婚姻費用分担義務5(持参金2)

 

江戸時代でも、大名から大身の旗本あるいは御家人などへ順次地位が下がってくると娘が持参金としてまとまった領地(の収入)まで持って行けることはなかったでしょうし、自作農でも農地を分与して持参しようがないので実家の経済格差に応じて結婚に際しての夫婦財産関係の実情は違っていたのでしょう。
大地主は別として、一般農家の場合女性は貴重な労働力とカウントされて嫁に行く印象でした・・・養って貰うのではなく嫁ぎ先の貴重な労働力として農家では考えられていましたから、離婚すれば待ってましたとばかりに引く手アマタだったとも言われていたことを以前紹介したことがあります。
当時庶民の女性は働き手として期待されていたので、明治生まれの私の母親の世代までは、何かと言うと如何に「自分が働き者だった」かを自慢するのが常でした。
現在でも女性の自慢は、如何に自分が社会的に有能で、バリバリ働いているかではないでしょうか?
パートで働いたり一般会社の下働き程度ですと子を産むのと天秤にかけて子を産む方に傾く人が多くなりますが、一定の高学歴者・・・女性裁判官・高級官僚などではキャリアーに穴があくのを恐れて子を生む人が減って来ています。
子を産む性と入っても、仕事に就けるレベル次第と言うところです。
勿論下働きであっても女性の美徳は几帳面にコツコツ働けることであることは同じですから、男に比べてどこの会社でも女性はよく働きます。
白魚の手などと言うのは最近の褒め言葉であって、昔(と言うか最近まで民話や文学作品などで)はごつごつした骨太の手が働き者だった証としてほめる文章が多かったものです。
特に農家では女性のこつこつと真面目に働き続ける性格は貴重なものでした。
男は灌漑に関する土木作業(これはしょっ中あるものではありません)や、牛馬を使う田起こし等の一時的作業が中心で、持続作業には向きませんので後は祭りの準備や寄り合いなどで時間をつぶしていたのです。
上級武家の妻や、現在のホワイトカラー層以外の庶民では昔から現在の共働き以上の貴重な労働力でしたから、自分の食い扶持を持って嫁に行くどころではなかったのです。
ホワイトカラーその他専業主婦・・高度成長期に一時的に形成された結婚すれば妻を養うしかない・・無駄飯食いになる前提で、夫婦のあり方や離婚を考えると間違います。
むしろ離婚したくとも夫が同意しないと離婚出来ないので、離婚出来るための三行半と言う簡略な書式が考案されたと見ることも可能です。
庶民に取っては、嫁に出すのは働き手を出してやるだけでしたから嫁いで行く娘の食い扶持を実家で仕送りする必要がなかったので、持参金自体考えられもしなかったし、仮にあっても形式的なもので良かったでしょう。
逆に一定のお金をもらえる関係だったと言えるかもしれません。
野球選手のスカウトが甲子園活躍選手の親に契約金を用意したりするのと同様に、嫁入りに関しても結納金として受け入れ側がお金を用意する習慣が出来たのはこのせいです。
嫁入り時の結納金支払習慣がいわゆる人身売買と悪く言われる前金の支払習慣の原型になったかも知れませんがし、いずれにせよ育ち上がった女性はお金を前金で渡すほど役に立ったと言うことです。
このように婚姻する階層によって下に行けば行く程、女性の働きが重視されていましたので、その働きによる夫婦生計の一体制が強まって行く関係だったのです。
明治以降サラリーマンと言うか都市労働者が法的対象の中心になってくると、農作業時代に比べて女性の賃金が低かったことから、次第に女性の地位が低下して行った感じです。
有産階級でも貨幣経済時代になると持参金は名目的になって行きます。
(タンスや着物を持って行くくらいでしたが、今では一生涯分の着物を予め用意して行くなどあり得ない・・5〜10年先に着る洋服など今では想像出来ませんのでこの習慣もほぼ廃れたと言っていいのではないでしょうか)
持参金や持参した領地の上がりで自給出来ない階層・・専業主婦層が法の対象・主役中心になって行った(ブルジョワではなく中間層や庶民が法の対象になってくる)ことが、2010-12-6「婚姻費用分担義務4」まで紹介した同居協力の義務・・すなわち婚姻費用分担請求権が法定されるようになった社会的基礎でしょう。
ちなみに夫婦同居協力の義務は、今とは言い回しが違いますが、結果として明治に出来た民法・・すなわち現行民法が戦後改正される前からありました。
明治の規定と戦後の同居協力義務規定は、家の制度や男尊女卑思想・・一方的な関係から相互関係に変更しただけです。
 
