは、先進国と同じ経済圏に入る名誉・・?あるいはステータスが欲しいからでしょうか?
ギリシャ国民・庶民にとっては自国が損しようがしまいが、自分が国境の検査なしに自由に先進国に出入り出来る・・どこでも働けるのですから、出身国が損しようしまいが自分には関係ないということでしょう。
先進国は先進国で容易に南欧,東欧の安い労働力を使えるメリットが有ります。
結局EU成立は、労働力の移動の自由・・国内に低賃金異民族・外国人労働力を抱え込む長年の西欧先進国の政策の帰結点でもあったことになります。
人の移動が自由化されれば、国境は不要ですし、ひいては国境ごとに別の政策をする理由もありません。
域内国の権限は、日本の地方自治程度の権限・独自性で足りることになります。
EUは将来的にはこの制度実現を目指しているのでしょうが、その過程での妥協・・と言うのは論理が一貫しないことと同義ですから矛盾が有るのは当然です。
この矛盾を顕在化させないためには、域内貿易黒字国は(日本の地方交付金のような)何らかの資金還流政策をすべきだったことになります。
今回の危機で欧州の黒字国が、何割かの債権放棄しなければならなくなったのは、前払いしておくべき還流資金を今になって払わせられた・帳尻を合わせられたに過ぎないと言えます。

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