政治と企業の関係3

国民利益100%を目指すべき政治を(外国にも軸足を置く企業が増えて来ると)経済界と政府(官僚)の合作・談合に任せておけなくなるのは当然です。
外国人からの政治献金を多分どこの国でも禁止しているのは、国益を決めるべき政治に外国人が影響を持つのは良くないからです。
日本企業とは言っても海外生産比率・出店比率・海外従業員比率が上がる一方になリ、外国人の株主構成が上がって来ると政治的利害関係では外国企業と区別がつきません。
トヨタの海外生産比率が仮に90%になり従業員比率でも外国人が90%を超えて、株主構成も外国人が9割になった場合でも日本企業というかの問題です。
国内地元政治でも先祖代々住んでいる住民とよそから来たばかり・・しかも転勤族とでは愛郷心に温度差があるのと似ています。
海外に逃げられない国民にとっては多国籍企業に支持される政党などを信用出来ないとなれば、国民にしか軸足のない労働者に基盤をおく従来の本来的野党・・批判勢力に票が集まり易くなります。
実務能力が求められるとすれば、集落の運営や地方政治の経験がありましたので元の地方名望家政治に戻れば良いかとなりますが、旧来型集落運営は空洞化の一途で今やそうした人材が地方に残っていない上に複雑な国際政治に関連した政治能力・経験はありませんから、今更政治の受け皿に復活するのは無理でしょう。
従来の野党には、実務経験がなくて不安だから政権を任せられなくて与党になれなかったのですが、自民党が駄目なったからと言って従来野党の弱点がなくなった訳ではありません。
日本の民主党もその生い立ちは本質的には企業と一線を画した労働者の支持に本籍があってウイングを広げたと言っても市民運動(現状批判勢力)程度で実務経験がない点は同じです。
民主党の本籍は野党・・批判勢力ですので、国民の不満を背景に政権を取れたのですが、批判能力と実務遂行能力は別ですので、素人政治の時代に突入してしまったと言えます。
著名な経営評論家が、小さな企業1つウマく経営出来ないのが普通です。
日本の長期に及ぶ財界寄りの自民党政権から代わった民主党政権の内容を見ると実務的実力者が弁護士の仙石元官房長官であり、枝野氏であるなど弁護士が主流を占めている点が韓国のノムヒョン政権と傾向が似ています。
弁護士は評論的意見は鋭いかも知れませんが、組織的・官僚的建設的・行政実務の経験がありません。
初めて政権を取った民主党こそ最も欠けている実務官僚をウマく使いこなす必要があるのに、自民党批判の余り、官僚を排斥することを主要方針にして政権が始まったのは大間違いでした。
占領軍や中国でもどこでもそうですが、日本の軍部が悪かったのであって国民に責任がないと使い分けて官僚や実務家をそのまま利用して来ました。
中国やアメリカも世界中が国民と軍部を使い分けていたので(June 5, 2012の「同胞意識と格差拡大4」で書きましたが、英米は国民の分断対立を煽るのが得意です)国民の多くは、自分達に責任がないという安易な気持ちがあって、言われるまま「謝っておけば良いのなら・・・」と安易に対応して来た経緯があります。
ドイツの謝罪と違って日本の謝罪は誠意がないとよく言われますが、我が国ではアメリカや中国/韓国の主張は実体がない・・でっち上げだと思いながらも負けた以上は仕方なしに「口先で済むならば・・」とこれまで指導者が謝って来た経緯があります。
最近戦後世代になってしまい、韓国や中国は国民と軍部支配層との使い分けが出来なくなっているのに、まだ従軍慰安婦や歴史問題を出して来るので「本当はどうなんだ」という議論になって来て、日韓・日中の大きなトゲになっていますが・・・。
民主党政権を無能力だと批判する人が大半ですが、民主党の問題というよりは、長年政府を支えて来た企業の組織的政策実現努力・意欲が低下しつつあることがポイントです。
産業界が政治の方はどちらでもいいとなって、(今でも利害がありますがその死活性が低下して)つっかい棒が弱くなった自民党が政権遂行能力が弱まって下野せざるをなくなったのであって、自民党に政権が戻ってもその前から企業が下支えする意欲が弱まっている・・この3年間でもっと意欲喪失が進んでいることに変わりがありません。
例えばTPP参加交渉を一例に挙げれば、その交渉がどうなろうと企業が必死に推進するために政治エネルギーを使う(反対派に憎まれる損があります)よりは、アメリカやメキシコで生産増強した方が簡単・・政治エネルギー効率が良いという姿勢になります。

企業の政治離れ1

企業が海外に簡単に逃げられない時代には企業体が政治に対して必死(文字どおり存続・浮沈にかかわりますので)に注文を付け、政治もこれに呼応して政策立案能力が磨かれて行きました。
グローバル化が進み企業体としては海外展開の余力・・おまけとして政治に注文を付けるだけで足りる時代が来れば、苦労して政治に訴え理解のない官僚を教育し・鍛えて実現する必要性が弱くなります。
また、特定政策推進に肩入れし過ぎると、反対派から不買運動を起こされるリスクの方が大きくなりかねません。
原発再稼働であれ風力発電・太陽光発電であれ何であれ、中立で見守っていて結果が不都合ならば、そこから逃げ出して都合の良い政策採用している国・・例えば太陽光発電業者は太陽光発電に対する補助金の多い国で増産すれば足ります。
FTAであれTPPであれ業界は日本政府の尻を叩かなくとも、(日本国内の生産を縮小し)アメリカやメキシコで生産増して韓国中南米等へ輸出すれば良いのですから、必死になって推進する(農家の機嫌を損ねる)必要がありません。
法人税が高いと思えば、税の安い国で投資拡大すれば良いので政治活動までして(政治には反対派の存在がつきものです)嫌われる必要がありません。
実際には投資済みの生産能力削減は大きな損失を伴うので容易ではないのですが、国内でしか生きる場のない時代に比べて死活的重要性が減少していることを書いています。
また殆どの企業は現状維持ではなく、いつも増産するチャンスあるいはスクラップ&ビルド(大手コンビニその他で言えば新規出店と不採算店の閉鎖の繰り返しと同様に世界企業もいつも最適生産・出店を検討しています)をしているので、不都合な国での増産や更新投資を見合わせて都合の良い国で増産をする・・こうした繰り返しの結果国別の投資比率が徐々に変わって行くのが現状です。
このように政治から距離をおく企業が増えて来る・・海外比率が高まる一方になると企業・官僚の二人三脚による政策すりあわせが減り、官僚の政策立案能力が低下して行きます。
これが官僚に頼って来た自民党の政策遂行能力を徐々に弱体化させて、ついには下野する所まで追いつめられた基礎的構造変化だったと思われます。
それまで国民の大方は企業に属していることもあって、職場の代表である企業にお任せしておけば、国際問題も海外事情に詳しい企業と政府(官僚)が協議して何かとしてくれる・・間接的な立場でした。
(若手→中堅→古参と順次昇進して行く企業では企業首脳部や先輩の判断に委ねておけば自分が考えるよりいい結果になるだろうという信頼感が基礎にあります)
日本を取り巻く環境変化に対する切実感の最大利害関係者・・ステークホルダ−だった企業が今では国内政治の脇役になってしまった以上は、簡単に逃げられない国民個々人が直接政治を担うしかない時代が来ています。
個々人が国際政治の利害結果を直接受けるようになって懸案を自分で(どこか中間団体に任せておけず)解決するしかない・・その集合体である政治に直接訴えて解決して行くしかなくなったのが、グローバル化進行以降の政治状況です。
実務能力のない個々人の訴えによって政権が成立する時代が来ると、その政権(民主党など)には実務的すりあわせする相手がいないのですから足腰が鍛えられない・・能力不足になるのは仕方がない所です。
政策立案遂行能力は、政権支持者によって磨かれるからです。

原発損害賠償リスク8(相当因果関係)

真実のコストを知ることは業界自身のためになるにも拘らず、業界どころか産業界あげて真実のコスト計算に触れないようにしようとしているように見えるのは、電力業界のためではなく、これまで言って来た、やって来たことの自己責任を取りたくない・・責任者・上位の経営層が自己保身のために無駄な抵抗をしているのでしょうか?
以下に書くように電気料金だけではなく、関連産業の発達等の経済効果もあるならば、それは遠慮なく主張すれば良いことです。
経済学者の役割は国民経済に与えるデータ収集とこれに基づく意見・・すなわち損害だけではなく原発立地による経済波及効果のプラス面も含めて・・例えば「風が吹けば桶屋が儲かる」式の連関を主張するなど・・国民経済効果を論じるべきでしょう
トータル積算資料・意見が出れば、そのデータの正確性や、価値付けに関する学者間の論争も起きるでしょうが、これが公開されることによって、国民の判断材料が提供されることになります。
今は客観的な判断材料が提供されないために、放射能被害同様に風評被害化・・感情的に損害を極大化してみたがる傾向が生じているのが現状です。
国民の漠然とした印象・・風評で長期的政策を決めて行くのでは、国の進路を誤ることにもなるので、先ずは原発の損害賠償金を含めた総コストと原発建設による波及効果のすべて・プラスマイナスを先ず明らかにすることが、経済学者に求められています。
いわゆる条件関係のある波及効果・「風が吹けば桶屋が儲かる」式のプラス・・原発があることによる技術の発展・輸出競争力のかさ上げ効果などまで)マイナス(回り回って事故による景気沈滞による周辺の売上減まで・・)のすべてを計算し、その基礎データを公開してくれれば良いのですが、具体的な損害賠償実務となれば、そうはいきません。
経済学者によるデータ公表があった後は法律家の出番で、法的にどこまで損害賠償すべきか・・相当因果関係の範囲を決めて行く作業をすることになります。
千葉県弁護士会で福島県のいわき市へ法律相談に行って来た報告によると、避難区域からの避難者の相談では自宅が避難区域で立ち入れなくて、家具を持ち出せない・・避難先で新たに家具を買わねばならないがその費用も保障してくれるのかなど、現実になると因果関係がどこまで及ぶかが問題となります。
我が国民法の通説判例では、相当な因果関係の範囲内に損害賠償義務が限定されることになっています。
世界中の現在の基準を正確には知りませんが、相当因果関係説であることは多分間違いがないでしょう。
因果の連鎖は無限にあるので(よく言われる例では、犯罪行為の原因を遡って行けば、親の教育・しつけが悪い、その子を産んだ母親、そのまた親まで責任があるようになって行きます。)相当因果関係の範囲までしか責任がないし、損害賠償請求権も相当因果関係の範囲に限定するのが近代法の原理です。

民法

(損害賠償の範囲)
第四百十六条  債務の不履行に対する損害賠償の請求は、これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的とする。
2  特別の事情によって生じた損害であっても、当事者がその事情を予見し、又は予見することができたときは、債権者は、その賠償を請求することができる。

どこまでが相当な因果関係と言えるのかを切り分けるのが、われわれ法律家の仕事ですが、原発の場合、国策事業である関係から民対民の損害賠償法理ではなく、条件的因果関係(落語の「風が吹けば桶屋が儲かる」の逆の展開です)さえあればすべて保障して欲しいとなるのは人情ですし、政治の方も無視出来ないでしょう。
後に書きますが茨城県の大洗海岸や千葉県の九十九里海岸の海水浴客の激減損害など・・放射性物質で汚染されていないので因果関係がないともいえますが、・・この場合、国民がこのような行動形式をとるのが普通であるから、相当因果関係があるという法的判断になるかも知れませんし、仮に法的因果関係がないとしても何の保障もないのでは国民は納得出来ない「・・そんなことを言うなら原発をやめてくれ!」となるでしょう。
この段階では政治家の出番です。
原発を今後縮小して行くのか増やして行くのかに関しては政治判断ですから、相当因果関係の範囲内の損害だけではなく、条件的範囲の損害までコスト計算しておく必要があります。
このように順序立てて損害額を決めて行けば、すっきりします。

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