民法親族編旧規定
(戦後改正されるまでの条文)

  第二節 婚姻ノ効力
  第七百八十八条 妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル
  2 入夫及ヒ壻養子ハ妻ノ家ニ入ル
  第七百八十九条 妻ハ夫ト同居スル義務ヲ負フ
  2 夫ハ妻ヲシテ同居ヲ為サシムルコトヲ要ス
  第七百九十条 夫婦ハ互ニ扶養ヲ為ス義務ヲ負フ

現行条文

 第2節婚姻の効力

(同居、協力及び扶助の義務)
第752条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。

専業主婦とジェンダーの完成

 

今年の春に離婚が成立した薬剤師夫婦の場合も、夫婦で20万前後の高層マンションのローンを組んでいることもあって(この支払に困るからでしょうか)夫の方が子を産むのに協力しないことが妻の不満の原因でした 。
懐が別と言う結婚が増えてくると結婚率がどうのと言ってもその意味内容が変質して来ます 。
今から25年ほど前に奥さんが日常生活費を負担し、夫が家賃と公共料金の引き落としを負担していた夫婦があって、子供が生まれて奥さんが退職したのに夫が上記以上の負担をしないので奥さんが食うに困って実家からの仕送りで生活をしていたあげく離婚事件になったのを受任したことを紹介したことがあります 。
この頃の私はとんでもない男だと言う考えで受任し、02/23/05「離婚の実態1(夫婦の家は誰のもの?1)」のコラムで紹介しましたが、最近上記のような相談事例が増えてくると15年ほど前のその男は今では、時代の先端を実践していたことになります 。
私たちの世代はいわゆる専業主婦の時代でしたから、(税制・保険・年金制度はすべてこれを基礎に設計されていたことは周知のとおりです)いわば古代から始まった夫婦婚姻制度・ジェンダーの完成期であったと言えるかも知れません。
夫たちは生活の100%を委ねられて(妻に100%頼られて)いる以上は、これに応えて妻の信頼を裏切らないことが美徳であり、夫婦ともに不貞行為をしないところか積極的に一秒も早く家に帰り家庭第一に生きて行く・・楽しみごとは親子で楽しみ、子供が育ち上がれば夫婦中心で楽しむことが理想の姿でした 。
ご記憶の方がいるかも知れませんが、昭和30年代半ば頃にアメリカのホームドラマ「パパは何でも知っている」と言うのが茶の間に紹介されてマイホーム主義の理想的な姿として日本社会に浸透(特に専業主婦層及びその予備軍を魅了)した時代でした 。
ところが、企業社会の方では高度成長から国際競争社会への突入で社員(主として男性)に対しては、滅私奉公・猛烈社員(「24時間戦えますか!」の広告が有名です)を求めている点で、マイホーム主義と猛烈主義との価値観の分裂が生じていました。
外に出ている夫は、妻の不満があっても会社人間にならざるを得ず、夫の交際は会社関係者が中心で終業後も遅くまで帰って来ないのが普通ですから、上記の家庭のあるべき姿の価値観で生きている奥さんは不満ですし、この価値観の分裂が主婦層の不満の蓄積となり熟年離婚に繋がっているのです 。
この二つの価値観の相克では、家庭にいる方が割を食う印象(何時帰るか、夕食を食べるか否かさえも分らない夫に不満を抱いた主婦が大半でしょう)になって主婦層あるいは結婚予備軍の若い女性が「では私も外で働くわ!」となって、男女ともに猛烈型競争に参加する時代・・結局猛烈型の勝利に終わったと言うことでしょうか?

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC