民主主義2の基礎・信頼関係

西欧的近代社会に適応しようとした帝政ロシアが農奴解放に徐々に践み切ると,・・構造改革は普通は既得権益層・大貴族との利害衝突になりますが・・大貴族に対する配慮の結果、農奴の方はそれほど解放がすすまないと言う不満があり・・社会が大混乱に陥るのが普通です・・が帝政ロシア失速の始まりです。
この結果金融的にユダヤ系に締め上げられていった経緯についてはロシアのデフォルトのテーマで最近書きましたが、社会がうまく行かなくなると騒乱→革命になったのが帝政ロシアでしたし、第一次大戦の敗北でドイツ帝国も崩壊しました。
うまく行かなくなると騒乱→革命になったのが帝政ロシアでしたし、第一次大戦の敗北でドイツ帝国も崩壊しました。
中国清朝も変法自彊運動に始まり時代適応しようと努力すると、却って内部混乱が始まり軍閥が横行して結局瓦解してしまいました。
蒋介石軍も、共産軍も最後まで勝ち残った軍閥の生き残りだったと見るのが正確でしょう。
韓国はアメリカ支配下にあった関係で、実力不相応に民主政体化しましたがその無理が出て来ていますし、台湾もアメリカの影響で国民党一党独裁からうまく脱皮しましたが、北朝鮮や中共・・共産政権ではまだそのままですから、軍閥的発想が未だに抜けないから昨日紹介した孔子の策によれば、最下策にあたる軍備増強第一に考えるのです。
アメリカでは何年か前のミズーリの水害のときの報道を見ると,混乱に乗じてすぐに略奪が始まる程度の国です。
昨日の報道では反トランプデモがすぐに暴徒化しています。
野口英世を例にしてこのコラムを書いた頃・・アメリカ社会を見た直感では、少なくともアメリカは日本より500年前後遅れていると書いていた記憶ですが、その後相次いだ縄文時代の新発見を参考にすると数千年単位前から助け合い・循環型社会が出来ていたことが分って来ました。
今ではアメリカ(に限らず世界中)は日本に比べて数千年単位・・何周回遅れの社会が日本に教訓を垂れるなどおこがましいと言う考えで意見を何回か書いています。
循環型社会・公害に敏感な社会・・ゴミ処理能力と社会の相互信頼関係は根っこが同じです。
我が国の場合、あれだけ戦争で無茶苦茶に負けても、国民の側から政府に対する不満や責任追及論は全く起きませんでした・・。
不満を言う前に占領軍が来たので、それに対する対応に追われて不満を考える暇がなかっただけと言う意見もあるでしょうが・・。
日本に将来がないからと言って国外脱出するどころか、食うや食わずになっている本国に海外から何百万人も帰って来て復興に精出しました・・。
ウイキペデイアの記事です。
「敗戦時には軍人・民間人計660万人以上が海外に在住し、引揚げした日本人は1946年末までに500万人にのぼったが、残留日本人の数や実態については現在も不明である」
その分食糧難が一時的に酷くなりましたが、「困るから帰って来ないで」と言う人・・文句を言う人はいませんでした・・お父さんや弟が戦地から無事返って来てみんな喜んだものです。
食糧が絶対的に不足していたのに騒乱も犯罪もそれほど起きず、みんな黙って復興に励んでいましたし、裁判官が配給だけに頼って飢え死にした事件もありました。
(ただし、後記のとおり無茶な要求をして皇居に押し掛けた「共産党員」もいましたが・・ほんの一部でした)
1911年3月11日の東北大震災でも、みんな黙って救いを待っているのを世界中の人が驚いていましたが、戦後一時期田中角栄氏のようなゲンキンな人が幅を利かす社会になっていたように見えていたのですが、民族の血として脈々として繋がっていた同胞意識が底流で全く変わっていなかったコトが分りました。
