モラルハザード4(生活保護と収入源1)

全国から集まった寄付金の一律的配分の場合も、低所得層ほど損害補填率が高くなり有利になります。
このように考えて行くと、全国からの寄付金は損害度合いに応じて傾斜配分していれば公平だったことになりますが、データ化は容易ではないので一律配分しか出来ません。
そうなると生活保護所帯は失ったものが最も少ない割に良い思いをしていることになるので、現金給付分だけでも生活保護費を差し引く・・一般の論理で運用するのが公平ではないでしょうか。
マスコミが「生活保護費を差し引くのはひどい・・」と騒ぐものだから、事務所に別の件で相談に来る人まで、(その人はどのような根拠で言っているのか不明ですが・・・)「生活保護からまで引くようなとんでもない役人だから・・」という発言をして、脈絡なく役人批判をして行く人がいますが、マスコミの責任は重大です。
マスコミが煽ると一般の人は、そのまま無批判に便乗するのが普通でしょう。
マスコミはどう言う根拠で、(生活保護はどうあるべきか・どう言う社会ステムが良いという前提で)非難しているのか不明です。
もし批判するならば、今後被保護者がもっている現金の出所によっては、いくらお金があっても別途生活費を支給すべきだという基本政策論でも展開しないと論理的ではありません。
現在までの生活保護システムは、どんな理由・原因で手に入れたものであれ、現在お金がある人に対してその限度で保護する必要がないシステムです。
(生活費月15万円必要なときに5万円持っていれば、その不足分10万円だけ保護する原理です)
子供が死んだのと引き換えに入手した最も悲しい慰藉料や生命保険の入金あるいは、親の死亡による生命保険であろうと、お金の入手原因が何であれ、あるいは自分が交通事故で痛い目にあった慰藉料としてもらったお金でさえ、「一定額以上お金があるなら、保護する必要がないでしょう」というのが生活保護システムのコンセンサスです。
子供死亡の慰藉料等として1000万円単位のお金があって、充分な生活をしている人が、「このお金は別だから生活保護してくれ・・」という光景を考えれば明らかですが、一所懸命働いて月二〇数万円しか収入のない人から集めた税金で、こういう人を援助するのはおかしいでしょう。
何らかの違法な所得・・ヤクザが覚せい剤・ミカジメ料・恐喝その他の所得で豪邸に住んでいる場合、違法な金だからカウントしないないと言って、生活保護受けられるのではお笑いです。
所得原因を問わない・・裏返せば貧しくなった原因も問わない・・暴飲暴食やシンナーに溺れていた結果でも、病気や障害で収入が現実にないならば、ともかく保護してくれるシステムが生活保護の精神です。
原因を問わない生活保護原理を、震災の見まい金に限って何故変える必要があるかの根拠も示さないまま、政府批判を煽っているのは無責任です。
ただし、これの訴えを認めた判決・支給額減額措置の取り消し?・・が出ているようですが、まだその判決文を読んでいないので論理構成が分っていません。
私の考えが誤っていると分れば、勿論「改むるに憚ることなし」です。
誤った風潮(私だけの意見かな?)に負けたのか今回の震災では、寄付金からの収入をカウントしない扱いになっているように思いますが、今のところ正確に知りません。

定住意識の崩壊1

子供がなくともどうってことがないという話を前提に夫婦問題に戻ります。
家事育児の能力が仮に男女同等になって来てしかも男女の文化レベルに差異がない場合、(女性は女性同士のグループ生活の方が良いだけではなく)オスにとっても子供の問題以前に女性と一緒に生活する意味がなくなってきます。
上記意見は7月23日に書いたように、オスはライオン同様にメス集団にくっついていないと食いはぐれる(狩りで鹿など大物がとれるのは滅多にないことで、オスは何時も腹をすかしていたのです)ので定着するようになったのが始まりとすればの話です。
オスの方も今では殆どが給与所得になって真面目に働くようになっているので、メスにくっついていなくとも食いはぐれることがなくなっています。
勤務先が決まっていないと不安ですから毎日出勤しますが、出勤してもじっと机に座っているのは今でも苦手ですから、営業マンとしてしょっ中出歩いたり、交際と称してゴルフに行ったり会議ばかりしているのが男性の普通の姿です。
中にはフーテンの寅さんのように放浪癖がなくならない男性もいますが、殆どの男性はともかく餌の種である企業・勤務先に毎日出勤することを厭いません。
農業時代に祭りや寄り合いその他でウロウロしていても、ともかく女性のいる家に毎日帰って来ていたのと同じ意識で出勤後企業を基地にして出歩いていて夕方には一旦企業に帰って生活するようになっています。
結婚していない男性は会社に泊まり込むのを何とも思っていないのは、最早勤務先企業が、古代に定住先を決めた集落・・女性のいる家と同じ役割を果たすようになっているからです。
今では今日はあちら、明日はこちらと気の向くところで寝泊まりして家に帰らずに、飲んだくれていてもどこかに安定して勤めてさえいれば、自分が食うのには困らない時代です。
(ドヤ街に寝泊まりして手配師に言われるままに車に乗せられて現場に働きに行くのであれば、一定のところに毎日通勤することも要りません)
労務者に限らず(ホワイトカラーも)職場さえあれば、一定したネグラがなくとも食うには困りません。
生活するには一定の所帯道具が必要ですが、これからは家具付きマンションが増えて来て、テレビや冷蔵庫その他の道具類がついているとかパソコン付きも増えて来るでしょうし、そういうところを借りれば良いのです。
これからはスマートフォンの時代で大きなパソコン(画面)は会社にあれば充分で、個人で持ち歩く時代ではないでしょう。
すべてデータ化してグーグル等で保管してくれているので、自分の荷物として持ち歩く必要がない時代です。
身体1つのようでいてポケットからスマートフォンを取り出せば、身の回りのかなりの必要なデータを取り出せて間に合います。
定住先が自宅から会社へとする意識変化を前提にすれば、勤務先周辺で寝泊まりしているのが合理的であって、何時間も掛けて妻子のいる場所から通うのは不合理となります。
この端的な例が単身赴任の場合でしょう。
現在社会でも既に単身赴任者の場合、赴任先から妻子の待つところへ月に1回程度通う実質的な通い婚形式になっているのですが、通勤時間の長い勤務先の場合も、自宅には夜中に帰って眠りに帰るだけで朝早く家を飛び出して行くとなれば、これも勤務先から妻のところへの通い婚に近くなっていると言えます。
放浪していると食いはぐれるところから、男が古代以来女性が主宰する集落=集落内の家庭・自宅に居着いていたのですが、明治以降の通勤形態労働の発達によりオス独自の餌の獲得場所となりました。
元々オスは定着したくて定着したのではなく、食料確保のために女性集団の主宰する集落に定着したに過ぎませんから、収入源が勤務先で得られるようになれば、あえて遠くの集落に夜遅く帰る意味がなくなってきます。

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