地方自治と国家利益(民族一体性)4

憲法では、全体利益を損なう・・犯罪を犯せば刑務所に入るなど人権の制約が許される仕組みです。
共同体が構築する秩序があってこそ、生命を含めたその他の人権が守られるのは当然です。
文化人・人権屋?は騒音被害や肖像権、プライバシーなどを理由に新しい政策反対の道具にしていますが、強盗や傷害・殺人事件が頻発するようになると防犯カメラによる肖像権侵害とどちらが優先課題になるべきかを見れば、治安の確保があってこそいろんな人権が守られていることが分ります。
イラク・シリアの悲惨な現状を見れば、あらゆる(個々の人権も重要ではあるが)個々の人権保障に先立って、先ず共同体秩序維持を最優先すべきことは誰の目にも明らかでしょう。
治安をまとめて破壊されるのが外敵による侵略・異民族支配で、個々人で言えば、強盗が押し入って民家を長期間支配しているような関係です。
治安を乱すものは刑務所に入れられる・・生命・身体の自由さえ奪われるのが憲法の基本ですから基本的人権にも序列があることが分ります。
そして、治安=国家の安全・・秩序を守ることが他の人権よりも最優先課題であることが、上記憲法の記載から分ります。
上記によれば人権侵害だと言う以前にその制度がなくても治安・高次の人権を守れるかの議論が先にあって、それが確保された上でプライバシー、肖像権などの人権を言うべきことになります。
卑近な例で言えば、通行するのは人権だから一方通行とか信号やスピード規制するなという前に信号機がなくとも交差点での事故防止出来るか、車のような高速交通手段が有効利用できるかの議論が先にあるべきです。
原発もすべて無くした場合の代替手段が見つかるまでの電気をどうするかの議論とセットであるべきは論を俟ちません。
あるいは特定秘密保護法不要の場合、情報漏洩が起きるとどのような損害が起きるか、集団自衛関係がなくて一国だけで国土防衛できるのか、侵略されるリスクが高まるかに付いて集団自衛権反対論者がこの種の合理的な議論をしているのを聞いたことがありません。
どのようにして国家を守れるかの議論を一切しないで、国家の安全があってこそ守られる個人のプライバシイなどの人権ばかり言うのでは、合理的な議論の仕方とは思えません。
目の前に日本侵略意図を明らかにしている軍事大国の中国が存在する現在、「日本国が滅びても現憲法を守る可シ」と言う人が憲法学者であり人権活動家の資格があるとは思えません。
ましてニッポンを半永久的支配下に置こうとして占領軍が押し付けた憲法であれば・・無防備のままで日本民族を守れるかの議論が必須であることは論を俟ちません。
国家社会が破壊されて異民族の隷属下に入ろうとも武装禁止の憲法を守るべき(アメリカ占領で日本の明治憲法が無効にしたように)という論法は、少なくとも中国支配下に入っても現憲法がそのまま維持されることを前提にしています。
中国支配下に入っても言論の自由その他の人権保障が今よりも良くなるというのでしょうか?
中国は香港返還時に1国2制度を公約しておきながら、今ではなし崩しに政府批判者を行方不明者として事実上拘束しています。
日本の人権主義者はメデイアと結託して古くは(私の中高校生のころですが)米国の核実験には毎回のように「放射能の雨が降ってくるから注意しましょう」と大騒ぎして反対運動していましたが、中ソの核実験の場合には全く触れない一方的平和論でした。
文化大革命時に毛沢東語録をいかに素晴らしいかを賞賛し、その非人権性を一切批判してきませんでしたし、天安門事件の非道性の批判もせず、環境問題では文字通りまともに息も出来ないような、汚れ切った空気でさえも何の批判声明も出しませんし、獄中死した中国人権活動家救済のための声明も出さないばかりか全くの無視です。
香港から民主活動家が拉致されても全く無視です。
このような人権活動家が、中国に武力占領された場合日本民族の人権を守るために立ち上がるとは到底想像できません。
支配されていない今でも迎合している彼らは、中国支配下にはいればなおさら迎合するばかりでしょうから、ニッポンの自由な言論が許される法制度がそのまま維持されるとは想定し難いことです。
集団自衛権反対、安全保障法反対→日本を狙う国に占領されるのを歓迎というイメージですが、それにもかかわらず、日本占領予定国の人権や環境に関心がないのか不思議です。
人権活動家の過去の言動を見ると主に非武装平和論→中国支配下に入ることを事実上念願しているようですが、中国の支配下に入ることが彼らが中国支配下に入る目的で便宜上人権や環境保護を標榜しているだけでない・中国支配に入った方が状況が良くなると考えているとすれば、中国の人権や環境状況に関心を示さない理由が不明です。
どんな意見を言うのも自由勝手・言論の自由があると言うことですが・要は多くの人が聞いて本当に日本人のための意見を言っていると信用するかどうかです。
政治家の場合次の選挙で洗礼を受け消長が決まりますが、政治家以外のNGO等の任意団体では外国の手先になって宣伝活動していて国民支持があろうがなかろうがも何らの責任も負いませんし、資金流入がある限り消滅もしません。
自由主義国ではむやみに言論規制できませんので、さしあたりは資金入手経路を明らかにする義務を課すべきでしょう。
アメリカの占領施策の方向が変わっても、その間に勢力を持ってしまった左翼系メデイアや文化人が、日本侵略を目指すソ連や中共政権の意を受けて米軍基地妨害目的でより一層自治の要求が強く出してくるようになりました。
権利には義務を伴うと言いますが、自治権にも国家一体感の枠を超えない節度が必要です。
弁護士等の憲法遵守義務と時代に合わない憲法改正をした方がいいかを論じることとは別ですが、不思議なことに弁護士会での護憲論者は改正反対を理由に憲法擁護義務を掲げて弁護士である限り護憲運動するのは当然であると主張するのが普通です。
左翼文化人が金科玉条のように重視する憲法においても、・・個々人の人権は全体利益の範囲内でしか認められないのが原理原則です。
以下に紹介するとおり、人権も「公共の福祉に反しない限り」認められているに過ぎません。

憲法
第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」

憲法では、全体利益を損なう・・「公共の福祉に反しない」限度で人権が尊重されると明記しています。
犯罪を犯せば刑務所に入るなど人権の制約(死刑さえ)が許される仕組みです。
共同体が構築する秩序があってこそ、生命を含めた人権が守られるのは当然です。
文化人・人権屋?は騒音被害や肖像権、プライバシーなどを理由に新しい政策反対の道具にしていますが、強盗や傷害・殺人事件が頻発するようになると防犯カメラによる肖像権侵害とどちらが優先課題になるべきかを見れば、治安の確保があってこそいろんな人権が守られていることが分ります。
10月2日頃に駅のホームで後ろから走って来た若者に体当たりされて40代男性が線路に転落した事件がありましたが、ホームで体当たりする瞬間、その先の改札を抜ける映像など断片的映像をつなぎ合わせたらしく犯人が6日ころに検挙されましたが、防犯カメラも連続性があるからこそ断片情報でも特定できるとになります。
その前後の改札やホーム等の映像から、同駅の継続的使用者かどうかをしることができ、事件場所のホーム映像では後ろ姿しかなくとも、違った角度方向からの体型容貌歩き方も分かります。
ISが台頭したイラク・シリアの悲惨な現状を見れば、あらゆる(個々の人権も重要ではあるが)個々の人権保障に先立って、先ず共同体秩序維持を最優先すべきことは誰の目にも明らかでしょう。
今晩のメニューを何にするかも重要ですが、こうした議論をできるのは自宅に強盗が居座っていないからです。
治安をまとめて破壊されるのが外敵による侵略・異民族支配で、個々人の家に当てはめれば強盗が押し入って民家を長期間支配しているような関係です。

アメリカの自治体11(草の根民主主義の妥当領域4)

特定目的自治体や、数十人から数百人程度の規模ではなにかの問題が起きた時に文字通り昼の仕事が終わってから集まる・・昔からのムラ社会で行なわれてきた・・昼の農作業が終わってから集まる寄り合い程度で済む規模です。
私の所属する町内会のようなイメージ運営です。
アメリカの自治体の半数が千人以下というのですから、大方が寄り合い的会合で間に合っている印象です。
これならば日本は古代からずうっと行ってきました。
これが大阪市や横浜市、千葉市のような規模になっている場合に昼間勤務先で目一杯仕事をしてから、仕事帰りに立ち寄って数時間の議論で何を責任を持って決められるのでしょうか?
私の住む自治会では20年程前京成電鉄の線路を隔てて2つの自治会に別れました。
人口が増えると身近なテーマ解決に無理が出て来たからでしょう。
ロサンジェルスやサン・フランシスコのような大都会でも従来型議員活動で間に合っているのは自治体の権限が小さな自治体結成運動で始まったから・・そのままだからではないでしょうか?
アメリアカの自治体は、結成の目的がもともと身近な問題解決のためだったから、規模が大きくなっても身近なテーマに限定されたままだからではないでしょうか?
ただし、大きく育ったと言っても21日に紹介したとおりサンフランシスコ市でせいぜい人口80万ですから千葉市よりも人口が少ないのです。

https://www.city.chiba.jp/sogoseisaku/sogoseisaku/kikaku/tokei/top.html千葉市の人口

 平成30年11月1日現在
・人口977,828人
・世帯数435,113世帯

日本の自治体の場合、もともと一族の命運を決める古代氏族社会からはじまり、これが灌漑と生活手段の発展に応じて共同作業の必要性の拡大や外敵防御その他集落単位〜連合等々の必要性で血縁から面としての生活共同体に発展して来た歴史があります。
関係の広がりに応じて必要に応じて全能の権限を目的別に制限・・権限をより上位の連合体に移譲して来たものですから、規模が大きくなればその分、移譲された権限が大きくなるのが原則です。
ただ、移譲によって失っていく関係ですから、移譲されていない分野では権限が残っています。
明治政府以降法的権限が剥奪されていますが、事実上の権限として古来からの集落共同体・氏子共同体などの結束がいまだに強固に残っています。
大都会における擬似氏子共同体が町内会とか団地の自治会でしょうか?
アメリカではもともと地域社会の裏付けもなく、広大な地域を人為的にテリトリーを決めただけでこれを裏づける歴史的関係・移譲して来た歴史がない状態です。
この結果、逆に州政府から与えられた範囲しか自治体に権限がない・与えられた権能がはっきりしているのに対して、日本とアメリカとでは原則と例外の違いがあるように思えます。
その結果新たに生じた未知の事柄については移譲していないのだから、まだ原始共同体に権限が残っていて・・例えば原発廃棄物〜放射能汚染物質埋設地の立地是非などについては、市長さえ同意すればいいのではなく地元自治会の反応を無視できません。
これらに対応するには文字通り草の根の議論が必要で、しかも新たに起きてくる分野は高度ですから議論レベルも高度になって行きます・・。
マイナンバー法一つとっても、個人情報が漏れたらどうするというスローガンだけではなく、情報機器のどの部分についてどのようなことが起きたらどのようなことが起きて情報漏れがどのように広がる可能性があるかなど具体的な理解が必要です。
安保であれ原発再稼働あれ、ゴミ焼却設備であれ、単に反対というだけでは国民が納得しない時代です。
焼却炉新設ではゴミの収集がどの程度増えているのか、環境がどうなるか、焼却設備の性能であれ、まともに議論するには全て高度な知識が必須です。
このために小さ町村では対応しきれなくなっているので合併による事務部門の高度化が促進されています。
17年10月9日の日経新聞「私の履歴書」では、日本国内での株式の営業経験が全く通じなかったという経験談が書かれています。
日本では個人相手営業だったがアメリカに行くと機関投資家相手なので、例えば、原油が何%上がるとこの企業の業績に何%損が出るなどという緻密な情報を勉強していかないと質問に応えられないので苦しんだ例が書いてありました。
市議とか市長といっても何をやっているかによって要求されるレベルが違ってきます。
もしも日本ではアメリカよりも自治権限が桁違いに高く幅広いとすれば、いろんな分野について市議、県議も市職員も十分な予習学習や訓練を欠かせません。