(このときもホンの一部とは言え、泥棒していた人もいました・終戦直後犯罪率は当然上がりましたし(食糧不足・配給だけでは生きて行けないので、配給がいの食糧を求めていたので、やみ取り引きの検挙・・犯罪も増えます・・全員が海外から引き上げた訳ではないでしょうが、民度を言う場合ゼロを言うのではなく、こうした危機時に起きる比率が重要です。)
戦死者を悼む心・・靖国神社についてもアメリカや中韓を刺激すると言う間接的追及論や失言騒動をマスコミが起こすのが限界です。
このマスコミの煽りに対して共感しないで不愉快に思っている人の方が多かった結果が出たのがいわゆる慰安婦問題に対する大反撃です。
アメリカの攻撃に完敗しても天皇制を死守し、勇敢に戦った自分の父を尊敬している人が大多数・・そういう民族です。
「朕はたらふく食ってるぞ!なんじ臣民飢えて死ね」と言うプラカードの標語が何故か心に残っているのは、あまりにも日本臣民の心からかけ離れた不届きで罰当たりな標語を掲げて皇居に押し掛けた違和感からでしょうか?
本日現在のウイキペデイアによると以下のとおりです。
「プラカード事件(プラカードじけん)とは、1946年(昭和21年)5月19日の食糧メーデー(米よこせメーデー、正式には「飯米獲得人民大会」)の際、参加者の一人である日本共産党員の田中精機工業[1]社員・松島松太郎が掲げた「ヒロヒト 詔書 曰ク 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」
そもそも国内の食糧総生産量が人口に見合わず、戦前は台湾や朝鮮半島から輸入していたため、また外地からの復員の分、人口が増えるわけであり、満足な供給には無理があった。農民も復員してきているとは言え、今すぐに食糧が増えるわけではなく、誰が大臣になっても解決策は無かった。大会翌日の5月20日、GHQ最高司令官マッカーサーは「組織的な指導の下に行われつつある大衆的暴力と物理的な脅迫手段を認めない」と声明を出し、社会党と共産党を牽制した。これによりデモ隊は霧散した。
既にGHQはこの食糧不足の危機的状況を把握しており、最も欠乏していた北海道から順次、食料供給を始めており、食糧問題の特別使節団として派遣されていたハーバート・フーヴァー元大統領は、90万トン近い食料を日本に供給すべき、と進言しており、実際に実行されている。 このデモはそれらを無視した形で、当初から政治的目的を持って行われた。」
戦争に負けたからと言って(恐れ多くも)天皇陛下の名を呼び捨てに書いて、皇居に押し掛け天皇に対して直截面会を求めるなどるなど日本国民の多くにとってあるまじき行為ですから・・その表現にショックを受けた人が多かった・・共産党系はソモソモ日本民族の一体感を持っていない人の集まり・・権力が弱ればその隙を突きたい人たちであることを自己証明した事件だったかも知れません。
「イザ鎌倉!」と言うときに「待ってました!」とばかりに敵方に馳せ参じる武士のような人も一定率いるでしょう。
今でもそうですが、選挙の結果を無視したデモ呼びかけで国会前に5000人〜1万人も集まると民意を証明していると左翼系文化人が自慢しますが、当時の1億人口の内暴徒が皇居前に1〜2万人集まったとしてもそれが当時の日本人の大方の意思だったことには到底なりません。
民族分断したいアメリカの入れ知恵で、戦争責任追及論に迎合するグループは今でも文化人には多いですが、そう言う使嗾に乗る人は国民の中の例外に留まっています。
選挙結果こそ掛け値のない民意ですが、社会党支持率が2%前後しかない状態が、実際を証明しています。

政府と国民4(2項対立2)

2項対立論者は、何かあると国民が困ると見るか、政府や与党=抑圧者だけが困るだけと見るかの2択視点を前提としていて、不祥事や災難が起きるとこれを喝采する方が正しいか困ったことだと思うかによってどちらの側かの区別をしようとするものです。
社会実態はもっと複雑多義であると思う国民が圧倒的多数でしょう。
熊本地震当初ミノモンタ氏のように根拠なく政府批判的アタマごなしの論調(現地応援の政府高官による弁当差し入れ希望のツイッター批判など)が頭出しされていましたが、昨日あたりの報道では政府の対応をプラス評価する意見が多かった世論調査結果が出ています。
ミノモンタ氏のツイッター炎上に関して、政府批判の揚げ足とりに精を出すよりは先ず助け合うことが必要だろうと書いておきましたが、ネット世論発達で、マスコミによる一方的な政府タタキが出来なくなって来た様子・・2項対立論を煽るよりは一丸となった同胞救済が先と言う意見の方が多かったようです。
万年単位で人智が遅れているアメリカ人が乱暴な2択基準を持ち込んで教育強制したために、この70年間世社会を2項対立でしか判断出来ない人材がアメリカのトラの威を借りたマスコミを筆頭にエリートとしてのさばっていたに過ぎません。
今日の風情・・春めいた気分とか初夏らしい空気などにあわせてどのような装いが良いか、どのような色柄が良いか迷っているときに「今日は春か夏かどちらかだ!」「晴れるか雨か」と言う基準で早く決めろよ!と夫に言われると黙ってしまうしかありません・・。
黙っている人(女性・・サイレンとマジョリテイー)はモノゴトの基準が分らないのではなく、大雑把な基準しか分らないテーマ設定者を議論にならないとバカにしているだけです。
単純化・・ミノモンタ氏流に良く考えもせずに一刀両断的に発言する人がもてはやされて来た)に適している戦後エリートを基礎的人材源とする革新系・・民主党政権時代にいわゆる二者択一的判断・・(曖昧模糊とした主張が許されない)吊るし上げ・人民裁判的「事業仕分け」が同政権の目玉だったことがその本質を如実に物語っています。
2項対立的仕分けによれば、政府が何のためにあるのか犯罪摘発は国民のため必要なのか、政府に抑圧・搾取されている国民反抗抑圧のための「摘発組織」としてあるかのテーマとなり、政府をフランス革命前の抑圧組織として理解しているグループは政府統計処理などの充実に対して、何でも反対に傾き易くなります。
テロや災害のない平和安心社会を望む庶民はこれに必要な装置・・プライバシーとの比較の上で街灯設置数が多く街路や公園が明るい方が良いし、防犯カメラ設置場所が多い方が有り難い・・ひいては仮名取引などの不透明社会を望みません。
引っ越せばそのとおり住民登録するし、自分の行動を秘密にしたいと思う人は少ないでしょうからいろんなデータ化に協力的・寛容→アングラ系が跋扈しない社会を望みますが、2項対立図式・・秩序は人民抑圧のためにあるとするグル−プでは現在日本を現在中国社会そのものと見ていて、政府と人民は対立関係にあるべき・・・現に対立していると理解しているように見えます。
社会を権力に連なる階層と非抑圧者の2種類に単純化してみる・・現実の日本を見ずに数千年単位で遅れている中国社会と同視しているからです。
日本社会は昔から(フランス革命よりもずっと前から)、そんな単純な社会ではありません。
食中毒事件1つ例にとってみても、庶民が安心して外食出来なくなる点では社会の信頼関係破壊ですし、地震災害、交通機関混乱や爆破テロもすべて政府権力者が困るだけではなく国民も等しく困るので避けるべき・・事前情報収集体制の整備を求めます。
情報収拾・・預金残高の動きが政府に分っても自分が何も悪いことしたくなければ少しも困りません。
ちなみに、マイナンバ−制度や防犯カメラ、航空機搭乗者者名簿、ホテル宿泊名簿も同様で伝染性疾患患者が出た場合その足取りを調べるためなど必要性があれば調査するだけであって、近所の人が、自分の行動を自由に知ることと同じではありません。
隣近所の人に一々自分の行動を知られたくないのと、統計処理とプライバシー保護とは直接関係ありません。
マスコミが大量データ漏洩を如何にもプライバシー侵害のように宣伝しますが、業者は自分が個人的に知っている友人知人のデータを欲しくって情報を買うのではありません。
漏洩したビッグデータを各種業者は更に加工して成人式直前の女性だけの名簿とか化粧品購入層など需要に応じてダイレクトメール業者に売るのが普通で、商品販売業者(例えば資生堂)でさえその名簿を入手する必要がない・・ダイレクト業者に何万人分として発注するだけでしょう。
このように漏洩名簿は専門業者ごとに加工されて行き、抽象化されて行くのが普通で、隣近所の知り合いが隣の人の情報を欲しくてこれを入手するなど滅多にあり得ない仕組み・・マスコミが喧伝しているようなプライバシイー侵害リスクに直結しないのが原則です。

政府と国民3(2項対立1)

日本列島では縄文の昔から上下の一体感・・犬まで一緒に葬る同胞意識が強い社会ですし、西洋の革命によって生まれた民主主義・人道主義以前から日本では民意重視・・すべての生き物・環境重視社会です。
西洋の学問を学んだ文化人は飽くまで政府と国民の対立図式・・地主と農奴・労働者と資本家・男性と女性・敵か味方か白か黒か人とそれ以外と言う2項対立図式を有り難がる傾向があります。
世の中「晴か雨、暑い寒い・・」ばかりではなくいろんな天候があるし白黒の外にいろんな色合いがあります。
キリスト教・イスラム教的善悪二元論は数千年〜万年単位で遅れた社会で通用する・・人間の一生で言えば小中学生レベルの単純価値観ではないでしょうか?
自我に目覚めて何でも口に出して主張するのが進んだ人間と賞讃される価値観も、小中学生レベルを前提にすれば、自分の意見を持てるようになって良かったと言うオヤの目から見れば賞讃すべきことですし、子供から言えば誇りでしょう。
近代西洋で発達した2項対立図式(この程度までが理解能力の限度)によれば、犯罪摘発・・秩序確立は政府を利するだけのことだし、国民を監視するための情報収集に協力するのは、まっぴら御免・・通信の秘密・プライバシーその他表現の自由など人権重視となると嬉しくなってそのサジ加減の必要性が分らないし、「生き物を大切にしなければならない」と習ったことを自慢したくなって「捕鯨反対」と短絡化して行くのは民度レベルから当然です。  
フランス革命で権力と人権の二項対立を習うと、この基準でしか考える能力がない人は日本人レベルで言えば、小学高学年レベルの人と言えるでしょう。
日本は繰り返すように縄文の昔から・・複雑多様な自然の移ろいを肌で感じて表現して来たように、(「春か夏か!と言う観念で決めるのではなく、その日の風情で微妙に着るものや床の間に活けるハナや掛け軸を変えて行く社会です)いろんな価値観を総合判断して行く社会でしたから、2項対立→「今日は春か夏か」の区別程度しか分らない人はムラの寄り合いでマトモな意見を言えずに黙っているしかない人材でした。
万年単位で人智が遅れているアメリカ人が乱暴な(言わば原始社会基準の)二択基準を持ち込んで強制したために、この70年間世間を2項対立でしか判断出来ない低レベル人材がアメリカと言うトラの威を借りてエリートとしてのさばっていたに過ぎません。
今日の空模様で何を着ていこうか、どのような色柄が良いか迷っているときに「今日は春か夏かどちらかだ!」「晴れるか雨か」と言う基準を出されると黙ってしまうしかありません・・。
黙っている人はモノゴトの基準が分らないのではなく、大雑把な基準しか分らない設問者をバカにしているだけです。
多くの女性は出掛けるのを急かす男性に対して「はいはい」と答えていますが、「どうせ男性には分りはしない」と言う気持ちであって男性が優れていると思う女性は皆無でしょう。
子育ても「厳しいか寛容か」などの単純価値観ではうまく行きません・・母親の重層的価値観でこそ学業や友人関係について行けない子供が何とか育つのです。
単純化に適している戦後エリートを基礎的人材源とする革新系・・民主党政権時代にいわゆる二者択一的判断・・微妙な反論を許さない「事業仕分け」が同政権の目玉だったことがその本質を如実に物語っています。
菅直人氏が総理現役時に自衛隊を「暴力装置」と表明したのも、人命救助側面を見たくない・・抑圧組織としか見られない限界を示しています。
2項対立的仕分けによれば、政府が何のためにあるのか・・・国民のためか搾取するための道具としてあるのか?
社会秩序は国民のためにあるのか?犯罪摘発は政府に抑圧・搾取されている国民反抗抑圧のための「摘発組織」としてあるかがテーマとなります。
そして革新系文化人にとっては、日本政府を「自分たちの政府」ではなく、フランス革命前の人民抑圧組織として理解し敵視していることになります。
公害・環境問題や核実験反対も、抑圧組織と決めている日米政府や企業に反対するが、解放組織である中ソの実験や公害出しっ放しには全く問題にしない矛盾行為に平気な理由です。
敵か味方かを基準に「戦略的に?』判断するのではなく、人類全体のために環境をどうするかの高度な視点にまで脳構造が追いついていないのでしょうか。

政府と国民(信用破壊工作)2

彼ら人民と対立する日本政府を想定し外国勢力占領を渇望する立場からすれば、時代に応じて政府が新たな情報活用すること・・防犯カメラ、マイナンバー・統計処理その他政府が正確な情報を得ること全てイヤ・・秩序が乱れている方が政府による国民抑圧効率が悪くなるのは良いことですし、抑圧されている人民を助けるために外国が攻めて来易いから政府のためになりそうなことは全て反対と言う気持ちも分ります。
しかし、今のシリアのようにあまりにも内部が乱れてしまうと占領政治も出来なくなるので、もしかして・・無政府主義者になるのでしょうか?
犯罪=政府秩序破壊行為ですから、反政府組織(無政府主義者)にとっては、泥棒であれ何であれ、秩序破壊に役立つ行為・・データを不明瞭にすることを奨励する立場になるのでしょう。
英国流の汚いやり方(海賊行為でスペインを挑発して遂に覇権を握ったのは周知のとおり)を学んだサツマ藩は、幕末江戸の秩序撹乱を狙って、テロ行為を実行しました。
幕末薩摩藩は正規職員を撤退させて、その空き屋敷に得体の知れない素浪人を引き入れて押し込み強盗その他犯罪者の巣窟になっていた・・幕府支配下の治安破壊を目的にしていた小説を子供の頃に読んだ記憶です。
追っ手に追われた強盗集団(子供の頃に読んだ物語では益満休之助がサツマ藩のテロ組織の親玉だったように記憶していますし、人斬り以蔵はサツマ藩出身ではありませんが、殺し屋として知られています)が・・治外法権を利用して薩摩屋敷に逃げ込むと追っ手は、手も足も出なかったことを想起しても良いでしょう。
(桂小五郎も京の薩摩屋敷に逃げ込んで難を逃れた逸話があります)
うろ覚えですので、念のため・・以下は益満休之助に関するウイキペデイアの記載です。

薩摩国鹿児島高麗町生まれ。薩摩藩の尊王攘夷派として、江戸で活動する。万延元年(1860年)には清河八郎が結成した虎尾の会に名を連ねる。慶応3年(1867年)末、西郷隆盛の密命を帯びて伊牟田尚平らとともに江戸へ赴き、江戸薩摩藩邸を本拠として約500名の浪人を集め、江戸市内を意図的に混乱させる工作をした(江戸薩摩藩邸の焼討事件)。その狙いは、幕府の施政を妨害し、挙兵させ、それによって江戸を中心とした関東地区を撹乱することで、民衆の不満を煽り、尊皇攘夷の大義名分を得て、新政府実現へのきっかけとすることにあった。
果たして、狙い通りに江戸取締役を務めていた庄内藩軍を主力とする幕府軍が江戸薩摩藩邸を襲撃、この知らせが大坂城に至り、会津藩及び桑名藩を刺激し、鳥羽・伏見の戦いが勃発した。のち、幕府方により逮捕され処刑される直前に勝海舟によって身請け・幽閉された[1]。

岡田以蔵に関するウイキペデイアの記述は以下のとおりです。

土佐勤王党が王政復古運動に尽力する傍ら、平井収二郎ら勤王党同志と共に土佐藩下目付の井上佐市郎の暗殺に参加。 また薩長他藩の同志たちと共に、安政の大獄で尊王攘夷派の弾圧に関与した者達などに、天誅と称して集団制裁を加える。 越後出身の本間精一郎、森孫六・大川原重蔵・渡辺金三・上田助之丞などの京都町奉行の役人や与力、長野主膳(安政の大獄を指揮した)の愛人・村山加寿江の子・多田帯刀などがこの標的にされた(村山加寿江は橋に縛りつけられ生き晒しにされた)。 このため後世「人斬り以蔵」と称され、薩摩藩の田中新兵衛と共に恐れられ、同時代の史料では同志から「天誅の名人」と呼ばれていた。なお一般的に「幕末の四大人斬り」と呼ばれる者達はみな、後年の創作物によって「人斬り」の名が定着したものである。

鳥羽伏見の役は薩摩屋敷を基地とするテロ挑発に我慢し切れなくなった庄内藩兵が治外法権の薩摩屋敷を襲撃するに至り、小御所会議のクーデターで京を退かされた無念の会桑+新撰組連合軍が・・俺たちも・・と兵を挙げてしまったことに始まります。
言わばイギリスの海賊行為に業を煮やして無敵艦隊を派遣したスペイン同様の経緯です。
薩長を中心とする勤王派(今で言えば、2世紀前の近代法の原理を掲げる時代錯誤)によるテロ行為・・秩序破壊行為が目に余って来て、奉行所制度・・みんなが権威に従っていてタマに間違った人しか事件を起こさない前提)では手に余って来たので、江戸市中警備のために庄内藩が警備役に就任して兵力を駐留する事態になっていました。
一般には京の治安維持には所司代だけでは間に合わなくなって来て会津藩の軍隊が駐留したことが知られていますが、徳川お膝元の江戸市中でさえ治安警察が必要になっていたのです。
会津藩軍兵への進駐でも、テロには正規軍や対応不向きなので非正規組織である新撰組が組織されました。
明治政府成立によって新撰組が悪役化されて描かれていますが、先に治安悪化を狙った暗殺組織や強盗集団を組織して挑発したのは薩長の方であり、新撰組や見回り組はその防衛組織として始まったものです。
現在は、東京時代・・まだ明治時代の延長ですが、その影響がなくなると新撰組や会津藩に光が当たる時期が来ると2004年09/09「勝てば官軍」1(薩長閥と戦後政治家の変遷)」に書いたことがあります。

政府と国民(信用破壊工作)1

革新系文化人・政党が新しい施策に全て反対してきたのは、日本国の発展しそうなことを妨害するのが目的ではなく、政府と国民が対立しているから搾取し抑圧する政府・資本家から国民防衛のために政府・資本家の施策に全て反対しているとすれば「外国の手先」と言う批判はあたりません。
左翼系は従来から自分たちを「国民」と言わずに人民と称していることをMay 1, 2013, 「中国共産党→中国政府→人民2」前後で紹介したことがあります。
国民と言わずに人民と言えば何が変わるのか分りませんが、中華人民共和国・朝鮮人民共和国の名称を有り難いと言う忠誠心の表明でしょうか。
人民解放軍が人民「解放」に来てくれるのを首を長くして待っている意思表示でしょうか?
ところで、人民解放軍とは国軍ではなく、中国共産党による武力支配を貫徹するための私兵です。
中国や韓国の主張は実際には真逆・・自分が酷いことをしている場合・・歴史改ざんであれほぼすべて・日本がやっているように表現することが多いので、中韓が主張すると自分がやっていることを言ってるのだな・・と理解するのが普通ですが、人民解放と言う名称こそ真逆の世界です。
このネット時代に膨大な人員を使って都合の悪い発信を片っ端から消して行くだけでなく、公安警察を使って国内でやり放題どころか、香港など域外にまで出張して気に入らない言論人を秘密裏に拉致して行く・・・この背後に控えている武力装置が「人民解放軍」です。
これ程、真逆の名称は珍しいし、虚偽で塗り固められた中国の本性・・象徴的表現です。
今朝の日経新聞朝刊10pには習近平氏が、遂に軍用迷彩服でテレビに出て来た背景を書いています。
「銃口から政権が生まれる」と言う毛沢東主席の意見・・中国共産党の党是ではあるものの、開放政策以来経済優先で来た・・対外的宥和・・平和的発展論を示すためにも、ここ何十年も軍服着用は長老の葬儀など内輪でしか着用しておらず最近では背広中心になっていた経緯を紹介して、今になって軍服・しかも現場向きの迷彩服まで着てテレビに出るのはどう言うデモンストレーションかの解説をしています。
経済政策で人民を引きつけるのは無理になったので軍事力で押さえ込む明白な意思表示ではないかと言うものですが、このように中国では人民を抑え込むための兵力であって国防軍ではありません。
菅直人氏が総理大臣のときに自衛隊を暴力装置と発言して物議をかもしましたが、中国の軍を理想とする革新系では当然の理解・・自衛隊も人民抑圧手段の理解なのでしょう。
まして中国の場合、警察は人民監視や抑圧の手先機関でしかないのですから、憲法9条に関する「戸締まりや警察が必要」と言う自衛必要論のたとえ話は、警察などは人民の敵と考えている左翼文化人とまるでかみ合っていません。
革新系文化人は、人民解放軍は人民抑圧のための軍であり警察は秘密警察・・国民の生活安全を守るためはなく政府の都合でいつしょっぴかれるか分らない怖い存在でしかないと良く知っているとすれば、中国人民解放軍が日本人民を救うためにやって来ると期待していると言うのは矛盾していませんか?
日本の軍は武士の系譜を引くものですが、日本の武士団が始まって以来約千年ですが、地元出身で構成される武士団が地元住民を敵に回して戦うことを誰が想定出来るでしょうか?
軍国主義日本を批判していますが、日本国民を弾圧したことがあったでしょうか?
秀才は日本の現実を見ないで西洋の歴史教育で習ったとおりを観念する習性です。
政府は国民の敵だから日本を攻めて来る国は救世主であると切り分けていたのが戦前ソ連崇拝者の行動原理でしたし、その系譜を引く革新系文化人は戦後はアメリカ占領軍崇拝し、今は中国による日本人民解放実現が夢とすれば非武装論は確かに有効です。

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