戸籍と住所の分離4

戸籍と本当の住所の乖離が進行する状態・運用がどの程度進行していたかに戻りますと、明治29年民法制定時には、この実態が進行していて先行していて実態に合わせるだけになったから、民法と同時施行になった明治31年式戸籍法では戸籍から住所記載をイキナリ全面的にやめることが簡単に出来たように思えます。
その直前の旧民法(明治23年公布)ではどうなっていたかについては、有斐閣の注釈民法(昭和48年初版の「住所」の総説や新版注釈民法(昭和63年初版)の「住所」の総説に少し紹介されています。
これを読むと、旧民法はフランス方式のインスチチュート方式で編纂されていて住所に関しては、
 旧民法人事編226で「民法上ノ住所ハ本籍地ニ在ルモノトス」
 同第266に「本籍地ガ生計ノ主要ナル地ト異ナルトキハ主要地ヲ以テ住所ト為ス」
とあったようです。(新版注釈民法334ページ)
住所の定義について、旧民法では「本籍地」と第一義的に決められる方式ですので、これを形式主義だったと上記注釈では書いているのですが、「生計の主要地をもって住所とす」と言う修正条文もあるので、言わば折衷主義だったと思われます。
上記の通り旧民法でも住所は第一義的に本籍を住所とし生計の主要なところが別になっている時にはそこを住所とすると言うのですから、旧民法編纂作業の頃(明治10年代以降)には、戸籍のある場所から便宜寄留名目で実際には住所移転している人がかなり増えて来て、戸籍のある本籍だけ住所とする画一処理が出来なくなった状態・・実情を無視出来なくなって来た・・過渡期の状態を表しています。
これが、現行民法(明治29年成立)になると19日に紹介したように「生活の本拠」として実質主義に変化しています。
これは、この頃(現行民法編纂作業は明治26年から始まり29年には国会通過です)には戸籍と本当の住所と一致する人が殆どいなくなってしまい、本籍を基準とする形式主義が折衷的にも維持出来なくなって来たことを現しています。
ところで住所は人の属性の問題として旧民法では人事編にあったのですが、現行民法では折柄発表されていたドイツ民法第1草案・・概念法学のパンデクテン方式です)を基本的参考にしたために、(この結果我が国ではドイツ法学が隆盛を極めることになります)住所が人事編だけの定義ではなく、明治29年成立の現行民法では総則に入って全体の基本概念に昇格したように思われます。
ところで、住所の定義が現行民法では「人」の次に配置されたのは、我が国は農耕・定住社会が長かったので、人の特定には「どこそこの誰それ」と言う名乗りが普通でしたし、政府も国民の特定には氏名・年齢・職業・親兄弟の氏名などの外に、住所を重視していた面もあって国民の特定には住所が最重要要素だった歴史によるところが大きかったかもしれません。
現在でも刑事事件の開始にあたっての被告人に対する人定手続きは、本籍、住所・氏名生年月日・職業の質問で行っています。
後に書いて行きますが、アメリカなど保険番号などによる特定で足りるので戸籍制度はありませんし、5〜6年前から韓国でも戸籍制度を廃止しています。
移動の盛んな現在では住所や親の住所による特定自体が意味をなさなくなって来たからでしょう。
業務上初対面の相手を知るのには、親兄弟が誰か出身地などはまるで意味がありません。
現在の名刺に企業名や役職を書いているのは、これこそが真に必要な情報であるからです。
(名刺の住所電話番号を見るのは何か連絡したいときだけですし、その時必要に応じて見ながら書き写すだけですので一々記憶している人は皆無に近いでしょう。)
明治民法の大家族制度・・観念的な家の制度がその他の諸制度との矛盾をはらみながらも一応概念上だけでも成り立ったのは、このような観念的・・現実に何ら関係のない本籍と言う概念が事実上生まれていたところを有効利用・・観念と観念の組み合わせだったからこそお互いに有効利用できたとも言えますし、この時に家の制度が出来なければ、国民の管理は住民登録制の完備だけで済むので戸籍制度は不要・・この時点でなくなっていたかもしれません。
実際、今でも何のために本籍があり住民登録の外に戸籍簿が必要か、理解に苦しみます。(その関心でこのシリーズは書いています)
もしも、明治31年以降の戸籍制度が家の制度を支える物理的骨組みであったとすれば、戦後家の制度を廃止した時に、本籍を中核とする戸籍制度も廃止すべきだったのではないでしょうか?
戸籍制度は、国民の管理把握のためには当初必要な制度でしたが、その内寄留簿に集約されて行って国民管理の機能としては戸籍の役割がなくなっていたのです。
今では本籍地を届けるには、自分の住所でもない親のいる場所でもない、何らの関連性も問われない・好きなところを届ければ何の根拠も不要で、受け付けてもらえる仕組みです。
それでも婚姻による新本籍地の届出に際しては、親の戸籍所在地をそのまま届ける人と婚姻時住所で届ける人が多い・・全く関係のない千代田区霞が関何丁目・・番地と届ける人は皆無に近いでしょう・・のは、前者は明治の初めに一般的であった新所帯では寄留簿登録していた時代の名残であり、後者は今更寄留(仮住まい)ではない、自分たちの住むところが生活の本拠であるとする自信のある人がそこで戸籍を作った名残です。
生活の本拠=住所を本籍とする明治の戸籍制度開始当初の意識が今でも強いことが分りますが、婚姻時の新居・現住所を本籍として届けるだけではなく、転居の度に本籍も移動する人がいますが、こうなってくると問題の所在が明らかになってきます。
同時に二つの届け出が何故いるのか?と言う疑問です。
逆説的ですが、戸籍を作った当初は一種の核家族直系だけの記録だったのが、時間の経過で傍系まで記録するようになって行き記載が複雑すぎて・・太らせ過ぎて戸籍の移動には手間ひまがかかり過ぎるようになった結果、(転居の都度戸籍新編成が難しくなった)移動に不便になってそのまま残されてしまうことになりました。
移動から取り残された結果、本籍地とは何を意味するのか・・先祖代々の本拠地と言えるかと言うと、せいぜい明治維新当初の住所地(今では婚姻届け出を出した時点の住所?)を現すに過ぎないのですから、存在意義が不明になってしまいました。
本籍地には親類縁者が一人もそこにいないなど本籍の意味が空虚になり過ぎたので、却って何のために本籍・・ひいては戸籍制度が必要かの疑問を持つ人が(私だけかも知れませんが・・元々その疑問があったのでこのシリーズを書いています)になって来たのです。

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