植村記者問題4(ムード報道と義母の関係3)

植村記者の書いた記事自体については、委員会資料にはその記事の写しが出ていないので何が問題になっているのか正確に分りません。
私自身1月9日に記者会見を開いているのを見て初めて彼個人が「でっち上げ・・」と名指しされて批判の的になっていることを知ったくらいです。
植村記者のキジには強制連行と言う文字が仮になかったとしても、(記事に「騙された」と言う文言があると見解に紹介されている以上は、連行されたと言う記事と矛盾するので虚偽報道問題の可能性があるように見えます。)記事は前後の文脈で理解されるものです。
それまで散々朝日新聞が裏付け取材しないまま強制連行を煽って来た実態があって、その後実際の慰安婦がまるで存在しない・・探しても被害者がいないことが社会問題・・焦点になっている状態下で、(強制連行と明記しなくとも)慰安婦が初めて名乗り出たと言う衝撃的ニュースを出せば、多くの人は強制連行された慰安婦がやっぱり実際にいたのかと言う印象を受けるのが普通です。
(年末からの情報操作シリーズでは、マスコミがイメージで誘導する弊害を書いていますが、朝日はそれをうまく利用していたのです。)
植村記者の1月9日発表の訴状は多分「名乗り出た慰安婦はでっち上げではない」し、仮に慰安婦が偽物としてもその「創作」に加担していないし、「自分は強制連行されたと書いていない」と言う言い分が含まれているのかも知れません。
(訴状写し自体を記者会見で配布したか不明ですが・・)朝日の全体報道あるいは当時のマスコミ界全体の文脈で国民は単発記事をムードで受け止めるものです。
朝日が明白に吉田証言取り消しや謝罪をしないまま進んで来た中で、(これは委員会「見解」でも批判されています)慰安婦出現が大ニュースになったのは強制連行を実証出来るかの大論争の文脈があるからこそ、大ニュースになったものと思われます。
売春婦が名乗り出たと言うだけならば、そう書けば良いことで、(キーセン学校で教育を受けていたことを記事にしなかった不作為が非難されているのはこの意味で重要です)韓国は今でも世界に冠たる売春大国ですから、売春婦が何万人名乗り出てもエポックになるような大ニュースにはなりません。
植村記者は、勤務先の朝日が主張して已まない強制連行の被害者が実際にいるのか否かが大論争・問題になっているとき「勇気を出して名乗り出た」と言うムード強調のためにわざわざソウルから特報記事を送ったとしか考えられません。
ここでは積極的に「一般の売春婦が名乗り出た」とはっきり書かない限り、読んだ多くの国民は強制連行された慰安婦が遂に名乗り出たのか?と誤解してしまう効果を狙ったと理解する人の方が多いでしょうし、その記事に「連行」と言う文字を書いている以上はなおさらです。
一般国民よりも資料をじっくり読み込む筈の弁護団が、その年中に国家賠償訴訟を提起している以上、弁護団も強制連行されたと理解していたことが分ります。
昨年末「情報操作・羊頭狗肉」のコラム以来書いているように、マスコミ界の狡さを時間軸で応用演出したからこう言う事誤解が生まれるのです。
1つの記事や週刊誌内で表現する場合には、大見出しと内容の違う記事が(羊頭狗肉)同時になるのが普通ですが、慰安婦問題のように10年単位になると、強制連行記事を延々と繰り返し書いた後で、「遂に慰安婦が名乗り出た」と言う印象を発表する際に「強制連行」と表題を付けなくとも、強制連行された被害者が名乗り出たのか?と一般読者が印象づけられるのが普通です。
もしも植村記者が強制連行されたと書いていなかったとしても、普通の売春婦が名乗り出たと言うだけならわざわざソウルから特報記事として送信する必要がないのですから、強制連行を強調していない・・客観的記事を書いただけと彼が言ったとしても無理があります。
・・強制連行があったことを強調している朝日の流れに乗って利用する意図・・組織の意図に従って行動していた・・一種の共謀関係にあるとみるべきでしょう。
ヤクザの親分が殺人計画謀議の途中に出て来て自分は「やれ」と言っただけだとしてもそれは殺人命令をしたのと同じですし、大勢による連鎖的犯行実行の場合、連鎖作業の一部を担当したに過ぎないとしても、全体の流れを理解して担当していれば共犯です。

植村記者問題3(ムード報道と義母の関係2)

第三者委員会としては、義母と植村記者の姻戚関係=共謀があったか否かについては国民が感情的に推測している以上はどこまで調査しても、(無理な飛躍のある憶測なのだから)証拠がある訳がない・感情的になっている方がおかしいと言う論理に戻るのでしょうが、会社側にそう言う自信があるならば、でっち上げ追及をしていた論客を委員に委嘱しておくべきだったと言う問題に遡ります。
元々会社寄り人物を会社が人選して会社に都合の良い意見を求めていると言うネット批判が根強くあります。
この批判自体が偏った思い込み意見と言う逆批判が当然あり得ます。
元々朝日に対する追及を厳しくしていた論客を委員に委嘱しておけば微妙な問題(元々証拠など探せる訳がないと言う前提のある分野)についての信頼度が高まっていた筈です。
ただし、朝日に対する厳しい論客と言っても感情論を煽っているだけの有名人では意味がないでしょうが、ある程度合理的思考の出来る論客が入れば・・という意味です。
年末から、マスコミの情報操作・・「マスコミの情報操作1(羊頭狗肉)」のコラム以来のシリーズで書いているように、元々マスコミ界は刺激的記事を見出しに書き、内容できちんと書けば虚偽にならないと言うような、噓っぽい報道で国民を日常的に非合理に誘導して来た咎めが、植村記者問題では逆に自分タチ報道陣に跳ね返って来た印象です。
マスコミによるムードで煽るやり方に反応するようになっている国民は・・植村記者の妻が、韓国人であり、(ネット情報だけなので、帰化しているかどうかまで分りません)韓国人?妻の母が日本政府相手の訴訟をする人を(費用をとって)捜し出す運動をしている団体の主宰者でありその商売のために、でっち上げたのか?と連想ゲーム的疑惑を信じ込み易くなっています。
こう言う国民を煽って利用して来たのが外ならぬマスコミ界です。
植村記者がマスコミ界が多用して来たムード的な罠にはまってしまった場合、非合理な?憶測を払拭し理解を求めるためには、「非合理な憶測に過ぎない」と一蹴するだけでは根本的解決になりません。
「李下に冠を正さず、瓜田にクツを入れず」と古来から言われているように、義母が費用をとって日本政府を訴える会員募集事業をしていた場合、グルじゃないかと言う疑いが生じること自体は荒唐無稽な疑惑とは言い切れませんから、懇切丁寧な説明こそが植村記者側に求められているのではないでしょうか。
スイカ畑でしゃがんでいたときに、スイカ泥棒と間違えられたら、何のためにスイカ畑に入りこんでしゃがんでいたかの説明をするのが普通です。
無罪の推定がある「そんな言い訳の必要がない、裁判するならしてみろ」と言うのでは、疑惑に答えたことにはならない・・こじれるだけでしょう。
元々司法手続はそう言う疑惑解決には向いていません。
訴訟は限定された訴訟手続内のルールで白黒を決めるだけであって、国民の疑惑がなかったことになる制度ではありません。
各種ペーパーテストは一定の能力を測るだけであって、究極的能力とイコールでないのと同様に裁判も司法手続の枠内で決める「司法的真実」でしかありません。
テスト秀才の多い朝日や弁護団には、この辺の機微が分り難いのでしょうか?
朝日新聞は吉田調書ねつ造疑惑指摘に対しても、調書が非公開のために、批判者が証拠に出せないことを前提に、法的手続をすると脅かしていたことが分りました。
(この辺は2015-1-6「報道と人権委員会」(朝日新聞吉田調書1)のコラムで書きました)
植村記者と義母の関係が慰安婦でっち上げになったか否かと言う点については、疑惑があると言うだけでは裁判で勝てません。
慰安婦が偽物であって、しかも偽物であると植村記者が知っていたことまで立証する必要があるので、被告側ではその立証は困難でしょう。
植村記者の報道した慰安婦が偽物だったかどうか知っていたか等については、植村記者の訴える事件では「ねつ造記事」だと書いた方に立証責任がありますが、疑わしい事実が山ほどあっても「疑わしい」だけでは立証したことになりません。
韓国に帰ってしまった原告慰安婦からの事情聴取は(私は偽物でしたと協力する人は滅多にいないでしょうし)不可能に近いでしょうから、独自調査能力が事実上ないことから独自立証は事実上不能と思われます。
名誉毀損で訴えられた方は、名乗り出た慰安婦による国賠事件で出た証拠の流用程度しか事実上立証出来ないでしょうから、同事件でどれだけ事実立証が進んでいたかによります・・。
この辺は昨日のコラムで書いたように「条約で解決済み」と言う判決の場合、本当の慰安婦だったか否かの(入り口程度の議論があっても)立証まで進んでいなかった可能性が高いと思われます。
植村記者弁護団が国賠事件弁護団と共通している場合、上記事件の提出資料を綿密にチェックした上での訴え提起になっていると思われます。
「ねつ造」と書いた人が疑惑すらないとして負ければ完敗ですが、「ねつ造」と書いたことが証拠に基づかない・・行き過ぎだったかどうかだけで負けると実質的にどちらが勝ったことになるかは必ずしも明らかとは言えません。
京都の朝鮮人学校に対する在特会事件で言えば、朝鮮人学校の公園使用に問題がなかったと言う認定で勝ったのではなく、在特会の批判のやり方が行き過ぎだったと、判決で指摘されたに過ぎません。
以後逆に嫌韓・反韓ムードが急速に高まっている・・世論調査では嫌韓比率が急上昇していることが否定出来ないところですから、政治的には在特会の実質勝利だったと言う評価になっているように見えます。
以後、在特会の嫌韓行動は合法的スマートになりましたし、植村記者事件で名誉毀損判決が出れば言論界も今後注意して書くようになる・・今後朝日批判もスマートになって行くだけで批判が収まることはないのではないでしょうか?
原告団としてはねつ造の証拠がないと言う消極的勝ち方ではなく「疑惑もなかった」と言うところまで行かないと、(逆に右翼の憤激を買うだけで)訴訟が成功したと言えませんから、勝敗ラインをそこに置くとなれば意外にハードルが高くなります。
きっちりした証拠によらずに疑惑で感情的に理解する国民はレベルが低いと批判するのは簡単ですが、マスコミが日頃からムード的情報操作をやって庶民を誘導してきた以上は、マスコミが植村記者事件に関してだけ使い分けて非難しても解決出来ません。

植村記者問題2(ムード報道と義母の関係1)

植村記者の報道した慰安婦訴訟では、日韓条約で解決済みであるから、請求権がないと言うことで多分終わったでしょうから、名乗り出た慰安婦と称するもの達が本当に強制連行されたか、そもそも日本軍の慰安婦だったか米軍相手だったのをすり替えていたのかについては、判決で論じる余地がないとされて終わっている可能性があります。
悪く考えれば、裁判しても本当の慰安婦かどうか調べないで門前払いで終わるから(噓でも何でも)女性が名乗り出さえすれば、大ニュースになる・・本当にいたかどうかの「情報戦」としては、そこで「勝負あり」と言う戦略だったかも知れません。
強制連行された慰安婦が本当にいたのに、日本政府は不当に賠償を拒んでいると言う国際社会向けムード拡散には有効です。
これが基礎になって国連決議やアメリカ議会決議、あるいは韓国最高裁の違憲判決等に影響があった可能性があります。
ところで、仮に米軍相手の売春婦であって、でっち上げが含まれていたとしても、それ自体に植村記者には責任がないでしょう。
彼が上記のような謀略に加担したのではなく、1記者として彼女達の言い分を聞いてありのまま報道しただけならば・・。
そこで問題になっているのは、記者の韓国人妻の母親の存在らしいです。
植村記者の妻は韓国人で(帰化しているかどうかまでは知りません)その母親は韓国で日本政府相手に賠償請求する人を募集し訴訟を支援する団体を主宰している人物であるとネット報道されています。
その情報から、名乗り出た慰安婦が彼とその妻や義母中心になって、でっち上げた偽物であるかのような疑惑(憶測)が持ち上がっているようです。
(義母の団体と名乗り出た女性が関係があるとしても、義母がでっち上げまでしたと言えるかは関連性が遠いし、ちょっと憶測が過ぎるような印象ですが・・疑惑や憶測と言うものは元々飛躍のあるものです。)
委員会見解では、以下に原文を紹介するように、親族関係を利用して植村記者が情報を得たのではないと言うのですが、理由付けは観念的で説得力がないところが問題です。

「イ 名乗り出た従軍慰安婦記事(上記(2)イa及びb)について

1991年8月11日付記事(上記(2)イa)については、担当記者の植村が その取材経緯に関して個人的な縁戚関係を利用して特権的に情報にアクセスしたなどの疑義も指摘されるところであるが、そのような事実は認められない。取材経緯 に関して、植村は、当時のソウル支局長から紹介を受けて挺対協のテープにアクセ スしたと言う。そのソウル支局長も接触のあった挺対協の尹氏からの情報提供を受 け、自身は当時ソウル支局が南北関係の取材で多忙であったことから、前年にも慰安婦探しで韓国を取材していた大阪社会部の植村からちょうど連絡があったため、 取材させるのが適当と考え情報を提供したと言う。これらの供述は、ソウル支局と 大阪社会部(特に韓国留学経験者)とが連絡を取ることが常態であったことや植村 の韓国における取材経歴等を考えるとなんら不自然ではない。」

植村記者に対する疑念払拭のためにやるならば、もっと具体的に「見解」で踏み込んで調査して欲しかったところです。
訴訟の支援活動・・弁護士との打ち合わせや連絡等を誰がしていたかなど・・植村記者の義母の組織関連者との具体的関わりを調査した報告が欲しいところです。
とは言え、義母が関与していたことが分ってもそこから、でっち上げまで義母が関与していたと言う連想までは、普通に考えれば繋がりませんが、感情的な人はそう思いたがるものです。
こう言う背景下で調査した以上は「別組織の紹介であって関係ない」と言うだけでは、(1月10日のコラムで国際的影響について、引用証拠が少ないと言う見解に対する疑問を書いたように、義母の運動と関係があると言う証拠は関係者から聴取しただけでは出なかったでしょうが、(と言っても委員会が韓国まで出張して調べたとは思われません)・・・・「証拠がない」と言うだけで即、関係ないと宣言すれば(感情的になっている)国民が納得するかの問題です。
膨らんでしまった非合理な?憶測を払拭するには「証拠がないから、ない」と言う形式論ではなく、調査する以上はもっと踏み込んだ調査をした結果による必要があったように思われます。

第三者委員会の役割5(植村記者問題1)

推測にわたる委員会見解までは不要としても、検証努力をどこまでしたか、記録消失・担当者全員行方不明?などによって、どこで分らなくなっているか程度までを調査してこそ、検証したと言えるのではないでしょうか?
この点で第三者委員会見解は、報道と人権委員会よりもメリハリ不足・・会社に不利なことは出来るだけ掘り下げて聞かないようにしている印象を受けてしまいます。
法人の問題検証である筈なのに、第三者委員会では個人である植村記者個人問題(現在は退職しているので、正確には元記者ですが見解同様に以下植村記者と書いて行きます)を何故詳細に取り上げたのか不思議ですが、同記者に対する個人攻撃を押さえ込みたい朝日新聞社の意向を受けて独立のテーマにしたとすれば、(ネットで氾濫しているように)予め結論が見えていたとも言えます。
検証となれば、憶測にわたる批判部分は憶測である以上根拠がないと言う結論になるのが当然ですから、やるまえから結果が分かっていたことになります。
この見解が年末に出ると待ってましたとばかりに植村記者は名誉毀損の訴えを提起したと1月9日に外国人特派員協会で記者会見を開いているのをYouTubeで視聴しました。
聞いていると彼は「私は愛国者です」と言うのですが、何故外国人特派員協会で(国外向けに)真っ先に記者会見を開くのか意味不明です。
原発吉田調書事件では国内向けとは違い、外国向けに「逃亡、公然と命令に反抗した」と言う意味のメッセージしていたことを数日前に紹介しましたが、朝日とその出身者は日本国民相手よりは、外国人向け発表を重視し、(国民の理解を求めるよりは)・・外国からの支持を期待している傾向があることが分ります。
弁護士の戦い方にもよりますが、労使問題等で私に相談に来た場合、うまく切り抜けるか戦うかどちらを選ぶかの基本方針を依頼者と決めるのが普通です。
労使紛争の場合戦ってその会社に居辛くなっても別の会社に行けば済みますが、国民全般相手の場合別の国に行くのは容易ではありません。
発光ダイオードの中村氏の場合、結局米国に移住してしまいましたが・・。
その順序を践んで相談していた場合、国民との和解を求めるならば、憶測にわたる部分は非合理な憶測中心ですから、証拠がないと開き直っているのではなく、丁寧に説明し理解を求める地道な努力をする道を選ぶことになりますが、努力をどのようにしていたかが見えません。
国民にもいろいろあるのですから、批判しているのが非合理な少数者だと言う自信があれば、国民の理解を求める・・国内メデイア向け記者会見をすべきだと思うのですが、何故外国メデイア向け記者会見から始めたのか不思議です。
国内支持者少数と言う前提で、多数国民と対決するつもりだと言う批判が起きるでしょう。
年末から書いているように、司法機関は第三者委員会(は、こうするべきと言う提言も職務範囲ですが)とは違い、法的・争点と意味のあるテーマしか扱いません。
明日書きますが、慰安婦による国家賠償請求訴訟では、条約で解決済みの場合、そこで門前払いですから、本当の慰安婦かどうかの認定をしません。
京都の朝鮮人学校に対する在特会事件でも、マスコミはヘイトスピーチ判決と評価した印象報道ですが、実際にはヘイトスピーチを裁いたのではなく業務妨害の損害を認めただけの事件であると言われています。
(判決文を見ていないで巷間の噂によります)
植村記者関係の新聞記事はコピーが資料として出ていないので、私は第三者委員会見解に書いてある事実しか知らないので何とも言えませんが、植村記者側弁護団は司法に持ち込めば憶測にわたる部分は認定されることはないので、充分勝ち目があると践んだのでしょう。
(昨日書いたように朝日の記事による国際影響の有無も拾い出せる証拠・・引用件数だけからみれば「見解」のような結果になるのは、やる前から結果が見えています)
しかし、国民(個人攻撃している人とその応援団)の怒りの核心は明日以降書いて行くとおり、全体の文脈で日韓を感情的対立のルツボに追い込んでしまった社会・政治責任をどうしてくれるのかと言う感情論ですから、(法的責任を求めていません)テーマ・論点の違う司法の場に持ち込んで「勝った勝った」と宣伝されると朝日新聞同様の「論点すり替えの繰り返し」だと言う批判・・不満を却って強くするリスクがあります。
在特会問題も朝鮮学校は裁判で勝ったでしょうが、裁かれたのは手段の違法性であって、朝鮮人学校の公園使用行為そのものが正当だと認定されたものではありません。
記者会見では「(勤務先への嫌がらせがあって勤務先に迷惑がかかるならば)何故朝日をやめるのか」と言う趣旨の質問があったことに対して、同記者は、直接応えずにはぐらかすような回答をしていたように見えました。
今の勤務先に「やめさせろ」の抗議がある状態が人権問題になっている状態ですが、会社の方針どおりの仕事をした結果(不正取材報道でないならば)、個人攻撃を受けている最中に朝日が解雇するのは無理があるし、朝日にいれば会社が防波堤になる筈で、抗議電話があるからやめてくれとは言えないでしょう・・それなのに彼が何故自発的にやめて他所の会社に新規就職して就職先に迷惑をかけるのか不思議ですから、外国人記者の質問は的を射ています。
このやり取りをみると、(敢えて植村記者問題を別項目にして、会社が調査を委員会に求めていたことから見て)植村記者が会社をやめたことにする(合意の)メリットが会社と記者双方にあったように推測されます。
年末の22日に委員会見解発表して、年明け早々に訴状提出と言うのでは、(弁護士の立場で言えば年末〜正月開けに相談に来て9日までに大弁護団結成して訴状提出までは行きませんから・・)事前にある程度準備しておいて「見解」が出たらこれを踏まえて若干の手直しをして完成させると言う事前準備していた・批判する立場でみれば第三者委員会の検証テーマに決めたときから、見え見えの出来レースと見る人が多いでしょう。
植村記者問題は言わば感情論ですから、そこをどうやって沈静化させるかの工夫が必要で、裁判で勝ってもどうなるものでもないように思われます。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC