投資収益の回収2(生活保護との違い?)

高齢化による貯蓄取り崩しの場合は、20年遊んだ後にもう一度働こうという場面は想定されていないから、蓄積が20年分よりも30年分と長くある方が良いに決まっていますが、国の場合は違ってきます。
貿易赤字国が過去の投資分の回収で穴埋めを続けているうちに更に円高が進むので国内産業が衰退する一方になり、その内回収すべき投資残もなくなって行き、いつかは裸の貿易収支だけで円相場が決まる時期が来ます。
そのときまでに仮に20〜30年もかかると、その間に(赤字でも円は上がり続けているので)衰退してしまった産業の復活は容易ではありません。
国の場合は、高齢者のように貯蓄のなくなる頃には死んでしまえば良いという逃げ方はなく、投資の回収に頼っていて回収すべき資金がなくなれば、そのときの国民は再び働かなくてはなりません。
貿易赤字になってから数年で円相場が下がって行けば、負けかけていた産業が息を吹き返すので技術者も残っていますが、20〜30年も負け続け・貯蓄の取り崩しでの生活が基本になっているといろんな業界が縮小どころかなくなってしまい、円相場が有利になったくらいではとても産業が復活出来ません。
以上のとおり考えて行くとイザというときのための蓄積として価値があるのは技術の蓄積・・人で言えば、お金を10年分貯めるよりは10年以上元気に働ける方が良いことになります。
海外からの投資収益の回収による生活と言えば聞こえが良いですが、そのときの自分の働き以上の生活をしている結果から見れば、自分の先輩・親世代が蓄えていた資金かどうかは別として他国・自分以外の働きによる収入で生活している点では、他国からの援助と結果は変わりません。
20年も30年も生活保護で生活しているとイザ働こうにも技術がなくなっていることが多いのですが、同じ期間預貯金の回収で生活していたのとは、生活力の喪失という点では同じです。
為替相場の王道・産業の国際競争力を反映する市場の需給原理を大事にして、貯蓄の回収に頼らない国の経済運営が必要です。
イザとなっても海外収益を回収しないでそっくり海外投資して行くばかりとなれば何のための海外投資か分らなくなります。
海外投資の内金融投資はもしもこれを回収しない前提とすれば、経済援助と変わらず余り意味がないですが、トヨタなど生産会社の海外投資・進出の場合には、進出先の会社向けの基幹部品の輸出産業が残るなどメリットが生じますので、投資収益の現金回収をしなくとも投資すること自体に意味があります。
国際競争力がなくなり貿易赤字になれば、(穴埋めのために投資金の回収に走らずに・・個人で言えば貯蓄に手を付けずに減った収入で生活する)その能力の範囲で生きて行く覚悟が必要です。
・・裏返せば周辺諸国よりも高い人件費でもやって行けるように製品価格の国際競争力を維持するために製品や技術の高度化に邁進する→際限なき円高の連続と際限なき産業高度化努力の繰り返しで頑張るのが最も正しい道でしょう。
この努力は尊いもので、しかもこの努力・成果に比例して際限なく日本の国際的地位が高まっていく・・一人当たりの人件費が高まる=日本人の価値が高まることで目出たいことです。
アメリカの場合、1980年ころまでは生産性上昇と賃金上昇率が一致していたらしいのですが、ここ30年ばかり生産性の上昇に比例して賃金が上がらずほぼ横ばいのままらしいです。
(労働分配率が下がっているらしいのです)
この結果賃金の総体的下落が起きて貧困率が上昇して来たので我慢出来なくなった民衆のオキュパイウオールのデモに発展したことになります。
昨年の統計では人口の約15%にあたる4500万人あまりがフードスタンプを受給しているというのですから驚きです。
(失業者だけではなく現役の労働者まで食事券の配給を受けているとすれば大変な事態です)
GMの復活がはやされていますが、これは、破産によって高負担の年金等の負担を切り離してしまって人件費の負担を軽く出来たことが大きな要因と言われている(倒産前にくらべて人件費負担がなんと4分の1になったと報道されています)のがその象徴と言えるでしょう。
最近アメリカの復活・・ドルの持ち直しについては、アメリカの労賃が下落しているので、国内生産に回帰しても、中国に単価的に負けなくなったことによると言う報道が散見されますが、上記データ・労働者の貧困化がその裏付け・原因として理解出来ます。
アメリカのように中国に負けないように賃金下落・ドル下落で対抗するのではなく、日本は企業さえ儲ければ良いのではなく国民が大切ですから(人件費を出来るだけ下げないで)苦しいけれども製品高度化努力で対応して行くべきです。

モラルハザード4(生活保護と収入源1)

全国から集まった寄付金の一律的配分の場合も、低所得層ほど損害補填率が高くなり有利になります。
このように考えて行くと、全国からの寄付金は損害度合いに応じて傾斜配分していれば公平だったことになりますが、データ化は容易ではないので一律配分しか出来ません。
そうなると生活保護所帯は失ったものが最も少ない割に良い思いをしていることになるので、現金給付分だけでも生活保護費を差し引く・・一般の論理で運用するのが公平ではないでしょうか。
マスコミが「生活保護費を差し引くのはひどい・・」と騒ぐものだから、事務所に別の件で相談に来る人まで、(その人はどのような根拠で言っているのか不明ですが・・・)「生活保護からまで引くようなとんでもない役人だから・・」という発言をして、脈絡なく役人批判をして行く人がいますが、マスコミの責任は重大です。
マスコミが煽ると一般の人は、そのまま無批判に便乗するのが普通でしょう。
マスコミはどう言う根拠で、(生活保護はどうあるべきか・どう言う社会ステムが良いという前提で)非難しているのか不明です。
もし批判するならば、今後被保護者がもっている現金の出所によっては、いくらお金があっても別途生活費を支給すべきだという基本政策論でも展開しないと論理的ではありません。
現在までの生活保護システムは、どんな理由・原因で手に入れたものであれ、現在お金がある人に対してその限度で保護する必要がないシステムです。
(生活費月15万円必要なときに5万円持っていれば、その不足分10万円だけ保護する原理です)
子供が死んだのと引き換えに入手した最も悲しい慰藉料や生命保険の入金あるいは、親の死亡による生命保険であろうと、お金の入手原因が何であれ、あるいは自分が交通事故で痛い目にあった慰藉料としてもらったお金でさえ、「一定額以上お金があるなら、保護する必要がないでしょう」というのが生活保護システムのコンセンサスです。
子供死亡の慰藉料等として1000万円単位のお金があって、充分な生活をしている人が、「このお金は別だから生活保護してくれ・・」という光景を考えれば明らかですが、一所懸命働いて月二〇数万円しか収入のない人から集めた税金で、こういう人を援助するのはおかしいでしょう。
何らかの違法な所得・・ヤクザが覚せい剤・ミカジメ料・恐喝その他の所得で豪邸に住んでいる場合、違法な金だからカウントしないないと言って、生活保護受けられるのではお笑いです。
所得原因を問わない・・裏返せば貧しくなった原因も問わない・・暴飲暴食やシンナーに溺れていた結果でも、病気や障害で収入が現実にないならば、ともかく保護してくれるシステムが生活保護の精神です。
原因を問わない生活保護原理を、震災の見まい金に限って何故変える必要があるかの根拠も示さないまま、政府批判を煽っているのは無責任です。
ただし、これの訴えを認めた判決・支給額減額措置の取り消し?・・が出ているようですが、まだその判決文を読んでいないので論理構成が分っていません。
私の考えが誤っていると分れば、勿論「改むるに憚ることなし」です。
誤った風潮(私だけの意見かな?)に負けたのか今回の震災では、寄付金からの収入をカウントしない扱いになっているように思いますが、今のところ正確に知りません。

生活水準向上とソフト化社会2(大阪の地盤沈下1)

このシリーズで何回も書いていますが、バブル崩壊後の生活水準の向上は目覚ましいところがありますが、例えばユニクロ以来各種衣料品・生活雑貨で言えば100円ショップで大方間に合うし、食品で言えば牛丼や回転寿し等々、生活コストはバブル期以降約半分以下になっています。
タマタマ日経朝刊1月23日の9面に出ていましたが、花王の洗剤アタックが25年前の870円台に対して店頭実勢価格が300円以下になっているなどの事例が出ていましたが、機能が良くなって半値以下というものが消費財にはゴロゴロしています。
(牛丼・パソコン・携帯電話その他いくらでも半値以下になったものがあるでしょう)
物価が半値以下であれば現状維持の収入でも生活水準が2倍以上になっていますが、繰り返し書くようにバブル崩壊以降国内総生産がジリジリと上がっていたのですから、生活水準向上は2倍どころではないことになります。
これをドル表示で見ても約2倍になっていて裏付けられることを、2012/01/19「為替相場1と輸出産業の変遷1」のコラムで書きました。
前回書いたように生活水準が上昇するとすべての分野で行動形態がソフトになるのが我が国の傾向で、(そこが諸外国とは違います)勢い粗野な争いがなくなって行きます。
高度成長期に生まれた膨大な中間層の2代目が、みんなお坊ちゃんお嬢さん育ちになってデーイプインパクトのようにソフトになってしまって「大阪のおばちゃん」と揶揄される横柄・厚かましい人種が姿を消してしまったのです。
この種の人は10〜15年くらい前までは東京でもどこでも一杯いてオジさんやオバはんが嫌われていたのですが、生活水準の向上に連れて厚かましい中年族はいつの間にか姿を消した(今では60〜70代になって世間に余り出なくなった)と言うか、少数派になってしまったのですが、大阪だけ今でも残っていることから目立つのでしょう。
大阪だけに何故今でも厚かましいオバはんが多く残っているのかですが、以下に書くように大阪経済圏では生活保護受給率が大阪では高い・・医療保険の利用率も高い、学テでは全国最低水準になっているなどの現象からみて、この20年あまりの我が国の生活水準向上の波に乗り遅れているからではないでしょうか?
どこかで言ったことがありますが、大阪の長期的地盤沈下は、府と市の二重行政に原因があるのではありません。
産業の主役が繊維系から電気に移るまでは元気だったのですが、その後車産業に主役が移ったときについて行けなくなったころから、関西経済圏の沈下が始まったと私は考えています。
江戸時代中期ころから関西以西では木綿栽培が発達していたと読んだことがありますが、これを基礎にして、近畿圏周辺〜岡山までには繊維産業が明治維新以降勃興し、これに連れて糸扁の商社も大きくなりこの傾向は戦後も続いていました。
戦後は家電系も松下電器産業(ここから派生して生まれたサンヨー・・今は合併しましたが・・・)に始まって新たに経済を支えましたが、精密な電子産業以降となるとちょっとついて行けない感じになって行きました。
造船その他重工業も大阪の経済規模に合わせて十分発達しましたが、車製造が経済の中心になる時代が始まると新たに広大な工場敷地を必要としました。
過密化していた大阪周辺では工場敷地の余裕がなかったこともあって、自動車産業と関連産業の新規開設立地がほぼ皆無だったことが、大阪の地盤沈下に甚大な影響を及ぼしたと思われます。

ポンド防衛の歴史8(イギリスの耐乏生活2)

イギリスによるスターリング地域の為替管理政策は、1931年から終戦までの間、本家の格式を守るために分家の売上も合算して、本家の穴埋めに使っていたようなものです。
新興国アメリカの経済力を背景に世界中に広がりつつあったドル貿易圏の拡大に立ちはだかるスターリング地域・・ポンド交易圏・為替規制の存在を容認出来ないのはアメリカの立場上当然でしたし、他方イギリスがポンド自由化に応じれば当時の支配通貨ドルへの換金ラッシュになるのが必至です。
イギリスのスターリング諸国に対するポンド預かり資産・一種の借金が100億ポンドもあったのに対し、外貨準備が僅か6億ポンドしかない上に国内総生産規模・年100億ポンドから見て換金圧力が大きすぎて、この換金ラッシュに耐えきれません。
結局戦後のイギリス経済は、英連邦諸国の結束維持・・飽くまでじり貧の親戚同士で孤立して頑張るか、より広く拡大しつつある世界自由貿易に参加するかのジレンマに陥っていたのです。
ソ連邦を中心とするCOMECONが貧乏所帯同士で頑張るか、解体して自由主義経済に参加するかの判断と同じです。
(結果的に90年頃にソ連邦自体が解体しましたが・・英連邦の解体進行過程と似ています)
戦後・・アメリカの欧州に対する復興援助・マーシャルプランを通じて、欧州自体が次第に1つの形をとり始めると、イギリスは英連邦諸国との紐帯を捨ててEC→EECの仲間に入るかのせめぎ合いの連続となったのは、その1場面だったことになります。
これが未だに解決出来ずに現在に至っていることになります。
(1973年に漸くEECに参加したにも拘らず、今でもイギリスは統一通貨・ユーロには参加していないなど欧州との関係は微妙なままです。)
アメリカは戦時中から世界中の貿易自由化・・ドルの国際化を求めていましたので、為替自由化に正面から反するイギリスの為替規制・・ブロック経済の象徴とも言うべきスターリング地域の存続は許せませんが、かといって解体・・ポンドの交換性回復をするにはイギリスの資金不足は明白でした。
終戦時のポンド債務残高100億ポンドの内、アメリカ・カナダによる54億ポンドの援助・イギリスが終戦時に保有していた対外債権売却益11億ポンドの合計で不足する約35億ポンドに対して、イギリスの保有していた金・ポンド換算外貨準備は6億ポンドしかなかったので、いきなり交換性回復・自由化をすればたちまちポンドは暴落・破綻・デフォルトになってしまうことが明白でした。
イギリスにはポンド交換性回復能力・経済的裏付けがないのにアメリカが無理な要求していると、せっかくの戦後スキームであるIMF体制の発足が頓挫してしまいます。

鉱物資源で生活する社会3(ナウル共和国)

今の中国で戦略的に主張している希土類と同じで、誰も見向きもしなかったしょうもないものが科学技術の発達によって、イキナリ脚光を浴びることが有ります。
これの1世紀くらい前の原初版と言うところでしょか?
鳥の糞の堆積物であるリン鉱石が、化学肥料等の発達で注目を集め高額で取引されるようになって、燐鉱石の採掘権益が生じました。
その権益収入だけで国民全員(と言っても1万数千人程度)が生活出来るようになり、公務員のみならず国民は年齢に応じて一定の給付金を得られることとなって全員が遊んで暮らして行けるようになったそうです。
リン鉱石の採掘作業は外国企業と外国人労働者に委ねて、全国民(と言っても1万数千人)が遊んで暮らしていたのですが、80年ほどで資源・リン鉱石(鳥の糞の堆積物ですから当たり前です)が枯渇してしまい、いきなり無収入になってしまったそうです。
燐鉱石がなくなって収入ゼロになったのですが、国民は遊び暮らすのに馴れてしまって勤労意欲がなくなってしまい、最貧国になっても何の仕事もできなくなってしまいました。
先祖伝来の漁法も忘れてしまって誰も何も出来ません。
どうにもならなくなったことから、避難民を受け入れることでオーストラリアか、国際機関からその代償金を支給されて何とか食いつないでいるらしいです。
この点資源国でもアラブ産油国は、王族以外の庶民は働かないと駄目らしい・・貧富格差が激しいので、却って庶民の勤労意欲までは喪失していないらしい様子です。
格差の大きい社会も捨てたものではないと言えるのでしょうか?
アラブ産油国も、自国民があまり働かず外国人労働者に大きく依存している点では共通の問題があります。
我が国は昔から金の産出国として(黄金の国ジパングとして)有名なことはマルコポーロの東方見聞録を通して誰でも知っている通りですが、金だけではなく、銀の方も戦か国時代末期から江戸時代の初め頃に掛けては我が国は銀の輸出で潤っていました。
日本の当時の銀輸出量は年間200トンと言われ、当時の世界総生産量は新大陸の鉱山開発によって激増していたにも拘らずもまだ年間400トン前後しかなかったと言われ
ますので、(いろんな意見が有ります)日本の銀生産量(全部輸出していたのでは有りません)の膨大さが分るでしょう。
新大陸の鉱山開発前の石見銀山を中心とする我が国の生産量は世界生産量の3分の2を占めていたと言われます。
(今のようにきっちりした統計のない時代ですので、人によっては半分という人もいますし、3分の1という人もあるなどいろいろですが、いずれにせよ莫大な銀の輸出国であったことは間違いがないでしょう)
日本は金銀の輸出で今のアラブ産油国並みのぼろ儲けの時代が何百年も(マルコポーロの時代から数えても大変な期間です)続いていたのですが、怠ける方には行かなかったのは歴史上唯一の例外でしょう。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC