新型コロナウイルス(軽症者施設の必要性2)

感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法と略称します。)19条は指定医療機関等に知事が「入院を勧告することができる」とあって、都知事には同法による勧告をしないで都独自施設に入れる自由がある代わり、その費用負担をどうするかの問題が生じます。
公立小中学校に行かず私立に進学するのは自由ですがその代わり入学金授業料等が自己負担になるのと同じです。
保険外治療を求めれば、100%自費負担になるのと似ています。
指定医療機関へ勧告に従って入院すれば、同法39条以下によって患者の自己負担ゼロですが、同法を利用しないホテル等の借上げの費用やその間の医療費負担がどうなるか見えません。
感染症法適用しても勧告でしかなく強制力がないので、患者の自己負担のままだと勧告に従う人が減るので、(勧告に従わず近所の医師にかかる場合、保険・自己負担3割です)感染症法では自己負担ゼロスキームが整備されているのです。
感染症法の勧告をしないで、都道府県独自施設へ入院?勧告した場合に、これに応じた人の負担がどうなるかの制度設計とセットでないと実効性がないでしょう。
帰国者の2週間公共交通機関利用自粛や外出自粛要請が、その間の空港周辺ホテル等の費用負担とセットでなかったので民族愛だけではどうにもならない例がありました。
家族のマイカー送迎期待できない沖縄の人が、成田から(公共交通自粛と言われても沖縄までタクシーで帰れというのか?)の乗り継ぎ便で沖縄に帰ってしまった報道がありましたが、よほど資金力のある人以外帰国してすぐ成田で2週間宿泊して下さいと言われても資金が続かないでしょう。
本題に戻りますと、観光客の途絶えたホテルや空き宿舎等の有効利用が合理的なのはわかりますが、そこへ誘導するとホテル等の借り上げ費用(予算根拠)をどうするか、患者(ホテルの客)に費用負担をさせない法的根拠をどうするかにすぐ行き着きます。
この費用負担の合法化に悩み感染症法の入院勧告したことに?ならないかの相談?が今回の厚労省の態度批判の背景ではないでしょうか?
この場合の対処方法としては以下の二種類が考えられます。

①  軽症者用特化施設を新増設し指定医療機関指定を受ける
②  ホテル等の新施設は指定医療機関の指定を受けずに、指定医療機関に入院したのと同じ費用負担スキームを利用できるように厚労省にお願い

上記②は医療法無視で無理があるので、①の要望だったのでしょうか?
ニュースで出ている日本財団や愛知県等の病床新増設は①のパターンにぴったりですから、重症者向けの施設を含む病院の重装備が無駄なので、特定治療らしい医療もなしに一定期間の健康管理・外部出歩き自粛を求める職務特化した簡易病床向けの医療機関の設置基準変更(緩和)が必要なことは理解可能です。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000180940.html
ベッド不足解消へ大型テント1万床を整備 日本財団[2020/04/03 22:19]
アパホテルや5輪選手用宿舎の転用はどうでしょうか?
もともと職種が違うので、ちょっとした設置基準手直しで済むのか?の疑問です。
もともとホテル業の本質は商法の場屋提供業・業法的には旅館業法ですので、サービスを主体にした料金体系ではありません。

商法(明治三十二年法律第四十八号)
第五百二条 次に掲げる行為は、営業としてするときは、商行為とする。ただし、専ら賃金を得る目的で物を製造し、又は労務に従事する者の行為は、この限りでない
1〜6略
七 客の来集を目的とする場屋における取引

医療は外来を見れば分かるように場所貸しに基本がなく、医療行為のためにその場所(入院設備)を使うだけですので、料金は診療報酬です。
結局はアパホテルが医療法人新設してその法人がホテルを賃借する方式になるのでしょうか?
医療法人は出資金の配当ができないので株式会社の子会社では無理があるので、都の借り上げとの報道があったりするので、都がアパホテルなどから一定期間借り上げて都の公営医療機関とし、その医療機関を厚労省が感染症対応指定医療機関とするのでしょうか?

婚姻費用分担義務5(持参金2)

 

江戸時代でも、大名から大身の旗本あるいは御家人などへ順次地位が下がってくると娘が持参金としてまとまった領地(の収入)まで持って行けることはなかったでしょうし、自作農でも農地を分与して持参しようがないので実家の経済格差に応じて結婚に際しての夫婦財産関係の実情は違っていたのでしょう。
大地主は別として、一般農家の場合女性は貴重な労働力とカウントされて嫁に行く印象でした・・・養って貰うのではなく嫁ぎ先の貴重な労働力として農家では考えられていましたから、離婚すれば待ってましたとばかりに引く手アマタだったとも言われていたことを以前紹介したことがあります。
当時庶民の女性は働き手として期待されていたので、明治生まれの私の母親の世代までは、何かと言うと如何に「自分が働き者だった」かを自慢するのが常でした。
現在でも女性の自慢は、如何に自分が社会的に有能で、バリバリ働いているかではないでしょうか?
パートで働いたり一般会社の下働き程度ですと子を産むのと天秤にかけて子を産む方に傾く人が多くなりますが、一定の高学歴者・・・女性裁判官・高級官僚などではキャリアーに穴があくのを恐れて子を生む人が減って来ています。
子を産む性と入っても、仕事に就けるレベル次第と言うところです。
勿論下働きであっても女性の美徳は几帳面にコツコツ働けることであることは同じですから、男に比べてどこの会社でも女性はよく働きます。
白魚の手などと言うのは最近の褒め言葉であって、昔(と言うか最近まで民話や文学作品などで)はごつごつした骨太の手が働き者だった証としてほめる文章が多かったものです。
特に農家では女性のこつこつと真面目に働き続ける性格は貴重なものでした。
男は灌漑に関する土木作業(これはしょっ中あるものではありません)や、牛馬を使う田起こし等の一時的作業が中心で、持続作業には向きませんので後は祭りの準備や寄り合いなどで時間をつぶしていたのです。
上級武家の妻や、現在のホワイトカラー層以外の庶民では昔から現在の共働き以上の貴重な労働力でしたから、自分の食い扶持を持って嫁に行くどころではなかったのです。
ホワイトカラーその他専業主婦・・高度成長期に一時的に形成された結婚すれば妻を養うしかない・・無駄飯食いになる前提で、夫婦のあり方や離婚を考えると間違います。
むしろ離婚したくとも夫が同意しないと離婚出来ないので、離婚出来るための三行半と言う簡略な書式が考案されたと見ることも可能です。
庶民に取っては、嫁に出すのは働き手を出してやるだけでしたから嫁いで行く娘の食い扶持を実家で仕送りする必要がなかったので、持参金自体考えられもしなかったし、仮にあっても形式的なもので良かったでしょう。
逆に一定のお金をもらえる関係だったと言えるかもしれません。
野球選手のスカウトが甲子園活躍選手の親に契約金を用意したりするのと同様に、嫁入りに関しても結納金として受け入れ側がお金を用意する習慣が出来たのはこのせいです。
嫁入り時の結納金支払習慣がいわゆる人身売買と悪く言われる前金の支払習慣の原型になったかも知れませんがし、いずれにせよ育ち上がった女性はお金を前金で渡すほど役に立ったと言うことです。
このように婚姻する階層によって下に行けば行く程、女性の働きが重視されていましたので、その働きによる夫婦生計の一体制が強まって行く関係だったのです。
明治以降サラリーマンと言うか都市労働者が法的対象の中心になってくると、農作業時代に比べて女性の賃金が低かったことから、次第に女性の地位が低下して行った感じです。
有産階級でも貨幣経済時代になると持参金は名目的になって行きます。
(タンスや着物を持って行くくらいでしたが、今では一生涯分の着物を予め用意して行くなどあり得ない・・5〜10年先に着る洋服など今では想像出来ませんのでこの習慣もほぼ廃れたと言っていいのではないでしょうか)
持参金や持参した領地の上がりで自給出来ない階層・・専業主婦層が法の対象・主役中心になって行った(ブルジョワではなく中間層や庶民が法の対象になってくる)ことが、2010-12-6「婚姻費用分担義務4」まで紹介した同居協力の義務・・すなわち婚姻費用分担請求権が法定されるようになった社会的基礎でしょう。
ちなみに夫婦同居協力の義務は、今とは言い回しが違いますが、結果として明治に出来た民法・・すなわち現行民法が戦後改正される前からありました。
明治の規定と戦後の同居協力義務規定は、家の制度や男尊女卑思想・・一方的な関係から相互関係に変更しただけです。
 