アメリカの自治体7

日本のような自然発生的集落しか知らない立ち位置からではイメージしにくいですが、エベレスト等に登頂すると「エベレスト制服」と発表し、先住民を駆逐して?広大な無人の?原野に行った先で旗(行ったしるしの石碑)を立てて帰ってくるとそこまで先に支配がおよんだことにする西欧や中国的領土主張のあり方を前提に一応イメージしてみると以下のように想像できます。
広大な北アメリカの原野の隅から隅まで地図上の分割を済ませて各州の領域が決まったが、そのほとんどが誰も住んでいないし人跡未踏の空白地域で始まっている・・そこに人が住むようになって一定の集合体ができた場合、州(ステート・国家です)の作った一定の基準を満たせば町や村等のコミュニティーと認めようという制度設計のイメージです。
日本で言えば、民法の公益財団設立認可・・あるいは、今はやりの法人でいえば、NPO法人や社会福祉法人設立認可のように一定基準を満たせば地方公共団体が設立されていくのと似ています。
大和朝廷の始まりがはっきりしないのと同様に、日本の集落は自然発生的・・古代からあっていつでき上がったかも不明なほど古い集落が基本(古くは平家の落人部落伝説や新田開発や、明治維新時に北海道開拓に移住したりした場合など例外的場合しか知られていません)ですから、明治維新後幕藩体制を解体して中央集権化に適した郡県制に組織替えするに際しても、古代から存続している集落には手をつけずに、いくつかの集落を併合する形でその上に近代的市町村制を乗せたに過ぎません。
ですから、市町村合併で明治以降の市町村名が消えてもその下の集落名・・大字小字の仕組みになっています。
この辺は大宝律令制による班田収授法でも古代からの集落を無視できなかったので、結果的に古代的私有(集落有)制度に戻っていく・・中央任命の国司の権限が形骸していき、古代から地域に根を持つ地方有力者・郡司の実権を奪い切れず、地元勢力・逆に武士の台頭→幕府成立→戦国時代を経て古代集落の合議で地元のことは地元で決める法制度になった徳川時代にようやく落ち着いたのと似ています。
明治以降(大化の改新同様に)西洋法に倣って形式的地方自治体の権限を法で強制し(その逆張りとして古代から続く集落にに法人格を認めませんでしたが、中央政府が無理矢理強制した郡県制・市町村線引きは無理があり、次元の違う集落共同体の抵抗が、我々法律家の世界では有名な「入会権」の抵抗です。
最近顕著になってきた各地に根付く集落ごとの「お祭り」の復活が、押し込められていた地方精神面での反抗復活というべきでしょうか?
話題がそれましたが、ここでのテーマはアメリカの自治体権限と明治維新以降我が国が西洋法の移植で始めた自治権限とは歴史本質が違うということです。
アメリカの場合、一足飛びの社会ですので、日本や西欧諸国のような歴史経験・・原始的集団形成過程を追体験して行くしかないので、草の根民主主義から始まるのは当然です。
わが国で言えば、原始時代に遡るしかないほどアメリカの遅れた状態を単純に賛美している報告がわが国で普通に行われているのはおかしなものです。
原始時代からいつ始まったか不明なほど古くからの集合体があったのではなく、外部侵入・占領に始まる社会の作り方です。
まず州ができてそのあとであまり広域すぎるので、泥縄式にまず郡を作ってその領域内でミニサークルが出来上がっていくのを待つようなイメージです。
日常的に必須のサービスについて自分たちでプラス負担しても良いから・・ということでより良いサービスを求めて自治体結成するのですから、でき上がった自治体の役割・権限もその程度になるのが自然でしょう。
学校や道路などその部分だけ自分たちでプラス負担しても良いという程度の動機ですから自治を求めるのものその範囲のことです。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.html引用の続きです。

「アメリカでは自治体は市民がつくる。住民が住民投票で自治体をつくると決議してから初めて自治体ができる。決議しなければ自治体はない。だから、アメリカには自治体のない地域(非法人地域、Unincorporated Area)が面積の大半を占め、約1億人(総人口の38%)が自治体なしの生活をしている[ 1]。無自治体地域では、行政サービスは通常、州の下部機関である郡によって提供される。それでも最低のサービスは保証されるが、警察や消防が遠くの街(郡庁所在都市)から提供されるのは不安だし、地域の発展を直接自分たちでコントロールしたいということで、自治体をつくる運動が生まれ、住民投票などを経て自治体が設立される。」
「自治体結成について最も障害となるのが財政、税金の問題である。郡から大枠の行政サービスを受けるだけよりは地元で自治体をつくり身近な行政サービスを受けた方が好ましい。しかし、自治体をつくると税金負担が大きくなるマイナスがある。東パロアルトのような貧しい地域では域内ビジネスがあまりないので税収があまり期待できない、という問題もある。「独立」するよりは郡の庇護下に居たほうがいいという判断も出てくる(周辺の裕福な地域の税収で行政サービスを受けるということでもある)。それで東パロアルトの自治体設立にも根強い反対があり、1930年代以来、何度も自治体結成の話が出てはその度消えていった。」
「さらに結成した後も、自治体は極めて市民団体的である。例えば市長や市議は通常、ボランティアだ。カリフォルニア州の場合は州法で5万人以下の市なら月給400ドル以下、3万5000人以下なら月給300ドルなどの報酬額が定められている。このような名目賃金では生活できないから、市長や市議は通常、他の仕事をもっている。市議会や市行務の仕事は夜行なわれる。
市議の数も通常5人から10人程度で少ない。夜開かれる市議会は住民集会のようなもので、市民が自由に参加できるのはもちろん、だれでも1議題につき1回まで発言さえできる。連邦、州、自治体レベルにはりめぐらされている公開会議法(Open Meeting Laws)がこうした市民の発言を保証している」

この論文ではこのコラムで関心のある自治体権限の範囲について書いていませんが、(私は法律家なので法的権限に関心が行きますが、社会学者の場合?関心の一部でしかないでしょう)自治体結成の動機エネルギーから見ても、結成動機に権限が関係しますし、また「市」と言っても市議会議員の給与や定数まで州法で決めているくらいですから・・自主的にできることは、州政府の提供するサービス・・最低保障に自分たちで集めた税で上乗せサービス給付する程度しか想定できません。
このような観点から見れば、領域支配を前提とする日本人の自治体イメージから見れば、不思議に見える領域支配と関係ない特別区という自治体がいっぱいあることも「異」とするには足りません。
(昨日紹介した警察だけ自分たちで運営する自治体など)

アメリカの自治体6

アメリカの自治体の実態そのものを調査研究した人の意見が以下に出ています。
以下引用するhttp://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlに詳しく出ていますが、アメリカではたった3人から10数人クラスの自治体があるし、有料の橋だけ管理する自治体や警察署だけ設置する自治体もあるなど機能的にもいろいろらしいです。

岡部一明 (『東邦学誌』第30巻第1号、2001年6月)7
「憲法には地方自治の規定はまったくない。したがって地方自治法はすべて州法。自治体を設立するのも州の権限だ。したがって自治体制度は州によってまったく異なり、本稿で詳述するような複雑さを呈する。「アメリカの自治体は・・・」と一括りにはできない。別の例をあげれば教育である。日本の教育基本法や学校教育法にあたるのはアメリカでは各州の州法である。したがって州により小学校が4年だったり5年だったり6年だったり、小学校に幼稚園が付いていたりいなかったり、高校が3年だったり4年だったり6年だったり、とばらばらである。
「郡
アメリカの地方自治制度は、概略的に言えば、まず州全土が数十の郡(County)に分割され、その中に自治体が形成される形だ。無自治体地域には郡が公共サービスを提供する。自治体がない地域はあるが、郡はあらゆる地を被っている。」
上記によると州政府は州をいくつかの郡に地域割りして出張所みたいに郡庁を設置していて、そこから自治体の設置されていない地域への警察や道路水道学校等のサービスをする仕組みのようです。
もうちょっと学校をよくしたいとか道路をよくしたいと思えば、地域の住民多数で自治体を結成すれば自分たちで警察を持てば(3〜40分離れた郡庁所在地から駆けつけるのではなく、地元警察署が欲しいという理由で自治体を作ると)治安が良くなるとか道路を綺麗にできるなどメリットがありますが、その代わりそれまで州政府・郡庁がやってくれていた分が地元負担になります。
地元負担が増えることの兼ね合いで自治体結成したりしなかったりになるようです。
貧しい地域は平均的サービスを州政府の負担で受けた方がトクでないかという発想で、貧しい地域ほどいつまでも自治体のない地域が残る仕組みのようです。
以下引用の通りアメリカの面積では大半、人口比では38%では自治体のない地域に住んでいるという実態を抑える必要があるでしょう。
「(序)市民が設立する自治体
アメリカでは自治体は市民がつくる。住民が住民投票で自治体をつくると決議してから初めて自治体ができる。決議しなければ自治体はない。だから、アメリカには自治体のない地域(非法人地域、Unincorporated Area)が面積の大半を占め、約1億人(総人口の38%)が自治体なしの生活をしている[ 1]。無自治体地域では、行政サービスは通常、州の下部機関である郡によって提供される。それでも最低のサービスは保証されるが、警察や消防が遠くの街(郡庁所在都市)から提供されるのは不安だし、地域の発展を直接自分たちでコントロールしたいということで、自治体をつくる運動が生まれ、住民投票などを経て自治体が設立される。」
警察保護区を設置した自治体の様子は上記引用記事によれば以下の通りです。
「ブロードムア警察保護区(BPPD、Broadmoor Police Protection District)委員会のピエール・パレンガットが語る[10]。サンフランシスコ市の南辺、面積1.4平方キロほどのブロードムア地区(人口5000人)は通常自治体のない非法人化地域だが、警察だけは必要だということから、自治警察だけの特別区自治体BPPDを設置している。1948年に郡議会に嘆願し、州法に定められた警察保護区の規定にのっとりを設置した。「自治体がない地域は通常、郡が行政サービスを提供する。ここでも最初は、郡警察(シェリフ)の管轄下にあった。」とパレンガットが説明する。「しかし、郡警察本部は、車で約3-40分かかるレッドウッド市(郡庁所在地)。事件があっても警察官が遠くから駆けつけることになる。地域で警察保護区をつくればサービスも迅速になるし、心配や問題があった時いつでも来れて、署長や警察官と話ができる。」
「このBPPDについて詳しくは別稿に譲るが[11]、彼らは、「迷いネコの捜索や病気の住民の様子を見に行ったり、高齢者のために郵便を出したり」もして、コミュニティー・ポリーシング(地域に根ざした警察)を実践している。住民から選挙で選ばれた3人にからなるコミッション(委員会。パレンガット氏が委員長)が運営に責任をもち、その下に11人の警察官が雇われている。戦国時代、住民が侍をやとって村を守る話(黒沢明監督『七人の侍』)という話があるが、警察保護区はまさにその現代版だ。警察署は民間住宅を改造した建物。そこに11人の侍だけでなく、延べ10人以上のボランティア市民が詰め月600時間以上の労力を提供する。」
ブロードムアの警察保護区はいわゆる特別区(Special District)のひとつだ。アメリカの自治体には日本のいわゆる市町村型の総合型自治体ばかりでなく、こうした専門サービス型の自治体がある。代表的なのは学校区(教育委員会に相当)だが、後述するように水道区、大気汚染監視区、交通区、蚊駆除区、その他多様な分野の特別区自治体がある。
道路などよくしたいと自治体を結成した地域もあります。」

アメリカには自治体のない地域が面積の過半を占め、人口比で38%が自治体のない地域に住んでいる事実をまず知るべきです。
アメリカは自治の本場というイメージがありますが、そもそもその前提にある基礎集落社会・自治の主体に関する大きな誤解があることが分かります。
もともと日本のように自然発生的に集落があって、何千年の経過でそれが育って〇〇郷や・〇〇の庄〜ムラ社会〜明治以降のムラ〜町〜市〜大都会になってきた社会とは成り立ちが違っています。江戸時代・・特に房総地域では旗本領が入り組んでいて一つの部落野中が何人もの旗本の領地に分けている(ひどい例では、一人の農地の内この農地は誰それ領地と複数領主に分かれていることもあったようです)状態であったことが、千葉県では知られていますが、こういう土着社会に領主がいてもまるで相手にされない・ムラの寄り合いで「こういう決まりになりました」と領主に届ける仕組でしかありませんでした。
領主といっても、結果報告を承認するしかない・事実上領民の決めたことを強制される社会でした。

 

国政政党の役割4

昨日引用の続きです。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20171109.html

衆院総選挙、このあと小池都政はどうなる?
佐々木 信夫/中央大学経済学部教授
専門分野 行政学、地方自治論
都政はどうなるか、小池都知事は再起できるか
・・・・今回の衆議選では姉妹党と思われる「希望の党」は大惨敗した。特におひざ元の都内25小選挙区のうち勝利したのは1つであり、比例を含めても獲得議席は4に過ぎない。東京都内のこの結果が東京都政に影響を及ぼさないはずがない。
都知事の威信
選挙前でも、就任1年目の庁内の小池評価は46.6点。同時期の舛添要一は63.6点、石原慎太郎は71.1点。[7]。前任の都知事らと比較しても極端に低かったが、今回の国政進出でその信認は完全に失われてしまった。0点に近いのでは。信頼できないトップの言動、動きに部下が冷ややかな反応をするのは企業とて同じ。トップのリーダーシップは部下のフォロアーシップが噛み合ってこそ初めて機能する。小池氏はもはや1人で吠える空回りリーダーではないのか。
2足わらじ
・・・都議選後、「都政に専念する」と明言していたにもかかわらず、舌の根も乾かぬうちに「私が先頭に立つ」と国政政党を1人で立ち上げ、「政権選択の選挙」だとはしゃぎ走り回った小池氏。大敗後も、深く反省し「都政に邁進する」と口では言うが、党代表を降りる気もなく、党代表と都知事との2足わらじを相変わらず履き続けるというのだ。
・・大敗後も代表として国政政党の主要な意思決定に深く関与するという態度だ。「国政に色目を使わずに地道に都政の執行に専念すべきだ」(前掲・片山)といった知事経験者としてのコメントにも応えようとしていない。
国との関係
都民の人気が絶大でそれを背後に国にモノ申してきた小池氏とは違い、都民の支持がなくなったいま国側は全く怖くない。五輪準備もこの先、ゴタゴタ続きになるのでは。それに国が救いの手を差し出すとは思えない。
都議会との関係
・・・小池氏が掲げた“東京大改革は都議選に勝つこと、”この目標“は見事に達成されたが、それだけでは大した意味はない。自分を支える勢力にお友達が増えた程度の話だ。そうではなく、“古い議会を新しい議会に変える”との話はどうなるかだ。
・・・うも違う。小池氏の都民ファ運営が独裁との評で、既に2名の有力議員が離党した。「希望の党に連なる都民ファへの指導力が低下する可能性もある。都民ファは分解の過程に入ることも想定される。特に民進党出身の都議が動揺していると聞く」。
・・・都民ファの内部の最大勢力は実は希望の党の9割以上が民進出身者であるのとよく似ている。一番数が多いのが民進系議員で、もし彼らが集団離党すれば、もはや都民ファは1年生の小池塾生と一部の自民系議員だけになる。その自民も今回の復調で離党する可能性がある。このドミノで都民ファは少数会派に転落してしまう。
都民ファと与党を組む都議会公明(23議席)の動きも怪しい。国政同様に自公体制を望み、都民ファとの与党体制を解消する方向に行ったら、小池都政を支える勢力は無に帰してしまう。
小池都政の今後の課題―それを解決できるか
仮に小池氏が希望の党代表を辞め、都知事に専念するとした場合、この先小池都政はうまく前進できるかどうか。課題を幾つか挙げてみるが、なかなか難しいのでないか。
第1は、小池都政のこれまでの都政運営の仕方を変えられるかどうか。議会にも職員にも都民にも相談なく進めるワンマン都政のやり方をだ。情報公開、見える化を売りにするが、一方で政策形成や決定過程は外部顧問に依存し、組織を無視するワンマン決定でブラックボックスに近い。合意形成より知事独裁に近い都政運営をどのように変えていくのか、変えられるだろうか。
第2は、豊洲移転と築地再整備の折衷案を実際「形」にできるかだ。そもそも豊洲移転延期から2年以上が過ぎる見通しで時間とカネが相当掛る。しかも都議選直前、自分のAI(人工頭脳)で決めたという豊洲移転と築地再開発の両立という方針は、採算面からみても成立不可能ではないか。500社に及ぶ築地市場の利用業者の信用は完全に失われている。カネと時間を失い、信用を失ったこの大プロジェクトを立て直すことができるのか。
第3は、2020五輪の準備は相当遅れているが、ほんとうに大丈夫か。築地市場跡地を通す幹線の環状2号線の整備及びバス3000台以上が駐車できる駐車場の整備は、豊洲への全面移転が完了してからでないと始まらない。その移転自体、ズルズル延び来年10月以降という。それだけでなく、全体的に遅れているのが五輪向け都市整備だ。“総合的に判断”と言うが、ワンイッシューにこだわり整合性を欠く都市整備の現状を小池氏自身の力で変えられるか。間に合わないとなれば、急転しインフラ整備は国が前面に立ってやらざるを得ない状況に追い込まれる事態すらあるかも。そうなると、小池都政は国内外の信用を完全に失ってしまう。
第4は、本来都政が取り組むべき「都市問題」の解決、都市政策の実行ができるかだ。もともと都民は小池氏に政策問題の解決をあまり期待していない感じだが、しかしそうは言っていられない。
・・・・・・自分が関心のある無電柱化などに凝っているようだが、それ自体、都民生活上の優先順位は低い。上述の優先順位の高い問題にどのようなプログラムとスケジュールで取り組むのか。それには都庁という巨大官僚制を動かすエネルギーが要る。信用を失った中で、これができるか。
第5は、東京都内というコップ内だけでなく、日本全体の東京一極集中批判に都政はどんな対応をするのか。独りよがりの東京論をかざしていると、老人介護施設の首都圏広域展開ひとつ協力を願えない。五輪施設の他県整備でゴタゴタした小池氏の手法に不信を持つ知事、市長は多い。よく考えて欲しい。東京という大都市は水ひとつ、エネルギーひとつ、食糧ひとつ、自前で供給する能力のない、他に依存して成り立っている砂上の楼閣のような都市であることを。近隣諸県のみならず、全国、アジア、世界からの協力なくして東京は生きていけない。
建言「もう“国政との2足わらじ”は止めろ」
少数野党を率い国政に片足を置いたままで都政がうまくいくはずがない。ひとりの人間にそんなエネルギーはない。ここは政党代表を離れ、都政にしっかり専念すべきだ。それでも大変な時期のはず。都知事の通常の仕事、前例のない「老いる東京」問題、2020東京五輪の準備と、都知事が3人必要な状況にあるのだ。
・・・・・小池氏は都知事になる準備をしていた人ではない。突然前知事が辞職したから降って沸いたようにお鉢が回ってきたに過ぎない。なので、都政自体をもうひとつ判っていない感じがする。就任から1年以上経つ今でも、自分の皮膚“感覚”で都政を語っているようにしか見えない。本当にやるべきこと、都政を動かすプロモートは何かが見えていないのではないか。
労組の「連合」を頼りにしているようだが、選挙はともかく大都市経営には限界がある。民間との関係で片肺飛行の都政。これでは東京の持つ力を出せるはずがない。
・・・労組も大事だが、経済界、政界、区市、各種団体、都民、他県ともしっかりスクラムを組むべきだ。情報公開という意味で、五輪は五輪で今どんな準備段階にあるのか工程表を明示し、世に説明すべきだ。ひとつひとつ謙虚に物事を解決し実績を積んで行ってこそ、小池都政に“明日”は拓ける。」

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