アメリカの軍事費分担要求

軍事費分担問題に戻りますと、トランプ氏の要求は選挙用に単純化して基地維持費の負担増を主張しているだけであって、問題は日本駐留の軍事基地コスト分担だけの問題ではありません。
仮に沖縄からグアムに移転しても南シナ海等のシーレーンを守って欲しいならば、シーレーン防衛分担金を払う必要がある点は変わりません。
(ソマリア沖の海賊対策に、日本も既に自衛隊を出しています)
自分のムラでの犯罪ではなくとも隣村の捜査に協力するように、世界の安全は相互作用で成り立っています。
日常経費である基地維持費の分担金比率上げの外に、有事の出動費はその地域で全額持てと言う時代が来るのでしょう。
西太平洋全域の防衛能力をグアムが持つようになると、当然グアム島だけを守るのに必要な防衛力の何十倍もの軍事力になります。
警察署は自分の建物に対する泥棒除け以上の防衛力を持っているので警察署への強盗がはいらないのと同じです。
沖縄基地が、周辺海域全部の防衛を兼ねている以上は、沖縄(あるいは日本列島全域)防衛に必要以上の軍事力ですから沖縄を攻撃するのには、周辺海域全部と戦う以上の攻撃力が必要になります。
沖縄を狙う勢力にとっては沖縄駐留米軍を一日も早くグアムへ移転させたいのは当然です。
ある家に強盗に入ろうとする場合,隣近所にある警察署がなくなる方が便利です。
米軍がグアムへ行ってもイザとなれば応援に来れれば同じことですが、その場にいるのとワザワザ遠くから出て来るには相応の決断がいるので、実戦的には大きな違いです。
国や地域全体では守備隊がいた方が安心ですが、基地や警察を狙うテロが頻発すると近くに基地があると逆に危険感が増しますし、テロ被害がなくともジェット機の発達で騒音被害などが生じます。
このように経費負担しても良いから来て欲しい・・警察署や軍事基地が近い方が良いのか遠い方が良いのかは、国民の価値観によりますし、時代状況にもよるでしょう。
アメリカは世界の警察官役(軍事的睨み)をやっている結果,(日本など基地所在国に相応の分担をさせて)自国防衛に必要以上の巨大軍事力を維持出来ている・・世界先端兵器の開発や維持が出来ているのですから、世界の警察官(軍事解決)役を単純放棄すると、自国だけの防衛能力維持すらも怪しくなって行きます。
ですから、トランプ氏が大統領になっても誰がなってもアメリカ自身の国際競争力の低下→経済力縮小に応じて徐々に軍事力削減して行く方向は変わらないと思われますが、強大な軍事力を背景とするいろんな利権(軍需産業だけではなく派生する波及効果)と結びついているので軍事力削減は単純ではありません。
そこで守って欲しいならば、分担金を払えと行って、よその国の経費で一定の軍事力維持を図っていく方向になります。
アメリカは日本や独逸に物造りでは負け始めて久しいですが、今残っているアメリカの強みはユダヤ系の得意な金融の外、知財関係ですが知財は高度な軍需産業の存在と密接に関連しています。
軍需産業を縮小すると知財の足腰が弱ってきます。
経済活動の大方が物造りに関連しているので、金融や軍需産業とその関連で派生する知財産業の優位性だけでアメリカの巨大な人口を養うには無理がありますし、多くの人に職場提供することも出来ませんので知財や金融に特化すればするほど大きな人口は無駄=マイナス要因になります。
世上人口ボーナス、オーナス論が盛んで(私はこれに基本的反対であることはあちこちに書いてきました)これにそってアメリカもEUも移民を増やして来ました。
移民の大多数は底辺労働者=平均賃金以下ですから、アメリカや欧州が移民を入れれば入れるほど金融・知財収入で養う人口が増える・・負担が増える一方になります。
知財(アップルの大成功で労働者が増えたのは低賃金工場のある中国であってアメリカでは殆ど雇用に役立っていません)や金融に頼る社会は、一握りの億万長者と無職失業・低賃金労働者の2極分化社会ですから、当然格差社会化が進みます。
イギリスはアメリカよりも1世代以上早く製造業で負けてしまい金融に特化して来たので、格差が顕著になって来た・・これがEU離脱を勢いづかせている基礎的経済背景です。
EU離脱論は憂さ晴らし的に難民流入が行けないと言うスローガンに飛びついていますが、社会構造が中間層不要・・未熟練動労働者=非正規・移民で充分の状態が背景にあります。
マスコミは、「移民反対と言うけれどもこの地域の農業は移民が過酷な労働に耐えているから成り立っている現実がある」と言うイギリス農業の紹介が時々出ます。
工場の低賃金労働も移民が働いているから成り立っている現実→これがまた移民が職を奪うと言う主張と重なっていますが・・・。
アメリカの工賃が中国に負けないくらいに下がっていることをアメリカが豪語し国内製造業回帰を宣伝出来るのは、低賃金労働を厭わない移民増加の御陰でしょうが、裏から言えばその分低賃金層増加・格差拡大に繋がっています。
アメリカの移民排斥を主張するトランプ氏の本音は格差拡大の不満を移民排斥論にすり替えている点ではイギリスのEU離脱論と同じでしょう。
格差拡大反対だとスケープゴートを仕立て上げ難い・精々金融機関が儲け過ぎと言う程度ですが、移民反対の方が標的を作り上げ易い・・大衆をあおり易いからです。

婚姻費用分担義務5(持参金2)

 

江戸時代でも、大名から大身の旗本あるいは御家人などへ順次地位が下がってくると娘が持参金としてまとまった領地(の収入)まで持って行けることはなかったでしょうし、自作農でも農地を分与して持参しようがないので実家の経済格差に応じて結婚に際しての夫婦財産関係の実情は違っていたのでしょう。
大地主は別として、一般農家の場合女性は貴重な労働力とカウントされて嫁に行く印象でした・・・養って貰うのではなく嫁ぎ先の貴重な労働力として農家では考えられていましたから、離婚すれば待ってましたとばかりに引く手アマタだったとも言われていたことを以前紹介したことがあります。
当時庶民の女性は働き手として期待されていたので、明治生まれの私の母親の世代までは、何かと言うと如何に「自分が働き者だった」かを自慢するのが常でした。
現在でも女性の自慢は、如何に自分が社会的に有能で、バリバリ働いているかではないでしょうか?
パートで働いたり一般会社の下働き程度ですと子を産むのと天秤にかけて子を産む方に傾く人が多くなりますが、一定の高学歴者・・・女性裁判官・高級官僚などではキャリアーに穴があくのを恐れて子を生む人が減って来ています。
子を産む性と入っても、仕事に就けるレベル次第と言うところです。
勿論下働きであっても女性の美徳は几帳面にコツコツ働けることであることは同じですから、男に比べてどこの会社でも女性はよく働きます。
白魚の手などと言うのは最近の褒め言葉であって、昔(と言うか最近まで民話や文学作品などで)はごつごつした骨太の手が働き者だった証としてほめる文章が多かったものです。
特に農家では女性のこつこつと真面目に働き続ける性格は貴重なものでした。
男は灌漑に関する土木作業(これはしょっ中あるものではありません)や、牛馬を使う田起こし等の一時的作業が中心で、持続作業には向きませんので後は祭りの準備や寄り合いなどで時間をつぶしていたのです。
上級武家の妻や、現在のホワイトカラー層以外の庶民では昔から現在の共働き以上の貴重な労働力でしたから、自分の食い扶持を持って嫁に行くどころではなかったのです。
ホワイトカラーその他専業主婦・・高度成長期に一時的に形成された結婚すれば妻を養うしかない・・無駄飯食いになる前提で、夫婦のあり方や離婚を考えると間違います。
むしろ離婚したくとも夫が同意しないと離婚出来ないので、離婚出来るための三行半と言う簡略な書式が考案されたと見ることも可能です。
庶民に取っては、嫁に出すのは働き手を出してやるだけでしたから嫁いで行く娘の食い扶持を実家で仕送りする必要がなかったので、持参金自体考えられもしなかったし、仮にあっても形式的なもので良かったでしょう。
逆に一定のお金をもらえる関係だったと言えるかもしれません。
野球選手のスカウトが甲子園活躍選手の親に契約金を用意したりするのと同様に、嫁入りに関しても結納金として受け入れ側がお金を用意する習慣が出来たのはこのせいです。
嫁入り時の結納金支払習慣がいわゆる人身売買と悪く言われる前金の支払習慣の原型になったかも知れませんがし、いずれにせよ育ち上がった女性はお金を前金で渡すほど役に立ったと言うことです。
このように婚姻する階層によって下に行けば行く程、女性の働きが重視されていましたので、その働きによる夫婦生計の一体制が強まって行く関係だったのです。
明治以降サラリーマンと言うか都市労働者が法的対象の中心になってくると、農作業時代に比べて女性の賃金が低かったことから、次第に女性の地位が低下して行った感じです。
有産階級でも貨幣経済時代になると持参金は名目的になって行きます。
(タンスや着物を持って行くくらいでしたが、今では一生涯分の着物を予め用意して行くなどあり得ない・・5〜10年先に着る洋服など今では想像出来ませんのでこの習慣もほぼ廃れたと言っていいのではないでしょうか)
持参金や持参した領地の上がりで自給出来ない階層・・専業主婦層が法の対象・主役中心になって行った(ブルジョワではなく中間層や庶民が法の対象になってくる)ことが、2010-12-6「婚姻費用分担義務4」まで紹介した同居協力の義務・・すなわち婚姻費用分担請求権が法定されるようになった社会的基礎でしょう。
ちなみに夫婦同居協力の義務は、今とは言い回しが違いますが、結果として明治に出来た民法・・すなわち現行民法が戦後改正される前からありました。
明治の規定と戦後の同居協力義務規定は、家の制度や男尊女卑思想・・一方的な関係から相互関係に変更しただけです。
 
民法親族編旧規定
(戦後改正されるまでの条文)

  第二節 婚姻ノ効力
  第七百八十八条 妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル
  2 入夫及ヒ壻養子ハ妻ノ家ニ入ル
  第七百八十九条 妻ハ夫ト同居スル義務ヲ負フ
  2 夫ハ妻ヲシテ同居ヲ為サシムルコトヲ要ス
  第七百九十条 夫婦ハ互ニ扶養ヲ為ス義務ヲ負フ

現行条文

 第2節婚姻の効力

(同居、協力及び扶助の義務)
第752条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。

婚姻費用分担と財産分与2

  

財産分与と言う漢字の意味からすれば、(正確には分与=分け与える・一方的な恩恵ですが・・長い間夫婦形成財産の分割の意味で使われて来ました)離婚時の共有財産の清算が本質で、離婚後の扶養を加味するのは奇異な感じですが、私が勉強していた当時は(基本書は主として昭和30年代までの判例学説を解説するものでした・・・)夫婦で形成した財産など微々たるものにすぎなかった社会経済状況を前提にしていたのです。
当時の都会流入者・・金の卵等と言われて集団就職等で都会に出て来た若者は結婚すればアパートないし借家住まいをするのが普通で今のように多くの人が自宅一戸建てやマンション等を所有している状態ではありませんでした。
・・そのために私の住んでいた池袋など多くの場所では、民間のアパートが急増されたのですが、これでは追いつかないので、社宅や県営、都営住宅や住宅団地が大規模に造られました。
住宅公団や住宅金融公庫法などは昭和25年頃から順次整備され始め30年代に完成していることを、10/29/03「相続分3(民法105)(配偶者相続分の変遷1)(ホワイトカラー層・団地族の誕生)」のコラムで紹介しましたが、土地買収から土木工事を経て実際に大規模な団地への入居が始まったたのは昭和30年代末から40年代にかけてのことです。
借地や借家生活は戦後に限らず明治大正時でも基本は同じで都会流入者・よそ者は、借地して家を建てたり借家住まいになるのが普通でした。
(あえて言えば江戸時代でもよそ者は大きく成功しない限り同じく長屋住まいが原則・・土地の売買仕組みがあまり機能していなかったことによるのでしょう)
大名屋敷や武家地なども将軍家かどこか分りませんが政府から借用と言うか指定されて使用しているに過ぎず、(忠臣蔵で有名な吉良上野が屋敷替えを命じられたのはこの原理の応用です)明治になって国民に払い下げたことによって初めて個人所有になったことを、09/01/09「地租改正4(東京府達別紙)」前後で紹介したことがあります。
この政策が大きく転換したのは,昭和30年代後半〜40年代に入って借地法の解約制限が厳しくなり,厳しくすれば貸す人が減りますので、他方で政府による持ち家政策が始まったことによるのです。
例えば昭和35〜6年頃に離婚事件を起こす人は、昭和20年代から30年代初めに結婚した人であるとすれば、(婚姻後2年や3年で離婚になった場合、これと言った財産を形成出来る訳がないのは今でも同じです)その頃・・・敗戦後焼け野が原にバラックから復興を始めた日本の疲弊した経済状態を前提にすれば、結婚後5年〜10年経過していても多くの人がこれと言った資産を持っていなかったことが分る筈です。
これと言った財産のない状態で離婚するのが普通であった当時としては、(30年代半ば以降は)所得倍増計画が始まった頃で,現役労働者・男には離婚後もフローとしての確かな収入が予定されていたのに対し、離婚後の(無職)妻子の生活保障がなかったので財産分与の解釈に扶養要素を取り込む必要であったことによるのでしょう。
これまで書いているように、結婚制度は子育ての間の母子の生活保障のために形成されて来たとする私の仮説からすれば、婚姻解消に際しても母子の生活がどうなるかについて関心を持つのは当然のことになります。

婚姻費用分担と財産分与 1

11月26日に書いたように何十世代にもわたって同一地域内・・隣接集落を巻き込んだ一定規模の範囲で婚姻を繰り返していれば、遠くをさかのぼれば近隣の人はみんな親族ですから、近隣=先祖をさかのぼれは親族ですから、満蒙開拓団であれ北海道の屯田兵であれ,郷里を同じくし,あるいはもとの家臣団で団を編成して向かえば助け合いに便利だったのです。
都市への移動が盛んになり近隣住民相互扶助や親族共同体崩壊に比例して、核家族構成員だけでは賄いきれない出産や冠婚葬祭・病人の看護に関しては家庭(主として女性の助け合い)に委ねられなくなったので、産院・病院の施設充実(完全看護化)が早くから進み、ついで託児所や保育所が充実し、最近では精神面の援助をする子育て支援センター等も充実して来ました。
子育て支援の経済的側面に限っては、社会化が容易に進まない(国にそこまでの経済力がなかった)ことから、婚姻中の経済的負担を夫に対して法的に強制することにしたのが、婚姻費用分担制度であり離婚後もその延長で責任を求めるのが養育料支払義務制度であると私は理解しています。
養育料となれば赤ちゃんの生活費だけ払えば良いかと誤解する人がいるでしょうが,赤ちゃんを育てるために掛かりっきりになっている母親が働けないので,その生活費も面倒を見ることになるのは当然です。
企業が解雇後の失業者の生活費について一定期間責任を持つために雇用期間中から失業保険料の負担をしているのも同じ精神構造でしょう。
このコラムでは養育料支払の関心から議論が入ってきたので、書く順序が逆になっていますが、貨幣経済化の進展によって婚姻費用分担・・要は家族構成員の生活費を誰が責任を持って見るべきかの問題意識が生じて来て、その思考の延長として離婚後も養育料を負担すべきだとなって来たものです。
離婚後の配偶者に対する生活保障は離婚した当事者には本来関係がない筈ですが、元々社会保障不足分を補うために婚姻費用分担義務を創設したとすれば、その延長で離婚後の後始末として母子の生活費を別れた夫にも分担させるようになったのは勢いの赴くところと言うものでしょう。
離婚時の財産分与の内容は、今でこそ夫婦形成財産の分割・清算と理解されていますが,当時は慰藉料や離婚後の母子の生活保障万般を含んだものであると言うのが、司法試験を勉強した頃の学説判例でした。
事務所に行けば勿論本がありますが、面倒(何回も書きますがこれは正式論文ではなく思いつきを自宅でヒマな時に書いているコラム)なので,ネットで調べてみたところ、以下の住所の「法律用語の豆知識」では以下の通り解説されていましたので、今(この検索した11月30日時点)でも公式にはこのように言われているのでしょう。
(次回に書くように私の実務経験では大分前から経済実態が変わってしまい、・・我々実務運用でも意味が変わっていると思っていたのでこのような解説がネット上で現存しているのには驚きました)

http://www.kkin-en.net/houritu/x84-5.html
財産分与請求権

「離婚した一方の者は、相手方に財産分与を請求できます。財産分与請求権の性質としては、夫婦共同生活中の共有財産の清算が中心的で、離婚後の扶養の要素も含まれていると解されています」

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