民法親族編旧規定
(戦後改正されるまでの条文)

  第二節 婚姻ノ効力
  第七百八十八条 妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル
  2 入夫及ヒ壻養子ハ妻ノ家ニ入ル
  第七百八十九条 妻ハ夫ト同居スル義務ヲ負フ
  2 夫ハ妻ヲシテ同居ヲ為サシムルコトヲ要ス
  第七百九十条 夫婦ハ互ニ扶養ヲ為ス義務ヲ負フ

現行条文

 第2節婚姻の効力

(同居、協力及び扶助の義務)
第752条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。

婚姻費用分担と財産分与2

  

財産分与と言う漢字の意味からすれば、(正確には分与=分け与える・一方的な恩恵ですが・・長い間夫婦形成財産の分割の意味で使われて来ました)離婚時の共有財産の清算が本質で、離婚後の扶養を加味するのは奇異な感じですが、私が勉強していた当時は(基本書は主として昭和30年代までの判例学説を解説するものでした・・・)夫婦で形成した財産など微々たるものにすぎなかった社会経済状況を前提にしていたのです。
当時の都会流入者・・金の卵等と言われて集団就職等で都会に出て来た若者は結婚すればアパートないし借家住まいをするのが普通で今のように多くの人が自宅一戸建てやマンション等を所有している状態ではありませんでした。
・・そのために私の住んでいた池袋など多くの場所では、民間のアパートが急増されたのですが、これでは追いつかないので、社宅や県営、都営住宅や住宅団地が大規模に造られました。
住宅公団や住宅金融公庫法などは昭和25年頃から順次整備され始め30年代に完成していることを、10/29/03「相続分3(民法105)(配偶者相続分の変遷1)(ホワイトカラー層・団地族の誕生)」のコラムで紹介しましたが、土地買収から土木工事を経て実際に大規模な団地への入居が始まったたのは昭和30年代末から40年代にかけてのことです。
借地や借家生活は戦後に限らず明治大正時でも基本は同じで都会流入者・よそ者は、借地して家を建てたり借家住まいになるのが普通でした。
(あえて言えば江戸時代でもよそ者は大きく成功しない限り同じく長屋住まいが原則・・土地の売買仕組みがあまり機能していなかったことによるのでしょう)
大名屋敷や武家地なども将軍家かどこか分りませんが政府から借用と言うか指定されて使用しているに過ぎず、(忠臣蔵で有名な吉良上野が屋敷替えを命じられたのはこの原理の応用です)明治になって国民に払い下げたことによって初めて個人所有になったことを、09/01/09「地租改正4(東京府達別紙)」前後で紹介したことがあります。
この政策が大きく転換したのは,昭和30年代後半〜40年代に入って借地法の解約制限が厳しくなり,厳しくすれば貸す人が減りますので、他方で政府による持ち家政策が始まったことによるのです。
例えば昭和35〜6年頃に離婚事件を起こす人は、昭和20年代から30年代初めに結婚した人であるとすれば、(婚姻後2年や3年で離婚になった場合、これと言った財産を形成出来る訳がないのは今でも同じです)その頃・・・敗戦後焼け野が原にバラックから復興を始めた日本の疲弊した経済状態を前提にすれば、結婚後5年〜10年経過していても多くの人がこれと言った資産を持っていなかったことが分る筈です。
これと言った財産のない状態で離婚するのが普通であった当時としては、(30年代半ば以降は)所得倍増計画が始まった頃で,現役労働者・男には離婚後もフローとしての確かな収入が予定されていたのに対し、離婚後の(無職)妻子の生活保障がなかったので財産分与の解釈に扶養要素を取り込む必要であったことによるのでしょう。
これまで書いているように、結婚制度は子育ての間の母子の生活保障のために形成されて来たとする私の仮説からすれば、婚姻解消に際しても母子の生活がどうなるかについて関心を持つのは当然のことになります。

婚姻費用分担と財産分与 1

11月26日に書いたように何十世代にもわたって同一地域内・・隣接集落を巻き込んだ一定規模の範囲で婚姻を繰り返していれば、遠くをさかのぼれば近隣の人はみんな親族ですから、近隣=先祖をさかのぼれは親族ですから、満蒙開拓団であれ北海道の屯田兵であれ,郷里を同じくし,あるいはもとの家臣団で団を編成して向かえば助け合いに便利だったのです。
都市への移動が盛んになり近隣住民相互扶助や親族共同体崩壊に比例して、核家族構成員だけでは賄いきれない出産や冠婚葬祭・病人の看護に関しては家庭(主として女性の助け合い)に委ねられなくなったので、産院・病院の施設充実(完全看護化)が早くから進み、ついで託児所や保育所が充実し、最近では精神面の援助をする子育て支援センター等も充実して来ました。
子育て支援の経済的側面に限っては、社会化が容易に進まない(国にそこまでの経済力がなかった)ことから、婚姻中の経済的負担を夫に対して法的に強制することにしたのが、婚姻費用分担制度であり離婚後もその延長で責任を求めるのが養育料支払義務制度であると私は理解しています。
養育料となれば赤ちゃんの生活費だけ払えば良いかと誤解する人がいるでしょうが,赤ちゃんを育てるために掛かりっきりになっている母親が働けないので,その生活費も面倒を見ることになるのは当然です。
企業が解雇後の失業者の生活費について一定期間責任を持つために雇用期間中から失業保険料の負担をしているのも同じ精神構造でしょう。
このコラムでは養育料支払の関心から議論が入ってきたので、書く順序が逆になっていますが、貨幣経済化の進展によって婚姻費用分担・・要は家族構成員の生活費を誰が責任を持って見るべきかの問題意識が生じて来て、その思考の延長として離婚後も養育料を負担すべきだとなって来たものです。
離婚後の配偶者に対する生活保障は離婚した当事者には本来関係がない筈ですが、元々社会保障不足分を補うために婚姻費用分担義務を創設したとすれば、その延長で離婚後の後始末として母子の生活費を別れた夫にも分担させるようになったのは勢いの赴くところと言うものでしょう。
離婚時の財産分与の内容は、今でこそ夫婦形成財産の分割・清算と理解されていますが,当時は慰藉料や離婚後の母子の生活保障万般を含んだものであると言うのが、司法試験を勉強した頃の学説判例でした。
事務所に行けば勿論本がありますが、面倒(何回も書きますがこれは正式論文ではなく思いつきを自宅でヒマな時に書いているコラム)なので,ネットで調べてみたところ、以下の住所の「法律用語の豆知識」では以下の通り解説されていましたので、今(この検索した11月30日時点)でも公式にはこのように言われているのでしょう。
(次回に書くように私の実務経験では大分前から経済実態が変わってしまい、・・我々実務運用でも意味が変わっていると思っていたのでこのような解説がネット上で現存しているのには驚きました)

http://www.kkin-en.net/houritu/x84-5.html
財産分与請求権

「離婚した一方の者は、相手方に財産分与を請求できます。財産分与請求権の性質としては、夫婦共同生活中の共有財産の清算が中心的で、離婚後の扶養の要素も含まれていると解されています」

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC